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師匠の原稿⑤

『当然即真理』
自然顕現
人間存在の意義と役割りは宇宙の経輪と自然界の推移

「吾即自然」
人間のありのままの姿を顕彰してみると、人は天地間(地球表面)に在り太陽系銀河圏を10万k/hで飛翔する光固体であり乍ら自覚不能と言う不思議さを持つ

それは人を押し流して在らしめる「見えない大きな力」だが先づ何人と言えども自らの自己生命の始終を知る者は居ない。

吾が性別、資質は元より親家系も選べず国や人種、時代等も悉く一方的に押し付けられたものであり、その他力の生存条件を行使して生きて行く以外に生きる道はない。

幼少青壮老の行程は不変で後戻りは絶対許されず、如何に困るとも自らを代行してくれる者はなく

地上をおいて逃れ得る場所も皆無であり、行き付く先は皆死出の旅路の一本道である。

昨日(過去)があるから今日(現在)がある
これは事実であって君が望もうと拒もうと明日は来るし更に君が死のうと生きようと
地球は廻り陽は昇るのだが、その明日に君が出逢えるとの確約は絶対にないのが当然なのである。

地球の自然(運動)は太古来延々とその存在活動を続ける中で海の中から生命体を産み出した他あらゆる動静物を創造し、それ等の全てが存続する為の事物事象を供し続けて来た結果が今在る吾である。

故に吾は即ち自然であり更にその自然界を産み在らしめている原動カ(エネルギーの波動)を神と名付けているのだから 「天然の吾」を
そのままに見性するならば

誰にっても吾は自然界の一部一象であり「神人合一即身成仏」は当り前の事実なのである。

「自力前進」
この父たる宇宙エネルギーと母なる大地により産み出された人間生命は上記の絶対他力の生存環境と共に自らが親(天地)と同様に存在を永続発展させる為の偉大にして精密神秘な超能力(本能)を与えられており

それが「生命力」と言うパワー即ち自我自カとなって発動され

頼みもせぬに心臓は勝手に鼓動し呼吸は続き頭は忙しなく働き
腹が減ったら喰い渇けば飲み、疲れて休み、眠くなって寝る等の恒常性機能を発揮し作ら自生命の拡大発展向上の為に周囲に対しての戦いを挑む。

この自力の前進力と前記他力への順応性を行使した事により人類は地上に生き残り今日それなりの進化を果して自然界経輪の一翼を成しているのも宇宙の必然なのである。

「暗蒙未開」
以上の「吾即自然」「自然界の中枢」たる自己の本質と役目に対し、現人類は未だ進化途上であり動物質優位である為
殆どの人は自らを「何処から来たり、どこを目指す何者なるか」を識らず、
問はず、只結果としての吾の実感を基に「生きている
から頑ん張らなくっちゃ」と一事一象の有利有効を目指して右往左往し、目前の成敗に骨身を削り、汗を流すが結果は一喜一憂のくり返しを脱する事はなく、消耗の果て人生の終焉を真近にして始めて不毛の旅の虚しさに氣が付く。

その我執迷走の今生を解脱し真人となる迄の転生期間を釈尊は56億7000万年と告辞(ヨゲン)しており、それ迄の人間は皆「色気七分に喰い気が三分」と生殖による生命の継承及び今生での身を養い守る為に争うとの本能(色と欲)のままに生きる筈である。

「無碍光然」
然し自らを在りのままに観照してその無碍光の生命の流れが現世有界を通過する「今の吾が実在」に開悟する者は今生での四苦難渋も原罪混濁も何の痛痒とはな
らず無量寂光の世界を自在淡々に生きるのである。

師匠の原稿⑤より♪f:id:sanmeifuku:20200614185413j:image

師匠の原稿④

『自然真観』
有無循環
自然とは、在りのままの事実、当り前の出来事が訪れては去る現象の流れである。

自然とは在りのままの事実が常に変化し作ら進行する成り行きで神の経輪とも言う。

自然が形に顕れた事象を自然界と言い、それを動かす諸法則と原動力が真の神仏である。

自然の元質と原動力は宇宙であり、 宇宙はあらゆる原素が充満し活動し続けている氣界である。

氣界の動態と実体を真理と言い真理を明観実得するを真観と言うが、肉体をもち現実・有界に在る人間にとっては吾が原体(ホンシツ)であり乍ら捕捉不能の世界であり、
真理が自然界に顕れて活動する様に接して始めてその法則性やパワーを感知し

思索範囲内に捉える事が出来、 間接的に真理を察知し得るのである。

と言う事は日常身辺の事象にこそ真理が偏在するのである。

気とは無中の有と有中の無であり、その活動は無から有を生じ、有は無に帰るとの無限の循環であるゆえ、人は自らの肉体の中に実在する無を悟り、肉体は無の1部で1時の発現であるとの「自己内観」を得さえすれば誰もが容易に超相対の本義に達し

「解脱真覚を得る」

は当然なのである。
何故ならば、自らこそが真理の具現であり、無形の
真氣(宇宙)は本来吾がものにして、 常に同行しているとの当然の事実(小宇宙観)をそのま、にフット感得し認知するに過ぎないからである。

元素充満の「気」が超高速の運動を続ける過程で相反する質、 陰気と陽気が生じ逆質は結合し同質同志は反発するとの離合集散が行はれ
又純氣と濁氣に分れ清浄の純氣は上昇して「無形の天」となり濁氣は重沈して 「有形の地・自然界」となる。

この宇宙の実相が「森羅萬象」であり老子

「道の道ふ可きは常の道に非ず。
名の名く可きは常の名に非ず。
無名天地の始め、 有名萬物の母。
故に常無以て其の妙を観んと欲し
常有以てその徹を見んと欲す。
此の両者は同じく出でて名を異にす。
同じくこれを玄
と謂う玄の又玄衆妙の門」と喝破し

孔子は「はじめに太極あり、 太極両儀を生じ
〜」と言い

聖書でも「大初に言あり、言は神なりき…」と顕彰している。

陰陽合体し固結すると「宿魂」となり人間生命の原質となるが
生後更に外界の真氣と融合成長して
自カとパワー(生命力)を強めて行く

然し生存の環境が地上である為(優勝劣敗の場)濁気優位(肉体、欲望、闘争的)のバランスを保ち乍ら周囲の事物事象とも調和しつつ(適者生存)

各々の人生を織り成すがその間の分裂と融合、肉体(有)と霊魂 (無)、争和、 非喜、昇降等の陰陽バランスを保てなくなると肉体は解体し

元の無形の氣界=天に帰る。

それを移尊は「生者必滅会者定離」と言い浮き世の
習いとしている。

この生と死、有無の気の循環が人の生命の実相、真理の具現であり
釈家は「輪廻転生」と唱している。

師匠の原稿④より♪f:id:sanmeifuku:20200614185253j:image

師匠の原稿③

法則論
宇宙律法

『宇宙意識』

「全一全能」
(無限空間、星辰、神仏、霊界、自然界の有情無情等)凡ての存在は大字宙(全一氣界)の一部である。

「真玄気界」
最清浄純気が無窮の運動、無限の変化、無尽のパワーで拡大前進運動を行っている。

「根元無窮」
全ての元素の根源の気で、生命の核(魂)でもあり、そのエネルギー(活力)は字宙と共に永遠である

「無限運動」
永久に静止固定する事なき超高速の波動、運動、気流で有無形万象を動かしているパワー

「真空充満」
絶対の無であり作ら凡ゆる存在(森羅万象)の身辺に充満し、出入し、在らしめている源生命カ(イノチノモト)

『陰陽五行律』

「陰陽相対」
全一の真氣が運動により清濁軽重に分離して出来た正反対質の両気で萬有を産み出す原因。

「離合集散」
陰陽と五行(気中の元素の基)は融合と分裂、相生、比和、相剋の変化で不断に離合集散する

「有無循環」
氣魂は融合のバランスを保てなくなると無気界に帰るが、無気は常に有を生み出す運動をする

「法則経輪」
氣の有無循環運動には法則性があり、それが人から見ての神意仏心、天道、経輪である。

「有情無形」
法則性の氣の波動は人のパバイオリズムに共鳴し、それが一致した時は神仏が人意に感応した如く見える。

自然法則界』
「萬物流転」
有無形の悉くは真気の一象故、一瞬たりとも静止する事なく宇宙空間を流転し続ける。

「有無融合」
有形の萬物は有無陰陽の氣が融合凝固した姿(霊体一致)で自力、引力が備はる。

「生態均衡」
地球上の動生物は生態系バランス、生物循環、連鎖等で地球自然界を構成している。

「起承転結」
萬有悉くは無から発起し前進、継承、変転を経て終焉に至るが終末は即、始まりでもある。

「輪廻転生」
氣の有無界輪転は終りなく繰り返され、人ならば生き変り死に変る旅で今生は宿駅。

『生命原則』
「種族保存」
生を享けて生きる者は皆本能として生命の永統を生殖による子孫繁栄で叶えんとする。

「因果応報」
凡ゆる現象始末も禍福死生も悉くは原因に起因する応分の答えであり例外はない。

「恒常機能」
生体は常に正常のバランスを保つ為の復元機能に守られ、それが止った時が死である。

「前進継続」
全ての生物は生育壮老病死の旅をし何者たりとも後戻り、やり直し不能で前進街道を進む。

「浄化向上」
宇宙真氣の作用は人の肉体や運命の全てに対し、常に濁気を浄化して進化向上へ導く。

『人間界法則』
「栄枯盛衰」
生命エネルギーの炎は必ず隆昌と衰退の勢いを反復し作ら波状の進行を続ける。

「優勝劣敗」
動物界にあっては弱肉強食が地上に生き残る基本条件ゆえ争いは不断である。

「生者必滅」
王道は必ず敗れ聖進は成らず、若し求めるものを得たとしても命が今生に限るならば死と共に全て空しい。

「異根同体」
人は自然の一景であり環境の連鎖の中でのみ存在し得る。故に孤立の命はなく血統の中を足して一人で生きる。

「適者生存」
与えられた生存条件には異を唱えるも拒むも自由だがその場合は必ず自然淘汰が働き自滅へと進む。

師匠の原稿③より♪f:id:sanmeifuku:20200614185123j:image

師匠の原稿①

『宇宙大我』超然
「貴方に捧げる天恵至福抄」

これは私が五百萬年累生の生命を供して到達した(授かった)至極の真覚大悟である。

「地上で得たものは地上に遺す」
「此の世に在ったものは萬人共有の宝」
「凡人故にこそ得られる至福成道の幸」との天声に従い本稿を供する次第であるが、特に吾が今生において希有の縁にふれ、時を共にした人々に拝脆合掌(はいきがっしょう)を添えて贈呈し、只一人でも良し、共鳴を得て超神仏(操神駆仏)の
大字宙に繋根し自在大我に輝かれる事を吾が生命の願いとするものである。

但し本稿は目で読み頭で理解しようとすれば単なる精神論であつたり、人によっては独善虚妄の戯音とも見え、解理は永遠不能故、只くり返し、ボーツと対峙して下されば自然と心眼霊視が作動致します。

又各頁中に多出する重複の文書は別の観点から捉えた真義であり意の深甚を表はします。

『大我』
絶対究極の「1=字宙」に同化した「真の吾」を自得実感するを言い

凡人で且つ挫折多い半生を持つ者程到達し易い易行門
(本来身に備はり自然に導かれて得る深奥の悟り) であり

大我に至れば、相対界に在る森羅万象の実体推移の悉くが吾が裡(うち)のものとなり、事物、神仏、人等の万有に瞬時に同化し得る。

大我は本来萬人の身に備わった宇宙意識(生命の基根)である故超常的思索や
自己原罪の否定に基づく苦行から発現する事は絶対になく
己自身と身辺のありのままをフット見据えれば、 そこに大字宙が実在するので
ある。

『経緯』
吾が四十余年の求道探真故の壮絶の行学修は結果に得たものは
俗に言う霊
能屋の世界(幽界)でオカルトの魔境に過ぎぬ外道であり

世に益する何もなしと覚ったのは二千余年の昔、釈尊バラモンの苦行を捨て人里の自然に座して
涅槃に至った故事に導かれたものか…。

以来四度びの臨死体験や処世の修羅場こそが無上の精舎であるを知り

日常普段の暮しの中でしか真理(当り前、在りのま)を見出し顕彰する事が出来ぬと覚えたのであるが

その中で、有中の無虚中の真、に目覚めた時

ある日パッと魂が宇宙全一に共鳴輝光し万意通達と無限大自在の「我(大生命)に帰った」のが吾が覚醒の経緯である。

『超神仏』

エスは人間の原罪を身を以て贖はんとし、釈迦は人類の四苦の解脱救済を目指して宗門を起し

他の開祖聖者も全て現世の人間苦と悪心の嫌忌排滅を唱えたのは、
「人間の目、尺度」に基づくもの故に正邪、愛憎悲喜苦楽の相対の場を脱する事が出来ず、それが神仏の霊徳の限界を露呈しているのである。

一方全一の宇宙観では
四苦原罪も人が持つ固有の自然であり、天恩地恵を併せた真理の実在なのである。

『至福検証』

大我に至れば身辺は自他一如の白光に包まれ、生死、吉凶、 成敗を悉く脱し、心
を遮る一片の雲もなく

共歓至福の境地となり、周囲の現環境の全てが自分を中心に展開されるが、その度合いが悟りの正誤深浅(せいごしんせん)の答でもある。

師匠の原稿①より♪f:id:sanmeifuku:20200614184803j:image

師匠の原稿②

『真観』
一極二元論
陰陽総体説

『真理とは』
これしかない。絶対に変えたり変る事のない道理であり、当り前の事実であ
る。最高で究極の真理は宇宙であり、宇宙全ーの真観を得れば十方無碍(じゅっぽうむげ)に通じ超神仏の真人となる。

宇宙とは「気・エネルギー界」である。

気は超高速の波動により純濁に分れ茫漠混沌の玄気は陰陽相対の両儀を生じ、その合散と五行(気中の全元素の基)の生剋、比和から森羅万象が生まれては在り、消える。

即ち凡ての存在は氣の一象であり、有無界を循環し続ける氣の法則である。

『神仏とは』
全一から生じた陰陽が真の神仏で、そこから四象(季、形) や八卦(現象)等全ての事物が発象し存在する。

真の神仏とは陰陽の法則の経輪を司どる氣の作用であり、人を支配したり、人に夫役されるものではない。

人は王道 (覇権)か聖道(求真)を目指して生きるが二千年の宗教史は殺掠と争奪の修羅場を招いた事を明示している。

巷間の神仏は人間の理想の虚像(仮相の方便)であり、
物乞いの対象、欲望の助長を成すものである。

今古愚衆が信奉する人意通達の
人格神は実は祖霊魂であり、天界の下層に在つて霊力を揮う者である。

『自然とは』

当り前の事がありのままに顕はれ行はれる事であり、禍福は共に人を在らしめる為の天の恵みである

あるがままの自然の成り行きに身を任せる事で役目
を果させられ幸せに導かれる天道の旅をする

身辺の事象に受動的であれば他カが作動し、努力不要の幸運が訪れ、吉凶の帳尻はビタリと合う

自然界は有形の事物が現はれては消え去る輪廻の場故、所有ではなく使用の具とすべきである

自然の気の流れが時間であり、凡ゆる現実現象は時の背に乗り、流れる雲ゆえ

今生は昇降あるも成敗はなき世界。

『人間とは』
無から偶発したものではなく遺伝子が細胞に乗って流れる霊統の顕現で種族保存
のキーマンである

自らの今の在りのままの姿をフット見よ、そこに凡ての真理が書いてあり、無限流動の小宇宙を証している

有無。
霊体一致の融合、均衡が生存の条件で霊主体従に生かされ
『主は中黄の宇宙魂である』が生命の実相

霊と魂は有無界を無限に循環し肉体は霊魂の住居として地上に在るが子を成す事で「自己継続」で永遠の生命を得る

人は天地間に在って微光を放ち作ら宇宙空間を高速飛翔する小惑星である故
常に燃えてないと失墜する。

『幸福とは』
自然界には本来人間個人に対する禍福吉凶の事象や作用は存在する筈がないので
ある。
人が厄災を嘆き紀憂におののき吉象に歓喜するのは一片の喜憂であつて幸不
幸ではない。

一般に言う幸不幸とは全て自分にとつての悲喜の情感であり主観の浮沈故普遍性は全くない。

本当の幸福とは、家族に恵まれ、平凡作ら恙き生涯と霊魂の昇華を得るを言うのだが

本質的には今吾在りに対する日、 水、 土や空氣、生物
等全環境による天地の恵みこそが幸運であり、今生きて在る事が喜びである。

師匠の原稿②より♪f:id:sanmeifuku:20200614184549j:image

師匠の原稿

卷 頭

これは私玄聖が今迄貴方の為に行使した「言霊」の集録であるが、御承知の通り言霊とは私の考えや判断から発した言葉ではなく無意識、反射的に噴出した魂(宇宙分霊)の響きです。

よって本文は理論や哲学宗教等の系統性や一貫性はなく、又これによつて
何かを教えようとか伝えたい等の意図も全くありません。

故に老俗凡庸の独り言か、市井の生き亡者のツプヤキと思い、分別を去り只ボンヤリと眺めて下されば行間の真気が自然と貴方の中に入り

結果私との日頃の対面や対談と同様の「良くは判らぬが明らかに一身一家を左右する様な現実現象」が発生しますが

私の没後は更にその波動は増巾し、貴方が問題に対した時は本稿を前に嘆目放心して頂くだけで腹底が鳴動し私の答え
がフッと湧き上る筈です。

それが実は貴方の「大我の躍動」なのです。

師匠の原稿より♪

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インターネット正法より


高橋信次師と園頭広周師に学ぶ                          
 「正法と創世記」                  
  −エデンの園、アトランテイス大陸、ピラミッドの謎−


 「 神 」                          
 神とは大宇宙を支配する大意識そのものである。          
太陽も人間も素粒子も、すべてこの大意識の経綸のなかで生かされ生きている。                              
                                 
 「大宇宙の誕生」                       
 この大宇宙は神によってつくられた。大宇宙が発生する以前の大宇宙は光明という神の意識だけがそこにあった。              
                                 
 「あの世とこの世がつくられた」                
 意識の働く宇宙(あの世)と物質界の宇宙(この世)の二つの世界を神は創造した。                           
                                 
 何千億年前か何兆年前かわからないが、ず−っと過去の最も調和された或る星に、人間が生まれる目的のための生活環境が永い年月をかけて整備されていた。

人間にとって必要なものすべてが。つまり、食糧も微生物も、共生する全ての生命体が人間の誕生を首を長くして待っていた。すべてのものが整った後に人間が誕生することになった。     

  「 数字の日本的よみ方 「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と」は、天地創造から人類誕生までの順番である。」 


一 、ヒ  霊 、宇宙のはじめには光明という神の意識だけがあった  
         
二 、フ  風 、空気ができた                           
三 、ミ  水 、地球は水で覆われていた                      
 
四 、ヨ  世 、海面上に陸地が隆起し、地上が出来た                
五 、イ     生命の出現。微生物や植物、藺または葦草の誕生発生 
               
六 、ム     虫類や小動物の発生                            
七 、ナ     魚類や海に棲む動物の発生と誕生。魚を「ナ」と言う 
                            
八 、ヤ     鳥類の発生。鳥が矢のように飛ぶことを形容して「ヤ」という                            
九 、コ     大動物、獣類の発生。日本では昔から、牛の尻を叩いたり鼻つらをとってひく時に「 ココ、ココ 」と言った。「 コ 」とは獣類のこと。     
                                 
十 、ト     人類の誕生、天孫隆臨。人をヒト(霊止)という。
宇宙最始源の神の霊がトと止まって、止りとどまって現れたということ。これを天孫隆臨という。  

  

 

 

 

 


正法と創世記 2 八起正法先生編

 現代の日本には漢字あり、平仮名あり、カタカナあり和洋の数字と多彩だが、英語を例にとっても大文字、小文字、はな文字、数字に過ぎない。
日本読みの「ひとつ、ふたつ、みっつ、、、、、、、」が天地創造から人類誕生までの順番だった。その中でも最後の「十 」の 「 ト 」に人類が誕生した。

すべてが準備されたあとに、神の子人間がこの地上界で生活をはじめたというのである。(園頭広周師の記述要約 ) 
                                 
 「人間の誕生−それは忽然と物質化された」            
 
人間は、神の意識から別れ、神の意思を受け継ぐ万物の霊長として産ぶ声をあげた。人間の誕生は、意識界いう実在の宇宙(あの世)に、まず姿を現した。
そうして、神の意思である調和をめざす神の子として、物質界(この世)に誕生した。この世の最初の人間は地上の眼でみるならば、大地の一隈に、忽然と物質化されたといえるだろう。

動物も植物も鉱物もこのようにして大地に姿を現わした。       
 「人間はあの世とこの世を輪廻する。」
              
あらゆる生命物質は、実在界・意識界(あの世)と現象界・地上界(この世)を循環することになった。                   
                                 
 「小宇宙としての人間」
                    
「神」の体である大宇宙に対して、「神の子」・人間を小宇宙と呼ぶ。人間の肉体細胞は六十兆個、大宇宙の六十兆個と言われる星ぼしとの関係は不思議である。


 「大宇宙と小宇宙との関わり」
                 
 大宇宙から見れば、極徴の一点にすぎない太陽系を見た時、太陽を中心に九つの惑星が循環している。
高橋信次師は、昭和五十一年五月の講演で「やがて十惑星の事実を知るでしょう」と予告をしたが、昭和六十二年七月にはアメリカのNASA(米航空宇宙局)が「太陽系に十番目の惑星が存在する可能性は否定できない」と発表した。

どうも十惑星が真実のようである。高橋信次師は、意識によって宇宙の果てまで見通す能力を持っていたのである。「十惑星の新事実」は、高橋師が「地球には月以外のもうひとつの衛星が飛んでいる」と言った言葉と共に注目に値する。

地球は大宇宙の中のひとつの構成員にすぎない。地球に住む人間は、またその中の極微な一員である。だが、人間の心(意識)は神の子として宇宙大の広さを持ち、人間は宇宙と一体という神性、仏性を生まれながらに持っている。

 

 

正法と創世記 3 八起正法先生編

そこでウエブ・マスター(八起正法先生)は、考えた。
大宇宙の中の、ほんの極微の一点にすぎない太陽系を見たとき、太陽系を中心とした十惑星の事実が、小宇宙である人間のからだのシステム系と一致することに着目した。

まず、神のからだである大宇宙の六十兆個の星々の一系みだれぬ整然とした運動、例えば太陽と地球、地球と月の自転公転から割り出した時間は十万年に一秒の誤差しかないという事実。

この超事実は、まさしく神の意志、神の意識のたまもの以外の何ものでもない。そして、肉体細胞の整然としたコントロ−ルは、人間の心(意識)の働きに外ならないのだ。

太陽系を例にとれば、太陽を中心として十の惑星が理路整然と統制され、太陽は我々に熱、光りを無償で与え、生きる力を与えてくれる。

これと同じように、人間のからだの中で心臓は、太陽と同じ存在であり、中心となる。心臓から出された血液は身体のすみずみまで酸素やエネルギ−をあたえ、循環してまた帰ってくる。

太陽系は太陽を中心として、水星、金星、地球、火星、木星土星天王星海王星冥王星と未発見の星を含めて十惑星があって、人間は心臓を中心に十系統の器官がある。

どうして、これを述べるのかと言えば、現代医学の分類とは異なるが、十惑星と身体の十システムがピッタリ一致することを説明したかったからである。高橋師や園頭両師が教える「正法」は自然をお手本にするというもので、人間の体の機能を考えた時、現代の九惑星のままでは説明がつかないのに、十惑星ではキチンと整理できる。                             

 「 太 陽 系 」 中心は太陽 

                     
 
一 、水星
二 、金星 
三 、地球  
四 、火星  
五 、木星 
六 、土星 
七 、天王星 
八 、海王星
九 、冥王星 
十 、未発見の惑星          


 

 

正法と創世記 4 八起正法先生編

「人間のからだ」 中心は心臓、血管−血流系                 
                            
一 、消化・排泄系  口  食道  胃  腸  肛門
    
二 、呼吸系     鼻  気管  肺

三 、通信伝達系   脳  脊髄  神経

四 、排水系     腎  膀胱  泌尿器

五 、生殖系     生殖器

六 、化学処理系   肝臓  胆嚢  脾臓  膵臓

七 、視覚系     眼
                   
八 、聴覚系     耳

九 、骨格系     頭蓋  骨 

十 、表皮系     筋肉  外皮  ツメ  髪        
                                 
   高橋信次師の「 ことば 」を要約しよう。                             
「人間を称して、小宇宙といいます。
なぜ、小宇宙かといえば、人間そのものは大宇宙とつながっており、大宇宙の縮図であるからです。
まず人体についてみますと、人体は、約六十兆からの細胞からなりたっています。
そうして、心臓、肝臓、などの諸器官は、それぞれ特有な細胞集団によって形成されています。
特有な細胞とは心臓が肝臓になったり、肝臓が心臓となることは出来ないためです。地球は地球であり、火星は火星としての特質を持って、太陽系に依存しているのと同じです。
そうして、各諸器官が、よく調和統一されることによって、人間それ自身の生活を可能にしているのです。

ですから、各器官一つでも欠けたり、痛めば、人間の五体は、全体的に、その機能を弱めることになります。
しかし、人間の五体は、血液の万遍ない循環によって保たれています。心臓から出された新しい血液は、体のすみずみまでゆきわたり、各諸器官を動かし、再び心臓に還ってきます。
そうして又、心臓から排出されてゆきます。太陽の周囲を、惑星が、円を画きながら、まわっています。循環の法則にしたがって、まわっています。
そうしてその法則を続けることによって、各惑星そのものは、惑星としての役目を果たし、太陽系を形成しています。
太陽系を人体にみたてると、実に、よく似ていることが分かります。

地球や火星の円運動が可能なのも、太陽があるからであり、太陽の熱光がなければ、こうした円運動、生命の躍動は停止してしまうでしよう。

人体各部の諸器官が、その機能を果たせるのも、かわりない心臓の働き、血液の循環によってであり、心臓が停止すれば各諸器官も、その機能を停めてしまいます。
しかし、人間の心そのものは、宇宙の意識につながっていますから太陽系よりも大きく、大宇宙に広がっていることを忘れてはなりません。

何れにしましても、太陽系にしろ、人体にしろ、その機能を調和させているものは何かといえば、大宇宙を支配しているところの意識、エネルギ−であり、人間にあっては、生命エネルギ−であります。

その生命エネルギ−は、大宇宙意識に通じており、神の子、仏の子といわれる所以も、ここからくるのであります。そうして、その生命エネルギ−、意識の中心が、心であります。

その心が、人体各部を調和統一させ、五体を維持させています。血液の流れも、胃腸の働きも、すべて、人間の意識、生命エネルギ−である心が指令していることを忘れてはなりません。

ですから、人間が感情的になったり、怒ったり、悲観したりしますと、体のどこかに支障をきたします。

胃腸などはとりわけ敏感ですから、その働きを弱めることになります。”病は気から”とは、この辺の事情、人間の心の在り方を伝えたものです。

生命エネルギ−の補給は、夜の睡眠であります。肉体ロスの補充は、動物、植物、鉱物のエネルギ−からとります。

このように、人間の五体は正法に適った循環の法則に従って維持されていることが分かります。

それ故、その法則にそった生き方をしておれば、健康は維持され、神仏の恵みも、自然のうちにうけられることになります。」


 

 

 

正法と創世記 5 八起正法先生編

 これより、人間と宇宙との関係について、これまでに科学的に明らかにされていることを列記してみたい。                          
  ● 肉体的人間と宇宙とのかかわり●              
                                 
 一 、女性の排卵周期とのかかわり                
女性の排卵の周期は、太陽系の太陽、地球、月の自転公転の輪廻 、循環と同様に、月の周期と同じ約二十八日に一回排卵日が循環してくる。

それは、女性の体温差によって排卵日を確認することも出来るが、精子の場合は卵子の周期性と異なり、自由に調和されて時間の影響を受けることはない。

女性の生理は「月のもの」「月経」と言われ、月齢や潮の干満と関係が深いと言われる理由である。

この女性の生理は、二十八日に一回の排卵が行われ、精子との調和、合体がなされて妊娠、または受胎と言うが、生理(メンス)は、合体が行われなかったために、受胎準備の解除の証として起こる。

医学的デ−タ−では生理の始まるのは新月か、満月の日に多いと言われるが、排卵はその前に行われることになる。

月に一回の排卵された貴重な一個の卵子に対して、精子の周期性にはないと言われるものの「その日」に合わせ欲情するように神様はおつくりになっているはずだ。

それが、人間は、満潮、干潮に合わせて欲情しているのだという説の根拠にもなるのである。


一 、人間の「死」とのかかわり 
              
 人間はこれまでの経験のなかから、人間が死ぬときは、たいてい海が干潮のときだということを知っている。或る作家のお母さんが亡くなる時、死に近づく息づかいを克明に観察、記録したところ、息を引きとられたのが干潮のクライマックスであったという。ウエブ・マスター(八起正法先生)の父の死も、最後の心臓の鼓動が干潮のその時であった。     
                                 
一 、海水と血液 
                      
 血液は海水とよく似ている。海は生命の母といわれる。「母」とは生命を生む者のことを言った。
医者が、病人に対して生理食塩水を注射して元気を回復させる時代もあった。昔は戦争で負傷した人への緊急医療として、海水を注射した例もあるが、この自然の浄化水である海水が血液に似ているとは不思議である。    
                                 
一 、満潮と出血 
                      
 ある有名なドイツの外科医は手術の時に、海が満潮になると、決って患者の出血が多かったという報告で知られる。 

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