算命学info

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いのちの理由

歌:さだまさし

作詞:さだまさし

作曲:さだまさし

私が生まれてきた訳は

父と母とに出会うため

私が生まれてきた訳は

きょうだいたちに出会うため

私が生まれてきた訳は

友達みんなに出会うため

私が生まれてきた訳は

愛しいあなたに出会うため

 


春来れば 花自ずから咲くように

秋くれば 葉は自ずから散るように

しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ

悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

 


私が生まれてきた訳は

何処かの誰かを傷つけて

私が生まれてきた訳は

何処かの誰かに傷ついて

私が生まれてきた訳は

何処かの誰かに救われて

私が生まれてきた訳は

何処かの誰かを救うため

 


夜が来て 闇自ずから染みるよう

朝が来て 光自ずから照らすよう

しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ

悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

 


私が生まれてきた訳は

愛しいあなたに出会うため

私が生まれてきた訳は

愛しいあなたを護るため

 


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師匠の原稿⑦

師匠の原稿⑦

『命運』 用術
「命運」
命は天意で役目を宿した先天的他力の宿命で、運は自己選択で自らの命を運ぶ後天的自力運である。

『玄命館』
「神占術」
全一根元の宇宙真気に感応同化する事で陰陽、神仏を超え、更にその用(ハタラキ)を駆使して人を永遠の幸せえと導く気の神技用方術である。
実技の方術は内観、顕彰へ導く「陰陽内法」と、命、卜、相、医、山、の「外法五術」及び「自然法」を行使 する

術効は自然に昇運して行く「福寿禄官印」と魂の覚醒(メザメ)である。

「算命学」
古来王室皇家に伝承し、門外不出であつた森羅万象の解理と人事百般の掌握操従
法であり
自然科学と天文、哲学、人間学軍学帝王学を網羅し、その一部である占技占法は内法165、外法6万種の技法に及び、凡ゆる占いや預言善導の聖典、ルーツともされている。

思想の原義は老子、思考の根幹は陰陽五行説、理論
と実技は鬼谷子により完成された。

陰陽道
「太極-陰陽五行律-現実自然界」と化転循環する宇宙の実相を明観しさえすれば

身は天空に化して現界事象や人間模様の悉くが手に取る如くに見え、その前途を
見誤る事も全くなくなる。

又自身においては、吉凶成敗、苦楽善悪、老若生死等 の虚影を覚り
相対と集合均衡の真理を直視容認するだけで、あるがまま当り前の法界を得て日々是好日を得る。

古神道
神、人を含む霊界解義による操神駆仏法(ソーシンクブツホウ)だが真正(マコト)の神観を得れば「宇宙、自然界の法則、経輪を吾が用となす」である。

一般に言う霊界とは人氣(ジンキ)を宿す冥府幽界
を言い魔性(オカルト) の世界であり、現在の宗教界の一部にも深く浸透しているがここでは

鎮魂帰神法
言霊の気術
大破浄霊法
鎮護真法 等の精随極意を駆使して神人合一開悟えと導く。

「雑占技」
家相、地相、墓相、人相、手相、骨相、方位、 姓名学等巷に氾濫する運命学で今生(コンジョウ)を対象の吉凶苦楽の操作技法(最高14%) 故個人の欲望を助長し利己心に加勢して一喜一憂をもたらす小手先の技法で各法力は3%前後である。

「宿命」
天地の易交、自然界の必然、祖霊の要望が一点に和した結果 「吾」 を地上に遣はし(出生)、その使命(役目)を果させる為、本人の意志、行動の如何を問はず
巨大な力で押し流す他力運(持つて生れた命の定め)で神仏の法力も歯が立たぬ

「運命」
自己と時間、環境との接点で現はれては消え去る一時一象の泡沫運だが、自力自由の選択を許されているため錯誤し易い。

「運勢」
生命エネルギーが燃えている勢いを言い、運勢自体に吉凶はないが完全燃焼の命の炎は宿命と運命の稼働(ハタラキ)を大にする。

「天運」
地上で生きる(生きた)者は皆、人であり何人を間はず同種で貴賎優劣はない
がその役目は個有でありそれを天命天祚と言う。

「地運」
自然界、地球の思恵生存環境を言い、太陽、 大地、 水や、風火や動植物等の恵みよつて各々の運界を作る。

「人運」
有史来の先人が残した知徳、習性等の遺産及び家系累代先祖の遺徳因縁と家系、社会の人脈から生じる運態。

「幸運」
平凡にして平穏、余徳を喰べて生き
恙き日々を重ねて定命を得る。悲喜は順転し生涯の帳尻は+となる。

「強運」

吉凶共鮮明に顕現し破乱は大で多成多敗
自力で強行し向上性大だが心は常に食欲にして空しさが去らず。

「不運」
結果事に意図に反し不満絶える事なし
努力は空転し悲嘆は更に苦境を招き自ら徒労の人生を築く。

#師匠の原稿⑦f:id:sanmeifuku:20200818102943j:image

錬金術

「ヘルメス思想」の謎

 

~ 神秘錬金術の秘密 ~

 

 

 

 

■■■第1章:ヘルメス・トリスメギストス

 

■■「三重に偉大なヘルメス」


ヘルメス・トリスメギストスとは、「三重に偉大なヘルメス」の意味であり、そしてヘルメスとは、いうまでもなくギリシア神話に登場する、オリンポス12神の一柱である。ギリシア神話では、ヘルメスは死者の魂の導き手として、生と死の境を自由に行き来できる使者であり、商業と学問の神であった。

また、エジプトの守護神トートと習合して、ヘルメス・トートとも呼ばれる。トートも同じく冥府の神であり書物の神であった。さらにヘルメスは、ローマ神話の神でトートと同じような役割を果たしていたメルクリウス(マーキュリー)とも同一視されている。

 

 
ギリシア神話に登場するヘルメス神。
錬金術の象徴である「ヘルメスの杖」を持つ。
(右は拡大写真)

 

このように、ヘルメス・トリスメギストスは、古代の3人の神として人類の前に登場しているのである。「三重に偉大な」とは、そうした意味をも含んでいるのである。

だが、秘教の伝承によれば、この「三重に偉大な」という表現には別の理由があり、ヘルメスは実際に存在した人間で、3回転生して活躍した偉大な賢者だったとされている。

はじめはアダムの孫として天文学の研究に携わり、ピラミッドを建造した賢者として生まれ、次はノアの大洪水後のバビロニアにおいて、自然科学・哲学・医学・数学の賢者で、ギリシアの哲学者ピタゴラスの師として生まれた。そして最後の生まれ変わりのときは、モーセと同じ時代のエジプトにおいて都市計画に携わり、化学・医学・哲学の賢者だったという。

また、ヘルメスは、生涯に3万6525冊の本を書いたとされ、宇宙の森羅万象を究めて、人類に医学・化学・哲学・法律・芸術・数学・占星術・音楽・魔術などのあらゆる知識をもたらしたといわれている。紀元後2世紀のアレクサンドリアの学者クレメンスは、その膨大な量の本のエッセンスは最終的に42冊の本にまとめられたとしているが、これらの書物は、一般に「ヘルメス文書」と総称されている。

ヘルメス文書という名称は、これらの文書が、主に導師ヘルメス・トリスメギストス、が、弟子に教えを授けるという形式で書かれていることに由来する。これらの文書のほとんどはギリシア語で書かれ、おおむね紀元前3世紀から紀元後3世紀に至る600年間に、エジプトで製作されたと考えられている。

もちろん、ここでいう「製作された」とは、あくまでも「写本の形で編纂された」という意味であり、その内容のすべてが、この600年の間に一から創りだされたという意味ではない。そこに盛り込まれた叡智がどれほどの過去にまで遡りうるものかは、いまだに判然としていないのである。

現在、一般にヘルメス文書の名で呼ばれているものとしては、『コルプス・ヘルメニクム』や『アスクレピオス』、『ポイマンドレース』などがあるが、その中でも精髄というべき最重要の書物こそ『エメラルド・タブレット』であるのだ。

 

■■錬金術の奥義書『エメラルド・タブレット』の行方


ヘルメスの死後、『エメラルド・タブレット』は彼の死体とともに埋葬されたが、その正確な場所は失われてしまう。そして、それから2000年を経て、このタブレットは再び歴史に姿を現した。なんと、ヘルメスの死体は、エジプトのギザの大ピラミッドの中に安置されており、タブレットはその手中にしっかり握られていたというのである。これを発見したのは、この地を征服したアレクサンドロス大王であったという。

とはいうものの、むろん、以上は単なる伝承であり、その信憑性を云々することはできなかった。タブレットの原文も失われ、長い間、この碑板の内容は、10世紀に製作されたアラビア語訳、およびそれに基づく12世紀のラテン語訳によって知られるのみだったのである。

そのため、この伝承のみならず、タブレットの内容自体が後世の創作だ、とまでいわれることもあった。たとえば17世紀の著名なオカルティスト、アタナシウス・キルヒャーまでもが、このタブレットは「ライムンドゥス・ルルス以前には存在しなかった」と述べ、暗にルルスの創作であることをほのめかしている。

だが、1828年、エジプトのテーベにおいて、紀元4世紀の魔術師の墓から大量のパピルス文書「ライデン・パピルス」が発掘され、驚くべきことに、この文書の中に、『エメラルド・タブレット』の最古の写しが含まれていたのである。

つまり、仮に先の伝承の全てが事実ではないにしても、そこには幾分かの真実の断片が含まれていること、そして何よりも、『エメラルド・タブレット』の起源自体が相当に古いものであることが確認されたのだ。

 

■■大ピラミッドを建造したのは「ヘルメス=エノク」だった!?

 

 

 

ヘルメスの死体は、エジプトのギザの大ピラミッドの中に安置されており、タブレットはその手中にしっかり握られていた──。これだけでも驚くべき話だが、
さらに驚くべきことに、そもそも大ピラミッドを築いたのはヘルメス本人だったという伝承も残されており、それを裏づける資料もある。

例えば、14世紀エジプトの歴史家アル・マクリージーの『群国誌』の一節である。

「最初のヘルメスは、預言者で王で賢人であるということから〈3つの顔を持つ者〉と呼ばれ、これはヘブライ人がエノクと呼ぶ人物で、またの名はイドリスである。彼は星を読んで洪水の到来を預言した。また、ピラミッドを建造させて、宝物や学問的な著作をはじめ、散逸しないように守っていた品々をことごとく隠して、保管をはかった」

なんと、大洪水の前にピラミッドを建造させたのが「最初のヘルメス」であり、この人物はまたエノクとも、イドリスとも呼ばれていたというのだ。この他にも、アラブ人歴史家アル・マキールイブン・バトゥータも、ヘルメスをエノクと呼んで紹介している。



旧約聖書』にも登場するエノクは、ノアの洪水以前に生きた超人種族の一員であり、あらゆる秘教の元締めとされている人物だ。生きながら天に昇ったというエピソードを持ち、彼が天使との会話に用いた言語「エノク語」は、至高の力と叡智をもたらす呪文ともなる。また、イドリスはアラブの伝承に登場する「太古の賢人」である。

そして驚くことに、アラブ人にとって、大ピラミッドが大洪水以前の建造物であることは、なかば常識であったといっても過言ではないようなのだ。

9世紀後半、アブ・バルキは、こう述べている。
「大洪水の直前、多くの賢人は天変地異を予言した。彼らは地上の生物や文明の叡智が失われることを憂慮し、エジプトの大地に石造りの塔を建設した」

アブ・バルキとほぼ同時代のアラブ人マウスティーは、著書『黄金の牧場と宝石の山』のなかで、大ピラミッドについて、もっと詳しく述べている。
「大洪水以前のエジプト王サウリドは、巨大なピラミッドを建設した。彼は、大洪水が起こる300年も前、大地がねじ曲がる夢を見たからだ。……ピラミッドには金銀財宝はもとより、数学や天文学をはじめとする科学の知識が詰められた」

ここでいうエジプト王「サウリド」とはイドリスと同一人物で、いうまでもなくヘルメスの別名である。混乱を防ぐため、ここで一応、整理しておこう。「ヘルメス=エノク=イドリス=サウリド」である──。



このほかにも、アラブ人の歴史家ワトワティ、マクリーミ、ソラール、アルディミスギらなど、一様に大ピラミッドを建設したのはエノク(=ヘルメス)であると著書に書き記している。

なかでも、最も有名なのは、歴史家にして旅行家のイブン・バトゥータである。14世紀、彼はアラブ世界のみならず、エジプトからアジア、なんと中国にまでやってきている。イブン・バトゥータが記した『旅行記』には、こうある。
「エノクが大ピラミッドを建設した目的は、大洪水から貴重な宝物と『知識の書』を守るためだった……」

この『知識の書』とは、『エメラルド・タブレット』のことを指している可能性が高い。

ところで、余談になるが、あの秘密結社フリーメーソンの一部には、『エメラルド・タブレット』は、彼らの伝説的な始祖ヒラム・アビフが製作したとの伝承が伝わっている。すなわち、ヒラム・アビフもまた、ヘルメスであったらしいのである。ヒラム・アビフはソロモン王の第一神殿を建立した石工の棟梁とされているが、フリーメーソン自体、大ピラミッドの建造に関わった古代の建築者/秘儀伝承者集団に起源を持つという。

 

 


 

■■■第2章:錬金術の謎 ~人間の変成を目指す「神秘錬金術」~

 

■■錬金術と「賢者の石」


西欧神秘主義において、ヘルメスは特別な存在である。とくに錬金術においては、まさに始祖ともいうべき存在である。そのため、「錬金術」は「ヘルメスの術」とも呼ばれている。

錬金術とヘルメス文書は、切っても切れない関係にある。あえていうなら、この両者は表裏一体であり、一方が欠ければ、もう一方も成立しない。すなわちヘルメス文書が「文字に記された叡智」であるならば、ヘルメスの術すなわち錬金術は、「文字に記されざる叡智」である。自らの手と肉体と精神を総動員して実践することによってのみ、初めて知解しうる叡智である。

一般に錬金術の目的とは、文字通り「黄金」を製造することにあったとされている。実際、14世紀のフランスで『象形寓意図の書』を著したニコラ・フラメルという著名な錬金術師は、1000回以上の錬金術の実験を重ねたのち、1382年に水銀をほぼ同量の金に変えることに成功したと言われている。

錬金術をこうした「無限の富を生み出す秘法」としてみれば、確かに人間の欲望を直接刺激するマジックとして映るだろう。



なお、厳密に言えば、錬金術の“最終目標”は黄金を作ることではなく、「賢者の石」を手にすることであった。「賢者の石」とは、卑金属を金に変える究極の物質である。

「賢者の石」さえあれば、どんなものでも金にできると考えられてきた。その意味で、金よりも重要な物質といえる。錬金術師は「賢者の石」を「錬金薬(エリクシール)」と呼びならわしてきた。が、しかし、歴史上、誰ひとりとして、「賢者の石」を精製できた者はいない。それはそうである。卑金属を金に変える物質などありえないからだ。核変換でもしない限り、金以外の元素から金を作ることはできないのだ。

そう考えると、「錬金術など、化学的な知識のなかった時代の人々の幻想にすぎない。化学変化の実験によって、いろいろな化合物が見つかり、化学の発展に寄与はしたが、肝心の『賢者の石』を精製することはできなかった。結局、錬金術など、単なるオカルトのお遊びにしかすぎない──」という評価が幅をきかせることになる。

しかし、本当にそうであろうか? 錬金術は単なる世俗的な富を求める人々の道楽にすぎなかったのだろうか? 錬金術文献には、「われらの黄金は世俗の黄金にあらず」、「汝ら自身をして生ける〈賢者の石〉に変成せしめよ」などの言葉が散見される。どうやら、錬金術師のいう黄金を文字どおりの意味に解すると、道を誤ることになるとおぼしいのだ。

果たして、錬金術の真の目的は何だったのか?

 

■■錬金術を精神的な修行と解釈したユング

 


カール・グスタフユング

 

20世紀最高の知的巨人のひとりである、分析心理学の泰斗カール・グスタフユングは、中世・ルネサンス期に製作された、数多くの錬金術図像に着目した。錬金術の文献では、言葉では語りえぬ叡智を、一部の選ばれた者にのみ正しく伝えるため、一見したところではまったく意味のわからない象徴的な図像が多用されている。ところが、心理学者として多くの精神病患者と接していたユングは、彼らの夢の中に、錬金術図像に描かれたものと同一のイメージが、たくさん出現することに気づいたのである。すなわち、精神病患者の夢と錬金術は、共通の言語を持っていたのだ。

ユングはこの発見に基づいて、錬金術師たちは自らそれと知らないうちに、象徴言語を用いて自らの無意識を探究し、これを図像化する試みを行っていたと結論した。すなわち彼らの残した図像は、人間の無意識の領土の地図にほかならないのだ、と。

ユングによれば、錬金術師たちの行っていた黄金錬成(大いなる作業)とは、とりもなおさず、個々の錬金術師自身が、知らず知らずのうちに行っていた「個性化」と呼ばれる、精神的陶冶の作業過程である。そして、個性化によって得られる「黄金」とは、作業の結果として得られる完成された「精神」であり、洋の東西を問わず、神秘体験に共通して見られる意識の変容状態を意味しているという。

単なる詐術、あるいは無知と迷信から生まれた未熟な化学という、それまでの錬金術理解に比較して、この術を精神的な一種の「修行法」と見なすユングの研究は、まさに画期的なものであった。20世紀以降の包括的な錬金術理解への道程は、まさしく彼によってその第一歩を踏みだすことが可能になった、といっても過言ではないだろう。

 

■■錬金術の作業が象徴する哲学的意味

 


エリファス・レヴィ

 

19世紀の神秘主義の大家エリファス・レヴィによれば「大いなる作業=錬金術とは、なによりもまず、人間の彼自身による創造、すなわち己れの能力および将来に対して行うあますごとなき征服」だという。

錬金術は全てのものに神=宇宙精神が内在すると教える。つまり、この大宇宙の根本原理は、無限の形態を通じて顕現するのだ。宇宙原理は私たちの物質的宇宙のあらゆるものに“種子”として潜んでいるのである。とすれば、術によってこの種子を育て、その本質的で完全な姿へと変容させることも十分に可能だ。卑金属に潜む種子に働きかけて、“哲学者の金”に育て上げることもできるはずなのである。

これがよく知られている錬金術の原理だ。だから、術の根本は、“大いなる作業”なのである。すなわち、文字通りの実験作業なのである。

「卑金属」とは、この世の様々な欲望と煩悩、正しい人間存在の発展を妨げるもの一切であった。「賢者の石」とは、神秘的変成によって姿を変えた人間であった。人間は錬金作業の素材そのものであり、鉛から黄金への変化は、人間が高次の理想に向かって意識を高めること、誰もが自分の内部に持っている祖型を実現させることであった。自然界の何ものにも冒されない「黄金」は、“完璧なるもの”“不死性”のシンボルであり、宇宙精神そのものを象徴していた。

このように、実際の物質的黄金ではなく、人間の精神の変成(純化)を目指した本来の錬金術を「神秘錬金術」と呼ぶ。

 

■■アラビアの最も偉大な錬金術師ゲベルの言葉


アラビアの最も偉大な錬金術師ゲベルによれば、真正の術者は化学についての正しい知識をもっているだけでなく、意志堅固で、根気強く、忍耐力に富み、温和で、敬虔で、誠実で、晴れやかな表情をたたえ、快活な心をもっていなくてはならないのだ。

「作業を行う者は自分の仕事と同じ高みに立たなければならない。すなわち、自分が物質に期待するのと同じ過程を、自分自身の内において実現しなければならない」

低次の金属を高次の黄金に変えていくという物質変容の過程は、獣性をもって生まれてきた人間が霊性に目覚めていく魂の精鍛・錬磨の過程と同一である。とすれば、錬金術を行おうとする者は、それだけの心構えを要求されるのは当然だ。

だから、ゲベルによれば、「権力や富に食欲な人間、うぬぼれの強い人間、優柔不断な人間、そして全ての心悪しき人間には、錬金術の秘密が明かされることは決してない」のである。

中世およびルネサンスの王侯貴族の中には、錬金術に傾倒した人々が多くいたが、彼らの工房は実験と祈りの場でもあったのだ。

 

■■東洋の錬金術


以上見てきたように、錬金術の真の目的は「人工の黄金」をつくりだすことではなかったといえよう。黄金を生み出す術というのは、錬金術のほんの側面を表しているにすぎず、その本質は、人間の精神と肉体の練成法を示したものであり、人間をより高次の存在にまで高めることを目的としていたといえるのだ。

事実、錬金術に用いられていた術語は比喩的な意味を持ち、神秘思想に精通した錬金術師たちが目指したのは物質的黄金の探求ではなく、魂の浄化であり、精神を徐々に変容させることにあったのである。

当然、このような「神秘錬金術」の思想は東洋にも古くから存在していた。

中国の錬金術師たちは、彼らの流儀の錬金術によって得られた錬金術的金「丹金」(西洋錬金術のいう「哲学者の金」)は、生命を無限に伸ばすと考えていた。錬金術の変成のプロセスによってつくられた黄金は、より高度な生命力をもっており、人はそれによって不死を達成することができると考えていた。

インドの錬金術はハタ・ヨーガの一部だが、その最高の達成を「殺された水銀」と呼ぶ。この賢者の石に比すべき物質も、水銀を黄金に変える力のほかに、さまざまな力をもっているとされた。たとえば、それを薬として飲むことによって、術者は中空を飛行することや、不可視になることができると考えられた。そして、若さを無限に延長すること、ついには“生きながら解放されたもの”になることも可能だと考えられた。つまり、超人化だ。

 


仙道書に書かれた修行法
小周天と大周天)

 

■■真の錬金術は「自己」の完成を目指す技術である


中国でもインドでも、錬金術師たちは賢者の石や哲学者の金によって、自らを純化して神に近づくこと~人間の神性回復~を目指したのである。錬金術についての莫大な研究を残したユングの言葉を借りれば、錬金術師たちは「意識を変容して神のような状態になること、究極的な個体へと変わるための鍵」を賢者の石に求めたわけだ。

このように、錬金術の核心部分には“本質的なもの”への回帰を願う超人思想~意識変容の術があったと考えることができるのである。

優れた錬金術師たちが「真の目的は錬金術師自身の変質であり、より高い崇高な意識状態に達することである」といっているのは、まさにこのことなのである。

 

 


 

■■■第3章:「アーサー王伝説」に隠された錬金術の修行階梯

 

■■15世紀に集大成された騎士物語「アーサー王伝説


ヨーロッパにおける神秘学の精髄をもっとも端的に表した伝説といえば、「アーサー王伝説」をおいてほかにはない。そこに語られている数々の試練や聖杯、聖剣などのアイテムには、どれにも明確な意味が与えられ、心ある者がこの物語をひもとけば、知らず知らずに錬金術の奥義をマスターし、覚醒を遂げることができるのである。

そうした密義を満載したアーサー王の原伝承は、かなり古くから民衆の間に語り継がれていたと考えられるが、文学としてまとまるのはジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王記』に採録される13世紀頃までで、このときにほぼ現在のかたちとなり、15世紀トーマス・マロニーによって集大成された。

アーサー王とは、5~6世紀頃にイギリスに実在したとされる伝説の人物で、様々な部族国家を再統合し、サクソン族の侵入を阻止した英雄とされているが、物語はこうした史実に基づく王とは別に進行する。

そこに描かれる騎士物語は、ケルト神話、特にウェールズ地方の物語をべースに、キリスト教によって埋没させられた古代神の失われた面影、キリスト教神秘主義、魔術、奇跡、そして、人間社会と異界とをつなぐ妖精たちや魔怪、様々な錬金術の呪術を駆使する魔法使いらがふんだんに登場することで、ヨーロッパの闇の精神思想史の様相を呈している。

その中心的なテーマとなっているのが、中世に花開いた神秘学や神学、哲学などの重層的な意味づけだった。

 

■■「聖剣」と「聖杯」の融合が意味するもの


アーサー王物語の骨子は、王自身の受胎と誕生、結婚と、それを取り囲む円卓の騎士たちの様々な試練(修道の階梯)や、魔術師で予言者でもあるマーリンの秘儀を通じて最終的にたどり着くであろう至高の境地の獲得なのである。

その具体的な到達点が聖剣と聖杯(ケルトの大釜神話が原型)との融合である。すなわち「聖剣」は男性原理を表し、キリストの血を受け、最後の晩餐にも使われたとされる「聖杯」は子宮である女性原理を表している。

この融合により、錬金術の奥義「アルス・マグナ」に到達した騎士(修道者)は、この世のすべての束縛から解放され、心身ともに純化され、覚醒を遂げ、神と比肩する存在に昇華することで自己救済を完了させる。これこそが、黄金の生成(魂の覚醒)の持つ真の意味なのである。

 


「聖杯」は「アーサー王伝説」の中で、
騎士たちが探し求める聖遺物である。
「聖杯」はヨーロッパ精神史の隠れた
核であるといわれている。

 

ちなみに「アーサー王伝説」でこの聖杯の探究を成功させるのは、ガラハッドを頂点とするパルジファル、ボウルズの3人で、これはそのまま3つの悟りの階梯を表現している。物語では、真実の聖杯(真理を体得することで得た覚醒の境地)に到達したガラハッドの魂は、聖なるものを見つめたために激しく震え、目的を達した喜びのなかで昇天し、神に比肩する存在にまで昇華される。そして、後に残されたパルジファルは瞑想と信仰の隠者となり、ボウルズはアーサー王のもとへ帰還していくのだった。

アーサー王伝説」とはまさに、騎士物語に仮託して、錬金術の修道階梯を明らかにした教導書といえるだろう。

 

 


 

■■■第4章:ヘルメス思想の全体像

 

■■宇宙の創造(流出)と螺旋運動による回帰(進化)


ここで、簡単にヘルメス思想の全体像を紹介しておきたい。

ヘルメス思想においては、本来は霊的な存在であるはずの人間が物質界に下降し、そこで認識を得て再び神界に復帰する、という往還運動をとりわけ重視する。それはつまり、ヘルメス思想における進化とは、まっすぐでやみくもな直線運動ではなく、ときに後退とも見える運動を経ながら、より高次の存在をめざしていく螺旋運動にほかならないことを意味している。

ヘルメスの持ち物である「ヘルメスの杖(カドゥケウス)」にも、そのことは、はっきりと示されていよう。人間の霊的進化の経路を表象するあの杖には、中央の軸の周囲に、上昇と下降を示す2匹の螺旋状の蛇が示されている。これは錬金術の過程を象徴的に表したもので、進化はそのように行われるのである。

また、ヘルメスによれば、「目に見える世界が形づくられる前に、その雛型がつくられた。この雛型は『原型』と呼ばれ、創造の過程が始まるずっと以前に『最高の精神』の中にあった」のである。その原型を眺めているうちに、“最高の精神”はある考えに魅せられてしまった。そこで太古の空間に洞窟を掘り、“原型的な”鋳型の中に球の形をつくったのだ。そして、これが“宇宙”の始まりなのである。

わかりやすく言いかえれば、“神は天上界の原像をもとにして、その模造を地上の物資界に流出せしめた”ということだ。とすれば、この下降運動を、下位の物質を手がかりにして、再び天上的なものへと到達するための上昇運動に変成することも可能なはずである。『エメラルド・タブレット』によれば、“上なるものは下なるものに一致し、下なるものは上なるものに対応する”からだ。

その上昇運動の実現を目指すのが錬金術の究極の目的であり、その鍵を握るのが「賢者の石」なのである。つまり、錬金術の究極的に目指すものは“模造”であるこの世界を、人間存在そのものとともに“最高の精神”の高みにまで引き上げることなのだ。

 


螺旋状にからみ合う蛇は「ヘルメスの杖」の
シンボルであり、上昇と下降という
ヘルメス学の中心概念を表す。

 

■■創造主と被造物は本質的に同一物


ヘルメス思想においては、人間と神は本質的に同一なのであるから、そのことを「認識(グノーシス)」しさえすれば、人間を神のレベルにまで高めることができると説く。「神化、これこそがグノーシスを有する人々のための善き終極である」のだ。

逆にいえば、本来は神的な存在である人間が物資界に下降し、また再び神のレベルに上昇するという「運動」自体に計り知れない価値があるとし、これを評価する。すなわち下降や堕落に積極的な意義を見出す。これは正統キリスト教にはありえない思想である。

キリスト教においては、教義の絶対性を強調するため、神はあらゆるものに隔絶して存在する絶対者として規定されている。したがって神は、自分自身とは無関係なところで、絶対無から宇宙を創造し、人間は本質的に死すべきものであり、生まれながらに原罪を背負い、死後は裁きにあうと説く。キリスト教は、神(創造主)と宇宙(被造物)は全く別物であり、人間と神は全く乖離した存在であると主張しているのだ。

ヘルメス思想においては、創造主と被造物は本質的に同一物であり、同じ一者の異なる現れにすぎない。「全は一であり、一は全である」のだ。そして、下のものと上のもの、小宇宙と大宇宙が本質的に同一であり、互いに照応し合っていると考える。

大宇宙(外界)は小宇宙(人間)を包んでいる。だが、この大宇宙はまた、光の世界に包まれてもいる。光の世界とは霊の世界、すなわち人間の内的世界であって、ここに、内なる世界が外なる世界を包み込む、という入れ子構造が見られるのである。

 


ウロボロスの環。「宇宙」や「永遠」を意味し、
世界(宇宙)が終わりなき「円環運動」を
続けていることを象徴している。

 


以上、簡単にヘルメス思想の全体像を紹介してみたが、なかなか面白い「宇宙思想」であることが分かるだろう。実際、このヘルメス思想は古くから多くの知識人を魅了してきた。特に、このヘルメス思想がヨーロッパの知識人によって“再発見”され、キリスト教社会に多大な影響を与えた時代があった。いわゆる「ルネサンス」の時代である。f:id:sanmeifuku:20200815115201j:image

師匠の原稿⑧

師匠の原稿⑧

 


『命運』 本義

 


✨命運✨

生命が宇宙空間を運ばれて行く動態を言うが運から生じる現象には本来吉凶禍福不在である

 


✨運観✨

 


人はその生涯において無数とも言える現実現象に遭遇する。

それが他動的に身に迫る場合と自からに端を発して招き寄せる事象の何れであれ人はその時々において運不運を実感している。

 


然し、大財を得た、立身が叶つた、結婚出来た等が絶対の幸運とは断じ切れず時には不運の材料となる場合もある。

 


つまりお金や地位や配偶者が運の良否ではなく

 


「病いを苦にする人が病人」で「貧を嘆

く者が貧乏人」であり

 


物事をどう感じるかなのである。万事に不満を抱く者

苦には幸運は不在であり逆に凡ゆる事象を希望と喜びで迎える事が出来るならば、その人の人生は幸福に帰結する。

 


それは何事をも善意に解釈せよとか、前向きに受け止める可し等と言う無理な論法ではなく

「運の本質、実体」を明察するだけで

自然に吉凶成敗に動ずる事なく何事にも捉はれる事なき自己が顕彰されるのである。

 


即ち地球上での存在とは、相反する事象の反復と均衡の環境に適合していると言う事であり

 


それが人間の生存条件ゆえ人が持つ運も全く同じで

あり悲喜成敗共に訪れる事こそ幸運なのであり人生を完うする秘訣に他ならず

 


その相対こそ自然(当り前)と達観出来れば最早その人には運の良否は不在であり、神仏(陰陽相対の象徴)を超えた真人として燦然と輝ききるのである。

 


✨ 無為而為✨

人は皆、或る日或る処で、自らにとつては何の理由も意図、意味もなしに

 


突如として出生を与えられて世に出る。

親や家を選ぶ事も、 時代や社会も全ては一方的に押しつけられ作ら拒む事は許されず更には自らの人生であり作ら

昨日から今日明日、未来へと只ひたすら前進の1方通行を強いられ、戻る事もやり直しも利かずに

 


子供-青春-中壮年-老晩年と泣き笑いの旅を重ねた末或る日突然その全てを奪はれて生涯の幕を閉じる。

 


この完全受動こそが萬人共有の基本的な人生のストーリーである。

 


更にその大きな自然の流れの中で、人は各々個有の

栄枯盛衰や吉凶禍福の練磨やドラマを与えられそれを乗り切る篇に自由と知恵、

ファイトや努力を行使して自らの手で望みを遂げ満足を得んとして頑張るが

 


その自力の闘いはいつかは「結果空し」 の解答に出逢う事になり、そこで改めて自らを見直すのであり

 


結極、ここに実在の吾とは3億年の人類進化の果てとの当然を悟るのだが

 


その進化とは生物が自己身辺の環境に自らを合はせて変化変身を重ねて来た事に他ならず。

 


故に大古より人間は身辺の生存条件に合はせ受動的に生きる事を生き方の基本とし、それによつて存続と繁栄をかち得て来たのである。

 


故に少し口惜しくとも自然随順の生き方こそ理想の結果を得るのであると悟らねばならない

 


#師匠の原稿⑧f:id:sanmeifuku:20200815102224j:image

師匠の原稿⑥

師匠の原稿⑥

 


幸福論 脱俗不惑

 


『幸 福とは』

吉凶あれども大禍なく禍福に心乱れず与えられた一日一刻を押し頂いて目前の状況に自己のエネルギーを燃焼して余す事なし。

 


安心立命と言い平凡にして究極なり。目前の悲喜成敗を追うは必滅の虚像を求める不毛の旅で徒労の人生である。

 


『成敗不問』

一事一象の吉凶や世俗の成敗は幸不幸ではなく局部、過程の喜憂である。

出生の本分を果し心の満足を得るのが幸福であり「悔いなき人生を完うする」が条件である。

 


『完全燃焼』

未来は今の重積によつてのみ構築されるのは萬人共通、普遍の真理である。

故に今吾が命が燃えて輝き歓喜を得ているのが絶対条件であり例外はない。

 


『使命専心』

出生の意義、本来の面目(使命)に見参(見性)した者が役目を目指してひたむきに(懸命)に生きる時は幸不幸(陰陽)超脱の真人となり悉くに自然通達を得る。

 


『帰玄天恵』

自分の中の無限無窮の宇宙生命『(内玄気)ウチナルカミ』を実感して『(全一繋根)ゼンイチケイコン』永遠の中の今を旅する者は見真実を得(有らゆるもの、真実始終手に取る如し)天与の福寿禄は当然となる。

 


『隋天受動』

吾に『作用く(ハタラク)』大いなる力を覚り、与えられた日々の命を押し頂き、生かされ切つて生きる者には願はなくとも天祚が顕はれ、努力不要の幸便

多く、永遠の栄えと平安に浴し定命を得る。

 

 

 

『慈愛育創』

吾即自然で神人合ーの小宇宙故その役割りの基本は無から有(子供)を産み出し育成保護薫陶するにあり

行う者は即ち身に『光芒(オーラ)』を発し衆

人を化導し身辺に光の園を築いて共歓する。

 


『有益用材』

今天が必要とする故にこそ吾在りが当り前の事実である。

即ち何者かに必要とされてこそ人は生きられるのであり (それが役目)

自然や有縁の人々は常に君を求め期待しているのが今の現実である。

 


『不遇招福』

地上で今生を生きるとは陰陽融合均衡の世界ゆえ

幸不幸もセットで所有し

 


一方だけでは絶対に生き続ける事は出来ない。

 


故に不幸は幸せを

生む母であり禍はバランスを保つ天の恵みである。

 


『当然最良』

宇宙の一部、自然界とは当り前の事が在りのままに現はれた所で異状により正常が保たれている。

自然の一片たる吾が身においても、 当り前の平穏無事こそが最高の完全で歓びなのである。

 


『総合帰趨』

幸不幸とは外界の條件で決るものではなく主観的な自己評価で判定の

基準も『万人異態(ヒトソレゾレ)』である。

 


人生の幸不幸の答は無数の悲喜のトータルを論ず可きで結論は自ら下し、人生の最後に帰結する。

 

 

 

✨有形の福禄寿は追はずとも本来身に備はつて居り

 


天道の下、 米の飯はついて回る、は当然の道理である✨

 

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煉丹の玄道

『煉金術雑感』

馬十八頭に積ませてもなほ余ると云はれてゐる道蔵(仙道の教典)には、まともな漢文で書かれたものは滅多になく

 


どの道蔵にも隠語と比輸が到る処に使用され、修行もしないで借物の頭脳智だけでこれが解説や論評を試みたりする俗家学者の眼をくらますやうに作文されてあるから

一冊の道蔵を完全に読解するためには、煉丹の玄道を適進しつつ、既に玄胎を得て、これを温養しつつある先駆行者か、或は既に神智圏(法界)に意識を常住せしめて色身を完全に脱落してる

る真人に就従して、これらの先人から隠語や比輸の解きほぐしを受けなければ真義が楓み取れぬやうになつてゐる。

 


それで大陸では古くから先行にもつかず、仙技仙法の一つも修しないで

ただ漢文の文字通りに道蔵を解釈して、解説本など出して、顰蹙(ひんしゅく)どころか、笑ひ草の種にされて

ゐる例が少なくない。

 


これらの人々は概ね歴朝の科挙の試験(本邦で終戦時まで行はれてるた高文試験)に合格しようと諸子百家を勉強した学者たちである。

 


我が国では支那哲学科の設けられて

ある大学の博士教授連中が、これと同じ誤謬を冒し笑ひ草の種をまいてゐるが、中でも噴飯に耐へないのは『錬金術』に係る解説書であろう

 


仙家の秘法と誤称されて古くから伝はつてゐる「煉金術」とは簡単に云へば、鉛を溶かし、丹砂(不老不死の仙薬と称せられてゐる水銀と硫黄の化合物)を以てとれを煉つて黄金に変へると

いふもので、黄金といふものがこの世で最も貴重な鉱物として通貨の最高位に置かれたことは洋の東西を問はず

昔も今も同じであり、古代支那人の間ではこれを粉末にして服すれば不死の神仙に化すると考へたもので、時代が下るにつれ、物欲が盛んになつてくると

 


神仙などにはならなくてもいいから、黄金を自製することができたら大金持になれて、栄耀栄華は意のままだと考へた俗物たちが、いのちがけでこの「煉金術」なるものに取組み、漢の王族の一人はそのために

差大な領土まで失ってしまったと伝へられてゐる。

 


ところでほんものの煉金術は「煉金丹法」であり、仙家の秘法であつて口訣に属し、本格行の煉金丹道に入つた者だけに、師匠や先行によつて伝法されるものであるが、仙道連の同修は均しく丹士から真人への玄道を目指してゐる一路専修の行者なので、ここに煉金丹の玄義を書き残しておく次第である。

 


鉛を丹砂で煉つて黄金に変へるといふ文句は比喩であって

 


✨鉛とは識神のこと✨

 


✨丹砂とは(精気神)のこと✨

 


✨黄金とは元神のことである。✨

 


ところで煉金術に係はる道蔵を文字通りに読むと、昔はほんとに鉛を黄金に変へる方技があったたかの加く錯覚し

 


そしてそれをそのまま英語や日本語で一冊の本にまとめて出版してある阿保学者が欧米にも日本にもゐる。

 


つひ最近にも、この種の「煉金術」を文字通りに訳出して、仙道の紹介書を刊行した人がゐて「自分は現代に於ける大陸仙道の数少ない紹介者だ」

と己惚れ、そしてまたその人の著書を読んで煉金術なるものをもつと詳しく知りたいから紹介してくれと

 


本連に問合はせて来た欲張りも現れた。

 


大陸仙峰の修行道観に籠り、来る日も来る日も重労働の作務(水汲ロバの代役)に従事せしめられて

忘行(在俗時の頭脳智を無にする入山最初の行)に半歳も一年も耐へてこそ

 


仙道の本格行たる結丹や玄胎の温養などといふ玄法が理解できるので、その経過が「鉛を丹砂で煉つて黄

金に化する」と云ふ言葉で形容されてるることがわかるのである

 


修仙の課程(漸門五階の仙技仙法)を躬行せず、明師先行にも就かず、忘行の作務もしたことがなく

 


ただ机の上で道蔵を読んだだけでは、如何なる大漢学者と雖ども自己流の誤解を生ずるだけで

 


そのうへ誤解に基づいて訳書でも出版したら、現世は勿論、後世までも物笑ひの種にされるだけである。

 


冒頭にも述べた通り、道蔵には比喩や隠語が到る処に出て来るだけでなく、道観だけの不出世の秘録には、斜め読みしたり

 


行飛びして読まなければ意味の通じない書き方に依つたものもあるので、これらの秘録は大陸道観に参じ、先行から読みほどいて貰はないと解りやうはないのである。

 


それを僅かばかり漢籍が読めるからと云つて、道蔵を普通の書籍を読むやうなつもりで文字通りに読んだら煉金術の場合のやうな飛んでもない誤解を生じ、それをそのまま日本語などに訳出したら、全くの笑ひ話となるのが「落ち」である。

 


仙道は逸仙(何かの都合で仙界から地上へ落とされ、しばらく仙界へ帰れないでゐる人)でも

ないかぎり、師家、或は先行に就かねば本格行たる煉丹の玄道へは進めない。

 


この世にあつて金丹を煉り上げる(意識を神智圏に常住せしめる)ことほどむづかしく、且つまた意義ある生き方はないのである。

 


それは真人不死の法身に再生できることだからである。それ故、一度意識を神

智圏に移し得た以上、これを人智圏へ引戻すやうな愚を冒してはならない

若し本格行へ進み得た行者がさういふことをしたら邪霊に悪依され人格が成り立たなくなる。

 


かういふ場合があるので仙道では丹士の卵たちに対しては集団の坐忘行を行修せしめるのである

つまり魔境に堕ち易いのは独坐の場合が多いからである。それで本連でも本格行に入つたばかりの人には独坐の坐忘行を禁じて会所や、道観での合坐方法をとるやうにしてゐる。

 


さて仙道の本格行に「元化」といふ言葉がある。これは行者が本物の自分、詰り宇宙元神に見参できて、これと一体化することを云ふので、要するに意識が神智圏(宇宙意識界)に入つたこ

とである。

個我意識といふものはもともと宇宙意識から分派せしめられたもの、それが陰腸(父母)の合徳によって現象したものであるから、無限数の祖霊の業が尽きれば

元の宇宙意識に復帰するのは当然のことである。

 


しかし普通の個我意識はそんなことは全く知らず、長い年月のうちに己れの

大親である宇宙意識など認めなくなり、我執と偏見の修羅界に堕ちて争闘の鬼畜と化する段階まで堕ちてしまつてゐる。

 


人類五千年の歴史は実に争闘の歴史、血の歴史である。一日として安心立命の日は誰も持ち得られない。ただ己れの本来性を求めて、己身に金丹を結び、これを煉り上げた人のみが、個我意識を宇宙意識に合体せしめ

 


永劫の法界に心を住せしめて安心立命するの

である。これを金華が開いたと云ひ、煉金術の本義である。

 


『煉丹の玄道』より♪f:id:sanmeifuku:20200814145326j:image