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髙橋信次物語

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 1 八起正法先生編

昭和四十年代から五十年代の初頭、日本じゅうが安保やオイルショックで頭を痛めていたころ、中肉中背で丸顔の実に誠実そうな一人の男が、場内からはみ出しそうな聴衆者を前に、何やら意味のわからない言葉(異語・いごん)で問いかけていた。

相手はというと、これも同じような言葉で返している。

場内はセキひとつしないで、不思議そうにその成り行きをジーッと見いっていた。

むろん誰れも何を語り合っているのかわからない。

間をおいて男は日本語で解説をいれると、会場の者はみな成る程と理解できる。
男は相手の方に身体を向けて、片方の手のひらを頭の上からかざすような仕草をしたり、離れて静かに円をかいたりする。

なおも言葉は続く。

すると相手は感情が込み上げてどうしようもないのか、堰をきったように 想いをぶっつけはじめた。

 「ブ・ッ・ダー」

しぼるような声が場内一杯に拡がる。

そして、すがらんばかりにひれ伏して手を差しのべ
 「観自在者ブッダー」
 男は、
 「そなたは、よく私のところに来てくれました。今生(こんじょう)もまた一緒にやりましょう…」

 男もハンカチを目に当てている。

 会場の中からもすすり泣きの声が
 「リヤ オ エレ…ソレ ポコラ…パニヤ インダ…」
 そしてすかさず男の解説がはいる。

 ひと区切ついたところで
「男前がこんなになっちゃいまして…」
 男は照れ笑いすると、会場からは笑いが。

 「嘘じゃないんです。真実なんです。本当なんです。皆さんも過去生まれた体験を皆もっているんです。皆さんの心の糸をヒモ解いてゆくと、全部それがわかるんです…袖すり合うも多少の縁! ありがとうございました」

すると、場内はどよめきと拍手のウズに。

こうして男の解説するところによると、ひとは生まれ変わり死に変わりして、二千五百年前の古代インドの時代に縁のあった者同志が時空を越えて出会ったとき、懐しさでどうしようもないのだという。

そして、霊魂は永遠であり死ぬこともなく生きとおしのものだから、今の自分がまっとうに生きていなければ、あの世で、或いは次に地上界に生まれた時に、ひとには嘘をつけても、自分には嘘のつけない善我なる自分が総てを裁いて、バッチリ反省させられ辻褄が合う、と男は弁を閉じた。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 2 八起正法先生編

また、なんと昭和五十一年六月、男は自から予言した死の直前、こうもたたみ込んだ。

「三億六千五百年前に、七大天使と共にこの地球に飛来した、中心霊・エルランティである」、と。

 更に、
 「モーゼの説いたユダヤ教、釈迦の仏教、そしてイエスの説いたキリスト教天照大神の説いた古神道(現代の神社神道ではない)、マホメットの説いたイスラム教を一つにするために肉体をもったのだ」、と。

その上、
 「神理は一つであり、宗教の間違いを修正することに自分の使命はあった」、
 と言ってのけた。

とてつもなく大変なことを言って昇天した男がいたものである。

 「仏陀とかエルランティだとか、日本の同和問題に光をともすためにだとか冗談じゃないぜ」

 「魂は永遠だと…?」

 「あの世だと…死ねばこの世限りに決ってんじゃんか」

 「このクソッタレめが!」

  男が伝道を開始してから、このような罵詈雑言がどこからともなく聞えた。

  しかし、男は自信たっぷりにまた言った。
 「すぐに信じてはいけません。疑って疑ってトコトン疑って、もう疑う余地が無くなったら、そのとき信じなさい」、と、当然のように言ってのけた。

 聖書を引っ張り、受け売りの空まねの講演をする演者の多い中で、この男の口から飛び出す言葉は全てが奇想天外、今までに一度も聞
いたことのない話の連続だった。
そうこうする内に、一人集まり二人集まりして男の講演会場はいつも超満員。

そして、ついには既成の新興宗教が、二万とも三万ともいわれる信者を引きつれて鞍替え、小さい方が大きい宗教団体を吸収するという前代未聞の合併劇に、宗教界をアッと驚ろかせたりもした。

また、山ほどの多くの「とてつもないこと」を言ってのけ、数多くの著書、講演ビデオ、録音テープ、そして来聴者の心に多くの神理を刻み、予言どおりに昭和五十一年(一九七六年)六月、四十八歳九ヶ月の若さでその生涯を閉じたのである。

 この耳なれない男の名は、高橋信次

この男こそ釈迦、イエス、モーゼの本体、地球創生期に七大天使と共に飛来した真のメシア(真の救世主)エルランティだったのであ
る。                  


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 3 八起正法先生編

   ウエブマスターのつぶやき
 
この書き出しでウエブマスターが、園頭広周先生に原稿を差し出したのは平成の初め、福岡の近郊にある周船寺の道場用地を視察したときのことでした。

先生亡き今となっては、あれも聞いておけば良かった、これもと思うにつけ色々の想いが頭を巡りますが、高橋信次先生、園頭広周先生の両大天使亡き後は、知恵を絞って我々でも出きる方法で遺志を継がねばなりません。

両先生の正法の膨大な資料、真理・神理の教えを、余すところなく人類共通の資産として公開する積りでいます。

園頭先生亡き後、僅かしか会員のいない国際正法協会も、「感謝の集い」と「なんとか新教育」の二つに分裂してしまいますが、「人間・高橋信次」の原稿は感謝の集いの会誌に連載されることになりました。

ところが、高橋信次先生を「信次は」とか「高橋は」と呼び捨てに記述したのが逆鱗に触れたのか、人類の覚者に対して尊称の「先生」とか「師」に訂正すれば連載を続けるというものでしたから、ウエブマスターがそれを即刻拒否すると中止やむなきに至りました。

主人公の敬称抜きは、これは記述の世界では常識というものです。なんと狭い量見かと一時は憤慨もしましたが、これも私の心の修行かと五年間の空白を経て考え直しました。

ウエブマスターも勉強の積りで尊称と敬称で丁寧に書いてみようと思います。
                                 
       驚ろくべき出生の秘密                   
 
 日本じゅうに金融恐慌が吹き荒れていた昭和ニ年(一九二七)、夏が終り高原のそよ風が頬をなでる九月二十四日、一人の玉のような男の子が生まれます。

大勢の家族に囲まれ、ことの外大事にされたというのです。

四WD車やキャンパーが集って、夏の夜の喧噪にマユをひそめる住人も多いという浅間おろしの吹く信州・佐久高原の一角、中込の里の一角でした。

幼くして死んだ二人を除くと、十人の子の中で男三人女七人の真ん中、貧農の二男として高橋信次師は生まれられます。

 本名は治男(春男とも)。
 成人して、信次と改名されることになります。

 その理由は、同じ地区に同姓同名の人がいて、郵便などの混乱だったようです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 4 八起正法先生編

 出生地の選択
 
 信次師の霊団のグループが、誰がどこに出るのか天上界で話し合ったのは、寛永二年(一六二五)でした。

 徳川家康(現代は俳優の長谷川一夫に生れ変わると信次師は教えられます)が、この世を去った十年後で、踏絵が断行された頃です。

 はじめ、信次師は北海道にと考えられますが、余りにも遠すぎる。
そこで、東京に近くて最適な所はないかと考えられた末、風光がインドのカピラ(釈迦の生まれた王宮の在所)に似ている長野の佐久平
を選ばれたのだというのです。

 
         緊急訂正
  
不思議なことに、この項を最終整理していた、平成十四年のバレンタイン前日のこと、ある方から高橋信次師の未発表の直筆の原稿を送っていただきました。

それを元に訂正して述べてみます。

先ず第一点、信次師の誕生年は昭和四年か昭和二年かで混乱していましたが、これを見ると一九ニ七年(昭和二年)とありますから、園頭広周師とウエブマスターの共著で、出していただいた『正法と高橋信次師』の記述もここで訂正しておきます。

 第二点は「もう一人の自分」という項に信次師はこう書いておられます。
 

        未発表の信次師の原稿には
  
「少年時代、私は一九ニ七年、信州は浅間おろし吹く寒冷地佐久高原の貧乏百姓の次男として十人兄弟の中間に生まれました。
 十人の子供を育てる両親の苦しみは、経済的にも肉体的にも大変であった。
 しかし、今から七百年(註・北畠親房の頃)も前に、この計画は実在界において、具体的に作られていたのである。
 更に一八九〇年(明治二十三年)、更に正確さを記するため、実行段階を具体的に出生地を北海道、山形のいずれかを決定したのであったが、地理的条件や環境等の問題で長野を選んだのである。
先ず父母の選定が決定し、実在界より両親の生命がこの現象界に肉体を持ったのである。
 この問題は多くの人々によって証明せられることになっている。
 私ばかりではなく、全人類がみな自分が望み、縁によって 最も精妙な計画によって、この現象界に修行場を求めて出て来るのであ
る。
貧乏な水飲百姓を選んだのも、私自身であり 地位、名誉はこの現象界の人が智と意によって造ったものであり、神の意によって定めた
のはではありません。
権力や因習によって 人間の上(かみ)と称する人々によって作られたのであります.
 しかし地位、名誉,権力者、金持、貧乏人にかかわらず 神仏の慈悲はみな平等であり太陽の熱光のエネルギーも 万象万物に平等に
与えていることを見ても解るはずであります.」、
と。

高橋信次師は、この世に生まれる計画を、七百年前の室町時代北畠親房の生誕の計画から始まって、寛永ニ年(一六ニ五年)と、信次師のお母さんが明治三十一年生まれですから、その前の明治二十三年(一八九〇年)と、更に正確を記するために、もう一回計画の検討をされ北海道から山形へ、さらに長野を選んだと書いておられるのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 5 八起正法先生編

       心を許す相談相手
  
そこで次に、一人では何かと心細いので、相談相手となる人をそばに出そうということになって、古代インドのお釈迦さま時代にプルナートラヤー・ヤニプトラと呼ばれた人で、それから日本に富棲那(ふるな)という名で生まれ、現代、税理士の佐藤氏で、 彼とは小、中学校から、ずっと一緒だというのです。

このように、生まれる場所も環境も、全部自分で決めてこの世に出てくるのだそうです。

自分で決めたのなら、生まれた所が暑い、寒い、こんな家に生まれるなんて、と言えるわけがありませんのに、不平不満だらけの今どきの人よ何とされますか。

 
        父となる人
  
 お父さんについて信次師は、こう言っていられます。

 「僕の父は、釈迦のお父さんのシュット・ダナー王であり、その後、日本に生まれ変わって、鎌倉時代源頼朝です」、と。

 信次師の懐古談によると、お父さんは寡黙朴訥に黙々と働く人で、子供の成長を楽しみに、地味な人生を送って七十五歳の生涯を終えられたといいます。  
    
信次師が悟りを開いてしばらくして(昭和四十四年頃)、お父さんが信次師の顔を不思議そうに覗き込まれると、
 「治男(春男)、お前は本当にわしの子だろう、ナ、そうだろう」
 「そうですよ、そうに決まっているじゃありませんか。それがどうかしましたか」
 と何気なく信次師が答えられると、

 「いやネ、昨夜、それがその…ぶ、ブ、武士が夢に出てきて「あれはわしの子だ」、
 といったというのです。次の夜、また別の武士が夢枕に立って、
 「わしの子だ、と言うんだよ」、
 とお父さんは告げられます。

 ターバンを巻いた二メートルくらいの白い服をまとった男だったとお父さんが言われるので、信次師はどうしてこういうことになるのだろうと考えられ、信次師の父の霊を呼び出してみられます。

 すると、最初の武士が出てきて

源頼朝めにございます」、
と頭を下げ、胸を張って言うことには、
「あなた様が日本に生まれて法(神理)を説くためには、日本の体制を整える必要があって私は鎌倉幕府をつくりました。

ところが、武士はなかなか権力闘争が強くて困りました。 だから今度は、何も関係のないのんびりと百姓を選んで生まれることにしました」、といわれたというのです。 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 6 八起正法先生編

 するとまた、その後ろにティカラーの腕輪をつけた、インドスタイルの二メートルもの大きな男が仁王立ちして、

 「インドのときは、あなた様を育てさせていただきありがとうございました」と頭を下げられたというのです。

 二千五百年前、インドのお釈迦様のときのカピラの城主がその後、日本の源頼朝と生まれ、次に生まれ変わって現代の百姓のお父さんになられたというのです。

縁というものはまことに不思議なもので、こうして見ると、我々はどんなに不満でも縁を通して、現在の両親を過去にも、未来の次に生まれるときにも、再びお父さんお母さんに選んでも何ら不思議はないということなのです。

仕事もすべて自分が選ぶのだから自分の責任であり、職場が悪い上司が悪いと、自分の職業に不平不満も言えるわけはありません。

両親を選ぶのも、生まれた環境もすべて自分の責任というわけです。

また、お母さんについて信次師は次のように明らかにされています。


  
         母となる人
  
信次師を生んだお母さんは、キリストを生んだマリヤさまであり、その後、日蓮を生むことになられます。

二千年前のベツレヘムの馬小屋でイエスを生んだマリヤ様が、次は鎌倉時代日蓮のお母さんになり、現代は信次師を生み育てられたというのです。

信次師の「お母さんの回想」によると、無学なりにも、

 「心まで貧しくなるな」、
 とか、
 「雨滴によって穴もあく、いつの日にかは」

 「一寸の虫にも五分の魂」

 そして、他人の悪口を言えば、
 「人を呪わば穴二つ」、
 などと、諺を引用して子供達に教えられています。

 特筆すべきことは、明治三十一年生まれのお母さんは、信次師を妊娠された頃から、ふしぎな声が天から聞えるようになり、夜道を歩いていても足許がスポットを浴びたように明るくなり、懐中電灯もいらなかったようです。

まるでSFの世界ですが、かってのマリヤ様ならではの超常現象だったのでしょう。

 また、お母さんが人に心から親切にされたため、信次師の家には不思議と物貰いが集まって来たので、みんなから生き神様と称えられ、信次師も心のきれいな人だと書いていられます。          
ことに、キリストの受胎告知は、天使ガブリエルがマリヤさまへ告げられたようですが、現代の信次師の場合は、お母さんが子沢山なために育児に追われ、天使が訪れても、お気づきでなかったと言うのです。 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 7 八起正法先生編

 信次師のお母さんを訪ねて
   
正法を教えていただいた著者の先生ですが、園頭広周(そのがしら・ひろちか)という元国際正法協会会長は、昭和五十五年に信次師の生家を訪ねておられます。

そのとき、八十ニ歳のお母さんは新築の家に一人で住んでおられ、眼鏡も補聴器もいらず縫いものをしておられたといいます。

 会長一行が、色々と信次師について話しを聞いておられると、たびたび話を切上げては奥へ行かれるので、何をされているのかなと思っていたら、あっという間に三人分の昼食を用意して下さり、どうしても食べて欲しいと勧められたというのです。

 信次師のお母さんは、そのとき、話しをこう切り出されています。

「私が朝早く起きて炊事の用意をしていると、まだそれは結婚してまだ間もない時でしたが、橋の上を歩いていたら、私の身体のまわりが一瞬黄金色に輝くのです。

すると、わたしは、わたしであって、わたしでないような感じがしてきて、天から声が聞こえてくるのでした」、と。

さらに、

 「あの子は、親に心配をかけまいと自分一人で何んでも行動する子でした。治男(春男)は死にましたが、死んでいません。治男は今も生きています」、
と自分に言い聞かせるように何度も繰返されたというのです。

 当時、各県単位で、五、六人の優秀な者だけしか行けぬ幼年学校も、合格通知をもらってはじめて、両親が知られるほどでした。

ところで、そのとき偶然とは云え不思議が起こります。

信次師が生まれ育った家は、信次師がお母さんのために家を新築されたので、半分をこわし通路になって、後の半分は一行が訪ねられた日に取り壊わすことになっていたのが、偶然にも雨が降ったために取り止めになっています。

 それは写真に残されますが、危機一髪でした。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 8 八起正法先生編

 ウエブマスターの高橋信次師の故郷を訪ねて
 
ウエブマスターが訪ねたのは平成四年三月二十日から二十二日。二十日は残り雪も見当たらない晴れ、二十一日はすごい雪。信次師の晴れ日のたたずまいの写真と、大雪の家の写真が撮れました。

二度目の脳出血回復直後のため、後遺症によるビデオのブレは少し気になりますが写真はバッチリ。電話帳で高電工業を探し出し、電話帳の住所も接写で残す気の入れようが見えます。

取材ノートを見ると、初日は博多より朝六時の一番の新幹線で名古屋十一時。名古屋十二時の中央本線の特急で長野が十五時。長野より信越本線特急にて小諸十六時。小諸から小海線普通にて滑津駅十七時。

博多から生家まで列車にて十二時間の行程でした。

先を続けます。

さらにお母さんは懐かしそうに、信次師が背たけを計った柱の傷を指し示し、別れるときに、フトコロから紙包みを差し出されたので無理に断るわけにもいかず、いただかれたそうです。

九州の遠くから尋ねてくれた人への思い遣りというか、心遣いが痛いようにわかる一例ですが、開けて見られると一万円だったというのです。

色々な記述や講演からも信次師はお母さんの感化を特に受けていられるようです。

 これに対して、更に付け加えると信次師は、過去世の母なる人をこう言明されています。

 
        お釈迦さまのお母さんのマヤなる方
 
また、寛永ニ年のこと、インドの時の釈迦のお母さんであるマヤさまに信次師は、
 「今度も私のお母さんになって下さい」
 とお願いをされますが、

 「今度は休ませて下さい。申し訳ありませんがインドの時は大変苦労を致しましたので」、
 と申されるので、それではマリヤ様であり、日蓮のお母さんにお願いすることになったというのです。 
       
 では、どうしてそういう話しになったのかと申しますと、マヤ様は出産のために故郷へ帰る途中の、現在のネパールのルンビニというところで釈迦を生みます。

ところが産後の肥立ちが悪くマヤさまは一週間で亡くなってしまいます。こういうことがあったので その意味でマヤ様は大変だったに違いありません。
 何と釈迦は逆子だったというのです。
 それが原因でヤマ様は亡くなることになるのですが、これとてお釈迦さまがこの地上界で自分から悟り、人類の救世主になるための一つの手段として、マヤ様は天上界の計画によって天国へ召されたというのです。

これを聞いて、それにしても天上界って無慈悲なことを、よくもまあ、やるもんだと皆さんは驚かれるかもしれませんが、我々は永遠の
生命であり、この世限りではなく、死んでもまた生まれてくるのです。

このように天上界の計画に参画することは、魂にとって偉大な功績となって褒め称えられることになります。

だが、マヤ様にとっては、とても大変なことだったのでしょう。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 9 八起正法先生編

  伝説の誤謬性
 
しかしそれにしても、お釈迦さまはマヤ様の脇の下から生まれ、七歩歩んで「天上天下唯我独尊」と言ったとも伝えられていますし、あろうことか、イエスにはマリヤ様の処女懐妊説があるように、これは後世の人が神格化するための作り話であると、信次師は修正しておられ、 

「そのようなことはなく、イエスは普通のように生まれ、釈迦も我々と同じで、後世の人が賛美する余り、作り変えたのだ」、と。


 縁生ということ


 
おうおうにして、人は自分が望む有名人の子として生まれたいと思うものです。
でも、そこには誰も侵せぬ縁というものが厳然として有るので、自分の一存でマヤ様やマリヤ様の許に生まれようとしても、それは不可能だと知るべきです。

念を押して云えば、このような意味から縁を通して、皆さんの現在のお父さん、お母さんを次もまた選んでも不思議はないのです。

 我々はそこがわからないものですから、自分で「お願いします子供として育ててください」と、両親を選んでおきながら、選び損ねたとか、恨んでみたり不平不満を言うのも、それこそナンセンスというものです。

お父さんお母さんへの感謝、報恩とは、こういう意味があったのかと、初めてお気付きになったことでしょう。

 ともかくも信次師のお父さんの過去世の名が、あの源頼朝であり、インドのお釈迦さまの時代はシュット・ダーナー王で、さらにまた
お母さんの過去世が、マリヤ様であり日蓮の母であった、と。 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 10 八起正法先生編

マヤ様の現代を検証すると

 
一方、マヤ様は、今度は信次師をお断わりになりますが、なんとも都合のよいことに、やはり日本に生まれられているのです。

「やはり日本に!」
と、余りに出来すぎていると勘ぐられても仕方ありません。

 その方は、日本の華族の中で最も金満家と言われた蜂須賀侯爵家夫人となられ、蜂須賀T子として、それはそれは蝶よ花よの優雅な生活振りでした。

そこで、T子氏は縁の不思議さを感じられてか、人が集まる一軒家を信次師に寄贈され、信次師の正法の伝道を、温かく見守られていたというのです。

 マヤ様、或はマーヤー様の本名は、マカハンニヤダイで、(マ)カハンニ(ヤ)ダイの、マとヤをとって、通称マヤ様、マーヤー様なのです。

この項を最終整理していた時、ウエブマスターには不思議がありました。この辺の記述がある『GLA』誌を或る方から送っていただき、マヤさまの真実を書き加えることになりました。

園頭先生と共著で出していただいた『正法と高橋信次師1・2・3』の著書もある関係からか、大川隆法氏以後の「高橋信次先生もの」の草分けとも目され、この手の本の引用文献として数冊の本の中に在るものですから、標準書籍として天上界から監視、監督されているのか分かりませんが、思いがけなく責任の重大さをヒシヒシと感じております。

先を続けます。

 昭和四十五年十一月、亡くなる数日前に信次師に出された手紙も残されており、八十余歳の生涯を閉じられいます。

 尚、T子氏はこの百年前には釈迦の分身である桂小五郎、つまり政治家の木戸孝允の母であった、と信次師は書き残されました。

 さらに、T子氏は蜂須賀夫人として優雅な生活振りは当然ですが、金満に溺れず、絶えず神理の追求に没頭され不思議も体験されてい
たようなのです。

 このようなわけで、マヤ様は優雅な生活、片や、マリヤ様は貧農の妻、この不思議な明暗ともいえる相対性について、不公平ではないかと思われる向きもありましょうが、とんでもありません。

その考えは独り善がりの独善というもの、どちらがより良い魂の勉強になったかということです。

 金持ちとか貧乏というのは、魂の修行の道具であり、一つの人生勉強に過ぎないと知らねばならないのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 11 八起正法先生編

 生い立ちの不思議                       
  
生死の境を何十回も往復
 
 十歳の秋(九月三日)の夜八時、それまでは病気という病気もされたことがない信次師は、心臓は停止し、突然、死んだようになってしまわれたったというのです。

その日は三時間ほどで息をふき返されましたが、それ以来、夜八時になると、しゃっくりが出て呼気だけになり、四、五秒で完全に心臓は停止するというものでした。

こういう状態が続くものですから、両親はどうされる術もなく、ただオロオロとして信次師の心臓が停止した萎えた死体を抱えて、耳許で「はるお!ほら、ハルオちゃん!」と名を呼んだり、揺り動かしたり体をゆすって、どうにか息をふき返えさせようとされたようです。

大勢いる家族も、どうすることも出来ずに口々に名を呼び合い、顔を見合わせては心配そうに、じーっと互いに見つめるだけだったといいます。

 一方もう一人の信次師はというと、その推移をフトンの上の方から全べて見て分かっていられるから、

家族に心配を掛けまいと、
 「ホラ、僕だよ、心配しないでここだよ、ここにいるよ!」、
 と声を掛けられるが、誰れも気がついてはくれなかったようなのです。

 その内に医者が来ても、唇はぶどう色、顔面は蒼白、手足は柳のように萎えている信次師の診察をして、もはやどうにも打つ手がないという顔をしてカンフルや浣腸をするだけでした。

その間中 もう一人の信次師はそれを全て見ていられる。

 するとその内に、薬の匂いがプーンと感じたら心臓が動き出し、もう一人の信次師は本来の自分の肉体に戻るという、このような分身現象が何度も定期的に起ったというのです

  その時間は十五分から数時間というものでした。

 それからは医者も診断をつけかねて、その内には「またか、私には最早手におえない」と顔も見せなくなり、家族もあきらめて、その経過を心配そうに見ているだけだったというのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 12 八起正法先生編

 その間、もう一人の信次師はというと、あたかも忍者のように自由自在、変幻自在であり、どんな隙間も自由に何の抵抗も無く通り抜けることができて、もう一人の信次師は故人と会ったり、美しい花園を散歩したり、信じられそうもないことが展開されていきます。

 これこそは、いまで言う幽体離脱といえばよりお分かりいただけるでしょう。

 信次師はこれを、
 「原始肉体と光子体の分離」、
 という言葉で説明されていますが、これはいわゆる死ではなく、霊子線という糸でつながっている、次元の違う「生」の状態なのです。

死は、原始肉体と光子体をつないでいる霊子線の完全な切断であり、完全に修復できない離れた状態をいいます。

一方、睡眠はもちろん霊子線はつながっていますし、次元の違う世界で神のエネルギーを授かっている状態なのです。

何か悩みを抱え込み熟睡、爆睡できずに、神のエネルギーを完全に受けられぬと、スッキリした爽やかな目覚めは得られません。

あなたが熟睡したければ、悩みを作らないようにするか、または、悩みの原因、悩みの元を根っ子から潔く取り去ることだと信次師は教えておられます。

くどくなりますが、加てて加えて幽体離脱について説明しましょう。
無論、幽体離脱といっても様ざまな段階があるのです。


  宇宙即我(うちゅうそくわれ)
  
それには人家やビルの高さまでの低い幽体離脱から、宇宙即我(うちゅうそくわれ)という、宇宙や極限の果てまでの最高の離脱もありますが、その人の心の広さ、言い替えれば、人間性とか人格に比例するので、幽体離脱の体現者が現れたと、鐘太鼓でニギニギしく囃しながら現れても、注意深く慎重に観察することが大切なのです。

ことに著者が知る限りにおいては、宇宙即我の現代の体現者は、高橋信次師と園頭広周師の二人位と考えられ、そもそも宇宙即我というのは、自分は宇宙だったという境地と悟りなのです。

宇宙と一体になるという自覚は、菩薩界や如来界の高人格、超人格の人間性の最も高い人の次元のものです。

宇宙即我という程の幽体離脱は、地球が遥か眼下に見えて、地球の回転音が聞こえるというのです。

その音は「AUM」と発音したもので、つまり、「オオオオ、、ムムムム、アアアア」と聞こえると、園頭会長は教えて下さっています。

また、会長が度々訪問された米ロスのアガシャ教会では、招霊会のときに、手を内側に廻しながら「AUM」と聞こえる発音を唱えていたと会長は教えて下さいました。

人騒がせなオーム(改名アーレフ)教のあのオームは、この音から来ているものらしいのです。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 13 八起正法先生編

   
 白山神社

医者にも見離された信次師を、両親は為すすべもなく、ついには、耐え切れなくなって色々な神社祈願にも、近くの鍼灸師のもとへも連れて行かれたというのです。

信次師は、自転車の荷台に乗せられ色々な治療に連れていかれるときに、お父さんから振り落とされることが度々あったらしく、
「頭はコブでデコボコですよ」、
と信次師は笑いながら述懐していられる。

そのような体験がしばらくつづいたあと、分身現象が出なくなる頃から信次師は村はずれの小さな白山神社へ通い、朝夕六時の二回、社の掃除と瞑想にふけり祈願するのが日課でした。

 このようなある日、ちょっとしたことがあったのです。

信次師がお母さんと成田山へ詣でたとき、不思議な墨染衣を着て顔を深く隠したまんじゅう笠姿の、見知らぬ旅の僧が、信次師の頭をなでながら、
「病気は、近々なおる」。

さらに、
「お前の眼は二重孔だ、一生懸命に勉強すれば霊力を持つことになろう」、
と奇妙なことを言うのでした。

二重孔とは何かといえば、一つはこの眼で見える世界であり、もう一つは、あの世も、未来の世もすべて透視する能力をいうのですが、信次師とお母さんは、その語りにびっくり仰天したというのです。

その通り病気は半年ほどですっかり治り、それからは、もう一人の信次師も自分の肉体から出ることはありませんでした。 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 14 八起正法先生編

   不思議な僧
 
それからは、その僧と同じ姿をした旅の僧が遊んでいる信次師に、色々な言葉をかけ、
「今夜はこの川岸に留まって過ごすから、夕方まで解らない勉強を教えてあげよう」、と菓子をくれたりします。


 そこで、信次師がお坊さんの横に腰をかけられると、信次師の将来について優しく導き
「心というものが、全ての元である」と難しいことも習われます。

ある時などは、同じような旅の僧が家に尋ねて来て、
「信次は元気に暮らしているか」
と良く話しかけていることがあり、このように信次師の家には不思議と旅の僧の来訪が多く、信次師に対して、正しい心を教えて行ったようです。

しかし信次師は学問は余り好きではなく、それでも神仏の話しになるとまるで生き返ったようになり、学校から帰ればカバンを放り投げ山野を駆けめぐる日々でした。

 

    心霊術者トニーのこと

 
見知らぬ旅僧が尋ねて来ては、そのつど教ヘ導いたとは不思議と言へば大変不思議です。
これに対して、フイリッピンのトニーはあのキリストの分身ですが、信次師と同じような不思議な体験をしているので、彼の自伝から紹介してみましよう。

こう書き出すと、なにか霊的な暗示を感じさせるでしょうが、実は信次師が言い残された言葉の中に、
「フイリッピンでイエスの分身(5)が肉体舟に乗って修業している」、というのがあるのです。

それはフイリッピンの心霊術者・アントニオ・アグパオア(通称トニー、一九三九?一九八ニ・昭和五十七年)のことなのです。

ご存知でない向きもありましょうが、一時期、テレビなどで盛んにフイリッピンの心霊ツアーを報道しましたが、並みいる心霊術者の中でも、最も名が通ったのがトニーでした。

エスと聞いただけで、かの言わずとしれたキリストですが、その分身だけに、霊能たるや想像も出きぬ位いのものと信じていただけましょう。
このトニーの自伝によると、信次師と同じ体験をしているのは実に不思議です。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 15 八起正法先生編

サテ、自伝ですが、

 それは、トニーが七歳のとき、黒染めの絹のような服をまとい、腰には白いヒモを巻き、白ヒゲのアポと呼ぶ一人の男が出て来て、山小屋につれて行ったというお話しです。

そこには、不思議にもトニーにピッタリの服が用意されていて、そこでアポはトニーに、色々な物の調和(シンフォニー)、心について教えていったというのです。

トニーが独りでいる時も、いつもアポの存在が感じられ、瞑想を教えたり、物や、動物の内なる調和を学び一体となること等を教えて行き、一定の教育期間が終わるとアポの姿は消え、次には心の中から霊的に教えていったことが詳しく述べられています。

このように、使命と目的を持って生まれて来た人達には、天上界の協力によって、霊人が、物質化現象というか人間の姿となって、この世に現われ不思議な協力をして教えていくもののように見えます。

 

   
  使命ある光の天使が増上慢になると

 
念のためにいっておきますと、トニーの心霊力が高まり、世界的に名声が広がるようになると、世界中から人々が、トニーの許へドーッと押しかけて行くことになります。

トニーが、それから増上慢になって金や女に溺れてゆくと、その心霊力も一時的に消え、「力が消えてしまった、どうしたんだ力が出ないよう!」と悩んでゆくことが記されています。

が、あろうことか、心霊ツアーで訪れた日本人女性との肉体的関係が原因で、残念なことに昭和五十七年、脳出血により短命でした。

国際正法協会、園頭広周会長の月刊『正法』には、

会長はバギオに飛ばれ、
「今のような生き方をしていてはいけないと忠告して来た」、

というのもある程ですから、高橋信次師の一番弟子と自他共に認められる園頭会長は、信次師亡き後も師の意思を継いで、腐心していられたことが窺い知れましよう。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 16 八起正法先生編

更にもうすこし補足しておきますと、

トニーは、バギオに瞑想道場ともいえる六角堂をつくっています。
ところが余り神聖な場所ではなかったと見えて、先のフィリッピンの大地震でメチャメチャに埋没してしまっているのです。  

                          
 ついでに、もう一つ付け加えておくとこうなります。
 
トニーが同じくらいの子供とボール遊びをしていた幼時のことです。
遊び飽きたものですから体を使わず、霊力でボールを返していると、ボールがわらぶき家の屋根に引っ掛って落ちてこないものですから
全能を出して何度も力んでいると、突然、火を噴出して家は丸焼けになってしまい、それからアポが悲しい顔をして出て来て、

「心して反省せよ」、と。

それからトニーは反省して行く情景が詳しく書き綴られています。

 信次師もトニーにも、これまで述べたような霊界の不思議があったのです。

また、信次師の予告によると、

「今から百五十年もすると(昭和四十八年現在、百八十年後と)、イエスの本体がアメリカのシカゴに生まれる」というのがあります。

もし、そうであるなら尚さらのこと、正法が教えるところでは、本体は、自分だけではなく分身の心の傾向性も、修正しなければならないと教えていますので、そのときのシカゴの本体イエスは、分身トニーのカルマ(業、心の傾向性)も修正しなければならないと言うの
ですから、気の毒と言わざるを得ません。

霊界の法則というか神理というか、真実がそうであれば、もし分身トニーは女性に幾分弱い心の傾向性があるのなら、本体イエスがシカゴに出て復活したとき、魔はここを突いて来ると思うからなのです。

このように使命と目的の有る人は、特に厳しいということを知らねばなりませんが、救世主であるためにはそれは当然といえば当然なことかもしれません。 
              
サテ、先程から分身(5)や、本体と述べていますが、それ何のこと?と疑問もあると思いますから、「一本体と五分身」の法則につい
て、簡単に述べてみます。

これは信次師が、信次師の守護霊、指導霊から「植物の細胞から学べ動物から学べ」と絶えず注意されて、神理に到達したものといわれています。

次は複雑な理論ですが、学生時代を思い出されてじっくり読んで欲しいものですから、敢えて要約せずに挙げることにしました。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 17 八起正法先生編

       人間は本体一・分身五の関係 
 
人間は、大自然界の構成員にすぎない。
植物は、核(本体一)を中心に、その周囲に原形質膜、液胞、色素体、細胞膜の四つから構成され、本体一、分身四の関係となる。

 動物の場合は、核(本体一)を中心に原形質膜、ミトコンドリア、ゴルジ体、中心体、脂肪粒 分身五、つまり本体一、分身五の関係に
なる。 同様にして、鉱物の場合は原子番号に核を加えた数が、本体と分身の数になる。

例えば、炭素の原子番号は六、核が一つに陰外電子が六ということであるから、本体一、分身六の関係となる。

このように人間も動物だから、本体一、分身五の関係には違いないのだが、実は人間の場合は、特に、この大宇宙が神の大意識を母体に、熱・光・電気・磁気・重力という五つのエレメントからできているので、人間の生命体もこれに合わせて本体一(大意識)、分身五(五つのエレメント)の組合せになっている。

人間を称して小宇宙というのも、生命の成立が、このように大宇宙の構成と同じようにできているからである。

生命も物質も、三つのプロセスからできている。

 

 地球に生命が宿るのは、太陽、月、そして地球という三位一体の構成。


地球(地上)は気圏、水圏、岩圏から成っており、原子は、核外電子、中性子陽電子からできている。

電気は陽性(+)、中性(N)、陰性(?)から、細胞は大きくわけて原形質、細胞質、核の三つから構成されている。

物質の成立は、宇宙の大意識をまず出発点として、第二に熱、光、電気、磁気、重力のエネルギーが組み合わさって、物質という第三の現象化が行なわれているのである。

生命もこれと同様に、
まず、
第一に、宇宙の大意識から、
第二に個としての生命が、あの世すなわち実在界に誕生し、
第三に現象界(この世)に姿を現わすのである。

一度、現象界に出た生命体はこの世とあの世の転生を繰り返し、この世に生まれ出る時は、両親という媒体(縁)を経て、姿を現わすのである。

つまり、大意識から離れた生命は、あの世、両親、この世というプロセスを踏みながら循環の法のなかで生きるように仕組まれているのである。 
                        
 次に、人はどのような順序で生まれ変わるかという話しです。  


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 18 八起正法先生編

     生命体(魂)の転生輪廻・生まれ変わりの順序
 
魂の生まれ変わり死に変わりの転生輪廻は、それではどういう順序で行われるかといえば、原則的には順ぐりなのです。

Aが出れば次がB、Bの次はCというように、A(核)BCDEF(分身)が順次、現象界に出て修行する、というのが原則です。

ただし、転生輪廻の過程で、修行を積む者と、地獄界に落ちて、「横道にそれてしまう者」、もあって、全体のバランスを崩すことがあるので、その場合は、あの世で話し合い、前記の原則にこだわらず、AならAが短期間に二度、三度、現象界、つまり、この世に出て修行することもあります。

しかし、こういうケースは比較的少なく、大半は順ぐりに出て修行することになるようです。

 先に述べました

「横道にそれてしまう者」、とは、非常に重要なポイントの一つですが、我々人間の霊魂というものは、天上界に帰った者のみが、この世に転生、つまり生まれ変ることができるのです。

これはまた別の見方をして、この問題をもうすこし突きつめて考えていくと、横道にそれ、地獄の暗い世界に定住した者は、地獄の世界からそのままこの世に生れ変れない、つまり、この地上界に誕生できないという意味です。

現代の、せっかちで逆切れする人達には、これは非常に深刻な問題ですが、一旦、天上界にもどって、それから、この世に肉体を持つことになるのですから、この意味において、混乱が起こるわけです。

どういう混乱かというと、順繰りには行かず、話し合いの上でこの世に出る順番を決定をせざるを得ないという混乱です。

 では、あの世の天国、天上界とはいかなるところか?


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 19 八起正法先生編

         天国へのパスポート
 
天上界へ行ける最低の一番下の心の段階はと申しますと、まさか有得ない!と意外に思われるでしょうが、                                 
「自分さえ良ければ他人はどうでもよい」、という程度の低い心の世界なのです。

 このエゴの心の世界を幽界(ゆうかい)といいますが、驚くなかれこの程度に過ぎないのです。                                 
考えても見て欲しいのです、世界人類の平均的な心の段階を考えますと、酷い者はひどいのです。                                
 著者が言っているのは、学歴、地位、名誉や財産の多寡をいうのではなく人間性や人格を問題にしています。
天上界への最低のパスポートがエゴの心というのですから、地獄界でうろちょろする人の心の段階とは、それ以下の、それはそれは、ひどい世界と想像できるでしょう。

一つの例を挙げますと、読者の皆さんには関係ないと思われますが、地獄界の一つ畜生界は、どこを見てもどこを見廻しても、本能剥き出しの野獣のように四六時中、肉欲を続けるという理性も常識もない者の集まる同類達の世界です。

いずれにしましても、地獄界は、思いやりや優しみなど微塵も無い、慈悲も愛も皆無の世界なのです。

一方、天上界でも高位の心の段階は、どこもここも見渡す限り爽やかで思い遣りが有り、慈悲と愛の塊のような人達ばかりの同類の最高の世界、まさに天国なのです。


     天上界(てんじょうかい)
 
天上界を上段階から五分類しますと            
                               
  如来界(にょらいかい)

  菩薩界(ぼさつかい)                                
  神界(しんかい)

  霊界(れいかい)

  幽界(ゆうかい)

 
 
地獄界(じごくかい)を五分類しますと

  修羅界(しゅらかい)

  煉獄(れんごく)

  畜生界(ちくしょうかい)

  無間地獄(むげんじごく)

  魔王(まおう)


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 20 八起正法先生編

         最初の地球人
 
著者の正しいマインド・コントロールが効いてか?びっくり仰天とはならぬと思いますが、尤も、正しいか間違いかは、各人の判断に任せることにしまして、信次師の言い残された言葉によるとそれはこうです。

三億六千五百有余年前、数億光年離れた他の天体のベーター星から、このうら若い緑に燃え光に包まれた地球に最初に飛来したのは、六千人のベーター星人でした。

今でいうUFOに乗って最初に着地した場所は、地図を持ち出すと一目瞭然ですが、スエズ運河の近郊、現在のアルカンタラ(エルカンタラ)でした。

この統率者であり責任者をエルランティといわれ、この地を調和された地上天国という意味で、エルランティは「エデンの園」と命名されます。

現代と違って三億年目のエデンの園は、温暖で暑過ぎもせず寒過ぎもせず、事故も無く、病気もせず、人との争いもなく、思うは隣人の幸せばかり、ここは高人格、超人間性の人ばかりという、理想的な「原始人間共同体」だったのです。

エルランティの下に七大天使随行しましたが、七大天使の一人、ルシフェルはその生き様から、天上界に帰ることなく地獄界を形成し、ルシフェルはサタンと呼ばれ、地獄の帝王として魔王となったというのです。


 
        真のメシヤはエルランティ
 
亡くなられる直前に信次師は、自分こそはエルランティであり、真のメシヤを自覚して、こう言い放たれたのです。

「エルランティとして、モーゼにはヤーベを、釈迦には梵天を、イエスにはエホバを、古神道天照大神には天つ神を、イスラム教のマホメットにはアラーを名乗り、これらを一つにするために、人間の正しい生き方を正法として説いたのです」と、

このように、信次師は驚くべきことを教えて昇天されたのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 21 八起正法先生編

      陸軍幼年学校
 
信次師は勉強は余り得意ではありませんでしたが、神仏のことになると、まってましたとばかりに目は輝やかれるのでした。

しかし、入学するやもちまえの才能を発揮して、めきめき進級し、平賀小学校(現・城山小学校)を卒業すると、野沢中学校(現在の野沢北高校・進学校で名高い)に入学されたが二年で中退、成績の優秀な者が選抜されるので名高い仙台陸軍幼年学校に入学されます。

このとき両親は合格通知が届いて初めて、試験を受けられたことを知られるというもで、いかにのんびりした当時でもこれは異例のことだったようで、子沢山の貧農であったために、学費と食費の心配を掛けまいと、全寮制で学費も全部まかなわれる学校を、信次師が選ば
れだというのも特筆して余りあるでしょう。


 
       剣道と高橋信次
 
そして、中学より始められた剣道はそれ以後、信次師の生涯に少くなからず影響を与えることになります。

信次師の長女・佳子氏の著書には、幼い頃、他愛のない悪さをすると短気に、「貴様ッ」と木刀を振りかざすことがあったとあります。

また、高弟達を連れて、九名ばかりの志賀高原での特別研修では、意識統一のために講習の合間をぬって、剣道着に着替え素振りなどを全員でやられたようです。

そのときの記念写真には、みな愉快に笑顔で、中肉中背の信次師と一番長身の園頭会長の姿がひときわ印象的です。

それでは、このときの特別研修の情景を簡単に綴ってみましよう。


 午前中は反省の時間でした。

めいめいが壁に向かったり、窓に向いたり、目を閉じたり、空を仰いだりして人生の反省を続けます。

信次師はといえば、別の部屋から、それぞれの反省の状況を霊視、透視していられたようです。

すると様子を見に来られた信次師は突然、
「あなた方の反省は、どうどう巡りして一つも進展がありません、これからは紙に書いて下さい、それを私が見ます。」、
となります。

それから、それぞれが複雑な面持ちで反省の記述を始めますが、正法の反省は簡単に述べると、こういう風になります。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 22 八起正法先生編

        正法が教える反省の仕方
 
テーマを項目ごとに決めて、例えばお金の問題、異性の問題、兄弟との問題など、それ等に沿って反省をしていく方法と、

もう一つは、一歳から五歳、五歳から十歳、十歳から十五歳、或は十歳まで、十歳から二十歳、二十歳から三十歳というように五歳や十歳間隔に区切って、親や兄弟、先生や友達、周りの人にどう対応したか、つまり、怒らなかったか、愚痴らなかったか、不平不満をいわなかったか、欲望をむき出しにしなかったかなどと、今までの全生涯を心静かに、反省をすることをいいます。

このように、信次師は、別室にいても、人の心に記録されている一切の、全記録を自由にわかられるるというか、見る力、透視力を持っていられたのです。


 
         守護霊に尋ねる
 
なぜ、こういうことができるのだろうか?と疑問をお持ちでしょう。
それは各人の守護霊に尋ねれば簡単なことです。

これについて述べさせてもらいます。

それは、人が生まれ変わり死に変わりする中で、地球人類、誕生の三億六千五百年前から、人間は何万、何十万回もの人生体験を持っているというのです。

尤も、その前のベーター星当時から、否、その前からすれば、もう、天文学的な数字かもしれませんが、それは横に置くとしまして、例えば、現世の前は五百年前、その前は、千二百年前、二千年前というように生れた人がいたなら、現世に一番近い人、ここでは五百年前の人が主に守護霊となって、現世の人を生れてから全部、見て知っています。

そうなると、その人の全人生を全部知っている守護霊に尋ねれば、何でも全部わかるということになります。

それでは、現在のあなたが内緒も全て、人を選ばず誰にでも秘密をさらけ出すのかといえば、口を貝のように閉ざすのが普通です。

それは当然です。

でも、尊敬と信頼できる人へなら一もニもないように、尋ねる相手の光の量の区域、つまり相手の人格というか人間性によっては、守護霊も心を開いて一つ残らず告白するはずです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 23 八起正法先生編

 では、どうするか?
 
それは、高橋信次師や園頭広周会長のような超人間性の人なら、全く問題ないと思われますが、世の霊能者の多くは、狐や蛇の動物霊や人間の地獄霊が憑依して、つまり、憑いて、いや協力して、霊能を現わしていると著者は考えていますので、失礼ながら、人格的には余り高くないと思われ、色々なお尋ね事をしても、それが当たりはずれが多いというのも、この辺の事情を斟酌できましよう。

 ことに、信次師のものはズバリ百パーセントというものでした。

それはどういうことかと言えば、信次師は昭和四十年代、迷宮入りになりそうな事件の数々を解決させていられます。

あの三億円事件に取り組もうとされたとき天上界から、
「事件解決屋みたいなことをやっていると、都合の悪いやつに酷い目にあう」、と忠告されてからみなお断りしています、となります。

更に申し上げたいことは、早期解決は必ずしも人それぞれの魂の勉強になるとは限らないので、迷宮入りもそれはそれで仕方のないことなのです。

 これは、どういう意味かと申しますと、事件は加害者も被害者のどちらも、「原因と結果」という悪因は悪果の原則が厳然として働きますので、解決に時間を要すると、当事者全員がその長い時間の経過に、人生とは、死とは、良心の呵責とは、心の安らぎとは、事件解決とはということを真剣に考えさせられ、悩み苦しんで、魂の勉強になるというのです。

信次師のような、高人格の正しい霊能を持つ人なら、
「三億円を奪った人よ」
と守護霊に尋ねれば、何んてことはないのです。

まさにこれから、著者がこの本でときあかそうとしていることを無理なこじつけではなしに、事実をいくらでもあげることができるのです。

昨今、『ハリーポッター』という魔法の本が話題で、全世界で何億冊と出ているようです。

「事実は小説より奇なり」、という言葉があります。

したがって 高橋信次師が現わされた奇跡というか不思議な現象は、事実そのもの、真実そのものであり、事実は小説より奇なりという標語そのままですから、小説みたいには夢がなくて、面白くないのかもしれません。。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 24 八起正法先生編

    奇跡は夢の先取り

 
ハリーポッターのサブタイトルの「賢者の石」というのも、昔から錬金術、つまり、卑金属や物質から純金を創り出すことを人間の悲願や夢として来たことに由来していると理解できますが、先で詳しく述べる信次師の金粉現象は、まさに錬金術、出た当初は熱く四、五十グラムもあって分析が可能なものだったと弟子の著書の中で報告されています。

信次師のものは、それほど真実でした。夢が夢のままなら良いのですが、夢が事実になるとき夢も希望も消え失せてしまうのです。

 奇跡は夢の先取りで、信次師のものは、正に、そう言えたのです。


 
話は元へ戻り先を進めます。

やがて戦争は激しくなり、そのむなしさは友人の死によって倍加されて行くのでした。
信次師十八歳のとき、信次師に親切にしてくれた女性に片想いをされますが、恥ずかしがられて何も言えず、これは少年時代の思い出のひとこまでした。

 


 
     高橋信次とイルカの防壁

 
 信次師は、陸軍幼年学校から士官学校に進んで航空士官となって出兵。そのとき、十二時間、海に漂い海防艦に救われたことがあったというのです。

それは不思議とイルカが信次師のそばに寄って来てくれたために、米軍の機銃掃射を免れたことによりますが、信次師の身体には弾丸の破片がいくつも残ります。

 弟子の一人は、色白の体に幾条かの傷跡を見せられたことがあると書いていられます。

イルカは、イルカショーでも知られているように賢いと言われていますが、この場合は天上界からの指令というか、何かがあったのでしょうか。

このとき、傷つき倒れた多くのイルカがいたでしょうが、愚かな人間が起こした戦争のために、身を犠牲にしてまで信次師を救ったイルカに、著者は心から敬意を表します。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 25 八起正法先生編

       

      神の使い姫
 
光の天使には動物が神の使い姫として協力するといわれています。

お釈迦さまには猿が現れ危機を救い、光の天使エリヤには為政者から迫害される中で、鳥たちが魚を運び、果物を運んで飢えをしのがせたというのです。 
              
さらに、信次師が伝道を開始されてから後、伊豆の海岸で皆と共に、信次師はイルカと話をされたと伝えられています。

これに対して、もう一つ、戦争のときの不思議を例に引きましょう。


 
       霊的国防の予兆
 
信次師の弟子である園頭会長が、中国に出兵されていたときのこと、機銃掃射を受けられます。

 今だと思って、会長は、ここに戦争があるという観念を捨ててドッかと坐られます。

軍刀を立てかけて瞑想をはじめられると、周辺に落ちる爆弾という爆弾、弾丸が爆発せず、不発に終わって落ちて来たというのです。

何ものにも恐れず不動のように瞑想されるのが余ほど悔しかったと見えて、最後の一機が超低空から風防を開け手投げ弾を投げつけ、うらめしそうに諦めて帰って行ったというのです。

 安らぎの心の世界は明るい光明の世界、戦争は暗い闇の世界、暗闇は光によって消えたのでした。

まったくSFの世界ですが、この手の話しが正法の世界には、当たり前のことのようにゴマンと口に上るのです。

要するに、心の世界、意識の世界というものは、それ程、大切なもので、想念はものを創くり出し、悪の弾丸を不発化するのです。

国際的に核装備の進むなかで、世界で唯一の核被弾国である日本は、この霊的国防を実践することが急務でしょう。

人間は、霊性に目覚め、その偉大性に感謝しなければならないと思うのです。
もちろんこれだけなら偶然といってすますこともできるかもしれません。

しかし、これからくわしく述べるように、光の天使にまつわるこのような奇妙な体験の符号は、無理なこじつけではなしに、いくらでもあげることができるのです。

光の天使にまつわる現象、すなわち、信次師や会長についての奇跡を縷々述べていますが、もう一つ、園頭会長の場合はこうでした。


⑥はなし


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 31 八起正法先生編

          結婚直後
 
結婚はされたものの、手形不渡りによって会社は倒産、信次師は事業に失敗して一文なしになってしまわれます。

失敗の原因は経営の未熟にあったと、自から告白していられますが、失敗は信次師にとって良い経験となったようです。

事前に、倒産の予告をして結婚、それから本当に倒産して、何もかも一度に起きたようで、信次師は上野の地下道で何日か過ごすこともあったようです。

その頃の信次師夫婦は、アパート暮しであったために、鍵一つでどこへでも行ける身軽なもので、職を失した信次師は、近隣の人の相談にのり、その薄謝によって生活を続けていられます。

信次師は、自著の中でこう言っていられます。

「近隣とのつき合いにも不思議な現象が始まり、予言はほとんど適中し、相談に来る人が狭いアパート一杯にあふれることもあった。

だが、なぜ予言が当るのか、自分にも答えられなかった。そのため、自分自身そのことを信じてはいなかったし、邪心もなかった」、と。

 
         長女・佳子氏生まる
 
昭和三十一年(信次師二十九歳)長女・佳子氏生まれる。

さらに、奥さまの一栄氏はこう言っていられます。

「先生は、生まれる子供はみな、女の子だからと予告したので、女の子のものばかりを用意しました」、と。

のちに、次女誕生。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 32 八起正法先生編

       長女・高橋佳子氏は、卑弥呼の生まれ変わり
 

講演の中で信次師は、

「○○さん達は、ともに卑弥呼の大臣をしていた人達です。
卑弥呼の過去世を思い出したこの人(佳子氏)を中心にして、この人達が卑弥呼の時代を思い出すと、今までわからなかった歴史がはっ
きりとわかります。…云々。
そうです、そうです、この言葉が当時の言葉です云々。
邪馬台国有明海を中心にしてありました。云々」

この講演ビデオには、有明海周辺の当時の言葉が登壇者の口を通して語られ、千九百年前と思われる言葉は。テープを何度廻してもトンチンカンですが、現代でも沖縄の人と東北の人が、方言まる出しで喋ったら、まるでチンプンカンプンでわからない筈ですから。当然と言えば当然かもしれません。

二千年の時空を越えて。その当時に生まれた人が、それはこうで、あれはこう、と過去を思い出せたら歴史は完全に塗りかえられるかも知れません。

神の子・人間は永い歴史の中で、その力を閉ざして盲目の人生を歩くことになったというのです。

高橋信次師の出していられた『GLA』誌の前身、『ひかり』に次のように書かれています。

「高橋佳子さん(十三歳)、東京大田区在住。彼女は、お釈迦様の時代、すなわち印度時代に、祇園精舎を寄贈した、須達(スダッタ)長者の娘デルナーという女性でありました。日本ではヒミコとして約一九〇〇年前、九州大和姓国で生まれ数多くの伝説を残しましたが、云々。

古代語では一般の人はわかりませんので、現代語で昔日の模様をいろいろ語ります」、と。

 
信次師は企業倒産ののち八年の空白をおいて、昭和三十九年(信次師三十七歳)、ある銀行の会長の支援によって、東京大森にコンピューター端末機器を製造する三百三十平方メートル(百坪)ほどの「高電工業株式会社」を設立。当初資本金百万円でした。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 33 八起正法先生編

        昭和四十年(信次師三十八歳)
 
信次師は「人生の羅針盤」なる器具と小冊子を世に出されます。

前書きの中に 
「……大自然の陰中陽、コンパスの春夏秋冬を知り、自分の原因結果を… 」、
と書いていられ、色々なことがよく当ったらしく、法つまり神理の勉強より、この器具に関心を持つ会員が多くなったので、製造中止、廃版にしていられます。

利益になりさえすれば、どのようなものを売っても平気な、現代の風潮に照らしてみても、まさしく人類を導く人の姿勢が見られてすがすがしく思います。

 
  昭和四十一年(信次師三十九歳)の信次師の周辺
 
もっとも早い時期の信次師の弟子で、今はもう亡くなっている観音寺住職・村上宥快氏に登場してもらうとします。

 彼は自著の中でこう言っていられます。

「探し始めてから三カ月たったある日、見覚えのあるクリーム色の小誌が出てきた。
紛れもなく発明者の住所と氏名がさん然と輝きわたっている。
高橋信次〃この人だ。
大田区大森……早速、電話番号を調べた。夢中になって何かに憑かれたように村上氏は電話されたというのです。

「高橋様ですか」
というと、すぐに答えが返って来た。

高橋信次です」、
 その声音は全く慈悲に満ち溢れた音量であった。

実は先生の羅針盤についてお伺い致したいのですがというと、先生は待っていましたと言わんばかりの応答だった。

先生のご都合をお聞きして、指導をいただきたいと申し上げると、快諾されたというのです。

 昭和四十一年二月になって気候もゆるみ小糠雨の降る日、奥さまと二人で尋ねられます。

「立合川の川岸の近くは住居と街工場のある街並であった。二階の応接室へ先生自から案内して下さった。

 ソファーがあったが、余り立派なものとはいえない。 この洋間に製図盤がひっそりと部屋を占めていた。

 直ぐエンジニアであることが分った。 私も自己紹介をすると、年の頃は私より十歳ほど下であることを知った。

妻も何か物凄く人懐しく思ったようで、直に十年の知己のような感じになり、この後一カ月に一度、或いは隔月位に足を運ぶようになっ
た」、といわれているのです。

こうして、信次師の事業は順調に伸び、神奈川に長野にと、小さいながらも生産工場を設備して、事業も陽の目を見ることが出来たようです。

また、これに対して奥さまの一栄氏は、信次師の語られる神仏に関しては否定も肯定もされなかったというのです。

奥さまの一栄氏は、さらに、次のように語られています。
先生は、「こんな見せ物みたいなことをやるのは本意じゃないんだ」、
と疑いを抱いている人達に対して自分の霊能力を証明するために色々の〃奇蹟〃を見せていられる。

 たとえば、
「山から石を取って来て見せよう」、
と何か念じている。
 パッと掌を開くと、本当に石が乗っていた、というのです。                            
 まさしく魔法です、トリックがないのなら。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 34 八起正法先生編

        霊能のこと
 
どうして、このようなことが起るのか説明しますと、信次師は、あの世の霊の協力によって行われ、だから自由自在と言っていられます。

かつて、目から真珠を出したり、饅頭の中から大黒様を出していた人もおられましたが、一刀のもとに斬り捨てれば、あの世から協力する霊の質というか、霊の程度が問題と著者はいうのです。

滝にかかったり(肉体業)、拝んだりして出てくるものは、ほとんど動物霊か人間の地獄霊と考えられ、注意深く正見することが必要でしょう。

モーゼやお釈迦さまやイエスの霊能はといえば、正しい光の天使達の協力によってなされたもののようです。

かつて、イエスさまが一切れのパンで何千何万という人を助けたとあるのは、あの世の霊の協力によって、パンの物質化現象が起り、本当に多くの人が救われたと信次師は言い残していられるのです。

しかし、目から真珠を出すという人は、たくさん出してネックレスでも作るつもりでしょうか。

著者にいわせれば、全く考える次元が違うと言いたいのです。

正しく考える人なら、その力でパンやミルクを出してアフリカの飢えで死んで行く子供達を助けようとは考えないのでしょうか。


 
         金儲けに溺れる
 

信次師は、常に生活基盤を根底にした、神仏について考えられたというのです。

その頃から信次師の義兄は病弱であったため、創価学会に狂信的となり、当然、信次師の家にも折伏に来ますが、地湧の菩薩は強引な折伏によって仏法を説くことはしないものです。

闘争と破壊の想念行為は菩薩の心ではないと、ことごとく批判して信次師は述べていられるのです。
この頃には、事業も順調に展開して、信次師は、経済力がなくては人々を救うことも出来ないと考えられ、金儲けに専念されたので、本
筋とは異なった方向に進みなす。

その結果、信次師は従業員との意思の疎通、会社内部の混乱、家庭の混乱の渦に入って行くのでした。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 35 八起正法先生編

        悟りへの道

 
    昭和四十三年(信次四十一歳)


二月ころから、信次師の周辺には不思議な現象が起りはじめます。
お父さんの死以降、信次師は仏壇の前で瞑想されるのが日課でした。

 
      二月三日、午前一時、


信次師が仏前に灯明を上げて心の調和を計られていると、突然風もないのに、灯明の炎の高さが二十五センチになったというのです。

 本来なら三センチのものがです。

それから、炎が自然に小さくなり、今度は蓮の華に変化し、最後は蓮の実に変わり、この変化を信次師達は驚いて見ていられたというのです。


 
       同じく二月五日、

 
ローソクの火が二十二センチ位になり、炎の先が二つに割れ、次第に蓮の華に似てきて十五分後、蓮の実そっくりに変化したというのです。

家族はただあっけにとられて見守り、やがて信次師の前に、肉体先祖と称する十四代前の先祖が名乗り出て来て、信次師の生まれた佐久の地は、戦国時代、甲斐の武田勢によって支配されていたときの、信次師の「肉体先祖」であったというのです。(比較用語・魂の先祖)

「私は、あなたの先祖、竹之丞半九郎友幸(十四代前の頼朝の子孫で武田信玄の軍門に下ったとされる)である。」、
と。

それから、先祖は信次師に語り続けます。千石平の林の中で戦死したこと、塚を調べればその謎が解けるとまで詳しく説明されたというのです。

「その塚の中には、私と息子の首が入っている。恐らく甲冑と刀はすっかり錆びているであろう。」

また、「今私は肉体先祖として、あなたにこの事実を話すことが出来て喜ばしい」、とも告げます。

その後、信次師がこの話を佐久の人々にされると、やはり首が二つと、錆びた金物があったことが証明されたといいます。

 先祖はまた、
「肉体的子孫を佐久の地に残したのも、いつかはこれを知って貰うためである」、と言うのでした。

信次師はこの頃から、肉体的先祖という問題についても、信次師の探究の具体的な糸口が解かれていきます。

肉体先祖は、この地球上に適応した肉体として神仏が保存したものであり、魂の乗り舟であるということを、信次師は悟られて行ったのです。

次は、肉体先祖と魂の先祖を、信次師が明らかにされた一例で説明しましょう。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 36 八起正法先生編

     肉体先祖と魂の先祖                      
 

肉体先祖というのは、高橋家のお父さんと○○家のお母さんが結婚されて十人兄弟の二男に高橋信次師が生まれられた、という血のつながり、血統、血縁関係を肉体先祖というのです。

 一般的に、先祖といえばこれを指しています。


一方、魂の先祖とは、

三億六千五百年前に地球に七大天使と共にUFO(反重力光子宇宙船)で飛来した真のメシヤのエルランティから始まって

→一万年前のアトランティスアガシャ大王→三千百五十年前のモーゼ(あの世でも同じくモーゼと呼びます)→二千五百年前の釈迦(あの世ではカンターレと呼ぶ)→二千年前のイエス・キリスト(あの世ではイマニエル・イエスキリスト、またはインマネール・イエスキリストと呼ぶ)→二十世紀の高橋信次師。

エルランティが地球創世のときの、初めの本体で、アガシャ大王、モーゼ、釈迦、キリストはその分霊になり、高橋信次師は次の本体です。

このように、正法では、血縁関係ではない魂の、霊のつながりと関係を魂の先祖と呼んでいます。
 

 

        釈迦の生命
 

血縁関係はなくとも、生命の永遠な人間にとっては、どちらかと言えば血統ではなく魂の霊統が大事です。

ちなみにお釈迦さまは、あの世の呼称はカンターレと申され、このお釈迦さまの霊統をひも解きますと、次のようになります。

本体 釈迦(インド)
分身 不空三蔵(インド)
分身 天台智ギ(中国)
分身 伝教(最澄、日本)
分身 空教(日本)
分身 木戸孝允桂小五郎、日本)です。

お釈迦さまの前の分身は中インドに王様の子供として生れられ、さらにお釈迦さまの前の生命は、リエント・アール・クラードと申され、南米のアンデス山脈の麓に生まれられています。

さらにその前の生命は、アトランティス帝国のアガシャ大王として神理を説かれたのです。

モーゼ、お釈迦さま、イエスについて、次のことも触れたいと思います。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 37 八起正法先生編

    

    三位一体とは

 
キリスト教では、イエス聖霊、教会、を三位一体と伝えられていますが、それは間違いであると信次師は言い残していられます。

 真実は、エル・ランティに於いて、モーゼ、釈迦、イエス、を三位一体というと信次師は訂正していられるのです。

ユダヤ教も仏教も、キリスト教も神理は一つであり、人間が宗教問題で対立し、相争うということは実に悲しいことなのです。 
                            
ところで、イエスさまは紀元一年に生まれられ、西暦と同じ歩みになることは常識ですが、実を言うとそうではなく、イエスさまは紀元前三十二年に生誕されている、と信次師は訂正されているのです。

ということになると、西暦二千三年は本当は二千三十五年ということになりはしませんか。   
              
それは、ともかくとして、次はイエスさまの生命について述べます。


        イエスさまの生命
 
本体 イエス・キリスト    
分身 クラリオ(クライオとも言い、BC四千年、エジプト)→
分身 マグネチオ(BC二千年エジプト)→
本体  イエス(紀元前三十二年、イスラエル
分身 マグガリス(AD二百年、イスラエル
分身 フォアイ・シン・フォアイ・シンフォ AD四百年頃 中国・
分身 バロイン(AD千五百年頃、英国)
分身 アントニオ・アグパオア、通称トニー、(前に述べましたが昭和五十七年、一九八ニ年亡)、フイリッピン   


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 38 八起正法先生編

      本体と分身の役割
 
エスさまの分身の通称トニーは、女性問題から悩血管障害で早死にと述べましたが、次に百五十年後(昭和四十八年、一九七三年現在百八十年後と)にシカゴに生まれられる本体イエスさまは、分身のトニーのカルマ(業、心の傾向性)も修正されなければならず、気の毒です。

分身は自分だけの心の修行で事足りますが、本体は自分だけでなく、分身の心の傾向性も訂正、修正しなければなりませんから、その責任は重大なのです。                            

もう一度念を押しますと、一般的には先祖と言えば肉体先祖を指しますが、魂は永遠ですから、特に魂の先祖も頭におかないといけないのです。


こうして肉体は〃魂の乗り舟にすぎない〃ということを、信次師は悟られて行かれたのです。

その後、信次師が親しい人々に光を与え心を調和させられると、次々と霊的現象が起きるようになったといいます。

この頃、会社の仕事は相変わらず忙しく、信次師は浅草にビルの建設を始められていたので、昼中は浅草のビルの建設現場と工場とをかけもちで追われる毎日だったようです。


         霊的現象  
 
さらに、一九六八年(昭和四十三年)七月三日、信次師の周辺には遂にくるべきものがきます。

信次師が多くの人々に光を与えられることにより、霊的現象が信次師周辺に次々と起きるものですから、これは自分の能力以外の作用が働いていることを悟られたというのです。

霊的現象についていろいろ話していられるうちに、ある時、信次師の義弟に「ぜひ自分にも現象を見せてください」と頼まれ、信次師は、午前一時、義弟の心を調和させられ、光を手のひらから送られると、義弟の口から昔の侍の声が出て来て語り出したというのです。

義弟は、自分の口を通して語るのに、自分で自分が何かを語っていることに非常に驚ろかれます。

信次師は、無責任のようですが、義弟を支配している霊を見ることが出来られないので、義弟の口を通して語る事実を信ずる以外にはなかったというのです。 

 世の中には、霊媒とか口寄せとかありますが、信次師は別段、何も祭っていられないし、自宅の応接室で実験するのが常だったようです。

霊媒や口寄せのほとんどが祭壇を祭って、経を唱えたりすると、霊が出てくるようですが、信次師には道具も何も必要としなかったというのです。

また、信次師の家の代々の宗派はと言うと曹洞宗のようですが、その影響はみられないようです。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 39 八起正法先生編

    七月五日のこと。

 
 義弟の口を通して、
「この者が、四十年の二月、自動車事故を起こして七日間意識不明になっていた時、この者を助けたのはこのわしである」、

と重大なことを語り出し、義弟が中学三年の三学期に自動車とオートバイの正面衝突という事故で、意識不明になり死線をさまよっている時、義弟の口を通して語っている霊が協力して助けたと言うのでした。

 信次師の義弟は、その辺の事情をこう話していられます。

 
        義弟は語る
 
「私が交通事故から回復すると、兄のことがすべてわかるようになりました。ときどき兄が嘘をつく、それを私がわかるものですから、兄は私のことを「悪魔か」と言ったりしました。
ところが兄が悟りを開いたとたん霊能も消え私は普通の人間に戻りました」、と。 

 
       七月六日、
 
信次師は、自分自身で探究し続けてきた、「もう一人の自分」、を、ようやく発見できる段階へきたのです。
 

      七月七日の夜、

 
さらに、義弟を中心にして、信次師が実験すると、霊的現象はやはり起ります。

しかし、その夜の霊は日本人ではなく、昨日までの霊と違って言葉が通じないので、信次師が、
「昨日まで話しておられた霊と代って下さい」、
と告げられると、昨日の霊に代わったといいます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 40 八起正法先生編

    霊媒のカタチ
 
では、信次師の義弟の場合は、いかなる状態で喋るのかといえば、眠れる予言者と呼ばれたエドガー・ケーシと同じように、眠ったようにして霊人の言葉を伝えておられるようです。

要するに、ロスのアガシャ教会のリチャード・ゼナー氏や、サルバット氏のように、降霊会といわれるものは、ほとんど、この方法で行われています。


        信次師の今生の使命と目的
 

ところが、この霊現象から後の信次師の場合は、目覚めて行われていることが他の霊能者と最大の相違点なのです。

実のところ、これは極めて重要な意味をなすもので、この方法を背景に天上界はいったい信次師に対して、なにを要求しょうというのでしょうか。

それは、結論の早取りですが、これこそ、まさに、信次師に神理を説かせるための天上界の手段だったのでしょう。
 ズバリ、これこそ信次師の、この地上界に生命を持つ使命と目的なのです。
それから、また昨夜の霊が次のように告げます。

「私はあの世で修業の身なので、私の師を紹介しよう。アフリカで修行された偉大な方で、通称ワン・ツー・スリーと呼ばれる方だ。この方から学んで欲しい」、と告げたというのです。

次にワン・ツー・スリーという霊が信次師の義弟を支配して、外人訛の聞きとり難い日本語でゆっくりと語りますが、それでも聞きとりにくいので信次師は、念を押すように、
「ゆっくりと、正しい日本語で語って下さい」、
と二、三度言うと、霊は強い語気で次のように言います。

「お前は増上慢だ。自分さえよければ良いと思っている。自分の地位や経済のことしか考えていない。お前のような偽善者は人間の屑だ」、
と大変な叱りようだったというのです。

そして、さらに、
「信じなければ、お前の今までの不調和な行為を皆に聞かせてやろう。お前は十八歳の時、佐藤という女性に片想いをしたろう」、
等と、信次師しか知らない少年時代の想い出を指摘し、信次師の心の中に刺してきます。

そして、さらに
「あの頃の純真な心はどこへやった。まだ言ってやろうか」、
と念まで押したというのです。

 信次師は、
「はい、自分の今までの行為は、私が一番良く知っています。悪い点はなおしますから許して下さい」、
と言うと、ワン・ツー・スリーは、

「今のお前の心は、口惜しさで一杯なだけではないか、自分を改めるというが、心からの言葉ではない」、
とまで言ったというのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 41 八起正法先生編

信次師の義弟の口を通して語るのですが、義弟の芝居にしては出来すぎているので信次師は信じないわけにはいきません。

 するとその瞬間、

「信ずることは当然のことだ」

と思ったことが返事となって信次師の心にはね返ってきます。

まったくどうにもならないので、信次師は、意を決してワン・ツー・スリーに
「私を守っておられる方はどなたですか」
と勇気をふるって質問すると、
 
「それではしばらくまて」、
と。それから一分位して、フワン・シン・フワイ・シンフォーという霊が義弟を支配して、語り出した言葉は古い中国のそれのようだっ
たというのです。

 名前が覚えられないので信次師が
「もう一度、お名前を教えて下さい」
と二、三度くり返すと、

「この馬鹿め、お前のような愚かな者と語るのはやめだ。この馬鹿者め」、
と丁度、中国人が文法を度外視して語るように、片言の言葉で信次師を叱ります。

七月三日を境にして、信次師は食事ものどを通らない状態となり、普段の仕事も手につかず、信次師の従業員から仕事のことを尋ねられ
ても上の空で、精神的ショックとはこのようなことだろうと、常に他人が心の中に同居しているようで信次師はやり切れるものではなか
ったというのです。


 
  七月八日の夜がきた。
 
信次師が九時頃帰宅すると、応接間で、義弟の肉体を、ワン・ツー・スリーや色々な霊が支配している様子でした。

すると、信次師と顔を合わせるなり、
「私はワン・ツー・スリー、あなたは今まで何をしていましたか」、
と詰問します。

義弟は、いままでのように瞑想しなくとも意識を支配してしまっているのでした。

「はい、浅草の建設現場で打ち合わせをしておりました」
と信次師は答えると、
「また嘘をついている。現場には昼までしかいなかったはずだ」
と叱ります。

そして、パチンコをやり、タバコを三個とったこと、料理屋で芸者をあげて飲んだことや芸者の名まであげたというのです。

追求はまだ延々と続くものですから、信次師は仕方なく思うことも止めようとされますが、どうにもなりません。
そこで信次師は、
「見ざる、言わざる、聞かざる」、
を決め込もうと考えられたというのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 42 八起正法先生編

この三猿の教えは、天台大師智ギ(ちぎ)といって、釈迦の分身の天台智ギの教えであると信次師は明らかされていますが、心で思うことまで刺して来たというのです。

信次師は、エーィ、もうどうにでもなれと思ってソファーに坐っていられると、次にファン・シンフワイ・シンフォーがワン・ツー・スリーと代って信次師に次のように語り出しました。

「私はお前の守護霊だ。お前とは前世において友人だ。仏教を学んだ仲間でもある。私は、お前が地上界に生まれたときから守護していたが、お前ほど世話をかけた男もいない。今までの心構えでは地獄行きだし、お前の家庭も会社もすべて分解してしまうだろう」、と言うのでした。

前世で仏教を学んだと言っても信次師に全く記憶はなく、自分は日本人なのに、なぜ外人が守護しているのだろうと疑問に思われたというのです。

「どのように私を護っているのですか」
と尋ねられると、

「お前の善なる心の在り方を、お前の心の中で指導しているのだ」、
と告げ。

「本来なら守護霊などしたくもないが、約束をしたから護っているのだ」、とも。

 そしてさらに、
「他の霊と代わりたいくらいだ。約束をしなければ私がやるべきでないが、お前のような人間を護るには、きびしくやらねば仕方ないから私がやるのだ。今から三日間の猶予を与えるから悟れ、宇宙のどこへ逃げても、また死んでもつかまえてやるから覚悟して悟れ」、
と命じたというのです。

守護霊は、七月九日から三日間で、すべての方針を正せ、と期限をつけますが、信次師は何をどうして良いかわかりません。

自分のすべてが守護霊に一目瞭然であり、心を正すまで私達は眼を離さないとまで言ったのです。

信次師の悩みは並大抵ではなく、僅か四日で八キロもやせられ、食事ものどを通られず、家庭は凍結したような環境に変わってしまったというのです。


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 43 八起正法先生編

        七月十二日
 
 何んとかしなければならないと信次師はあせられますが、期限の日が来てもどうにもなりません。

信次師は守護霊への疑問を、高野山の修行僧に聞かれても、

「そんなことは聞いたこともない」、

と言われるので、仕方なく上野の寛永寺の門もたたいて、

「一番偉い方にお会いしたい、これこれの理由でぜひとも救って欲しい」、
と信次師が哀願されると、

「そのようなことは私には解らない」、とニベもありません。

そこで仕方なく、手が痛そうでしたから、信次師は、
「痛みをとってあげましょう」、
と一念力を集中して五分ほどで痛みを止められたというのです。
老師は、

「千葉の中山寺に行けば、わかるかも知れません、お行きになってみては」、
とアドバイスすると、信次師はタクシーで中山寺へ行かれ、山門に腰をおろして考え込み、思い沈んで自分自身のことを反省されるのでした。

あと期限は少ししかない。他人から満足な解答を得ることを望んだのは、自分からの逃避であったと信次師は思い返されたというのです。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 44 八起正法先生編

      心の船出
 
この一週間、信次師は、心は沈み自己を完全に失われますが、善なる行為を取り戻して、悪の想念行為を捨てるために心から反省されるのでした。

ワン・ツー・スリーもシンフォーも悪魔かも知れない、神が弱い人間をいじめるはずはない、今夜は、たとえ殺されても良い、もし彼等が悪魔であるなら、私が善に変えてやろうと、信次師は一大決意をされるのでした。

信次師はようやく心も落ちつき、ワン・ツー・スリーやシンフォーとの対決しかないと決意されるのでした。

信次師は、京成電車に乗り、国電に乗り換えて家に帰えられると、信次師の心の中にはおだやかさがよみがえってこられたというのです。

「今晩は殺されるかもしれない。どのような現象が起るかわからないが、もう大丈夫だ。彼等と対決して、もし悪なら善に変えてやろうと思う」、

と奥さまに決意を語られると、信次師の心の中からシンフォーの声がして、
「今のような心を忘れるな」、
と、言うのでした。。

奥さまは、
「お父さん、しっかりとした気持ちで再出発しよう」、
と励まされたのです。

しばらくすると義弟が帰って来られ、ワン・ツー・スリーが義弟の口を通して、シンフォーと同じことを言ったというのです。

そして、「今晩はお前の心が正しく変わったので、天上界では光に満たされ、お祝いがある。こちらでもお祝いしよう」、
といつになく慈愛に満ちた優しい言葉だったそうです。

こうして、信次師の家族は皆、新生一家のための心からのお祝いをされるのでした。

さらに、〃もう一人の信次師〃を追求して三十二年、遂に目的の一幕が開かれ、それからは、義弟からではなく、信次師に直接、ワン・ツー・スリーからもシンフォーからも通信されるようになるのです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 45 八起正法先生編

        義弟を通してアインシュタインの霊が
 
その後、義弟には、あの原子爆弾の理論になったアインシュタイン博士の霊が出て、極微の世界と極大の世界について説明を受けられ、
さらに、

「自然の法則こそが人間のあり方を教えている」
とも信次師は講義されておられます。

それから、指導霊のワン・ツー・スリーは正しい人生の在り方と、神の子の証しについて信次師に本を書くことを提案し、協力するとも伝えます。

 八月に入ると、さらに心という問題をくわしく説明したというのです。

信次師は、一カ月前にはあらぬ方向への探究をされていましたが、今は、もうすっかり心も晴れて、探し求めていた〃もう一人の信次師〃について解明もはっきりと目鼻がついたようでした。


このように、信次師が悟りを開かれたのは昭和四十三年七月十二日ですが、信次師は、弟子の村上宥快氏に、こう言っていられます。


「お坊さん、僕は悟りを開いたんだ。それは七月十二日です。今生のことや前世のことも、何んでも全て分かるんだ。悟りは素晴しいも
のだ」、と。

 また、弟子の渡辺泰男氏は自著にこう書いていられます。

「先生はそのときお寺の山門で考えられた。市川支部の地区座というのは、この山門から百メートルも離れていないところで行っておりましてね。ごく最近まで、今考えてみると嘘みたいなことなのですが、たった三、四十人の集まりに、わざわざ話しにおいで下さいまし
た」、と。


        アインシュタイン理論は間違いか?
 
先に、義弟にアインシュタイン博士の霊が出て来られたと述べましたが、これにもう少しつけ加えますと、信次師があるとき、アインシュタインの霊を呼び出していられると、

「私の相対性理論は間違っていました」、
と頭を下げ、

「真空は全くの空・真の空間ではなく、エネルギーに満ちた空間である」、
と訂正されたというのです。

最近は、宇宙エネルギーや霊性エネルギーと呼んだり、相対性理論に対して絶対性理論とも言っていますが、ともかく訂正したというのです。    
 
 また、渡辺氏の著書には、「あのときのテープは、ドイツ語と英語がチャンポンで語られていて、いまだに解明、整理がついていない」、
というのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 46 八起正法先生編

       昭和四十三年九月十八日
 
夜ともなると秋の気配があって、ソファーに坐っている妹さんを信次師が見られると、インドのピンクのサリースタイルをした美しい女性が蓮の華のようなものを左手にもって、頭を下げながら笑っていたというのです。

 次の日も同じようなことが起り、薄紅色の絹織物をつけ首飾りをつけている、二人の内の一人が妹にはいりたいと信次師に告げると、信次師の妹さんは少し不安そうでしたが了解されます。

それと同時に、妹さんは心眼が開かれ、霊視が利くようになられて、それから、妹さんは観音様の膝の上で一週間近く過ごされたというのです。

 信次師の妹さんは星○子といわれ、水産業従事者と結婚のち離別されているそうです。                        


                          
       信次師が明かされた妹さんの転生輪廻                   
 
BC七千年頃に、アトランティス帝国において、名前はフォロリヤーと名乗られ、
ついで、BC四千年頃は、エジプトにおいて、名前はアシカ・ミヨターといい、
BC五百年頃、インドに生まれ、名前はカリナ(ガランダ長者の末娘)と呼ばれ、
ACニ世紀に、イスラエルにおいて、名前は サフィであり、
AC五世紀には、中国にて、名前は「林蒋」といい、
その後、二度日本に生まれ、現代は信次師の妹の星○子氏と、信次師は言い残していられます。                               
唐突ですが、この項に関係が深いので空海弘法大師)について述べましょう。


  空海弘法大師)の転生輪廻
 
BC五百年、今から二千五百年前、古代インドのお釈迦様の時代に、名前はガランダ長者という金満家がいまして、お釈迦様の釈迦教団に、布施したり精舎を建てたり、なにくれとよく面倒を見ていたそうです。

 その人が五世紀の中国に生まれ変り、名前を中蒋といいます。

更に、その人が七世紀の日本に生まれ変わって、空海、つまり弘法大師となるのです。

空海は、お釈迦様の分身である最澄と、共に渡唐しているのも何か縁が感じられて興味ありますが、これを述べた上で、信次師の妹の星〇子氏の過去世「林蒋」を思い出して下さい。

次は、星氏に大いに関係のある日蓮の魂の系譜について説明します。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 47 八起正法先生編

    
   信次師が明かされた日蓮の転生輪廻

 
ここでもう一度、簡単におさらいをしますと、ガランダ長者は、BC五百年にインドに生まれ、その後、中蒋として五世紀の中国に生まれます。

五世紀のこの中蒋には、姉の林蒋と弟の吾蒋という二人の子供がいまして、弟の吾蒋が、その後、日本に生まれ変わって日蓮に生まれ変わったというのです。

日蓮の生命の系譜をたどって行きますと、空海に行きつき、日蓮空海の説いた真言密教を、あの鎌倉時代真言亡国、つまり真言密教は国を滅ぼすと盛んに批判しますが、その後におよんで、光の使者ともいえる宗教人が僧兵となり、権力に組み従えられ組み込まれて行く姿が、菩薩界の光の天使・日蓮には、心の内底からどうにも我慢できぬものがあったのでしょう。


信次師は講演の中で日蓮についてこう語っていられます。


日蓮はその気性の荒さから他宗を批判してメッタ切りにした。真言亡国、禅天魔(禅をやっていると魔に犯されるの意)等という辻説法を展開した、それらを反省して、六百年間苦界に身を沈めたのである、」と。


 また、別の講演では

日蓮はその責任を負って苦界(地獄界)に身を沈めますが謙虚で、あの世で知らない人はいませんね、創価学会でやっているようなものではありませんよ」、とあります。

日蓮が中国時代の姉の林蒋との魂の系譜に行き着くとは不思議ですが、次に、信次師の妹さんで、かって林蒋であられた星○子の文を挙
げてみます。            

 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 48 八起正法先生編

   
  「慈悲と愛について」   星○子
 
「読者の皆様は、愛という言葉をよく聞いておられるし、又、実行しておられると思いますが、先づ男女の愛について、ふれてみたいと
思います。 
人間がこの世に出生する時、人は実在界において生活していた…云々。… 

日々の生活に励んで下されば、皆様方の守護霊を通じて、生活そのものに大革命がおこる筈でございます。」、
と。      

                             
      九月二十三日
 
信次師の中学時代の学友の佐藤氏(前述・信次師の傍に出すことになった魂の友人)が、親しい友人のK氏を信次師に紹介されます。

 ところが、二人の背後に、金色の光に覆われているインドスタイルの守護霊がはっきりと出たというのです。

二人の守護霊同士が、互いに話をしているのが、信次師には見えます。

 しかし、信次師の指導霊・ワン・ツー・スリーが、
「過去世の名前は教えてはならない」、
と信次師に注意すると、信次師は、

「なぜ自分の周辺ばかりに、このような現象が起るのだろう」、
と疑問を持ち始められと、

「核という中心になるものがないと形は成り立たない」、
と言ったというのです。

また、モーゼの十戒の成り立ちや偶像崇拝の間違い、ゴーダマやイエスの時代の神理にもどることが、人々を救う唯一の道であるとも説明します。

こうして信次師は、日中は会社、夜は原稿書きと多忙な毎日が続きますが、この執筆は心の教えでした。

 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 49 八起正法先生編

       土曜会のこと
 
この頃から「土曜会」と称して、信次師は集まって来た同志達に神理の言魂を説かれ、同志達は土曜日の夜を楽しみに多く集まって来ますが、それがたびたび深夜まで及ぶと、それからは時間が早く切り上げられることになって、午後七時より十時までとなりますが、この会は、誰から言うともなく自然発生的に出来上がって行ったのです。  
九月頃から良く姿を見せていた、一人の仏像のような美しい女性が信次師の前に現われます。

「私は、ミロク(弥勒)と申します。しばらくでございます。」、と。

彼女は、信次師の奥さまの守護霊であると紹介したのです。

奥さまの一栄氏は二十数年間、信仰には余り関心がありませんでしたが、インドの時代の経文となって、信次師が朗々と声に出して唱えられると、一栄氏の心は、神理の光に照らされて、大粒の涙がとめどもなく流れるのでした。


信次師はさらに、
「今日から一週間、午前一時から二時まで屋上に出て今までの人生を良く反省して心の調和を計りなさい」、
と注意されるのでした。

 
        十月二十三日夜
 
しかも、信次師が奥さまに、調和の光りを与えられたところ、遂に守護霊が直接支配して、語りはじめたのです。

「私はミロク菩薩と呼ばれているものでございます。ご本体の心の眼が開かれましたので、私が守護霊をつとめさせていただきます。」、
と、驚くべきことを告げたのです。

次に、一栄氏の魂の系譜を述べるとこうなります。

 

     奥さまの一栄氏の転生輪廻                             
 
BC七千年、今から九千年前にアトランティス帝国に生まれ、名前がナーダリヤという、BC五百年にはインドに生まれ、名前がマイトレーヤー(死後ミロク)と呼ばれ、十五世紀には、中国に生まれ、名前はガランといい、現代は信次師の奥さまの高橋一栄氏です。


 次は一栄氏の記述を挙げましょう。                                             
 
    「行ずることの真意」  高橋一栄

「私が霊道を開いたのは一昨年の十一月(昭和四十三年)。この正月で、丁度一年と一寸になります。

この間、いろいろな体験をしましたが、昨年の八月頃だったと思います。

私は、仏教でいう苦集滅道の苦をなくすには……云々。

己を静かにみつめ、静かに行動してゆくことも、一つの悟りの方法だと思うのでございます。」、
と。 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 50 八起正法先生編

      十月三十日


 
霊的現象が起ってから記述されてきた、「大自然と生命」に関して、信次師は指導霊の意見を聞くことになります。

信次師の前には、ワン・ツー・スリーが立っています。

身長二メートル以上もある大男で、両腕に腕輪、頭には黄金色の戴冠(ティカラー)をかむった古代エジプトの王様のようだったというのです。

もう一人のフワイ・シン・フワイ・シンフォーと呼ばれる信次師の守護霊は、あごひげを短くのばした、血色の良い、一メートル七〇センチ位でエジプト人のスタイルで麻のような白色の着衣で腰をヒモで結んでいました。

二人は信次師の読む人の道を黙って聞いてから

「今、あなた大丈夫、私もう必要ない、嬉しいような、淋しいような、私涙でてくる。」、

と涙を流して語り、守護霊も眼頭を押え、信次師も、また涙がこみあげて泣き出してしまわれます。

こうして、地位も名誉もお金もいらぬ、いつ死んでもいいと、すべての執着心を捨てられた七月十二日から、信次師は、百八十度人生の考え方が変わられたのです。

 

  信次師の守護霊はイエスさま、指導霊はモーゼさま


 
しばらくたってから、指導霊のワン・ツー・スリーはモーゼさまであり、守護霊のフワン・シン・フワイ・シンフォーはイスラエルに生まれたイエスさまであったと初めて明らかにされたのです。

「イエスと言えば、あなた聖書暗記してしまう、間違いこわい、あなた人の道わかった。今、伝える」、
と告げるのでした。

二人はもう大丈夫ということで信次師に本名を教えたのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 51 八起正法先生編

      天上界での講演

 
 昭和四十三年十一月二十四日午前一時

信次師は今までの人生の在り方について、思ったこと行ったことの一切を、八正道という心の物差しではかり、誤った原因を追及されす。

心を正し終わられると、身体がゆれ始め、胸のあたりが暖かくなり、やがて「もう一人の信次師(光子体の信次師)」が身体の前に飛び
出されるのです。

もう一人の信次師が、ドームの中に入られると、ワン・ツー・スリーが迎えに来たというのです。

野外の広場は広大で、スロープは無限に続き、そこには様々のかっこうをした人がいて、古代インドやエジプト、キリスト教の制服の人等の万国の人が何万となく整然と並んでいたそうです。

信次師は、ワン・ツー・スリーの指示に従って「物質と生命」という題で、一時間半ほど講演されると、みな胸には、信次師の日本語が自国語に変わるマイクロホンのようなものをつけて、真剣に聞いていたというのです。
 

        モーゼさまが起こした地震
 
そして、「もう一人の信次師」の講演が終わると皆が万雷の拍手を浴びせ、さらに「もう一人の信次師」が肉体にもどると、震度3ほどの地震があったというのです。

 信次師は地震の洗礼を受けられていますが、講演の中でこう話していられます。

天上界での講演が終わると、モーゼは信次師に、心配するなよ、弱い地震を起こすから、と事前に聞いていられたというのです。

地震をモーゼさまが起こしたと聞けば、皆、驚いてしまうけれども、地上の人々の心が欲望に溺れ、破壊と闘争に流されると、地震
天変地異も自由自在です、」
と信次師は講演の中で言っていられます。

 信次師は、奥さまを起そうとされると、
「今、あなたの講演を聞いておりました」、

と同じ情景を話され、信次師の家に集ってきていた人々の中で、すでに心の窓を開いている人は、すべて講演を聞いていた、と信次師は報告されています。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 52 八起正法先生編

信次師が、天上界で講演をしたそのときの司会はモーゼさまで、その前にミカエルが講演したというのです。


信次師が、天上界で講演をしたそのときの司会はモーゼさまで、その前にミカエルが講演したというのです。

さらに、信次師が亡くなる直前の一九七六年(昭和五十一年)六月五日(二日目)の研修会では、こう講演していられます。


「心行というものの成り立ち、現代は、ミカエル大天使が持っていますが、その中をめくって見ますと驚ろいてしまいました。

「我、見聞し正法に帰依することを得たり」、
という最初の出だしが、

「我正法に目覚め正法流布のために一命を投げ出す」、
という書き出しで、

その最後が
「禅定三昧の境涯に到着せん」
と全く同じです。

そして、私のは地球的に書いてありますが、天上界のものは宇宙的で、ホンのわずかしか違っていなかった。
ですから、私は書かせられていたと言うことですね。

 現代もミカエルといわれる大天使が、丁度この位(二?三十センチの立方形 ビデオより)の本にして、私自身が出てくる前の計画一切、現在も書かれている本、将来も出す本、それに記録されてあります。

実はそれは私ばかりではなく、皆さん自身の心というものをヒモ解いていけば恐らく計画書があるはずです。」、
と。


要するに、信次師は天上界に見本となるものがあって、書かされていた、と言い切られていますが、流石に、人類を教え導く覚者の姿勢を垣間見れたようで、著者がこの本を世に出して読者に広げねばという、原動力となったのです。

それ故に、この正直で立派な態度に敬意を表すると共に。さすがに真のメシヤであると大声したいのです。

ところで、話しは少し外れますが、信次師は悟りを開かれたのが昭和四十三年(一九六八)で、明治元年(一八六八)から丁度、百年ですが、こじつけかも知れませんが不思議です。

同じくこの年、信次師は、
「正法は東京から関西へ、そして九州へと移り、九州で燃え拡がって、それから逆に九州から関西、関東へと移り、ついに、アメリカに渡り、アメリカで燃え拡がった後、日本へ帰ってきて、日本全体が知ることになる」、と予告されています。 

 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 53 八起正法先生編

      集まり来たる縁生の弟子たち                            
 
信次師は、昭和四十四年(一九六九)二月の東京の講演会で、
「やがて、私達の仲間が関西からグループとなって現われるだろう」、
と予告されています。

 さらにまた、
「天上界へ行きますとね、全体が見下ろせる。そうすると、私達のグループが何処へ出ているか、皆わかる。あの世で約束して出てきているんですからね」、
と。

それでは、この時期の信次師の周辺から、A・チカ氏の手記を紹介しましょう。               
 
       三月
 
「知人の誘いで先生のお宅をうかがったときのことです。
長男をつれて二階の応接室へはいりますと、厚手のセーターを着込み、ズボンも高価なものとはいえません。
 光を入れ、先生は何やら唱えておられましたが、「もう心配いりません、大変でしたね」、
と、十七年間の病苦から解放されたのです。

一年になりますが会社も休みません。私も霊道をひらかせていただきましたが、カピラ城(釈迦の育った王宮)で配膳係だったそうで
す」、
と書かれています。 
 

         四月

 
浅草の建設中のビルも完成間近かで、毎土曜日の勉強会に集まって来る人は百名ほどになり、信次師の家にははいりそうになかったので、ひとまずビルの三階を解放されて精神復活運動に提供することになります。

三、四百人ははいるでしょう、信次師は、はじめ、一階と地階は飲食関係、二階と三階にサウナと超音波風呂のつもりだったようですが、指導霊に

「身体のアカを落すところはどこにでもある。使命を忘れては困る。お前の出版した本を通して多くの人が集ってくるだろう。」、
と諭されて、百八十度転換、心の垢を落とす場所とされたというのです。

 ここは、浅草の地下鉄の出入口の上にあって大変便利で、八起(やおき)ビルといいます。

エス様の忠告によって十字架を入れて補強しているので地震にも強いと、講演の中で話していられますが、。指導霊の注告によって計画を転換されたことは述べましたが、その時のはなし。
   


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 54 八起正法先生編

         計画中止のこと
 
信次師は迷われると、モーゼの霊が強い口調で、
「強行するならそれでも良い。一人も客が入らないようにしてみせる。嘘と思うなら明日、見ていよ」、
と自信を持って言うのでした。

翌日、信次師は見ていられた。

すると、前を通る筈の人がビルの近くまでくると、全員そっぽを向いてビルの反対側を歩いて行ったというのです。

信次師はこれでは本当に客は一人も来ない、と諦めざるを得なかったらしく、本当に困られたことでしょう。
 

 

         浮浪者のこと

   
そういうことがあって後、いよいよビルの鉄骨が組み上った頃から、六十位の乞食が三階部分に住みついたというのです。

すると、その乞食が仲間に、
「あそこの管理人になるんだ」、
と言いふらしているのを信次師は聞かれます。

 ある日突然、温泉旅館から電話がきて、
「お宅の社長さんがお金を持って来いと言っておられますが」、
と。

信次師は不審に思いながらお金を持って行かれると、仲間を五人連れて豪遊していましたというのです。

どうして、こんなことになるのだろうと、信次師は禅定・瞑想をして、過去の意識をヒモ解いてみられたというのです。

すると、お釈迦さまの時代、乞食のじいさんは衣類の行商で、竹林精舎の前を通るとき、いつも衣類を布施しておられたというのです。

そこで、信次師は、
「まあ、お世話になったんだからこれも仕方がないネ」、
とニコニコしながら楽しそうに話されていたというのです。

それから、その人は本当に管理人になった。

 さらに、もう一つあります。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 55 八起正法先生編

   ケチにつける妙薬
 
 この八起ビルの二階にS医院がテナントでありまして、一流企業の副社長が診察を受けられます。

「うちの家内は浪費癖で困る。それに効く薬はないものか」、とS医師は相談を受けられたというのです。

奥さんは有名企業の娘さんで、毎月の請求が二、三百万。そこでS医師は、
「そうだ!いい薬がある。この上に高橋という先生がいる。その人の話しを聞くことです」、
となります。

しばらくしてから、上から下まで着飾った婦人が、信次師の所へ来られたそうです。

「ウチの主人はケチでケチで困るんです。ケチにつける薬はありませんか」、と言われる。
その婦人は、しきりに指を動かすと、キラキラと光って、立派な指輪を認めて欲しいのだな、と信次師は考えられた。

「りっぱな指輪ですね」、
と褒められるとその婦人は、
「これ〇カラットですのよ。差し上げましょうか」、
と、なり、

「いただいても隅田川に捨てるだけですよ」

「まあ、勿体ない」、
と。

それから信次師は、足るを知ること、お金持ちの使命は、困っている人に手を差しのべること等をこんこんと諭されたというのです。

信次師は講演でこうも言っていられます。

「女性はせいぜい菩薩界まで。女性は、ネックレスはしたい、イヤリングはする、このように本質的に身を飾ろうとする。
赤ちゃんを生み育てるので、女性はどうしても保身、保守的である。
その点、如来は身を構わない、どのような服装でも気にしない、だから女性はせいぜい菩薩界まで、でも菩薩になるためにはなかなか難
しい」、
と。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 56 八起正法先生編

        妻への心構え
 
これに対して、お釈迦さまやイエスさまが言われる
「夫の妻に対する心構え」
が教えられるところでは、
「妻を尊敬する、軽蔑しない、道からはずれない、妻に権威を与える、装飾品を与える」、
ということになるようですが、いくら飾り物といっても、それはほどほどに。ダイヤモンドより心の錦でしょう。
 

      アントニオ猪木氏のこと
 
さらに、信次師にかかわる話しをもう一つ話します。

佐藤氏は、プロレスのアントニオ猪木氏を、信次師に紹介されます。
例のモハメ・ド・アリと一戦の前のこと、信次師は暫らく瞑想をした後に、アリキックを伝授して、結果はあの通り引き分けていられるのです。

 信次師はアリの守護霊(アリの過去世、アリの魂の兄弟)に弱点を聞かれて、アリ・キックを伝授されたといわれています。
それでは、猪木氏の自伝から、どう書いておられるか見てみましよう。 

「肩の調子がひどく悪い。力が入らなくて、コップも持てない状態だった。世紀の一戦にこれでは、大恥をかいてしまう。

そんなとき、数寄屋橋のビルのオーナーで佐藤という人が、高橋信次という人を紹介してくれた。
大変、効果のある治療をしてくれるという。

藁にもすがる気持ちで、教えてもらった事務所を訪ねると「GLA」と書いてあった。

初対面の高橋氏は突然、ギリシャ語だとか、古代何とか語を語りはじめたのだ。

そして目を開くと、
「アリの守護霊は物凄く強い!」、
と言うのである。

「これは希に見る物凄い守護霊だ。猪木さんのも強いが、大変な闘いになります。いいですか、絶対にパンチを食らってはいけません。
もしパンチを食らえば一発で目が潰れます」

ちなみに高橋氏は試合の前日に亡くなっている。

高橋氏の治療が効いたのか、肩の調子もよくなって来たので、私はトレーニングに打ち込んだ」、
とある。

さらに、猪木氏は日蓮宗の権大僧正に相談されると「アリの腕より長いもので戦え」とアドバイスをくれたと書いておられ、ともかくも猪木氏は、リングに寝転がった状態で、長い足を使ってアリの脚部を徹底的にキックで攻め、世紀の一戦に引き分けていられるのです。

それは昭和五十一年六月二十六日のことで、信次師昇天の一日後のことでした。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 57 八起正法先生編

     四月八日
 
信次師は、大宇宙神光会(GOD LIGHT ASSOCIATION・GLA)という名称で立教。

もっともなことながら、発会式の講演で信次師も上ってしまわれ、指導霊のモーゼが一時間半、
「仏教の歴史的変遷」
ということで代講したというのです。

ユダヤ教の基礎をつくったモーゼがなぜ仏教の歴史を講演か、と思われる読者も多いと思いますが、それは当然でしょう。

では、なぜそうなったかと申せば、モーゼは、モーゼ以後、天上界から何千年もの間、つぶさに全部見ていたというのです。
サテ、それからどうなるかと申しますと 信次師が教団を開いてから、これを境にして多くの人々が集まってくるようになり、宗教家も
様子を見にくるようになったというのです。

 
      はじめての持出しの講演のナゾ

 
信次師が立教されてから、はじめての持ち出しの講演は、山梨県下部温泉にて、講演「物質と生命」だった、と弟子の渡辺泰男氏は

『道しるべ不動心への道』に記述されています。

これに対して園頭広周会長は、月刊『正法』百十四号に、全国の中ではじめて講演されたのが、岩手県盛岡の健保会館であったとあり、その中で園頭会長は、次のように記述されています。

高橋信次先生が、まだ悟りを開かれる前、肥料の商売をしていられて、肥料代を集金に盛岡に来られた。その時、泊られた宿が、今はホテルになっている。なかなか金をくれない、一週間泊っていられるうちに金は底をつき、帰りの汽車賃も借りて帰られた」、というのです。

 さらに、昭和四十三年より正法に帰依している盛岡のTさんは、次のように園頭会長に話しておられる。

「あと三百年位すると、東北地方から北は、人が住めなくなるほど寒くなる」、
高橋信次先生が話しておられた、と。

しかも、Tさん一族が主となり、最初の講演会を一切、取り仕切って準備をされたというのです。

もし、最初の持出しの講演会が盛岡とすれば、信次師の最期の講演が盛岡(昭和五十一年六月四?五日)だったとは、こじ付けかもしれませんが不思議といえば不思議といえるかもしれません。

さらにこの頃(昭和四十四年四月)、信次師はこうも言っていられます。 

信次師の奥さまの一栄氏に、結婚前、自分の全生涯の予告をされたと著者は述べましたが、立教当初のこの頃から、

「僕は、四十八歳までしか計画してこなかった」、
と聞かされた弟子達は、当初、何のことか理解しかねていたようですが、信次師が亡くなってみて、その意味に改めて驚いていたという
のです。

 また、
「結婚は陰陽の調和である」、

「反省は根っこからその原因を取りなさい」、            
「まず神の子の自分に立ち帰り、今を正しく生きるように努めることである。運はそうした中から開けてくる。」、

「男は現実社会の改造を担当し、女はその子供をどういう子供に育て上げるかということを通して、未来社会を建設するのである」、
と。 


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 58 八起正法先生編

       五月
 
     N・T子氏のこと、
 
信次師の力によって霊道を開いて、一万二千年前のアトランティス時代から男に生まれたり、女に生まれて仏教やキリスト教に縁があった人ですが、この頃、信次師の講演会、研修会に華々しく登壇されていたその人の後日談です。

「私は、高橋先生の力によって霊道を開かせていただき、転生輪廻の証明役として過去世の〃ことば〃を、皆様の前で語りました。

ところが、いつか私は先生と呼ばれるようになり、全国から手紙をもらうようになりました。私はただ一人の主婦でございます。このようなことで皆様を誤らせてはいけないと考え、身を引いたのでございます」、
と話されています。


信次師の力で心の窓を開いたのに、霊道をひけらかし増上慢になってしまった人の多い中で、まさしく霊の段階を思いしらされる事実でした。

それと同時に、この例を挙げたのは、人間は男として生まれたり、女に生まれる場合もあるという一例でもあります。


         
     男と女
 
人間は、お釈迦様やイエス様のように、いつも男として生まれる人、マリヤ様やマヤ様のように、いつも女として生まれる人、それに対して、この例のように男として生まれたり、女として生まれたりする人がいます。

それは、永遠の生命として人間が、男と女のどちらを多く体験したかによって、
男らしい女、
男らしい男
女らしい男
女らしい女
がいるということです。
だが、今世は男として生まれたからには男の使命が、女として生まれたからには女としての使命があるのですから、男として生まれていながら、めめしく失敗した人は、来世もまた男として修業のやり直しをすることになるというのです。
女性の場合も、また同じです。
男は男らしく、女は女らしくあるのが神理にかなっているというのです。 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 59 八起正法先生編

    
     八月

 
   植物の精との会話
 
故郷の佐久高原で、信次師がグラジオラスやダリヤを眺めていた時のことでした。

すると、大人とも子供ともつかない愛らしい少女が花の中から出て来て、にっこり笑って頭を下げ、そして人間を少し批判した後、消えていったというのです。

また信次師には、これ以外に藤や松の木の精の記述もあって、松は老人のような年老いた精だったそうです。


 
      グリーンサム
 
世の中には、グリーン・サム(みどりの魔法の手)といって、植木や植物に優しく語り掛けて、育てている人の噂を聞いています。

 精が居るのなら、当然、聞き届けてくれるのもうなずけます。

 これは、そういう優しい人達に、力強くも嬉しい言葉になるに違いありません。
さらに、植物ではもう一つ、それは人格測定機のことです。


 
      人格測定機

 
人間性測定機とも表現して良いのですが、ともかくその器具というか機器の前に、応募者を坐らせて、データを見ながら採用を決定する、という夢の面接が出きることになるようです。

これは、信次師によると、植物の細胞を応用することになるようですが、最初に政治家を立たせて、戦争を計画するような人を、即刻はねるという夢の判定が出きるのです。

静かで、もの穏やかな植物さんなら、さぞかし適切な判断を下してくれることでしょう。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 60 八起正法先生編

      十月
 
    身体の透視
 
信次師が心眼でよく見ると、内臓が構造図のようにはっきりと出て、癒着している立体図が見えます。

「あなたは、来年の二月中には、今までの苦しみから解放されるでしょう」、と。

その予告通りになったというのです。


 
         同じく十月
 
東京・高田馬場観音寺に於ける講演   

 演題「生命と物質 すべての中心は心」
 

講演の要旨は、

地上の目的は調和にある。

神仏はエネルギーそのもの。

人間は核を中心に五分身から成る。

インド時代の現象が現われる。

肉体を焼けば三合の灰になるというが死なない魂。

転生輪廻を続ける生命、

等について語られ この日の講演の出だしは、こうでした。 
                                
「この世に生をうけ、まず私達が疑問に思うことは、何のために肉体を持ってこの世に生まれてきたかであります。しかし、その本論を述べる前に何故に云々。……大宇宙そのものであることを忘れてはなりません。」、と。


       十一月

 
マイトレーヤー(信次師の奥さまの高橋一栄氏)の従兄であったピンギャーが日本人として生まれているのが判明。 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 61 八起正法先生編

     
    十二月
 
 S氏(工学博士)の手記

  「信じがたい事実」

この驚くべき事実を要約してみましよう。  
      
 S氏は、昭和四十二年、八月から九月にかけて、ジャワ島で金山の調査をされた。

ジープ数台に機材をつんで、二十五ケ所から試料採取を行うと、平均六g/屯という結果でした。

四十三年十二月、S氏は知人と、信次師のもとを尋ね、山の写真と簡単な地図を持参して見せられた。

話しをひと通り聞いた信次師は、一、二分瞑目したと思うと、合掌した手が頭の位置へ上った時、コロコロと三個の鉱石が落ちてきた。

すると、すかさず信次師はこう言われたというのです。

「日本円にして一億円、日本人技術者十名、現地人五十名、その他発電機、採掘用トレーラー、同ショベル等を準備すれば可能です」、とアドバイスされます。

S氏は、その三つの鉱石を実物大のカラー写真におさめ、証拠づくりをして、わざわざ東京通産局まで持ち込まれて分析を依頼されたというのです。

すると、その分析結果は、一つは二七・五g/屯、あとの一個は〇・三g/屯、最後の一個は証拠品として自分の手許においているので、お見せしますと記述されています。

鉱石の物質化現象が起こり、目の前で三個の鉱石がコロコロと転がり出たというのです。

信次師の奇跡は、その現場そのままの鉱石であり、金の分析も出きる程に、真実そのものでした。

一方、動物霊や暗い人間の霊の協力する物質化現象は、銅や亜鉛を主体とするもので長くその状態を留めることは不可能だと言われています。

派手なおべべを着て灰を出したり、手のひらに乗る、金色の小さな多重塔を出す人が外国におられるようですが、これらの霊能者といわれる人を正しく見て欲しいのです。

ところが、このS氏には後日談がありまして、信次師は

「私は裏切られました。大事に保管されていた鉱石は悪用されては困りますから、私の霊力によって消しました」、と、園頭広周会長へ告げていられます。

S氏は、信次師存命中にGLAを去って、他の教団へ移籍されたようですが、勧誘の手紙を送りつけられた園頭会長は、苦々しくしておられました。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 62 八起正法先生編

  

   昭和四十五年(一九七〇)(信次師四十三歳)
 


            五月、

 
  川越市の大野〇子宅に起った実話。


     絵から飛び飛び立ったクジャク 
 
大野〇子氏は、イエスさまの弟子である、パウロの母親としての生命というのです。

 それは、故永田春水画伯の四日の葬儀の日の出来事でした。

 その日は、丹精こめて書かれた孔雀の掛軸が棺のそばに掛けてあったというのです。

 大野〇子氏の、隣りの奥さんの話しでは、

「不思議なこともあればあるもの、四日の朝、七、八羽の孔雀が私どもの庭におり立ち、やがて先生の庭に飛んで入り、桜花の中をゆっくり三回歩いて回り玄関の前でひとしきり鳴くと、いずことなく飛んで行きました」、
ということでした。

さらにその日の夕方、茨城の大野氏の弟さんの家に、一羽の鳩が舞いこんできて、家人の手や肩に乗り、頬をついばむばかりか、なかなか立ち去らず、皆、口々に、おじいちゃんだ、おじいちゃんだといって、なつかしがった、というのです。

こうしてみると、名人の描いた絵の中から鳥や動物が抜け出した、というのは本当かもしれません。

匠の手になったものは、こういう不思議なことがあるのでしょうか。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 63 八起正法先生編

      
       五月

         
    内臓の透視
 
信次師のもとへ、一人の青年が青い顔をして訪ねてきました。

だが、その青年はというと、信次師の前に坐ったきり一言も喋らないで、信次師の顔をじーっと見ているばかりだったそうです。

 ところが、

「私は胃腸です。この方は暴飲暴食で、時間もかまわず、絶えず食糧を送りこまれるので困っております。
 私達は休んでコンディションを整えなくては大変なのです。
 すみませんが、この方に腹八分ということを教えてやって下さい。」、と胃腸が語り始めたというのです。

そこで信次師は、青年にこんこんと説き聞かせて注意を促されていますが、胃腸の意識が語り出したというからには。余程のことだったのでしょう。

信次師も、
「このようなことは珍しいことだ」、
と記述されています。

 また、講演の中で、信次師はこうも言っていられます。

「心臓殿が(笑い)私に言いました。
あなたの過去世の体験をヒモ解いてみると、コーカサス時代は腹六分でした。
 そのときあなたは百八十五歳まで生き、当時の人は二百年、三百年と長寿で、
もっと前は五百歳、千歳は当たり前のことでした」、
と信次師は明らかにされています。

五百年、千年なんて!と皆様は思われるでしょうが、最近の心ある医者が言われることには、現代は飽食ゆえに短命になってゆくので、食事を一回くらい抜きなさい、と。

戦争で満足に食べられなかったことが、今の長寿世界一に?という人もいられて、今どきの子供達の時代はわかりませんが、ある人はこう言っていられます。

一日百五十キロカロリーもあれば生きれると、まさに、これは現代の十分の一ほどのカロリーです。

 
        八月
 
先に出ましたが、十ページばかりの機関誌『ひかり』が発行されます。

一部引用するとこうなります。
ノアの箱舟現象は、地球上に人類が
住むようになってから何回となく、くり返されてきました。 云々。
 しかし、人類が独占欲、支配欲に心を傾斜させてゆきますと、その反作用として、それこそ、突如として天変地異が襲ってくることを
予言しておきましょう」、
と記述されています。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 64 八起正法先生編

        八月日付不詳
 
   講演「生い立ちよりGLA発足まで」東京

この講演は日付けがわかりませんが 残されている録音テープの中で、最も古いとされています。  
 
       八月十五日?十七日                    
静岡県藤枝市で第一回研修会開かれ、この研修会にて十三歳の中学生二人が心の窓を開きます。

この日の講演では、
「霊道が開かれたことが悟りではなく、正法への一頁であるにすぎない。そして永遠の生命を悟るための実証であろう」、
と信次師は講演していられます。  

 
 
        十月九日 
 
    講演「正法と科学」東京

 
       十二月二日

 
創立時の「大宇宙神光会」を、GLA(GOD LIGHT ASSOCIATION)に改称されます。  
                 
さらに、一九七〇年(昭四十五年)の一年間で、七十名近くの人が霊道をひらき、生活に生かしている、と信次師は報告されています。


 
     この頃の信次師の周辺から        
 
佐藤○忠氏は、信次師と知り合われたのは昭和四十五年でした。
東京ゆかた社長の河合氏の紹介で信次師を尋ねて、ホンモノかニセモノかこの眼でたしかめようというのでした。

事務所の入口には「神光会」という看板があって。信次師は、
「佐藤さん、ぼくをためそうと思ってきたでしょう。それでいいのです。大いに疑問をもってください」
と言われています。

さらに、佐藤氏が次点に泣き、選挙違反で秋田刑務所にいられた時のことを、こまごまと指摘、佐藤氏は、度胆をぬかれてしまったとい
うのです。

それは氏しか知らないことでした。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 65 八起正法先生編

  

   ヤシカのこと
 
 佐藤氏はある人を伴って信次師の講演会場を訪ねていられます。

それは、当時世間を賑わせていたヤシカの七億円不明金のことでヤシカの創業者である〇島善政社長と一緒だったのです。


すると、信次師は課長以上の名を書いて下さいと指示されると、
「この人です」、
と。〇島社長は、

「その男にかぎって」、
と反論されますが、まさしくその男だったというのです。
更にもう一つ、


     
     京王プラザのこと

 
新宿に京王プラザが開業する前、佐藤氏はI社長を信次師に紹介されたというのです。

すると信次師は、
 「 展望台をつくりなさい…海外の農協の客をとるように…と、こまごまと指導して、それに沿って方針が立てられ成功している」、と
いいます。

 また、佐藤氏が信次師の事務所を不意に尋ねられたとき、
「お父さんに会いたくはありませんか」
といわれるので、信次師の妹さんを霊媒にして実験することとなり、そのとき佐藤氏のお父さんは、
「○忠! 苦労かけてすまない…」、
と、なります 。

 さらに、氏はこう書いていられます。
「父と話しているとしか思えなかった。現に父の声である。ショックな体験だった」、
というのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 66 八起正法先生編

      松下幸之助氏のこと(パート1)
 
そして、佐藤氏が大森の信次師の自宅を尋ねられた時、松下幸之が、小学校という学歴でなぜ、あのようにと信次師にぶっつけてみられたというのです。

 しばらく目をつぶって、
「ルカ…ルカ…佐藤さん、ルカという人がいませんでしたか」
と信次師は言われた。

そこで佐藤氏は、
「キリストの弟子の一人でルカ伝もある」、
と答えられた。

すると、信次師は、こう断言されたというのです。

「人類を救おうという…使命をもって生まれたのです。それにはまず、この人を経済的に豊かにしてあげようという神の意志なんです。
 一人の人間の力で、こんなに成功するわけがありません。でも、松下幸之助さんはそのことをわかっていないし自分の使命についても知っていない、悟っておらんと申しております」、
と。

「教えてやりたいですね。松下幸之助に会ってくれますか…」、
と、佐藤氏が勧めると、

「時間さえ折りあえば、会ってもいいですよ」
と信次師は言われたというのです。

そこで、佐藤氏は翌日、さっそく松下氏に会見を求められ、大阪のロイヤルホテルが指定され、そこで、氏は信次師の予言の内容をことこまかに話されると、すると松下氏は、

「ほんとですか、はは…、私がルカの生まれ変わり?光栄なことですな…」、

「一度、この高橋信次さんに会っていただけませんか」、
と佐藤氏が頼まれると、

「いや、私も会いたい。その方にぜひ紹介して下さい」、
と答えられたというのです。

 松下氏は半信半疑のようでしたが。それでも松下氏は、
「ぜひその方に、お会いしたいです…」、
と言われたといいます。

 さっそく帰京した佐藤氏は、信次師にそのことを伝えると、
「喜んでお会いしますよ。でも松下さんは、まだよくわかっておりませんね…」
と言われたというのです。

佐藤氏は松下氏の秘書と、信次師の会う日時を何回となく連絡されたが、結局、機会が見つからないままに不帰の人になってしまわれたそうです。

これは、とってもセンセーショナルなことですが、佐藤氏が信次師の妹さんを霊媒にして、というのがありますが、信次師はこう言っていられます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 67 八起正法先生編

        霊媒を正見する
 
「日本中に、霊媒という人は沢山いる。しかし、その人がホンモノかどうかの目安は、目的とする人を霊媒に支配させるのだから、その語りからしぐさまで、まったく同じでなくてはならないし、顔つきまで似てくる。

生前、東京弁しか喋っていなかった人が、関西弁で語るようなら、正しく判断することです。見えぬだけに、だまされやすい」、
と信次師は述べていられます。

これまで、佐藤氏の記述を参考にしましたが、これに対して、園頭広周会長は信次師にこう聞いたと記述されています。


 
       松下幸之助氏のこと(パート2)
 
今度、僕たちが出て行く時は、交通機関が発達して、伝道には金がかかることがわかっていた。

釈迦やキリストの時代はてくてく歩いて伝道すれば良かったが、今度は違う、

それであの人は、
「今度は私が先に出て、金儲けして準備します」、
といって出たのです。

だから、あの儲けた金は僕の運動のために提供すべきだった。

そのために、大阪の近畿ナショナルの社長さんが、松下幸之助さんと僕が会うのを準備して下さったのだが、松下幸之助さんが会わなかった。

 儲けたのは自分の力だと思って、僕のためには一銭も提供しなかった。

僕はなにも松下さんからもらわなくても、僕は僕でやっていきますよ。
あの人が儲けたのはそういうわけで、天上界の人たちが協力してくれたのです。

しかし、松下さんはこの世に生まれてくる時に、
「正法の伝道のために準備しておきます」、
と約束して出たんだから、人をなんとか救いたいという気持ちはあった。

だから、PHPをつくって人間教育をするということになったのです。

松下幸之助さんは生まれてきた時の約束を果たさなかったから、あの世へ帰ったら、きっと反省させられますよ」、

と信次師は言われたというのです。  


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 68 八起正法先生編

       大黒天ということ 
 
「正法のために、経済協力をする使命の人を、大黒天といい、世に言うような、金儲けの神様ではない」、
と信次師は言い残していられます。

それ故に、松下氏は正法にとって、大黒天と呼ぶ、財務担当の天使と信次師は言われているのです。

ところが、信次師が亡くなられると、信次師の教団であるGLAは、例を見ないほどの混乱が起るので、松下氏の経済協力を得られなか
ったことは、かえすがえすも残念とは思うものの、これはこれで良かったのではないか、これも天上界の思し召しかも知れないと著者は考えるのです。

一方、信次師は、佐藤氏について次のように記述されています。
株式会社経済界の佐藤主幹の守護霊(過去世、魂の兄弟)は、朗らかな方で、当時のことを語り、現在肉体を持っている者の批判をすることもある、
と。

こうして、幸之助氏は、九十四歳の生涯を閉じられますが、晩年の氏は、補聴器をたよりに、やっと話を聞くことはできても、声を出すことが出来なくなって、どこへ行くにも車イスであったようです。

でも、隠れた陰徳もたくさん積まれて、何十、何百億と社会に寄付し、教団や、神社仏閣にも多額の寄付もされ、そして、ポーンと七十
億円という私財を投じて、茅ケ崎に松下政経塾もつくっていられるのです。

 しかし、残念なことに今世では、幸之助氏と信次師は縁がなかったようです。

少し付け加えます、と。
本も何冊か出しておられる或る発明家で霊能家は、本の中で松下氏と信次師は会われたような書きぶりであることと、更に、発明家は信次師と魂が二つに分かれたように記述されている人がおられます。

このように信次師の偉大性に注目されたり、話題とされる人が私のノートを見ると数十人がおられます。

この項を最終推敲していたとき、白装束の集団が報道を賑わしていました。

ウエブマスターの周辺は、すぐホームページに乗せてはと勧める人もいましたが、原稿さえ出きれば一時間もせず全世界に公開できます。千〇氏は病気らしくムチ打ちたくないので少しにとどめますが、その報道を見て「アッまたか」と驚きました。

彼女は日本が地震で崩壊するからと、過って、二十数名の謎の渡米で、新聞を賑わせました。

 次は、田中角栄氏について述べます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 68 八起正法先生編

        田中角栄氏のこと
 
田中元首相がロッキード問題で混乱していた時、新潟の後援会の代表と第一秘書が、大阪の講演会のとき、園頭会長と話していられるところへ信次師を訪ねて来られたというのです。

 しかも、信次師の命によって園頭会長は録音して残されています。

「田中さん、財産を投げだして裸になりなさい、そうすれば、国民はもう一度あなたを首相にというでしょう。

これだけではいけません 、それから更に、S党のN君、S評の○君、あなた方は労働貴族である、わしも裸になった、あなた方も私と
同じように裸になりなさい、裸になったところで日本のことを、よく話し合おうではないか、といいなさい。。
それでも、つべこべ文句
を言うなら、〇〇君、あなたは△△というマンションの何号室にこういう女性がいる。
それでも違うというならさらに「名前はこうで、顔はこうで、身長はと、教えてあげます。裸になんなさい」、
と。

 また、昭和四十九年二月、関西本部講演会の中で信次師は、

「田中(角栄)さん自身もね、東京都内にある財産をみんな投げ出して、自民党で今、使っている資金も全部さらけ出して、このお金をみな大衆のために使おうじゃないかと、こうやったら、S党やK党なんか、どうということないですよ。それをしないで往生際が悪いから、こんなことになってしまう。」、
と。

また、信次師は、田中角栄氏は斎藤道三の生まれ変わりと言い残していられるのです。
 


西濃運輸の創業者・田口利八氏のこと
 
 先に出てこられた佐藤氏は、記述の中で、「大宇宙神光会」を英語の頭文字をとってGLAと勧めたことや、『縁生の舟』(改題『心の発見』)は、初めは佐藤氏の会社で出版されていますが、
「縁生の舟は、七十万部売れます」
と信次師は予言されると、まさにその通りであったこと。

そして、印税を手にしながら
「こんなにいただいていいんですか」、

 さらに、
「大切に使わさしていただきますよ…」、
とも話していられるのです。

 また、佐藤氏が、バーやクラブに案内すると、信次師は酒は呑まれず、ホステスの話に静かに耳を傾けていられるだけだったようです。

 そして、西濃運輸の創業社長の田口利八氏は中国の時代、馬車の運送の社長のようなことをしていて、佐藤氏と当時も兄弟のように親しくしていたことも信次師は明らかにされています。

 さらに、新日鉄永野重雄・藤井丙午氏の冷戦を弱冠四十歳ほどの佐藤氏が和解劇をやってのけたのは信次師の
「佐藤さん!あなたがやれば必ず成功しますよ」
という勧めによるものだったというのです。

 また、氏が
「般若心経をやさしく解説して下さい」、

と言うと、信次師は『原説般若心経』を一冊まとめあげられますが、
「僕はね、仏教書なんか一冊も読んだことがないんです。メチャクチャですよね…」
と言って笑っていられます。

 しかし、発売すると嵐のような反響となって、ベストセラーになっていくことが記述


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 70 八起正法先生編

                           
   昭和四十六年(一九七一)(信次四十四歳)

 
       一月

 
指導霊の指示によって記述されていた原稿が完成。

『縁生の舟・神理編』出版され、のち『心の発見・神理編』、と改訂。

 昭和四十六年一月十日 講演「信仰とは」 千葉


 
        三月

 
  ある新興宗教の霊的現象に惹かれて信者となった婦人が、『縁生の舟・神理編』を読み、信じてきた信仰に疑問をいだいて、信次師の事務所を尋ねて来ていられます。

 信次師が霊視されると、不調和な動物霊に憑依されていて。その憑依霊を取り去ると、その結果、以前の自分をとりもどしたというのです。

彼女はインドの時代のプッタ・スートラ(仏教)を学んだ比丘尼でした。

 
 昭和四十六年三月十四日 

「現代宗教と人生の目的、転生輪廻の証明と現証、質疑応答」東京観音寺


     五月

『縁生の舟・心と科学編』出版さる。後に『心の発見・科学編』と改訂。
 
     六月
 

    信者の集団帰依

 
六月の信次師の講演会に、霊友会から分離した瑞法会からNとHの二人が教祖の命を受けて派遣されて来られます。
 

 昭和四十六年六月一日 「質疑応答」 東京

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 71 八起正法先生編

       七月
 
 昭和四十六年七月七日「心行朗読、心行解説、地獄界の有り様、仏教伝来について」 東京

 七月二十四日「調和と科学」 東京

 
       八月                            
 八月の栃木の出流山での研修会にも二人は来られます。
信次師は次のように言っていられます。

「この二人の先生はなにもいわないんです。僕は、その人達の守護・指導霊と話をするから、皆わかります。

僕のインド時代の、そして、中国時代の仲間もいいとこ。僕は、二人の守護霊から聞いたままを告げた」、というのです。  
                        
二人は、本ものかニセものかを確かめて、本物であれば、その指導方法を利用して、信者を幸福にするつもりのようです。
そこで信次師が、
「研修の結果を伝えたら良いでしょう」
と告げられると、二人は、いい当てられたことに苦笑して、さらに、
「このことを録音しても良いですやろか」、
と尋ねます。

そこで信次師は、教団の会長は、法華経を以って、先祖供養で信者を導くことに自信がないといっていること等を全部録音させていられます。

そのときすでに、会長は、『心の発見(神理編、科学編)を読んでいられたというのです。

 二人は、このテープを持って帰阪するのでした。

一方、信次師は霊視、透視して、東京にいてその教団の裏話しが全部わかってしまわれると、自分を再び訪ねてくるだろうと考えられます。

 そして、信次師の守護霊も、大分自信のある言葉で言うのでした。

このように、居ながらにして、すべてがテレビの画面のようにわかって。すべてお見通しだったというのです。

これも色々な話が残されており、その中の一つは、高弟の一人、村上宥快氏が、弟子の運転する車に同乗して、大事故になるところだったというのです。

帰京して信次師に報告しようとされたら、
「よかったね、命拾いして」、
という言葉が一瞬早く、すべてお見通しだった、というのです。 
    
 昭和四十六年八月七日 
「高橋先生、最初のふれあい講座」 大阪瑞法会


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 72 八起正法先生編

      九月 
 
ある日、教団の会長が八起ビルに訪ねて来て、迷えるあとの訪問でした。

そこで信次師は、先代会長は女性であったこと、この世を去る時の様子、教団を指導していた頃のことなど、一部の幹部以外には解らないことを生きていた当時の大阪弁そのままで、前会長の言葉で伝えられます。

三人は、あっけにとられてこの現象をみつめていられたというのです。

そして翌日の昼、信次師の説かれる正法に帰依する決意を固めて帰阪します。

一九七〇年、瑞法会教団の初代会長竹本千代が亡くなった後、二代目会長、中谷義雄氏はGLAに集団帰依することになります。
教団は、GLA関西本部となりますが、吸収される方がする方より歴史が古く、会員数が多いという珍しいケースでした。

 二、三万の信者ともども鞍替えというのは異例のことで、当時の宗教界で話題になったのです。

 
       有名人のこと
 
これなどは他にもある。GLA小金井研修所は、元キリスト教会であり、宣教師から教会までそっくり移籍していられます。

さらに、山形大の理論物理学教授の黒沼栄一氏も信次師にひかれていかれた一人ですが、これ以外にも、信次師の著書に推薦文を書かれた作家の山岡荘八氏、将棋の升田幸三氏、木村義雄氏もいられます。

升田幸三氏なんかは、一九七三年に読売ホールで信次師の前座として講演していられるほどで、野球の別所毅彦氏もそうです。

また、信次師は講演の中でこうも言っていられます。

「皆様もよくご存知の木村名人という方がいます。この方は将棋というものを通じて、なかなか良いことを言っております。
また作家の山岡荘八先生などもやはりその神理を生かしています。
この方たちのように名人クラスになると、究極の場は神理であります…。」、と。

 昭和四十六年九月二十三日 

「瑞法会幹部との対談」

       九月二十九日
 
「瑞法会幹部との対談」   

 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 73 八起正法先生編

     十月                           
   
信次師は大阪におもむき講演会を持たれ、演題「物質と生命」を約二時間、そして霊的現象の実験にとりかかられます。

その後、教団の要請によりGLAは宗教法人となりますが、元会長の中谷義雄氏はこう書いていられます。

「九月十二日に、私は東京へ行き高橋信次先生とお話をさせて頂いて、この方が仏陀ゴーダマの再誕であるということを堅く信じたので
あります。それから二回、三回と回を重ねて上京するたびに、確信しました」、というのです。


 
       宮沢賢治は菩薩界の光の天使
 
関西で初めての講演会のとき、信次師は宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩を詠で、
「この方は菩薩界の方です」、
と言い残していられます。                         
次に、この時の講演を要約してみる。

 
    講演「釈迦の生誕と仏教の変遷」
 
「私達はかってインドに、中国に生まれてきた。日本は中国と戦ったけれども、中国に生まれていた時の子孫と戦ったわけである」、

 また、
 「心は心で洗礼すべきであり、水や宗教的しきたりで行うのではない」、と、

「習慣とはおそろしいもので、習慣が執着につながっていることを知らず、人々は苦悶の一生を終えて行く」、

さらに、
「自分がつくった罪は、自分で償わなければならない、誰も人の罪を引き受けることは出来ないのです。罪を引き受けて病気になったという教祖があるけれども、その本人に病気になる原因がなければ、病気になることは出来ないのです。正しく法を説く光の天使は、健康であって法を説いて行くのです。もし、人の罪を引き受けるのが本当だとしたら、キリストも釈迦もヨイヨイになって死ななければならなかった筈です」、

 そして、

「皆さんの過去世において、ある人は王様であり、ある人はお金持ちであったり、そうして、皆さんは今、自分が欲している人生に今あるのです」

 さらに、

「魔王や動物霊達は、たとえ予言や病気を治しても、それは一時的現象であり、私達は絶対に信じてはならない。」、
と講演していられるのです。  
      
 
 昭和四十六年十月ニ日「瑞法会幹部との座談と現証」大阪瑞法会   
       十月三日「初回講演会(一般)瑞法会

       十月ニ十一日「第二回講演会」瑞法会
 
       十月二十三日「第三回講演会」瑞法会 
  
       十月二十三日 講演
      「現代宗教に対する疑問、質疑応答」 関西 
 
       十月不詳「釈尊の誕生と仏教の変遷」東京
   
       十月二十四日「般若心経について」四国徳島 
   


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 74 八起正法先生編

    十一月

 
講演会は東京から地方に広がり、信次師は、関西地方への出張も多くなり、二十四日は大阪、二十五日は四国と選挙運動の遊説のようだったというのです。

信次師は、指導霊からそれが一生の仕事だと言われているので余り苦しいとも思われなかったようですが、この両日は、一日に八時間の連続の「講演」と「質疑応答」それに「現証」を行っていられ、何千人もの聴衆、病人の個人相談が七十六人。

その中で、十五年間いざりの人、十年間半身不随の人達に奇蹟が起ります。それは、信次師に協力してくれる大指導霊の力だったと信次師は言っていられます。

このように、自分の力でなく、大指導霊の力だったと言われていますが、実に謙虚です。

 奇蹟はあの世の霊の協力によって行われますが。信次師の場合はモーゼさまやイエスさまなどの光の大天使の協力で行われるので、その力は絶大だったと想像できましょう。


 また、信次師は、
「動物霊でも奇蹟、病気治し位はする」、
といっていられますが。霊能者といわれる人を正しく見る注意が肝腎であり。動物霊や人間の地獄霊の場合は、その内に必ず本性を現わすものです。

 信次師は、連日連夜、強行なスケジュールに追いかけられても、精神的には疲労を感じず、常に指導霊から、身体も身のうちだ、十分気をつけよ、と注意されていられたというのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 74 八起正法先生編

死の土俵ぎわ「一日一生」
 
 信次師は、寝不足の上、胃の消化力が弱っているところへ、油の濃い食物を、夜中の一時に食べて寝まれたというのです。

午前三時頃、気分が悪くなってトイレで倒れられます。

すると、あれよあれよという間に
「もう一人の信次師」、
が抜け出して行かれるではありませんか。

この世とあの世を結ぶドームの中で、信次師はしまったと思っていられると、倒れた音に気付き、I夫人、S博士、M住職が寄って来られ、I夫人などは心臓に手を当てたり、S博士は脈をみて、M住職は心臓に光を与えていられたというのです。

三人の心と行動が信次師には手にとるようにわかられ、I夫人は心の中で 、
「 このように多くの人に道を説いている方に、なぜ神は無慈悲なのだろう」、
と思われることが信次師にも伝わります。

 するとその時、大きな光の肉体が、信次師の肉体を支配すると同時に、
「心配いらぬ」、
とシンフォー(イエス)の言葉でした。

そして、それから信次師は、ドームのきびしい波動の中で、自分自身の欠点の追求、反省を行い、電機会社をはじめとするいくつかの会社、ビル、駐車場などの事務的問題を考えられたというのです。

また、信次師はどのように連絡しようか、実印、鍵、書類、色々な問題が思い出されても、呼吸も心臓も停止して、「もう一人の信次師」が、肉体にいれないのです。

 そこで信次師は、
「そうだ、妻が心の窓を開いているから、次元の異った世界とも話しが出来る。実在界へ帰ってから連絡しよう」、
と、そう信次師は思われたというのです。

 一生の反省と残っていた執着心を、一時間くらいの間に処理され、信次師の肉体舟は大きく息をはくのでした。

「どうも心配かけて…」

と、身体を動かすことも、眼を開けることも出来ないままに、信次師は肉体を支配し終えると、また、もとの気分の悪さがもどって来たというのです。

さらに、一日一日を一生懸命に努力し、正しい心の物差しで反省をして、いつこの世を去っても、思い残すことがないような生活が、もっとも大切である

「一日一生」は、一九七一年の最大の信次師の悟りでした。

なお、「大きな光の肉体が…」、というのは、イエス様が信次師の肉体を支配して助けたというのですが、実在界の天使達もさぞかし心配だったでしょう。

個人相談では、信次師が、念を集中して光を入れられる時などは、血圧が二百五十にもなったと聞いていますが、相当な激務だったはずです。

それも人々を救うための、愛と慈悲の行為ゆえでしたが、いくつかの他の講演をビデオで見る限り、特に印象に残ったのは、中年のオバサンが現証の時間が終わろうとする直前に、

「自分もぜひ」
と掛けこみ乗車のように、光を入れて憑依霊を除けてもらえるよう懇願されると、

信次師は苦笑いしながら、
「それでは仕方がないから出ていらっしゃい」(場内は笑いのウズに) 

と登壇するよう招かれて、それから憑依霊の外しが始まりますが、常識の有る聴衆者には嘲笑の的だったのが印象的でした。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 76 八起正法先生編

      東大教授・笠原一男氏のインタビュー記事
 
この年に出版された『現代人と仏教』には笠原一男東大教授と信次師のインタビュー形式による記述がありますので引用要約してみます。


  〈前がき〉

一九七〇年代は宗教の時代といわれている。そうした声に、さきがけるかのように、またまた新しい宗教が生まれつつあって、その一つがGLA(神理の会)で、その若きリーダーが高橋信次氏である。

高橋氏自身の口で語ってもらおう。

 笠原 既存の宗教とはまったく異なると…

 高橋 まあ、宗教といわれましても私にはわかりません…。

 笠原 四十三歳でいらっしゃる…。

 高橋 はい、そうです。

 笠原 イエスや釈迦が脳裏にひらめくというのは前々から…。

 高橋 (語気を強めて)私は四十三歳になるまで宗教に関する本は一切読んでいません。

 笠原 そうすると幼年学校…秀才だったんですね。

 高橋 戦地に行って、どうして自分だけ奇蹟が、つまり死なないのだろうという疑問が…。

 笠原 具体的には

 高橋 二月八日に門司を二隻の船で出航、十二時に出航して八時に沈められ、約十二時間…海防艦に救われ…

 笠原 …もう一人の自分のその後も…。

 高橋 毎日です。一日たりと出ない日はありません。

 笠原 それはやはり仏典を読んだり…。

 高橋 (さえぎって)一つも読みません…。

 笠原 魂がイコール意識ですか。

 高橋 そうです。

 笠原 ソクラテスが輪廻してどこかへ…。

 高橋 はい出ています。                     
ソクラテス毛沢東に生まれ変ったと信次師は言っていられます)

 笠原 …特別な修業は…。

 高橋 修業なんていりません。毎日の生活のあり方によるんです。

 笠原 …松下幸之助さんの子供に生まれるのと私の子供に生まれるの…

 高橋 自分で約束して次元の違う…。そこには縁が。

 笠原 …親鸞なんかその代表で…。

 高橋 パウロという過去世を持って…。

 笠原 時代は下って中山みきとか…。

 高橋 …必ずしもいい所へは…。

 高橋 …イエスの弟子でペテロが矢内原忠雄という…。

 笠原 それは…ではなく、瞑想的反省を通じてですね。ありがとうございました。と。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 77 八起正法先生編

 さらに、この年、信次師は次の手紙を紹介されます。

 
          心と行い

 
「一九七一年度、日本美術院五六回に出品した百五十号の作品〃夏の水〃が幸運にも、最高賞である美術院賞を受賞いたしました。

私は昨年四月、M店の社長から『心の発見』をいただき、浅草の八起ビルにおける土曜講演にもお誘いをいただき、初めて、人間の心と行いの正しい在り方を学びました。

講演会場は、立錐の余地もない程の人によって埋められ、およそ、宗教家というタイプとは不似合いなのにも驚ろきました。

しかし話しが進行するにつれて、誠実な、少しもあやふやなひびきのない神理そのものが、私の身体に、心に、じわじわとしみとおるようにひびいてくるのでした…。」、と。
                    千葉県在住 K・D


 
 昭和四十六年十一月一日
「神と人間との関係、夏栗氏の現証」東京

       十一月二十日
「神と人間との関係」質疑応答 

       十一月二十一日
「大宇宙というものは、人生の目的と使命」関西

       十一月ニ十二日「松下電器との懇談会」関西  
  
       十一月ニ十二日「瑞法会初代会長の霊との対話」大阪 
       十一月二十四日「禅定の指導、止観について」奈良橿原神宮研修会   

       十一月二十五日「心行の成り立ちと解説」関西  
 
       十一月二十五日「瑞法会幹部との座談会」大阪

       十一月二十六日「心行の解説」関西
 
 
      十二月 
 昭和四十六年十二月十一日「肉体先祖と魂の先祖」関西

       十二月十二日「現代宗教と正法」関西
 
       十二月十三日「実在界の状況と大宇宙体」関西

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 78 八起正法先生編

     昭和四十七年(一九七二)(信次師四十五歳)

 
      一月
 
 昭和四十七年一月三日「光即行」東京

       一月八日「宗教は科学である」関西

       一月九日「神理と科学、質疑応答」関西

       一月ニ十二日「正法と魔、質疑応答」関西

       一月ニ十三日「般若心経解説」関西  

 
      二月
 
 昭和四十七年二月十日「心の本質」関西

       二月十二日「般若心経解説」関西

       二月十三日「般若心経と心行の解説」関西 

 
      三月
 
    盛岡市国保会館。

  演題「インド仏教と現代仏教」
「ここにはプロのお坊さん方も何人も見えておられます。そういう方の前でインド仏教だの云々。…手当というのはそうすることです。」、と。
 

 昭和四十七年三月十三日「心行の解説、現証、質疑応答」関西


       春


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 79 八起正法先生編

この頃の信次師の周辺から、

観音寺住職・村上宥快氏の著書に『調和への道』があります。

その中で、氏はこう記述されています。

一九七二年の春、彼岸すぎ、信次師と相談の結果、伊勢の答志島へ行くことになったというのです。

村上氏は、設営のために信次師達より先に出発して、一週間後に、信次師一行を迎えに名古屋へ行かれます。

村上氏の桑野の知人宅に寄ると、Kというお婆さんが紹介され、彼女は、皆、気狂い扱いするとこぼされましたが、信次師は一見して彼女の守護霊が千秋の思いで待っているのがわかられたというのです。

さらに、信次師が〃光を入れられる〃と中国語を話しだし、彼女は気狂い扱いされないですむと大いそう喜びます。

翌日、村上氏は一行を答志島に案内し、最初に断わられた旅館へ行ってみると、今度は二つ返事で応じてくださり山海の珍味でもてなし、さらに、何日でもと勧めていられます。


 さすがに信次師でした。

それから、一週間の野外禅定、夜は渚での反省が終ると、信次師は村上氏のお父さんの霊をH氏に出すと、口が歪みよだれでも出そうな、中風そのままの姿だったようです。

五十年間もこのままの姿で地獄界をさまよっていたのだと村上氏は理解され、また、

「ぼくの意識を見るように」
と信次師は命じられますが、余りにも光が強烈で、村上氏は判断がつきかねた、と書いておられます。

平成十三年春のこと、往復で一万円の格安の航空券を手に入れ、名古屋の歯科医師会館に附属する「歯の博物館」を見学して、伊勢神宮
と伊勢志摩の旅行を家族で楽しみました。高原のハイウエイから眺める答志島を「ここなのか」と感慨深く視察できました。

 
先を続けます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 80 八起正法先生編

それから、この島を去り、松阪の開眼寺で信次師は講演をすることになります。

二百名ほどでしたが、夕食で出された松阪肉に、村上氏はとまどわれます、どうしてかと申しますと、強度の牛肉アレルギーで、これまでは犬のジステンバーのように、一カ月も二カ月も苦しんでいられたというのです。

すると信次師は、
「もう治っているから大丈夫」
とつげられると、恐る恐る村上氏は食べてみると。何んともなかったというのです。

そこで、信次師は食べ物への感謝を戒め、二日程して湯の山温泉に登られ、宿の人となられます。

そこで、信次師が身上を見てあげると、面白がって集まって来て、夕方近くになると、貴賓室が空いているから移るようにと宿の主人も大いに歓待されますが、そこは皇族方の宿舎に当てるということでした。

これが後、「GLA」の支部になっています。

さらに翌日、一行は、関西本部長・中谷氏のお母さんが亡くなられたので、大阪へ赴き、旅姿のままで、信次師の導師、村上氏の副導師で告別式は挙行されます。 


 
     食べ物は大事に
 

食べ物への感謝と報恩というのは、食べ物はすべて、その身を犠牲にして我々の血や肉になってくれます。

ですから、その感謝の心は勿論のこと、報恩とは、粗末にしないことなのに、食べ残して簡単に捨てたり腐らせてしまうようでは報恩とは言えません。

レストラン等の食べ残しを見ると、餓死している国もあるというのに、それは感謝とか報恩とは言えないのです。   

また、あまりにも光が強烈でというのは、霊視する人が信次師の意識を見ると、光の化身とも言えるほどだったと、多くの弟子の報告があります。


          四月
 
     四月九日八起ビルでの講演。
     演題「人生と悟り」

「正法流布のスタート時は、わずか二、三人でありました。それがひと月たち、ふた月…云々。

 悟りの彼岸も、八正道を行じるなかにあることを知らねばならない。」、と。

     同じく四月                   
     演題「神と人間(宇宙即我)」                 
「神と人間、なかなか私達は神様という問題になりますと、ほとんどの人々が見たこともありませんし、話しでは聞いても、神というものが、どのような作用をなし云々。」、
と。…                    
       (質疑応答)
 憑依と霊道の違い、如来とは、菩薩とは、仏陀とは、仏法とは、霊道者とは何かが説明されます。                               
    
昭和四十七年四月一日「神理と実践、質疑応答」関西                            
       四月十四日「神と人間」関西 

       四月十五日「心行の解説」関西青年部

       四月十六日「心行の解説」関西青年部
     
       四月ニ十二日「神と人間、質疑応答」

       四月二十三日「仏教と科学、質疑応答」奈良

       四月不詳「神と人間、宇宙即我」大阪 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 81 八起正法先生編

     五月
 
 昭和四十七年五月二十一日「神と人間」関西
 
     六月
 
 昭和四十七年六月六日から八日 高野山研修会

「光の入れ方、法華経、般若心経の解説、中道反省の物差し」

       六月十日「自力と他力について、質疑応答」関西    
       六月十一日「中道の実践こそ正法、神理の話しと質疑応答」関西 
 
      七月
 
 昭和四十七年七月六日「吉野山研修会」吉野

       七月十日「盛岡講演会」岩手

       七月ニ十二日「光とは何か」東京観音寺

       七月二十七日「研修会」奈良 古峯神社
 

      八月
 
 昭和四十七年八月二十日「信仰と生活」橿原
 
      九月
 
 昭和四十七年九月一日「体験発表、質疑応答」関西

       九月九日「実在界と現象界」関西
   
       九月十一日「質疑応答」東京

       九月十六日「般若心経の解説」関西

 
        十月
 
   盛岡市国保会館に於いて。
     演題「色心不二」

 「〃色心不二〃という言葉を皆さん知っているでしょう。この〃色心不二〃という言葉が非常に哲学化されて 云々。
する時に、自分自身の心の平和を、取り戻すのです。」、と。
 
 昭和四十七年十月七日「心と公害について、質疑応答」関西

       十月八日「輪廻転生、質疑応答」関西

       十月十五日「法灯について」東京観音寺


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 82 八起正法先生編

       十一月
 
信次師の事務所に、Oという青年が千葉から訪ねて来たので、信次師が面接されると彼の背後に若い女性をはっきりと見えたそうです。

そこで信次師は、背後にいる若い女性の霊に質問されると、
「私はOの妻です」
と言ったというのです。

 Oは十年来、肩や首が神経痛のようにじくじくと痛むというので、信次師が
「あなたは、すでに亡くなっている。すぐに主人から離れなくてはいけません」、と諭すと、

「この人から離れたら行く所がありません」、
と哀願するように言います。

そこで、信次師が時間をかけて教え諭すと、Oの亡き妻は主人から離れて、天上界の修養所へ帰っていくと、Oは痛みもなくなり、以前の丈夫な身体にもどっていったというのです。

 それから信次師はOに、心の正しい尺度、人生の正道を説かれるのでした。


 
       同じく十一月

『原説般若心経』出版されます。

 信次師は「空」は実在界・あの世。「色」は物質界・現象界・この世、と明解されます。

空はあの世のことで、色はこの世と信次師は説明されましたが、ナラジュルナー(竜樹)が『空』を説いたからわからなくなった、と信次師は教えていられます。

                                 
 昭和四十七年十一月十一日「質疑応答」関西青年部
 
       十一月十二日「正道実践、質疑応答」関西
 
       十一月二十五日「信仰とは何か」佐賀
 
       十一月二十六日「般若心経解説」佐賀


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 83 八起正法先生編

     十二月                             
 
東大阪にて、信次師の講演会の始まる四十分前、T・M子という中年の夫人が信次師の控室を訪ねられます。

一九六三年二月五日、突然脳溢血で倒れ、左半身マヒで三叉神経痛という後遺症もあって、信次師が霊視されると、M子氏の背後に中年の男がすがりついているのがわかられたというのです。

それは亡き夫で、一人残した妻を心配もしている様子でしたが、亡き夫も同じように脳溢血で倒れ地獄に行っていたのです。

亡き夫が妻を支配すると未亡人の口から出る言葉は、男性のそれでした。

そこで、信次師がコンコンと言って聞かせ、手から光を出して与えられると、「ああ、暖い、体のうずきがなくなった」、
と未亡人は言うのでした。

さらに、信次師は信次師の守護霊に頼まれて、天上界の入口まで送ってもらうことにすると、主人は、彼女の体から離れて行ったというのです。

それから、彼女は感謝して合掌しますが、彼女の病気の原因は、彼女自身の心にあったそうです。
 

      同じく十二月                       
 
信次師の友人の紹介で、幼い二児をつれた若い婦人が信次師を訪ねていられます。

信次師が三人を見た時、この母親を救ってやらねばと心はがふるえられます。

母親の後に、蒼白い顔をした地獄霊が立っており、そこで婦人はこう言ったというのです。

「叔母が行けというものですから」
と他人事のように言うのでした。

「ご主人はノイローゼのようですね」
と信次師が質問されると、

「精神疲労だそうです。精神安定剤を飲んでいます」
と答えます。

 そこで、主人を同行してもらうことにすると、主人は
「こんな所につれて来て」
と小馬鹿にしたような態度をとります。

耳をかそうとはしなかったので、仕方なく、信次師はまず死神を除こうと、光を送くると、はじめて主人は口を開きます。

さらに、地獄霊が離れている間に信次師は、心の正しいあり方を説き、心という問題について説明しても、素直には聞いていなかったと
いうのです。

信次師が顔を見られると、ニヤニヤ笑って、心の中で地獄霊と話しているので、
「ご主人、彼等と話してはいけない、しっかりして下さい。その男は自殺した人です。」、 

と諭されますが、婦人にも地獄霊がしのび寄って来ていたというのです。

そこで、信次師は、まず、子供を実家に預け、ガスの元栓を締めて寝ることと、対話以外にありませんと説明されます。

 あえて信次師は、入院もすすめていられるが、四ケ月も過ぎたある日、主人は
「一緒に死んでくれ」
といってガス栓を開けたというのです。

でも、元栓はしめてあって、一時的に危機は切り抜けていますが、後日病院から抜け出して、飛び込み自殺をしていたというのです。

大学教授の主人の両親は他人事のそぶりだったといいますが、原因は冷たい両親のもとに育ったことにもあったというのです。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 84 八起正法先生編

    年の暮の信次師の周辺                       
 
渡辺氏はペンダントを貰えるという教団の中級の研修を親子四人で、受けに来ていたというのです。

昼休みに場内アナウンスで『現代人と仏教』という本をお読み下さい。教団の記事がありますと伝えます。

その本の中に「神理の会」とあるので渡辺氏はさっそく八起ビルに行かれると、年の暮れで閉っています。

正月が明け本部に出かけてみると、広間の一角に事務机が五つほど並んでいるだけで、何の変哲もありませんが、感じのよい青年が一人応待してくれたので、『縁生の舟』の神理編と科学編、「GLA」という月刊誌を買われて帰られたというのです。

それから、
「過去世を教えてくれるそうだから今日いってくれないか」
と渡辺氏は奥さんに頼まれて、

「どうだった」
と尋ねられると、

「何でもずばりずばりと恐いようよ。ペンダントをすぐに指摘されたわ。腰に蛇がついているので、今度の講演会の時にとってあげますからいらっしゃい」、
と。

人の前では、いやだなと思っていると、心を読んで、今、とってあげましうということになり、蛇はそこから出ていったようよ」
と言うことでした。

このようなことで渡辺氏の「GLA」の勉強が始まりますが、渡辺氏は次のように言っておられます。

「土曜講演会というのが月に二度、日曜の講演会が月に一度、それに地区座といって地区の座談会がある。雑誌の案内を見ると、市川、中山の阿波神社社務所をかり、月に一度やっているので、初めて土曜講演会に行った時は、たかだか六、七十人だった」、
というのです。
 
 
昭和四十七年十二月九日「薬と毒、質疑応答、道について、現証」関西青年部    
 
      十二月十日「中道について」東京

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 85 八起正法先生編

   
   昭和四十八年(一九七三)(信次四十六歳)
 
          一月

 
     一月四日、東商ホール
    演題「般若波羅密多への道、現象」

 「私は十歳の頃から霊的な体験が起こり、爾来三十二年の間、心と物質について追究し 云々。
三十二年の歳月を経て、はじめて知ったのであります。」、
と。

        同じく一月

神奈川県の、老舗の女社長のK氏が信次師の事務所を訪ねられます。
五十五歳というのに骨と皮。

「どんな医者にかかっても治りません」
と訴えられたので信次師は

「心の毒を食べすぎたのです」

「いえ、体の具合が悪いのです。ちゃんと仕事もしているし、神様にお参りし、先祖も守っています」
と意味を解されていません。

「お姑さんと同居していますね」

確かに社長ではあるが、一銭の金をもお姑さんが握っており自由にならないのです。

「主人の妹さんにも、娘さんのいいなずけにも気をつかって…」

「ハイ、いつも私は周囲の者に気をつかっています」

信次師は、K氏のような人は、意識の中からくずさない限り、自己保存から解放することは不可能だと考えられ、丁寧に説明されるのでした。

そしてそれからK氏は、嫁に来てから今日までの生活について一週間かけて反省された結果、心は浄化され体重は七キロも増え愚痴も忘れたようになくなられて、すっかり元気になってしまわれたというのです。

これが我慢と忍辱の違いです、と。

我慢とは、今にみていろと心の中にパンチを持った状態であり、低い霊格の心の状態です。

一方、忍辱(にんにく)とは、いくら辱めを受けても心に毒を食わず、哀れな悲しい人よと相手を思い遣る高人格者の持つ心の状態です。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 86 八起正法先生編

 次に、この年の一月に、出版された本の中から上げてみましょう。
 
    『対談・四次元の不思議』の要旨。
 

 小田「ある社長さんで、私の会員でもあるけど、近頃心霊のことで本なんかも書いたり、会合を持っている人がおりますが、その人は子供の時に、何遍も死んだんですね。その体験談を聞きましたがネ。」                          
 田宮 「…」

 小田 「そうです。それで、本当の私はここにおるぞ、といくら言っても通じないわけです」

 田宮 「…」

 小田 「…薬の匂いがした、というんですね。そうしたら皆が生き返ったといって、大喜びだったというのです。その人にはこういうことが、七回も八回もあったそうです」、と。

 
 昭和四十八年一月十三日「心と行い(信次師)、青い鳥(一栄氏)」関西青年部

       一月十四日「釈迦と五人の弟子達、質疑応答」関西

        不詳  「法華経、転生の秘密」東京

 
         二月

 
 昭和四十八年二月十日「神理は不変、現証」関西

       二月十一日「輪廻転生について、質疑応答」関西

 
         三月
 
       行者の一例

信次師の大阪講演会のとき、講演が終り質問を受けていられると、神道を二十数年学び、肉体業をして来られたという五十代のH氏が質問をされました。

「私はあらゆる修業をして、八百万(やおよろず)の神が私の耳もとで教えて下さいましたが、先生の著書を読んでからというもの、もう用がすんだから帰るといって、今は二方の神だけになりました。何んという神でしょうか」、
と、信次師に質問されたのです。

何千という聴衆者は、注目します。

H氏は自分で神と自称する者の名前も知っていながら、信次師の口を通して語って欲しかったというのです。

はるばる四国から他流試合に来る勇気は憐れにも信次師は思われますが、

「あなたは、人に対しても慈愛の心が乏しいのはどういうことですか」

「私は神のことばを守ります」とH氏は言います。

地獄に堕ちた行者が竜をつかって話させている姿を信次師は見られていたので、

「自分の名前を名乗りなさい」

「我は天照大神なり」

「うそを言いなさい」

金比羅なり」
とコロコロとかわります。

「ただの行者、本当のことを言いなさい」

黒竜でございます」
と言ったというのです

行者の頭の上に長いひげをなびかせ舌をペロペロ出しているので、信次師は彼らに動物としての心のあり方、人間としての心のあり方について説法されると、H氏を支配していた地獄霊達は離れていったというのです。

「体が軽くなり頭がすっきりしました。やはり私のは、地獄霊でしたね」
と自分で納得したというのです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 87 八起正法先生編

 次に、この年の一月に、出版された本の中から上げてみましょう。
 
    『対談・四次元の不思議』の要旨。
 

 小田「ある社長さんで、私の会員でもあるけど、近頃心霊のことで本なんかも書いたり、会合を持っている人がおりますが、その人は子供の時に、何遍も死んだんですね。その体験談を聞きましたがネ。」                          
 田宮 「…」

 小田 「そうです。それで、本当の私はここにおるぞ、といくら言っても通じないわけです」

 田宮 「…」

 小田 「…薬の匂いがした、というんですね。そうしたら皆が生き返ったといって、大喜びだったというのです。その人にはこういうことが、七回も八回もあったそうです」、と。

 
 昭和四十八年一月十三日「心と行い(信次師)、青い鳥(一栄氏)」関西青年部

       一月十四日「釈迦と五人の弟子達、質疑応答」関西

        不詳  「法華経、転生の秘密」東京

 
         二月

 
 昭和四十八年二月十日「神理は不変、現証」関西

       二月十一日「輪廻転生について、質疑応答」関西

 
         三月
 
       行者の一例

信次師の大阪講演会のとき、講演が終り質問を受けていられると、神道を二十数年学び、肉体業をして来られたという五十代のH氏が質問をされました。

「私はあらゆる修業をして、八百万(やおよろず)の神が私の耳もとで教えて下さいましたが、先生の著書を読んでからというもの、もう用がすんだから帰るといって、今は二方の神だけになりました。何んという神でしょうか」、
と、信次師に質問されたのです。

何千という聴衆者は、注目します。

H氏は自分で神と自称する者の名前も知っていながら、信次師の口を通して語って欲しかったというのです。

はるばる四国から他流試合に来る勇気は憐れにも信次師は思われますが、

「あなたは、人に対しても慈愛の心が乏しいのはどういうことですか」

「私は神のことばを守ります」とH氏は言います。

地獄に堕ちた行者が竜をつかって話させている姿を信次師は見られていたので、

「自分の名前を名乗りなさい」

「我は天照大神なり」

「うそを言いなさい」

金比羅なり」
とコロコロとかわります。

「ただの行者、本当のことを言いなさい」

黒竜でございます」
と言ったというのです

行者の頭の上に長いひげをなびかせ舌をペロペロ出しているので、信次師は彼らに動物としての心のあり方、人間としての心のあり方について説法されると、H氏を支配していた地獄霊達は離れていったというのです。

「体が軽くなり頭がすっきりしました。やはり私のは、地獄霊でしたね」
と自分で納得したというのです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 88 八起正法先生編

        四月
 
      四月一日 
     東大阪の忍岡中学校講堂
      演題「魔に負けるな」                              
「昭和四十三年三月、霊的現象が私の家に起ってから、はや四年になります。 人間は神の子としてこの地上界に、目的と使命を持って生まれて来たことは、誰の心にも内在されており、例え不調和な現代社会に云々。」、
と。

 さらに、信次師は次のように説いていられます。
「誰でも愛の心を強く持てばよいのです、そうすれば誰でも力が出るのです」、

 また、
「光を入れる前に自分の心を愛の心で満たすことが大事です」、

「禅定の時、心と肉体の波動を合せなさい一致させなさい」、
と。
 
    四月八日?十日、

   GLA関西本部の講習会
この四月九日の午後、信次師は園頭会長へ、

「昨夜、あなたの守護霊が挨拶に来ました。近いうちに、あなたも過去世を思い出しますよ」
と告げられます。

 四月十日、信次師は講演が終わられた後に、

「園頭さん、今夜、一緒に泊って下さい。一緒に来られた御二人も。私は個人指導がありますので、先に宿(生駒の三鶴山荘)へ行っていて下さい」と勧められるのでした。

 二人の人とは、会長は生長の家当時の友人も誘っていたといわれるのです。

夕方六時頃、信次師が帰宿されると、

「先生が、お帰りになった」
というので、会長は玄関に信次師を迎えられると、すると信次師は、
「どうして、早く風呂にはいって、くつろがなかったのですか」
と思い遣られるるのでした。

会長は、師を迎えるのに、襟を正して、礼を尽くすべきだと考え、さらに、今までに知った教祖の中で、これほどの心配りをされる人があっただろうかと心打たれられるのでした。

夕食が終り、
「園頭さん、精神統一してみて下さい」
と信次師は命じられます。

会長は、短い浴衣の前を合せて(会長は長身)正座された。

 すると、
「そんな窮屈な姿勢で精神統一できません。もっと身体を楽に、足がしびれては長くは坐れない、心に集中できません」

と信次師は言われますが、会長はそれが本当だと考えられます。

今までの宗教体験からして、アグラをかくことに多少、抵抗を覚えながらも、会長が昭和十五年に宇宙即我を体験した時も、禅宗で教えるような坐り方をされた訳でもなかったことを、思い出していたと言われます。

心の統一をはかっていると、信次師は右手をかざして、何か訳のわからない言葉をかけられますが、会長は、信次師が何を喋っていられるのか、さっぱりわからなかったそうです。

信次師が言った言葉は、意味はわからないが、何か腹のそこからこみあげてこられて、口を開けば、そのまま言葉になりそうな気がして
ならなかったと述懐されています。

 信次師はこう続けられた。

「肉体を持っている人よ、そのまま声を出しなさい」
言われたというのです。

「肉体を持つ…」、
というような権威のある言葉を、会長は今までに聞かれたこともなく、それは、そのまま従わずにはいられない権威ある言葉だったとい
うのです。

口を大きく開けて、
「アー」、
と声を出されると、とたんに、その声は言葉に変わって、習ったこともない言葉が、次々に口をついて飛び出したそうです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 89 八起正法先生編

それで、会長は催眠術にかけられたのではないかとも考えられたが、催眠術や暗示は、本人が覚醒した後は、術中どのようなことがあったか覚えていないはずだと考えられますた。

しかし、この通り、意識もはっきりしているし、全部知っていると会長は教えられ、さらに、知らない習ったこともない言葉が、次々に口をついて出て、感動の涙が溢れ、目も鼻もぐしゃぐしゃになって、会長は泣かれたというのです。

また、信次師は言葉を発されます。

「あなたはヘイマカという人を知っているはずです。過去世でどんな関係にあったか、今度は日本語で答えなさい」、
と信次師は日本語で問いかけられたというのです。

会長は一瞬とまどわれますが、今まで、自分を感動させた胸の奥というか、腹の底というか、じっと潜在された自分の心に静かに問いかけてみられると、すると答が返ってきます。

しかし、会長はそれを否定されますが、その言葉は、どうしても躊躇せずにはおれなかったようなのです。

「心の中に浮んできたその言葉をそのまま口にしなさい」
と信次師は再び促がされます。

信次師は、会長の心の中を知っていられたのです。

口にしなさいと言われても躊躇せずにはおれず、一瞬躊躇して会長は思い切って、
「その人は私の侍従をしていた人です」
と答えられます。

侍従とは天皇陛下の側近で、民間の自分が口にすべき言葉ではないことも良く知っておられましたが、その言葉以外に出てこないので仕方なかったそうです。

「そうです。その通りです。その人は今、京都に生れ変わって、あと三カ月したら、その人も私のところへ来るはずです」
と、信次師は告げられますが、その人は本当に、三カ月目に大阪の講習会に来ることになるのです。

そう言った、と同時に会長の目に映ったのは信次師の姿の上に二重写しになっているお釈迦様の姿であったというのです。

仏陀、おなつかしゅうございます。偉大なる観自在者、仏陀
と言って、会長は泣き伏されたのでした。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 90 八起正法先生編

「ウパテッサー(舎利弗・舎利子・シャーリープトラの幼名)ニ五〇〇年を距てて、この日本で一緒に会うことができました。私もなつかしい、インドの時と同じように今世でもやりましょう」

と信次師も涙されて、そこに居合わせた人もみな大泣きされたというのです。

「あっ金粉が」、
GLA関西本部長・中谷義雄氏が叫んでいられます。

園頭会長の頭上に金粉が降って来た。信次師の顔も、園頭会長にかざされている手もみな金で、黄金に輝いていたそうです。

釈迦の像を金で荘厳するのは、このようなことによるのかとわかったと会長は書いておられます。

ここで、皆さんへ注意をしていただきたいのは、次のことです。

「金粉が…」、とありますが、金粉類似のものは動物霊でも出します。もし拝み屋さんで金粉を出すという人がいたらよく観察した方が
良いと思います。

派手な格好、気分がクルクル変わる、冷たい、金に汚ない、すぐに怒る、常識的に考えておかしい等を正見すれば、必ずわかるはずです。

正しく心を開いた光の天使なら、さわやかで、これはちょっとおかしいぞというようなことは、一つもあるはずはありません。  

             

   
 
         同じく四月

 
 『人間・釈迦』 第一部 偉大なる悟り、出版さる。
昭和四十八年四月。
         弟二部 集い来たる縁生の弟子たち。
昭和四十九年五月。

         弟三部ブッタ・サンガーの生活
昭和五十一年十一月
          (信次師亡後出版)
         第四部カピラの人びとの目覚め
昭和五十一年十一月
          (信次師亡後出版)
 
『人間・釈迦』は月刊誌『GLA』に連載されたもので、単行本として三宝出版より出されています。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 91 八起正法先生編

  
   『人間・釈迦』へのプロローグ

 
高橋信次著、「人間釈迦」は、古代インドの釈迦の時代に生活した過去世を持った人々の記憶と、釈迦を分身とする信次師自身の回想が、パノラマのように眼前に広がる当時の情景を、筆のおもむくままに自動書記された霊的実録であり、世界に希なる四部作です。

信次師の原稿を進めていく机上には原稿用紙とペンのみで資料一切なにもなかったといわれていますが、最後の著作となった第四部の「カピラの人びとの目覚め」は釈迦四十二、三歳頃までの物語りです。

残念なことに側近の人達には、いつも、
「道を説いて四十五年間の永きにわたるので、書くことはいくらでもあるんですよ」、
と言われていたといいますが、先に述べましたように、四部は釈迦四十二、三歳の霊的な実録であり、釈迦八十一歳のクシナガラでの入滅の記録は、信次師著『原説般若心経』三宝出版に詳しいことをお知らせしておきます。
 

 

     英訳の『人間釈迦』のこと
 

次に、この「人間釈迦」は、日本人妻をもつアメリカの大学教授の手によって英訳され、完訳されたのは信次師の存命中でしたが、その翻訳文が日本に届けられたのは信次師の昇天後でした。

 その後のGLAの混乱によって、陽の目を見ないのは大変残念です。

 また、                              
一九七六(昭和五十一)年三月二十二日、信次は、沖縄講演会で、次のように話していられます。


「私の本はアメリカのスタンフォード大学で翻訳されています。今年の五月(註・一九七六年)に出来あがりますとアメリカの太平洋岸に大きく広がっていきます。そして、我々の説いているものはヨーロッパにも広がっていきます…」、
と。  


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 92 八起正法先生編

      
      人間釈迦の抜粋

  
紀元前(BC)六五四年、中インドのコーサラ国、カピラ城。父はシュット・ダーナー王、母はマヤ。言葉はカッシー語、マガダ語。

釈迦(ゴータマ・シッタルター)はルンビニー園で産まれ、父四十九歳、母四十五歳のとき、母マヤは出産後一週間でこの世を去る。

今で言う逆子で、母マヤはデヴダバ・ヴァーストの城主のスクラ・プターの妹である。

母亡き後、釈迦は母マヤの妹マーハー・パジャパティーの手で育てられた。カピラバーストはコーサラ国の首府シラバスティーから六十八ヨジャナー、マガダ国のラジャグリハの都から四十九ヨジャナー、マガダ国のラジャグリハの都から六十二ヨジャナーの距離にありヒマラヤの麓に位置していた。

1ヨジャナーはラジャン(王様)の歩く一日の距離をいい、太陽が東から出て西に沈み、再び東から出るときの一周期が一日と定められていた。国の周囲は二十ヨジャナーほどの広さ。シャキャプトラ(釈迦族)の人口は約百万人ほどであった。

父王の兄弟は五人、長男シュット・ダーナー、二男はシクロー・ダーナー、子供はナンディカ、バドウリカの兄弟。

三男はドウロー・ダーナー、子供はアーナンダ、デヴァダッタ兄弟、四男はアムリトー・ダーナー、子供はアニルッタ、マーハーナマ兄弟、長女アムリタ、子供はテイショヤー。そして祖父はシンハハヌ・ラジャンといわれた人で、シッタルタが生まれた時は、この世の人ではなかった。

 父王のもとで政治を行った人マシェル、シッタルダーより四十歳年長であった。マシェル亡き後、ゴーセが継ぎ、貿易、外務をやった人スグティー、シッタルダーより五歳上、シッタルダーは三歳の頃から、バラモンの学者からヴェーダーやウパニシャッド教典を学んだ、というのである。


 『人間釈迦』は、このようなものではありませんが、これまでの釈迦伝とは、全く異質の奇跡の書であることを示すために、 是非、読んで欲しい四部作なので敢えてこのような方法で、人物主体に挙げてみました。


     生長の家教団のこと   
 
 園頭会長が霊道を開かれた日(四月十日)に、信次師はこうも告げていられます。

「園頭さん、あの生長の家の清〇という人は二人目ですね。谷口教祖の一人娘の恵〇子という人が、最初の結婚に失敗した理由は何だと思いますか。あれは生長の家をこれ以上大きくしてはならないという、天上界からの警告だったのです。

だが、それを終戦後、生長の家をこのように大きくした原因は、園頭さん、あなたの責任だから、あなたは谷口さんに手紙を出しなさい」、と。

何も知られないはずの信次師が、恵〇子氏の再婚のことを指摘されたといいます。

 谷口雅春教祖は離婚した婿の批判を、当時の月刊『生長の家』に書いておられますが、最初、北海道の人と結婚されたというのです。

一つはこのことであり、そして、もう一つは、
昭和二十七年に谷口教祖に園頭会長は、生長の家の大方針はかくの如くすべきだと手紙を書かれます。

それによって発展したのだから手紙を、ということだったようです。


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 93 八起正法先生編

    アナン(アナンダ)なる人
 
 さらに四月十日、信次師と会長の二人が、このようなやりとりをしている時、田中〇雄という人が部屋に入って来られたというのです。

 すると、すかさず信次師は、  

「園頭さん、ぼくが大阪の国際ホテルに泊っているとき、この人の目の前に電話番号が金色にパッパッと輝いて浮んできた。

そこへ電話せよということだと思って電話したら、国際ホテルのぼくの部屋の番号で、ぼくはこの人が電話をくれることを前以ってわかっていた。それでぼくが、

「アナン」、
と呼びかけたら、この人は電話口で自分の過去世を思い出して、ぼくと古代インド語で話したのです。ね、そうでしたね、田中さん」、
と。
               
この手の話しが、信次師には山ほど有って、その一つに、こういうのがあります。

 
      電話番号を忘れてサア困った!

 
 S原という人が信次師の事務所を訪ねたとき、老婆が受付に盛んに礼を言っていたというのです。

老婆は、来る途中で信次師の電話番号の書き付けをなくしているのがわかって、これでは訪ねて行くことも出来ないと途方にくれて、

「先生どうにか助けてください」、
と心に願って、公衆電話の近くを通りかかったら、数字がパッパッと金色に輝いて見えたというのです。それで、無事たどり着いた老婆に、奥から出てこられた信次師が、
「良かった、良かった」、
と。                             
 


      同じく四月                       
 
   
 信次師は、またこう言っていられます。 
「前世のカルマ(業、心の傾向性)が、そのまま結果となって出てくるとすれば、人類は、とうの昔に滅びているでしょう。なんとなれば、悪を犯さぬ者は一人もいないからです」、
と。 さらに、

「僕が釈迦として死んだ時、一番最初に反省させられたことは、出家はいけない、やはり家庭を持って、「法」を説かなければいけなかったということです。
だから、今度は家庭を持ったのです。でも、インドの当時は、出家した人しか「法」を説けないという考え方もあったからです。」、
と言い残していられます。   

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 94 八起正法先生編

   
      同じく四月
 


      古神道について


 
 霊道を開かれた直後、園頭会長は信次師に次のような質問をされています。

それは、会長が『心の発見』を読まれみると、仏教、キリスト教に関することは書かれていても、日本の神道については少しも触れられていないことが疑問だったというのです。

「日本は仏教国といわれているが、神道を信仰している人も多い。だから、神道の人は救わないというのでは正法ではないであろう」というのです。

そこで、
神道のことについてはどうして書かれなかったのですか」
と質問されると

「いや、今、神道のことを書くと、日本人は神社神道のことだと思っているから、誤解する人がふえる。国粋主義の右翼が騒いで危ない」、と。

 その時、神社神道ではなく、古神道の神理が正法であると、信次師は教えられたというのです。

 また、信次師は
「園頭さん、今の天皇家の祖先は中国から来たのです。その証拠には宮中には中国のものがたくさんあります」、と教えられています。


 
 昭和四十八年四月一日 「四周年記念講演会」東京

       四月七日 「善なる心と悪魔」関西

       四月八日 「人生の目的と使命」関西

       四月十六日「物質と生命」関西

       四月十七日「転生輪廻」関西

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 95 八起正法先生編

      五月
 
 信次師は、 

 「僕は相手の人が、ぼくにどんないやなことを言っても、自分の心を宇宙大にするから、相手は僕の手のひらに乗って、どんなことを言っても腹が立ちませんね」、と言っていられます。
 
      五月九日
 
     ニューヨークの友へ手紙を  
 
 信次師は、幽体離脱してアメリカへ行き、霊的通信をしたことは前に述べましたが、大目連の過去世を持つ大谷○輝氏へ、手紙を書いていられるので。それを挙げてみましよう。


 「懐しき友よ。遠き古いインドの地で心に法灯を灯したように、今生もまた、縁にめぐり合いたることを神に感謝致します。
五年前から懐しき友が、ニューヨークで東洋哲学を教えていることを私は多くの人々に予言しておりました。

 遂に二十八日、私はニューヨークに行き、心の通信に成功しましたことをうれしく思います。

 懐しき友よ、心と行いを法に照らし、自己完成に努力せられよ。偽りの我を捨て、善我なる心を育てよ。そして常に、八正道を心と行いの物差しで反省をし、偽りの我を神に詫びよ、そして瞑想せよ。

その時に、実在界を通して私達は自由に交信することが出来るのです。

自己を信ぜよ、偉大なる友よ。

法灯を心の中に灯せ、一秒一秒の心と行いの中に一切の執着は苦しみをつくり出すものだ。

一切を法に帰依した時、総て云々。

懐しき友よ、勇気と智慧と努力に依って実践せられよ。
光明は近し、光明は近し、苦悩はやがて、安らぎの境地に達しよう。
自己の完成、家庭の調和、親子の対話。友よ、一歩一歩あせることなく生きて行こう。
そして核をつくり、法灯を人々の心に灯して行こう。

法灯は種族を超越し、国境もなく、人々の心に調和をつくり出して行くでしょう。

やがて人類は、物質文明の奴隷から自からを解放し、人生の目的と使命を悟って行くでしょう。

友よ、私達はその日のために、一切の地位も名誉も、欲望も捨てて、人々のために生きて行こう。
それ以外に人類は救済出来ないからだ。
エスの愛に生きよう。

ブッタの慈悲に生きよう。道は只一つ、法に帰依しましょう。

親しき友の栄光を祈ります。また霊的通信を致します。

   昭和四十八年五月九日
      大谷様                高橋信次  

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 96 八起正法先生編

    信次師の幽体離脱

 
 魂や意識で目的の場所へ行くことを、幽体離脱、或は「もう一人の信次師」、または「光子体の信次師」として、行くことを言いますが、信次師はニューヨークへ行って霊的通信をされたというのです。

 肉体はそこにあっても、意識はニューヨークへ飛んでいたというのですが、

このほかにも信次師はエジプトのカイロへ行ったり、シルクロードの壁画を見たり、映画館にはいって映画を見たりということがあったようです。

信次師は弟子の一人をこう言っていられます。
「私が渡辺さんのところへ、意識で行った時、ちょうど不確定性原理の本を読んでいましたよ」、と、まったく自由自在でした。
もっとあります、月の裏側にもう一つの星が。

   十惑星の事実が
 
星々の運行は何百年に一秒の狂いしかない程、キチンとコントロールされているといいます。

 仮に、月の向う側に隠れて動く星があったら何んとするでしょうか。

信次師は地球から蔭になって見えない星があると言っていられます。

大本教出口王仁三郎もそれらしきことを言っていますが、この「王仁三郎という人は菩薩界の人で日本の宗教の誤りを覚醒させる使命のあった人と信次師は言い残していられますが、現在の九惑星ではなく十惑星の事実もあるのかもしれません。

 地球よりもっと大きくて、太陽に一番近くて、太陽の上に写し出されて一大センセーションを起こすらしいのですが、信次師は宇宙全体を見通すことが出来られたようです。 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 97 八起正法先生編

 
 現代は大谷氏であり、古代インド時代の大目連は、幕末の坂本竜馬として生まれていますので、次はこれについて述べたいと思います。


     坂本竜馬のこと
 
 ところで、大目連という人は、古代インドのお釈迦様時代の人で、天眼道という、あの世を見たり、未来を透視することでは、右にでる人がいないと言われましたが、現代の大谷氏はニューヨークに住んでいられて、その人の分身が、あの幕末の坂本龍馬だと、信次師は言い残していられるのです。

園頭会長である舎利弗と、大谷氏の大目連は、かって大の仲良しだったというので、そこで、懐かしさ一杯のお二人は文通を続けられたというのです。

日本を訪ねられた大谷氏と、園頭会長が初めて顔を合わせられたのは、昭和五十三年十月、長崎の歓迎会でのことです。

 過去世で坂本龍馬といわれた人が、なぜ長崎に…またどうして偶然にも、と読者の皆さんは思われるでしょうが、それはこうでした。

 園頭会長は正法会(後の国際正法協会)の長崎定例講演会でした。

 一方、大谷氏はアメリカの経済調査団長として来日、その日は観光で雲仙が日程だったというのです。

 二千五百年の時空を超えての再会でしたから、それはそれは本当に懐かしいものだったでしょう。

 こうして龍馬は、夢にまで見たアメリカに永住して。現代の大谷○輝、レイモンド・Yオータニ、というわけです。
 さらに歓迎会で、竜馬の大谷氏は、次のような興味ある話をされています。
    

       竜馬と孫悟空
 
私が寝ていたら、ググーッと持ち上げられ浮いたようになり、そのまま私は空の彼方の光の国、へ入って行きました。
ふと見ると、そこに高橋先生が立っておられ、
「大谷さん、これを見なさい」
と両手をひろげて見せられた。

その中に、私の過去の輪廻転生(転生輪廻)の全てを見たのです」、
と。

 こような体験を氏は話されましたが、三蔵法師の説話の中の孫悟空が、如意棒片手に暴れても、所詮、法師の手のひらで躍らされていただけという話に似て、或るとき園頭会長に著者がぶっけてみると、意識の世界に解答を探しておられましたが、病気の後遺症で喋ることの出来られぬ会長は、そのとき筆談にて、
「私はお供の一人でした」、
と書かれました。

病気見舞いの帰り途に、
三蔵法師の高橋先生に、お供の孫悟空が大谷氏で、猪八戒が園頭会長だったのかも」、
と憶測の夢はは段々と広がって行ったのが、今となっては懐かしい思い出になってしまいました。

このように、不思議にも同じ頃、 園頭会長と大谷氏のお二人は、信次師と出会われることになるのです。
 
       五月十三日
 
 関西本部の定例講演会(開演午前十時)にて園頭会長は、東京から来られた本部の人達とはじめて引き合わされ、シャーリープトラ(舎利弗)の過去世を思い出されて、この会場で「交叉証明」が行われることになります。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 98 八起正法先生編

       過去世の交叉証明
 
 昭和四十八年七月一日発行の月刊『GLA』誌よりその様子を転載、要約してみましょう。

「私達人間は皆神の子であり云々。

…偉大なる過去世を思い出された人が出た。その人S氏(園頭会長)のご精進に深甚の敬意を…云々。

釈迦が出家した時、五人の武士達が父王の命で守護します。
その中にアサジという人がいた。

アサジの過去世を持つ北原さんと先生の対話がつづく。

「私達はインドの頃はゴータマ・シッタルダの最初の弟子として心の窓を云々。
…そのインドの頃の私が知っている方が今日この中に来ておられます。その方はウパテッサ(改名後シャーリープトラ)という名前の方
です。」

高橋先生は九州から来られたS氏を指さされ、
「あなただそうです…ちょっと来て下さい」 
と招かれて云々。

と当時のことをいろいろと涙を浮べながらの会話である…云々。
…ややあって、先生はS氏に、

「あなたはあの婦人を知っている筈です」と東京から来られ云々。
S氏はその婦人の方を見られたとたん
「緒ー、マイトレイヤー(高橋一栄氏)」
と叫ばれた。

 一栄先生の顔も涙に濡れ…云々。…
この方は〃ウパテッサ〃といわれた方です。

この方はインドの頃は、ナーランダという所に生まれました。
そしてブッタに帰依した後はゴーダマ・シッタルダ、釈迦牟尼仏の右腕といわれた方です。
 彼はインド…云々。…                      

そしてこのウパテッサといわれる方が後に〃シャーリープトラ〃と呼ばれるようになった経緯と、般若心経の中に出てくる〃舎利子〃といわれるのはこの方の名前を、弟子達の代名詞として使ったものである。と結ばれて感動的現証を終えられた。」、と書かれていています。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 99 八起正法先生編

       関西大講演会の後に
 
ある日の関西大講演会の終了後に、信次はこう言っていられます。

インドの時は、みんなに、あの世の極楽や地獄の状態を見せたことがあったのですから、そのうちにいつかやりますよ。

インドの時は三カ月、ぼくは天上界へ帰って、姿を消したことがあるんです。
今度もそういうことがあるかもわかりません、と言っていられましたが、実現せぬままに亡くなってしまわれました。
 

        昭和四十八年のある時、
 
ある時、信次師はこう言っていられます。
関東大震災を起こす程の地下エネルギーは、既に充満しているので、そのエネルギーを放棄するために桜島は噴火を繰返しているので
ある。天上界で地球の気象を操作している。」、
と。

この項を最終的にマトめていた、平成十五年のゴールデンウイークを利用して道南の三日間を楽しみました。洞爺湖の近郊、昭和新山有珠山を長いこと眺めながら、短期間に何度も噴火した歴史を見たとき九州の最南端と北海道で活動する活火山を観光して、この高橋先生の言葉が北海道を離れるまで心を占めていました。
 

さらにまた、
「今から一万年前、アトランティス大陸の文明を築きあげた、高度の知識と智慧を持った霊魂達がこれから生まれてくる、もうすでに少しは生まれている」、
とも告げていられます。

 
       五月二十三日                      
 
GLA東京本部の会議に園頭会長は初めて出席されます。
会議終了後、信次師は部屋へ会長をはじめ何人かを呼び入れられ、そこで、市川のK氏に、
「あなた、ちょっと精神統一してみて下さい」
と信次師は命じていられます。

すると突然、K氏は二、三分すると会長の前にパッと身を投げ出して「五体投地」の礼をして
「過去世では、色々とご親切に指導して頂いてありがとうございました」と言われたというのです。

 さらに、会長は、信次師に別の部屋に呼ばれ唐突にも、
「あなたはインドのつぎにはどうしたのか想い出しなさい」と。

 だが、何も出てこないので会長は、とっくりと胸の奥というか腹の
底で考え、心に問いかけてみられたというのです。

  すると、
「インドの次はイスラエルで、キリストの時代、ガブリエルという名で、天上界からいろいろな役目を果たしました」、
と言い終えられると懐しさに感涙されたといいます。

会長は、ガブリエルについては聖書も読んでおられ、その名が、自分の心の中から飛び出して来たことの不思議さに自分でも驚ろかれたというのです。

このようにして、四月には二千五百年前の釈迦の時代、舎利弗として釈迦に使え、五月には二〇〇〇年前のイエスの時代、キリストの伝道に天上界より協力されたことが想い出されたという訳です。

これらの過去世を想い出されたことによって、会長は、宇宙即我(うちゅうそくわれ)の体験は自分自身のこれまでの過去世で習得したものだったと確信されたのです。                           
また、般若心経の中の〃舎利子〃は、比丘、比丘尼達よ、皆様方よという呼びかけであったというのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 100 八起正法先生編

次に、園頭会長の生まれ変わり死に変わりの輪廻転生、転生輪廻を要約するとこうなります。
 

      園頭広周会長の転生輪廻・輪廻転生
 

ガブリエルはマリアさまの受胎の告知に協力され、マホメット(紀元五七〇年)の誕生から見守り、メッカ郊外ヒラーの洞穴で天使シブリール(ガブリエル)から高橋信次師であるアラーの言葉を受けたそうですが、まさにそのガブリエルだったというのです。

 アラーはエルランティである高橋信次師です。

また、それより下って、宗教改革のカルバン(カルビン)であり、近世は、アメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンであり、薩摩の西郷隆盛だった、と信次師は言い残していられます。

あの高名な西郷さんが登場したので、次に、我々でも容易に出きる交叉証明というか、人物検討を試みてみましよう。
 


        人物検討
 

「ウーム、西郷隆盛さんですね、しかし、すぐには信じてはいけません。疑って疑ってもう疑う余地がなくなったときに信じれば良いのです。

エート、同じ魂の兄弟なら共通点があるはずです。

肉体細胞の成長は霊が個性的にコントロールするのですから、同じ霊統なら同じような背丈になるハズです。

栄養がどうの肉体遺伝がどうのと言っても、ノミの夫婦に、背の高い大きな子供というのも証拠のその一例です。

この理論に照らしますと、絵画やキヨーネの写した写真でも西郷さんは大男ですし、園頭先生も堂々とした長身です。
これは合格点です。
次に、西郷隆盛は稀有の理論家、剛毅木訥、人情家といわれています。 
     
一方、園頭会長は、稀有の理論家、著書三十冊以上、朴念仁(ぼくねんじん)、涙もろい、西郷さんも会長もどちらも達筆。なるほど少しは納得できそうです。

会長は、今世、男尊女卑の弊風を改革することも使命があったとされますから、男尊女卑の傾向が強い鹿児島に生まれていられますが、この地域性は関係なしと。

先生は今世は上位の菩薩といわれていましたが、来世は三百年後に、華光如来としてインドに生まれられて、カースト制度に鉄槌を浴びせられるということになっているようです。

 このように注意深く検討を進めていくと必ず思い当たるところがあるはずです。


?
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 101 八起正法先生編

     釈迦と舎利佛と大目連の縁生                     
 
さらに、お釈迦さまである木戸孝允と、西郷隆盛坂本竜馬の関係はと言えば。
坂本龍馬の仲立ちで西郷、大久保と木戸孝允薩長同盟もあり、不思議なことに、お釈迦さまである政治家の木戸は、征韓論台湾出兵にも反対して、ご存知のように坂本は刃に倒れ、西郷は自決、木戸のみタタミの上で死んでいるのを見ると、さすがに平和主義者のお釈迦様ならではの霊統と符号します。

もう一つ付け加えれば、坂本である大目連は、古代インドのお釈迦様の時代には、幼名をコリータと言って、釈迦教団で活躍した後、暴漢に襲われて亡くなるそうで、また竜馬もあの通りですから、講演の中で信次師は、

「なんとしろ、何度コリても仕方ないから」(爆笑)
とコリータを引っ掛けて揶揄していられるのです。

 また、この時期、信次師は、
「道徳によっては人は救われない」
と明らかにしていられます。


 
      神理と道徳
 

 道徳によって人は救われない、と信次師は言い残していられますが、多くの人は道徳的にりっぱであれば、それを人格者といい、そう
いう人は高い霊界へ行くと説明しています。

でも、信次師の説かれる正法は、心のあり方を問題にしています。

例えば、見かけは立派な人格者でも、心の中で、心の三毒という愚痴、怒り、不足の心がウズまいている人は、低い霊界か暗い世界へ行
くのです。

正法は心のあり方を問題にしますから、ここに良い例があるので上げてみましょう。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 102 八起正法先生編

        心の試験問題
 

    問題


 ここに

一、「実際に身体で以って人を殺した人」がいます。
 また、ここに

ニ、「口で人を欺して人を不幸にした人」がいます。
 さらにまた、ここに、

三、「実にまじめな人がいて、心の中ではいろいろと思うが、しかし、そういうことはいけないと知っているので、絶対にそういうこと
はしない、まじめな人」、がいます。

 

 この三人の中で、一番罪が深いのは誰でしょうか?
 

   解答
 
それは、「ズバリ?の殺人者」、という答えが返ってくると思いますが、正解は三番目の、

「いろいろ思うが真面目人間」です。

「そんな!」
と思われるでしょうが、

正法は心の問題を説きますから、この意味がわかられないと神理がわかったとは言えないのです。

宗教家といわれる人にテストしてみると興白いでしょう。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 103 八起正法先生編

       同じく五月、
 

 東京の理事会でのこと。

 信次師は
「今後どのようにして正法を発展させるか」
という議題を提出され、みんなに意見を聞かれます。

「高橋先生の教えを正しく伝えてゆけばよい」
というだけで、他に具体的な意見はなかったようです。

 正法に帰依されたばかりの会長は、

「今後、各宗教団体の人々が正法を求めてくる。例えば、創価学会の人々には、学会の教義と正法はどう違うか。

生長の家の人々には、どこが違うかと講師たるものは説明できなければならない。しかし、他の教団の教義をすぐに知ることも出来ないのなら、元信者に正法をしっかり教育して、各教団向けのその役割に合った専門講師をつくればよい」、
と会長は具申されたというのです。


 
       戦争が信次師の悟りを十年遅らせる
 

 さらに、この時期に信次師は、

「園頭さん、あなたが鹿児島を選んだのは、鹿児島は日本の中で一番男尊女卑の傾向の強いところである。

そこであなたは、大東亜戦争が起らなかったら、二十四歳までに一つの教団を鹿児島でつくって、男尊女卑の弊風を打破して、そうして私のところに合流するということになっていたのです。
ところが、大東亜戦争が起ったので、私も悟るのが十年遅れたが、あなたたちもそれだけ廻り道をすることになったのです」、
と言っていられます。

 

       世界の平和
 
 また、信次師は、

「死んだ時、一生はパノラマ映画のように、全部目の前に見せられる。そして、そこで必ず反省させられるのです」、

 そして、
「心が暗くなる反省は、本当の反省ではありません」、
と。

 さらに、ある時、
「世界の平和は、まわりくどいようだが、一人一人が正法を知って、心を安らかにし、調和を図る以外にない」、 
と言っていられます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 104 八起正法先生編

      
   キリスト教と仏教はナゼ同じか

 
 信次師はよく言っていられます。

「釈迦が肉体を持った時は、キリストが天上界から指導することになっている。キリストが肉体を持った時、釈迦が天上界から指導するのです。釈迦の教えとキリストの教えが同じであるのは、そこに原因があります」、と。

  

     同じく五月                       

 
     演題「ブッダと集い寄る弟子達」              
 
諸法無我という仏教の言葉がございますが、全んど多くの人々は諸法無我という以上は、自分自身も無我の状態にならなければいけないのだという間違った考えを持っております。

諸法無我という言葉の諸法は、宇宙の神理、宇宙の神理というものは、私達の住んでいるところのこの地球上一つの、気象的現象やその
他あらゆる諸現象を通して見ましても、私達の人間の力によって変えることの出来ないもの、これを諸法無我と言っておるのです。 云
々。」、と。


 
昭和四十八年五月四日  「心の原点(正法の原点)、誓いの言葉」志賀高原
      五月六日  「心行の解説」東京

      五月十二日 「質疑応答」関西青年部

      五月十三日 「諸法無我」関西

      五月二十五日「仏教の原点」八尾

      五月二十六日「正法とは何か」関西 
 
      五月二十六日「特別講話」松阪市


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 105 八起正法先生編

 
      六月
 
     同和のこと

 
GLA関西本部の隣りの一軒家が園頭会長の寄宿舎であり、信次師は会長を訪ねられて、二人でゆっくり話をされたというのです。

それは何かといえば、信次師の生い立ち、インド時代の釈迦の頃のはなしと最も大事な〃はなし〃も…。

 もっとも大事な〃はなし〃というのは、

「神の配慮に感謝します」
と言って、ひれ伏したくなるようなこと。 そのことで悩んでいる人に対しては最大のはなむけ。

 勇気を与える事実とは何んだと思われますか?
モーゼは奴隷の子として、釈迦は王子、イエス左官の子として生まれています。

信次師は、
「エッ、神よ!この世に高橋信次という方を、お遣わし下さいまして心より感謝申し上げます…」、
と。

 
       園頭会長と同和
 
 信次師は同和解放のために、講演会場を設営されたフシがあります。
 園頭会長はある時期、自ら主宰される会の、道場建設の必要性を感じて、建設用地を求められ、信次師の意思を継いでこの地を選んでおられます。

ところが、この時期、オウム教(現アーレフ)の問題が噴出した頃で、住民は過剰反応をして露骨に建設反対の表明をしたのです。

 常識ある教団は無理強いしないものと、会長は泣く泣く計画を断念されますが、

「これでこの地区の救われるのが先送りになってしまった」、
とポツリとつぶやかれたのが印象的でした。
 

      同じく六月
 
信次師は
「反省は神の慈悲である。反省によって人の心は浄化される。心に思っていることが、全てそのままの形となって現われるなら、生きて
いる人間は一人もいないでしょう」、
と教えられました。

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 106 八起正法先生編

     心を見られた人

 
またこの時期、
信次師の弟子の一人が、
「電車の中に散らかっている紙屑を拾うには勇気がいる。拾うべきかどうすべきか?」
と、友人に質問したといいます。

尋ねられた友人は
「掃除する役目の人がいるから、余りきれいにすると掃除する人の仕事を奪うことになるから、そのままにして置けばいいでしょう」
と答えたという。

 ところが、次の講演会で信次師は、
「こう言っている人があります」
と、その人が言った通りのことを話された。

その人は心を全部見られてしまったとびっくりします。

 すかさず信次師は、
「こうすれば、人がなんと思うだろうという、そういう思いを捨てて紙屑を拾うのです」
と講演されたというのです。

その人は冷汗を拭きながら、園頭会長に話された、と。

また、このとき信次師は、
「自分が運命の主人公である。運命は心でつくる」
と話されています。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 107 八起正法先生編

 ある人のこと
 
そして、ある時、
信次師は
「関西から青年が出てくる」
と予告されたが、その後、訂正されたというのです。

訂正された事実を知っている人は、GLA関西本部の理事数人と園頭広周会長だったといいます。(月刊『正法』百十七号 園頭広周)

ある人は関西・四国の人です。
ある人のお父さんは、信次師の講演をよく聞かれた人で、そのお父さんの感化を受けられたたと思われます。

ある人は、「関西から出て来るのは自分だ」と。

しかし、信次師は訂正されて、どうも混乱させる人が関西から出てくるということだったのでしょう。

 すでに、生前の信次師は、全部お見通しだったのかもしれません。
ある人は、〃高橋信次もの〃といわれる著書が数十冊もあって。他の人の霊言はほとんど一、ニ冊というのに、ダントツでした。

ところが、園頭会長が『ある人は仏陀ではない』などの数冊の著書群で警告を発されると、それが原因かどうかは知りませんが、本は見事に姿を消しているようです。

これらの本は、高橋信次師がある人に霊言を伝えられたということのようですが、著者の手許に在る、ある人の本と、信次師の著書や講演テープを聞き比べるとどうも波動が全く違うようです。

信次師は〃小諸馬子追い唄〃が得意で、テープも著者の手許にありますが、声は澄み通ってきれいで、長野訛りの東京弁。信次師が出てこられるという人は、全国に沢山おられるようですが、不思議にもナゼか関西人が多いようです。

全員に信次師を出してもらって〃小諸馬子唄〃をやっていただく。そして、生前のテープと聞き比べます。

長野訛りの特徴のある〃小諸馬子追い唄〃をしっかり練習していただきましょう。

本当に信次師が降りてこられるからには、歌の調子、語り、アクセント等が、まったく同じでなければなりません。

 顔も雰囲気も同じように似て、全部信次師のはずです。

さらに、姿が見えぬだけに、欧米でやるような厳密な霊の審査を心がけ、生前、園頭会長から伝えられている信次師の霊言の第一声を確認したいと思います。

 ある言葉から出てこられる約束だというのです。
 見えぬだけに念には念をいれたい。
ある時、著者はある人の講演会に参加しました。
 最後に、
「今日の講演は高橋信次の霊示によってなされました」、
とアナウンスがありましたが。まったく異質のものと思いました。                     

 
 昭和四十八年六月ニ日「執着をとる、自主研修」京都府田辺市 中心山荘
       六月三日「光の入れ方、転生の秘密、質疑応答、体験談」京都府田辺市 中心山荘

       六月四日「現証、転生輪廻、質疑応答」京都府田辺市中心山荘

       六月十日「心行の解説、質疑応答」関西  
  
       六月十日「釈迦の成道」浦和市

       六月二十三日「心の原点、質疑応答」秋田・大曲市

       六月日付不詳「青年部研修会」関西 


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 108 八起正法先生編

     七月
 
     講師幹部研修会(於八起ビル)
 
 「私達が神理を広めて行くのに、一番重要なことは云々。…

ある電気会社の息子さんが、六月十七日に交通事故を起しました。もう一ケ月意識不明のままです。高校三年です。霊視すると、本人の霊は自分の肉体に戻りたいと真赤な炎の中でいっています。

だが、戻ることができないのです。頭をやられているので、頭をコントロール…云々。

 両親が余り甘やかしている。人間は本来、病気とか、経済的、家庭的な苦しみを通して道を求める云々。
 


      神理流布の本質
 
 信次師の講演は続き
「しかし、正法というものは、そういう人ばかりを相手にしていてはいけないのです。

病気でもない、経済的に困っているわけではない。第一線でバリバリ働いているという人達が本来知って欲しいのです。」、と信次師は宗教の真髄とも言うべきことを言っていられます。

教祖をはじめ取り巻きの人々にとってこの言葉はつらいでしょうが、新興宗教の多くが、不幸と言われる人達の上に成り立っていると言えます。

 引き続き信次師は語られます。


    信次師は園頭会長を称えられる
 
「苦しみを縁として道を求めるということもいいことですが、どうしてそうなったか原因を反省しようとはしないで、結果だけを求めようという考え方では困るんです。

苦しみがなくても、そういう人に神理を知らせるということが大事だと思います。

たいていの宗教というものは、
「あなたは何年前から入信したのか」、
ということを問題にしますが、心のあり方というものは、時間的に古い新しいではないのです。
わかってしまったら即座に知ってしまうのです。

 それが現実的には園頭という方でした。
 生長の家の大幹部だった人ですが、神理にふれて、即座に現象が出てしまいました。

こういうように、私の所に来たのが古いとか新しいとかということは問題ではないのです。

それだけに正法というものについたならば、自分が実行してみるということが大事だと思います。

自分というものはどうしても甘くなり易いものですが、自分にきびしさを持って欲しいのす。

そういう意味からいっても園頭さんのように、荒削りではあって 、自分を見つめてブルドーザーで自分の人生航路の凹凸を直してあの人は来たのです。
その位の熱意が、あなた方に欲しいのです。そうしてあの人は偉大性を発見したのです。
 アニルッタ…(中略)…

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 109 八起正法先生編

    林家木久蔵氏のこと
 
昨日は、落語家の林家木久蔵という人が来ました。

丁度、山形から来ていた若い女性がありまして、少し後光が出ていたものですから光を入れたら、最初は中国語で、後はインドの言葉で語り出して、木久蔵さんは暫くそれを見ていました。 

彼は札幌の飛行場で待っている間に、売店で『縁生の舟』(改題『心の発見』現証編)を買って読んだそうです。

色んな本を買って読んだが、心がこんなに感激した本はないというのです。
彼が今まで考えてきたことと同じだというのです。

正法を知った以上、人々にも伝えたいというのです。なにしろ本に書いていることと同じことを今、目の前で見たために、さらに感銘を深めたのです。

 差し当り、身近な人からやりますと言っていました。
「私の師匠の林家〇〇という人は、今丁度、テレビで幽霊をやっているんですが、幽霊の話をしている時に師匠の家に行くとゾクッとする。

 師匠が幽霊のように見える。

ああ、師匠はいつでも幽霊がついているのだな、だから顔色が悪いし、少しおかしいんだなと思うんです。

林家〇〇というもう一人の師匠は一生懸命お稲荷さん信仰をしている。朝晩ローソクをつけてやっているそうです。
本に書いてある通りなんです。
それで、まず奥さんの方に読ませてから師匠の方に手を打とうと思います」、と。

木久蔵さんの話しがでましたが、木久蔵さんも本を出していられます。

その中に信次師のことがあるので、引用要約しましょう。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 110 八起正法先生編

 『木久蔵の心霊教室』
 
「今はもう亡くなられてしまったが、云々。

いろいろ御教示を得たいと予約をし、ある日ノコノコ浅草雷門の隅田川べりにある八起ビルのGLA本部に出掛けて行ったのである。

私は高橋氏をたずねるのに、何かごあいさつの手みやげにでもと思い、その頃の住い、武蔵野の三鷹から、中央線で神田まで出て、神田
駅のまわりをウロウロしたが、思う進物がなかなかなく、やむを得ず、地下鉄銀座線にのりかえ、終点浅草駅の階段を上り、時計をみる
と、もう約束の午後一時がすぐであるから、あわてて果物店にとびこみ、オレンジを一箱包装してもらって持参したのである。

 八起ビルのエレベーターで、高橋信次氏の部屋のある階上へのぼり、係の女の子に応接室へ通された。

 …なる程、あらわれた高橋氏は、教祖の影はみじんもなく、ジャンバーをはおり、紺のズボンをはき、中年のかっぷくの良い町の工場
長といった感じだった。

「ようこそ、いらっしゃい…」                   
「お手紙でずうずうしく面会を申込みまして恐縮です…」

「いやいや、本を読んで、すぐに会いにみえる方はそういません。ものごとスピーディですな…ずい分、ここへくるまで寄られましたな。神田駅のまわりとか、雷門とか、まよわれて…」

「は? えっ!」

「何か持っていかなければと、私にあいさつするんで品物を、買うのに気持ちがせくのでイライラとね。なさいませんでしたか…」

 「は、はあ、は、あのこれ、オレンジです…その、まよって買いましたものです。ごあいさつ代わりに…」

 「ハハハ、ズバリだったでしょう」

 「ハハハハハ」

 木久蔵氏も、恥ずかしいので照れかくしに笑い出してしまわれたが、内心はおどろいていられたというのです。

 信次師が言われるには、氏の職業が落語家であるということから興味をもたれその到着一時間前より、念をまとめて霊視していられたのだというのです。

テレビの画面でもみているように、行動をながめていられたのです。

 このことから氏はすっかり信次師に興味を持たれ、機会あるごとに訪ねられているようです。

 木久蔵氏は、ある日ブラリと八起ビルを訪ねられた。

 すると、ヒッピー風の数人の若者たちが信次を相手に、

 「神を出してみろ」

 「おいやってみなよ」

 「転生輪廻だって」等とからんでいた。

  すると信次師は
 「この者についている悪魔よ、この者から離れなさい!」、
と。

 このようなやりとりがあって仲間と帰って行くが、木久蔵氏はその時の様子を記述されています。
 
 昭和四十八年七月七日「心の法」関西

       七月八日「実在界との現象界の物理的考察」関西

?
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 111 八起正法先生編

      八月
  

信次師は園頭会長にこう言っていられます。


 「現在の生長の家の会員の中には、インド時代のあなたの弟子だった人達が、たくさん生まれ変わってきているのです。やがて、集まって来るでしょう」と予告された。


 また、
 「一回没落したアメリカは、再び復興する。アメリカの復興の源泉は、正法である」と。


 この意味するところは、エルランティがイエスにエホバとして説いた正法は、長い間に歪められ曲解されますが、今から百五十年程で、シカゴに生まれる本体イエスによって修正されると、それがアメリカは没落した後の復興の源になるというのです。

 平成十五年の春、アメリカ主導で始められたイラク戦争は、大国主義をマザマザと見せ付けられましたが、高橋信次先生が予告されましたように、米帝国のたそがれを告げる使者ともならねばよいがと、短期間の数度の米国遊学の経験もある著者は、とっても気掛りです。
 
 さらに、
「光を利用して、遊星間を旅行するようになり、地球人が他の天体に人間がいることを発見するのは百年後」、
 と。  


  八月十二日 関西本部講習会

     八月十六日 東京本部指導

 このとき信次師は、東京本部の講師幹部に対して、きびしい指導をしていられます。
 その理由というのは、東京本部の講師幹部が余りにも勉強しないので、信次師は、試験をすると予告をしていられた。
 それに対して反対する講師がいたので、そのことに対するきびしい叱責と注意の内容でした。

 その中で信次師は、
 「わたしは節穴ではありません、例え試験が出来ていなくとも、その努力は私にはわかります。
 わたしは釈迦牟尼如来としていっているんです。 わたしのやることは、すべて天上界で決められていることです。
 ついて来ないならついて来ないでいいのです。ついてくる人が一人あればそれでもいいのです」
 と、いつになく厳しい口調で話していられます。         
 叱責が終った後、信次師は、
 「私の話しは終りです」、
 すると全員が
 「ありがとうございました」
 と。

 そして、これ以後、
 「こんなつもりでGLAをつくったのではなかった」、
 という信次師の苦渋にみちた心情がたびたび吐露されるようになるのです。 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 112 八起正法先生編

  
       禅定の極意

  
信次師は禅定、瞑想の指導の時、
 「身体のまわりに黄金の光の輪を描きなさい」、と教えていられます。

  また、
 ある時、信次師は、祇園精舎を寄進した、スダッタ(須達多)の過去世を持たれる講師のK氏に、

「空についた話をしなさい」

と命じられると、その人は前座に立たれます。

  壇を下りて来られたK氏は、信次師に、
 「今の話はどうでしたか」
 と尋ねられたという。

 信次師は笑ってうなずいていられたが、愛の深い信次師は、人の前で欠点を指摘する人ではなく、 
「よかったですよ」
 と言う人であったようです。 

  
        維摩について
 
 さらに、この時期、信次師は
  「維摩は実在の人物ではなかった」
 と説明されています。


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 113 八起正法先生編

     夏 


 長野県熊の湯における自主研修会


  「皆さん、あの世などというと、そんな馬鹿な、というでしょうが…云々。…

 ある日の講演で金粉が出た。
汗がみんな金になる、話す言葉がみな金になって口から飛び出す。

あの金をまとめて買ったら大変な金額になる。(爆笑)

 私は科学者ですからね、こんなことがあるのかと最初はびっくりしたので、持って帰ってはいかんといったのですが、持って帰った人がありまして、私の手から顔から金粉が出る、口の中から一杯出る、
「あ、光った」
と誰かが言ったとたんに、その金を拾って持って帰ろうと壇上に何人かの人が殺到した。

 結局、その金は消えましたね。…云々。

 お前の説く神理は、太平洋岸にずっと伸びていくであろうということを天上界から聞いていた。

 だから現在は、みな太平洋岸です。

 岩手、仙台、水戸、それから千葉、東京、神奈川、全部太平洋岸ですね。

 私の本が出てから日本海沿岸からも来るようになった。今度も、アナン(阿難)という人がどこから出てくるか、それから九州からシャーリープトラ(舎利弗)が出てくると、皆わかってしまっていたからです。

 私は京都に出ますと…日本ばかりではありませんよ。外国にも出ています。それがやがて火の手をあげるわけですね。云々。

 私はインチキな予言はしません。インチキな予言までして喰わなくても、喰うだけは職業を持っているんですから。

 金もうけするんならどんなにでも金儲けできますよ。
 この人はいくら金を持っているか、みなわかりますから、金持ちの所へ行って、病気になってもらって…(笑い)

 「医者じゃ治らん」
 とか言って、パッと治してやったらいいでしょう。…

 物質化現象したり、手品師の真似事みたいなことをしたり、あんな真似事みたいなことしたって、しようがないですよ。

 だけど信じますか。私が最初関西に行った時、手強いのがあったんですよ。

 「この人、治りますか」
 ドンパアーの人ね。パッとやったら出て来ましたよ。若い女の子でね、盲目で井戸にはまって自殺した女ですよ。

 それが鬼婆になって、口が耳元まで裂けているのがわかるのですよ。それをパッと目をあけてやった。

とたんに、威張り出して
 「お前の力じゃないんだ」

 「あっそうか。じゃまた盲目にしてしまえ」
 私は自由自在ですからね。寒くしようとどうしようと、盲目にしようと自由自在です。

 あの世のね。それだけの権限を私達は与えられているのですよ。最後は
 「出ます」といって今は治ってしまった。

  いざりが、こうやって歩いていた人が、パッと治ってしまった人もいる。

  頭が狂っていると言われる人は、ほとんど憑依。脳がこわれている人は、見ざる、聞かざる、言わざると同じで植物人間のようなもの」、と。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 114 八起正法先生編

    謙虚な信次師
  
次のことばは霊能者や教祖といわれる人が心して聞かなければならない〃ことば〃です。 

 私は教えを受けているのです。だから、光を入れるのも自分ではないといっているのもそれなんです。
 そうしたら、なんで増長慢になれますか。僕がやっているのなら、威張れるのですが、僕、なんにも力がないんですから。

 こと、神さまのこととなると、素人なのですから。それを教えてもらうのだから、だから私は、これは自分だけの力ではない、次元の異った世界の協力者によって動かされているんですね。

だから、だから自分の力じゃないんだから、やるならば、そういうことが受けられる自分自身を作るということが大事です。

 盲目でなにをやっているのか知らんですがね。Aさんを調べようとしたら簡単ですよ。
 上から覗いてみると皆わかるんですよ。考えることも、やっていることも。

  
        事件解決屋になられた信次師
  
 宮島〇〇といっても、全国に何人もいますからね。住所、氏名、生年月日これだけ聞く。それで私はいいました。
 「宮島という人の行った経路を教えて下さい」、
 と。

 それがテレビのように映るんです。どこへ行って、どこへ入ったか。ああバッカスという飲み屋へ行ったな。ここでこういう男と逢っ
て、こういうことを接渉している。
それから連れ出されて…山の用水池の…ノミで…そして奥さんに伝えて、警察へ、三日目につかまった。

 近鉄の爆発事故がありましたネ。あれは、RGというグループで関西を調べてもだめ、中央大学の学生です。
 そのとき県警本部長がお礼に来た。


 
     天上界から叱られた信次師

  
ところが天上界から怒られた。
 「お前そんな犯罪調査のお先棒をかつぐようなこをやっていると、都会の悪い奴がおったら、そいつらから殺されるぞ」、と。

それで例の〇億円事件の犯人も僕は知っていますがね…

 「お前は神理さえ説けばいいんだ」
 と注意されたもんですから、今は一切お断りしているんです。まあそういうように、次元を超えた世界から教えられますから、わかるわけですね、と。

 どうしてこういうことが分かるのかと申しますと、永遠である霊魂には、すべて体験したことが記録されています。だから尋ねればわかるわけで、しごく簡単なことです。

 信次師はその能力を持っていられたのです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 115 八起正法先生編

     信次師へ他流試合を挑んだ一例
  
 教祖をやっている大西という人、高橋信次君なんてね、僕は六階にいるんですが、受付に来た。

 相手は新興宗教の金持ちで、私みたいなみすぼらしい格好はしていません。

  三階の私のところへ案内して来た。

 「高橋信次さんはどこにおりますか。」

 私は前にいるのに、私を小使いかなんかだと思ったんですね。本人を目の前にしてそういうのです。

 「お坐り下さい」

 高橋信次という人は相当年をとった、格好のよい、髭でも生やした男かと思っていたんでしょう。

 それが丸っきり、どこかの会社の課長にも及ばない、係長みたいな格好をして出ていくものですから。

 私のところへ来ましてね。私はそういう時には黙っているんです。

 向うから話をさせた方が早い。そうしたら


 大西 あなたは釈迦だと自称しているが、釈迦が生まれてくる筈がない。
                           
 高橋 はあ、釈迦ですね、僕はね、自分から釈迦だといったことはない。だが、人の口には戸が立てられませんからね。それが本当であるかないかは、あなたがわかるなら立証できる筈だ。あなたは教祖だといって多くの人を迷わしている。
   
 大西 迷わしていません。

 高橋 その証拠に、私が誰であるか、あなたはわからない。わからないということは、人にもわからせられないということだ。

    意味がわかりますか。大体、あなたは、自分の住んでいる場所が変っているのはどういうわけか。あなたは自分の本妻は四国において、今ここにいる人は一体、なにものなのか。
神さまを説く人がなんですか、そんなことはないとはいわせませんよ。

 大西 そんなことがわかるんですか。

 高橋 そんなエッチな宗教家ってありますか、出直して来なさい。あなたは心のことはなにもわかっていない。頭でわかっても、一つも行いができていない。出直しなさい。」、と。

  そんなのが教祖で、神学博士だなんて、そういうのに欺されて、金持ってこい、何持ってこい。 あなた、金をそんなに何するんだ、あやしいことやって、そんなもの信仰的でもなんでもない。あなたは私をわかっていない、ピシッとやってやったんです、中には挑発に来るのもいるんですよ。

まあ大抵だめですね、一気にひっくり返ってしまいます。それだけの力が僕にはあるんです、

 人間には、根本の正しい道を実行させることが大事です。我々は争うことを目的としているんじゃない、争う必要はないのです。
 それで、今度そういう人達は、みなバンザイして駄目になりますね。

  私は皆さんに、信じろといったことはないですよ。どうしてだろう、なぜと疑問を持てといっています。

 疑問を追求してゆくと最後は神理に到達するからです。

 だから、私は、ずーっと講演をして来ているけれども、最初からすなおに信ずるな、疑問を持て、持ったらもう一度質問しろ、そうして最後に到達するからです。だから、わかったような顔をする必要はないんです。

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 116 八起正法先生編

       疑問と奇跡
  
エス様がいわれたんです。お前は疑問を持てというからいかん、
 「信じろ」
となぜいわないかと。

  イエスさまと僕とはちょっと考えが違うんです。

 そうするとイエスさまは、それでは困る、中途半端になってしまって、信じろといえ、というんです。

 病気の場合はね、ほんとうはね、信じさせた方が奇蹟が起こるんです。速いんです。

 信んずる心があれば奇蹟が起こるのが速いのです。
 私が疑問を持てというのは、どんな疑問にも答えられる力を私は持っているからいうのです。

 

 
       心にも形がある
 
 今までに、口で心という人があったけれども、心にも形があるんだといったのは私がはじめてです。

生まれてきたばかりの子どもはね、心は実にきれいで、まん丸い、それが大きくなるに順って歪ができてくるんです。 

             
       ハート型の心 

心が、ハート型に見える人がいる。
この人馬鹿にピンク色に光っているな、昔から心をハート型に書いている、これは一体なんだ、
「あなたはいくつ?」 
するとその人の守護霊(過去世、魂の兄弟)が、
「この人は恋愛中なんです」
と教えてくれる。

どんな人ですかと聞くと、その姿を見せてくれる。
「あれ、あなたは恋愛をしているの、こういう女の人だろう」、
と、みなわかってしまう。

恋愛している人の心は、実際にハート型になっているんです。
 恋をしている人にはピンク色の後光が出ている。 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 117 八起正法先生編

  本体一と五分身
                          
すると、イエス・キリストを名乗る人が何人もいるんです。
髭を生やした人、それから、少し面長な人とね。
声も違う、アクセントも違うんです。
 それで、本体と五分身の関係がわかってきた。

 
  アインシュタインのこと
 
 それで私が、昭和四十三年七月一日に自分自身が何者であるかがわかった以降は、ドイツ語でアインシュタインが出てくるのです。
鼻の長いのが出てきて、むずかしい数学を解く、俺は一体なんでこんなことをしなければならないのかな、と思ったりした。

僕の本の中に、相対性理論が出てきたり、次元の差という説明があるのは、アインシュタインから教えられたのです。

アインシュタインが、自分の法則には手落ちがある。振動、ブランク常数というもの、人間の脳波の振動も、振動という一つの現象となって伝わってくる。

そうすると、それにおける、仕事を為し得る能力というものは目に見えないが、エネルギーが起る。みな、そうやって教えられたものです、と。

 アインシュタインが出て来て信次師に教えたというのです。
さらに、信次師の『心の発見(科学篇)』の中の〈色心不二とエネルギー不滅の法則〉、〈神仏と人間〉、〈色即是空の原理〉に示されている数式はアインシュタインに教えてもらった、と信次師は言っていられます。
 

       相対性理論は不充分
 
また、昭和四十八年九月一日?十日までの特別研修の休憩の時間に、信次師は次のように話していられます。

「私の相対性理論は不充分でした。こっち(あの世)へ帰ってきてわかったのです」、
と頭を下げるのですよ、と。

 
     アインシュタインのメッセージ

 一九二二年十一月に来日したおり、アインシュタインは日本人に次のメッセージを贈っている。

 「世界の未来は進むだけ進み                   
    (略)
  最後の戦いに疲れる時がくる
    (略)
  世界的盟主をあげねばならない
    (略)
  あらゆる国の歴史を抜き越えた
    (略)
  世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る
  それはアジアの高峰
  日本に立ち戻らねばならない                  
  吾々は神に感謝する
  吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを」 


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 118 八起正法先生編

        引導を渡す
 
文学的才能ゼロの男が、二十日間で原稿用紙四百六十枚、『餓鬼道』(改題・『愛は憎しみを越えて』)を書いたのも、みなそうやって
です。

南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」、 冗談じゃありませんよ。それでみな地獄へ行っているんですから、大体、坊主は生きている人を救うのが本来の役目でしょう。

 それを香典の額などといったのではたまったもんじゃないですよ。

 坊さんが、どんどん、病院に出入りするようにならなかったらダメ。

今死なんとする時に、
「あなたは今から、この地上を去るのです。心をきれいにして行きなさい」、というのが当然のこと、それを死んでからお経をあげるなんて馬鹿げたことで、これは今までの宗教の大きな間違い。

  
      ヘレンケラーとシュバイツアーのこと                    
                               
今まで、あの世へ帰ってすぐ
「やるだけやったぞ」
という人はいませんね。最近では外人であります。

ヘレンケラー(三重苦の女性の聖者)
「やるだけやりました」といって天上界へ帰ってきました。

それからシュバイツアー、エジプトで治療に従事した。この人達は菩薩界の人達ですからね。こういう人達は使命を持って出られた人です。


     総理大臣だって地獄界 
 
 日本では、例えば総理大臣であっても、
「私はやってきました」
という人はおりませんね、私の所へね。東急の専務が訪ねてきた。

「私の親分と話をしたい」
と。 五島慶太かなと思った、当然でしょう。東急の専務ですから、ところが違ったんです。

 その親分という人の意識を僕の身体に入れた。ドカンと身体が重くなった。声が出ない。その内に少し声が出るようになった。

「マサヤン、お前さん、よくたずねてきてくれた。」
 僕の声じゃないんです、〇田〇総理大臣です。

 日本を救った、日本を救った、と言っていますが、地獄界です。 その前の総理大臣も地獄です。
 だから地位や名誉は関係ないといっているんです。 貧乏人だから、といっても恥かしくないんだよ。いくら地位が高くっても、大臣で
も地獄にいるんだから…。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 119 八起正法先生編

 大久保彦左エ門のこと
 
 地位が上の人ほど地獄にいますね。欲望で一生を過ごすから、あんな水呑百姓が、という人が天上界へ行っているんですから。

大久保彦左ェ門ね、びっくりしましたね、菩薩界できれいな光を出している。
僕のところへ来ましてね、
「大久保彦左ェ門めにござります」、
と。

 
       日蓮のこと
 
日本で有名な坊さんで、菩薩界へ行っいる人は少ないですね。
日蓮さんもね、永いこと自分から地獄界におった人ですよ、菩薩界に入らなかった。

自分の蒔いた種が、その後、多くの大衆を狂わしてしまったという責任を負ってね、あの人は、あの世では知らない人はいませんね。

あまりにも有名で、謙虚なんです。
今の創価学会のやっているようなものではないですよ。

心のきれいな人達は、例え貧乏でもりっぱな人がたくさんいる。だから金額の高さや地位が人間の値打ちを決めるんじゃないんです。
 

        これからの未来の展望
 
質問者 今世でだめなら来世で、来世でだめならまたつぎの世で、という気持ちですね。

高橋  しかし、この地上へ出て来れるかどうか疑問ですよ。たくさんの霊が地上へ出て霊の勉強をしたいと待っているんですから。

 私は七八〇年後にもう一度、地球上に出ます。

 それからまた、他の天体にも生まれます、その天体もわかっています。この地球は、今から七〇〇年後位には調和されるからです。ユートピアになるからです。

 その時は、今のような公害は一つもなくなります。そして、今の日本は気候が変ります。現在の、アフリカ、南アメリカ、それからインド、この方面は、現在の日本と同じように、春夏秋冬が最も調和された国になります。
 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 120 八起正法先生編

   
   アフリカに宇宙ステーション

 
そして、アフリカの大西洋岸のところに大きな宇宙ステーションが出来ます。

他の天体と自由に交通するようになります。そういうようになっているユートピアに、私達は生まれてきます、七八〇年後です。

その途中において(昭和四十八年現在、百八十年)、かつてイエス・キリストといわれた方がアメリカに生まれます。

シカゴという処へ生まれます。
その時にみなさんは、天上界にいて協力するのです。

天上界からこの地上界を見て、またあんなことをしているということになっているのです。 


 質問者 シカゴへは本体がでられるのですか。

 高橋  本体です、分身の方はフィリッピンに出ておられます。

     科学に周期律というのがありますね。この物質の周期律と同じように、霊の周期律もあるのです。

我々の生命も、やがてはあの世へ帰ります。


 
       真実の十字架 

 
 イエス様は、十字架に掛けられた時は、自分の霊は、自分の肉体が十字架に掛けられたのを見ておられたのですね。

その当時は、イエス・キリストとはいいません。イマニエルといっていました。
私はこの方の指導霊をやっていたんです。だから、その時のことも私にはみなわかるんです。

 私が肉体を持った時は、イエス様が指導される。イエス様が肉体を持たれると私が天上界から指導霊をする。

エス様は厳しいといっても西洋的なところがあって非常に親切です。
ところが、私がイエス様の指導霊をやる時は厳しいのです。だから僕は言われましたよ。

お前は自分に甘くて俺には厳しいと。
エス様が、ある弟さんの病気を治してやった。その姉さんを好きになった。
「イエス、そんなこと、やっちゃいけない」
と、お前、私には恋愛もさせなかったじゃないか、その割にはお前は甘いじゃないか、と言われたものです。

今までイエスやモーゼ達が、私に予言したことは一つも違っておりません。私はコンピューターを作っているんですからね。いい加減なことは信じません。


?

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 121 八起正法先生編

      熊の湯研修会の背景となるもの             
 
これまでに記述しました、熊の湯の研修会の参加者は七百名、その内の三百名が生長の家の関係者でした。

その中の一人の人が
生長の家の教えとどのように違うか教えて下さい」
という希望を出されたので、研修の二回目の朝食後の休憩を利用して、その違いを説明していられます。

この時の自主研修は、一斑を百名に分け、七班が編成され、各班それぞれに担当の講師がいられて、信次師が各班を廻りながら全体的に指導されるというものでした。

 これまでの記述は岩手県T氏の所属される班での録音テープ筆録です。

 釈迦の時代は記憶抜群のものが、この時釈迦はこのようにおっしゃった、と口伝したものが後世に残されることになりますが、どれ程、正確であったでしょうか。

しかし現代はテープレコーダー、そして音だけでなく絵もはいるビデオもあって正確無比です。

そのうちには、インターネットを利用した信次師講演の動画が、家庭にズカズカと正法が入り込むでしょう。 
                    

        
      八月二十九日
 
信次師は、会社の仕事で信州の工場へ行かれた。

コンピューターの端末機器やカセットの量産が信次師の事業である。
作業場は活気にあふれていて、信次師がプラスチック工場を覗いた時、高橋はつよ氏(三十八歳)の姿が見えないので尋ねられると、二
週間近くも休んでいるというのです。

 軽作業なのに腰が立たないとは考えられません。
 
「こんにちは!」
勝手口から信次師が声をかけられると、ハイと返事をされたが、体が自由ならないようでした。

「お忙しいのに会社を休み、すみません」
と苦しそうに言われます。

はつよ氏の体を信次師が見ていると、不思議なことに、寝ているのは、はつよ氏に違いないのに、八十二、三歳になろうと思われる無精
ひげを生やした老人が横になっていました。

 信次氏が何度確認しても、声ははつよ氏です。

 信次氏は思い切って質問された。

「いつ頃から具合が悪くなったの」

「たしか八月十三日の夜だったと思います。お盆の迎え火を焚いてから、ぞくぞくして、迎え火をたくまで別にどうということもなく、今年のお盆は新盆で、亡くなった叔父さんにとっては初めての盆ですから、仏壇も岐阜提灯で飾りました」

 はつよ氏は、間違いなく亡くなった彼女の叔父さんを呼びこんだのでした。

 はつよ氏は思い出されたように、
「八月一日は、お墓の雑草を除き、叔父さん、もう少しでお盆ですよ、お盆にはぜひ来て下さいと、心の中でお願いしました」
と告げていられます。

 信次師は、はつよ氏に

「あなたが呼んだとき、その叔父さんは本当にきたんですよ」

「まさか…」

 そこで信次師は、老人の霊に厳しく、
「あなたははつよさんから離れなさい」
と言われると
「わしは行くところがない、ここにおいてくれ」、
としがみついたというのです。

信次師はこんこんと言って聞かせると、すると、今までの人生について反省をはじめ、はつよ氏の体から離れて行ったというのです。

                                 
 昭和四十八年八月四日「転生輪廻、現証」志賀高原

       八月十一日「心の公害」関西

       八月十二日「般若心経の解説、質疑応答」関西

       八月十六日「東京本部職員を叱る、般若心経、供養」


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 122 八起正法先生編

      九月                              
 
昭和四十八年九月一日から十日までの、十日間の志賀高原特別研修(長野県竜王)が行われ、信次師は、弟子の中から主な九人を選び、
インドの釈迦の当時と同じ研修をされることになります。

九月二日の午前は信次師を囲んでの質問の時間でした。

そのとき園頭会長は、以前、本部講師をしていられた生長の家の教義の問題について質問しようと考えられていました。


「園頭さん、あなたの質問はキリストに答えてもらいましょう」、
と質問するより早く会長の心の中を読まれて信次師は告げられたというのです。

 それから信次師は瞑想にはいられると、
「心に愛のない人に、心の法則、心と肉体との関係、を教えてはなりません、心の法則は、人が愛の心を持った時に教えなさい」
と、キリストは信次師を通して教えて下さったというのです。

園頭会長が、最初に見られた信次師は釈迦の相(すがた)であったというのです。

そして今、眼前に現われている姿はキリストであったようです。

会長が、固唾を飲んで顔を見ていられるうちに、不思議なことに信次師の顔がイエス・キリストの顔に似てきたというのです。

 瞑想を解かれた信次師は、すかさず

「園頭さん、わかりましたか」
と確認した直後

「モーゼにエホバと名乗って出たのは私ですからね」
と。

 そのとたん会長は、それまで経験したことのない神の権威に打たれて、信次師の前に跪かれたというのです。


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 123 八起正法先生編

会長は額ずいていられるのですから、信次師の姿は見えない。見えないが感じたといわれています。

 信次師は釈迦の相を示現して、すると、その釈迦の相の上に大きな光りがあったというのです。

それは釈迦の権威を超越したもう一つの大きな権威であったというのです。

会長は跪かれながら、その感激に、そのありがたさに泣き出してしまわれます。

 会長の頭は、その権威の前に自然に下がり、それは頭を上げてなどはいられない全く自然なもので、上げようと思っても上げられるようなものではない霊の権威、霊の重圧であったようです。

信次師の言葉が終って頭を上げられようとされた、そのとたんに園頭会長の頭は、今度は押しつけられるようにして額を畳にすりつけられ、そして、言葉が胸の奥からほとばしり出されたというのです。

頭は畳にすりつけられているのに会長の心眼は、信次師とその背後にある釈迦とキリストを通して、はるか彼方からといっていいか、はるか上からといっていいか目も眩むような神の光りを見ていられたというのです。


「神よ、この偉大なる方を今、この世に下したまいて、われらの心の光りとなさしめ給いしことを感謝申し上げます。」、と。


肉体を持たれた会長は、信次師の前に跪かれていますが、会長の心は、信次師の心と神の光(神の心)とが一つであり、神の光が肉体を
持つ姿となってこの現象の世界に現われ、それは神が全人類を救わんがための偉大なる神の愛であることを知られたというのです。

 さらに、大きな権威 光 釈迦 イエス 高橋信次師 そこから流れ出る、「仏法・正法」こそは神の心の流露であった、と園頭広周会長は教えて下さるのです。

この項は一部重複していますが敢えて再記述いたします。 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 124 八起正法先生編

  

    エルランティ

 
この目もくらむばかりの神の光を信次師は、エル・ランティと言い残していられます。

宇宙創造の神が姿を現わされたことは今だかつてありません。

拝み屋さんなどに出てくる「神」といわれるものは、動物霊か地獄霊ですが、エルランティは神より、この地球の人類の指導を委ねられた最高責任者であり、また、エルランティは神の子であり、直接、神の光りを受けている真のメシヤ(救世主)なのです。  

        
 
       愛の原則
 
園頭会長は何を質問されようしたのかというと、それはこうでした。
精神身体の医学を宗教にとり入れたのは生長の家だった。

この病気の原因は、こうゆう心から起ると学んだ指導者達が、病気の悩みを持って個人指導を受けに来た人達に、頭からいきなり
「あなたは、こんな心を持っているから、そのような病気をする」
と相手を裁くようになってきたというのです。

親切に指導してもらえると思って相談をしたが、もう行くもんかという空気が生まれて来ます。

そこで、これをどのように考えたら良いだろうと会長は考えていられたというのです。

だから、心に愛のない人に「心の法則」「心と肉体との関係」について教えてはならないという答えになったのでしょう。

愛があれば裁かない。愛があれば責めない。愛があれば相手の欠点を指摘して偉ぶることはないのですから。     

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 125 八起正法先生編

      
    真の反省
 

そして、信次師は弟子達に、生まれてからこれまでの想念と行為について、しっかりと反省することを命じられると、弟子達九人は、壁に向って反省する者、部屋の内側に向って、それぞれに反省をはじめ、信次師は自分の部屋にいて、弟子達の反省が、潜在意識に記録されているものと同じかをチェックしていられました。

反省を始めて一時間位して信次師は部屋に入ってくるなり、
「あなた達の反省は同じ所を堂々めぐりして一向に反省になっていない。
心のテープレコーダーに記録されていることと違っているじゃないですか。これから紙に書きなさい。それを私が見ます」、
と言われたというのです。

園頭会長はこう言われています。

「身体がすくんで血の気が引く思いがした。しかし、高橋先生にはすべてわかってしまっていることであるから。脇の下から冷や汗を流しながら勇気を振って私は書いた」、
と。


 
   十一軒の喫茶店のこと(反省パート1)

 
「〇〇さん、あなたは本当は喫茶店を十一ケ所出していることになっていますね」

「エッなんですか」

 その人はびっくりして問い返された。

 多くの人々に接している時の信次師は少しも気どらない気さくな話し方をする人ですが、一旦、天上界より霊の権威を以って話される時の信次師は、実にこわい人だったようです。

 その権威の前に、皆、自然に頭が下ります。           
とたんに、〇〇さんは真っ赤になり、つぎに蒼白になってふるえ出し、神妙になられた。

そうして指を折って数え出されたというのです。            
「いいえ、先生、九つです」                    
「違いますね十一です。あなたの心のテープレコーダーにちゃんと記録してあります。ぼくをごまかそうと思ったって、そうはいきませ
んよ」  

また、指を折り出し、しばらくして、

「先生やはり十一でした。」 


「そうですね、あなたは何時も女の人を騙す時に喫茶店を出してやるからと言っていましたね」、と。

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 126 八起正法先生編

       ダブルパンツのこと(反省パート2)
 
そして、信次師に、                            

「あなたはダブルパンツを食ったことがあるでしょう」、
 といわれた人は、きょとんとしていたといいます。

 暫くしてから、
 「それは何のことですか」

 「ダブルパンツですよ」

 また、間をおいて            
「ダブルパンツですか? それはダブルパンチとちがいまっか」、
 その人は大阪の人でした。                        
「いいえ、ちがいますよ、ダブルパンツですよ」             
信次師は実にユーモア抜群の人で、            
「ダブルパンツですか。それはどういうことですか」 
      
「あったでしょう。税金のことで」                 
と、いわれた人は真っ赤になって、ワナワナと震えて、ひれ伏してしまわれたというのです。  
  
その人は終戦直後の税金攻勢に悩まされていました。
近くに、税務署へ勤める人の妹さんがおられて、その人は妹さんに近づき、税金を安くしてもらわれたというのです。

そうしている内に、男の子が生まれ、本妻の方にも男の子が生まれます。

二人は同じ小学校に上ることになり、うっかりしてPTAの集まりに出られると、

「ワーイお父ちゃんだ」
といって、両方から嬉しそうに、まとわりついてきます、子供同士が、
「絶対にうちの父ちゃんだ」、

「いや、ぼくの父さんや」、
と取っ組合いのけんかになったというのです。

「それじや、どんな色のパンツをはいているかで決めよう」、
と。

このようにして信次師は、弟子に反省の厳しさを教えていられるのです。 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 127 八起正法先生編

       夢の操作のこと
 
このような話しはまだあります。
金に汚ない人がいると、夢を操作して、金が落ちている夢を見せられます。

その人が手を出すと、翌日、電話があって、
「失敗しましたネ」
と。

 女性に弱い人には絶世の美女が。弟子はつらかったようです。


 
       女性が誘う夢テストの一例
 
 そのとき二十代であった弟子のS原氏はこう書いていられます。                         
 いつ夢テストがあるのかなと待っていたが、もう忘れる頃だったというのです。   
      
氏は、タイ国の寺院の中で三人の女性の踊りを見ていられた。

二人がビルマ人で、一人はクメール人の緑ががった濃い褐色肌をした女性で、鼻の格好といい口元といい黒い瞳の大きな目の、あらゆる面で理想的な顔をしていたというのです。

 乳房の張りも理想的で、そのクメール女性は隣室に誘いいれます。
氏を、二人のビルマ女性は行くなと引き止めますが、天蓋付のベッドで抱擁しあうと、彼女の衣装を静かに脱がせ、クメール人女性の中
に静かにいり歓喜し続けたというのです。

 氏が、
「アッ夢テストだ」、
と思ったときはもう遅く、
 後日,頭をかきかき信次の前へ
「失敗しました」
と進むと   
                   
「どうして?」

「彼女とやってしまいました」

「あなた若いんだからオチンチンが立つのは当然でしょう。どうして失敗なの?あれだけ誘惑されれば、無理に押さえたらかえって不自然ですよ」

「じゃあれでいいんですか?」

「いや、いけない」

「あの女性とセックスする前に、今の大事な女性のことを考えなかったのですか」

今つきあっている女性のことが頭から消えてしまうという、トンでもない理性の欠如を露呈してしまった、と。


 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 128 八起正法先生編

      念の受信と発信
 
 このときの研修は、 最初の二日間は徹底して反省であり、残りの八日間は禅定瞑想であったというのです。

そこは長野ですが、山一つ越えれば新潟県で、時々熊が出るところ。弟子達は、深夜、十二時になると敷物を持って山へはいります。

懐中電灯を照らしながら奥へはいっていき、場所を決めて坐わると、満天の星がきらめき、しばし見とれるほどでした。

午前一時から午前四時頃まで、山中に個々に散って禅定瞑想をします。

つまり、完全に心を解放して天地空間、すべてのものの動きを、声を、心でキャッチする訓練だというのです。

離れた所にいる信次師が「念」を発され、それを弟子達がキャッチする訓練というと、とてつもなく難しいと思えますが、高弟たちも出きる人もできない人もいたようです。 
 
園頭会長はこう言われています。     

それぞれ、みな離れて座を占めて禅定に入る。禅定瞑想するとなると、多くの人は精神統一することと考えて凝念してしまうが、そうで
はない。
完全に心を解放して、心が何ものにもとらわれない状態になって、天からの啓示を完全に受け、潜在意識の底から湧き上ってくる想念とを、自分の胸の、今の一点において結び合わせるのである、と。 

その時、信次師の鞄持ちをされていたOという二十三、四の青年がいられたというのです。

彼が、禅定の姿勢のままでこっくりこっくり眠ってしまうと。すると集合を命ぜられ、懐中電灯で足下を照らしながら、声のする信次師の許へ全員が集まって行くとき、どすーんと倒れる者もいられます。

集まると、信次師は一人一人にどのように発信したかを尋ねられ、                            
「O君、君は、いくらぼくが心の扉を叩いても、ぐっすり眠って、眼を覚まさなかったね」
と、笑いながら信次師は話していられます。                
このとき、信次師が発された念を、キャッチすることが出来る人も、出来ない人もいたようですが、この修業が夜中の一時から四時まで続き、 こうして、九人の弟子達はインドの時と同じ修業をしたというのです。

昼は心の浄化をはかり、夜は禅定瞑想と、離れた所から送られる想念の、キャッチの訓練をしたのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 129 八起正法先生編

     受信機と発信機は人間に備わっている
 
 さらに、信次師は、次のように教えていられます。

 受信機と発信機は人間が製り出したもの、ラジオやテレビは人間がつくったものです。

 人間の心の中には、その作用がすべて整っています。

 ただそれを自分が受ける能力を持っているか、いないかだけの問題です。
皆さんの心の中が、人を恨み、妬み、謗る、そして怒る心をつくったり或いは自分自身がより大きな欲望、足ることを忘れ去った欲望が
多くなると、心にスモッグが出来てしまいます。

 それが多くなればなる程、盲目となり、その力を閉ざすことになるのです、と言っていられます。

 さらに、
「念の速度は光の速度より速い。念の世界には時間、空間がない。つまり思えば即」、
と信次師は教えられたのです。

特別研修といえば、志賀高原のホテル竜王が、何回も使われていて、信次師はよく話していられたというのです。ここは霊域が精妙で良
いから、と。


 
       昭和天皇アショカ王

 
 また、信次師は、次のことも明らかにしていられます。
昭和天皇は、インドの時のアショカ王、その後のカニシカ王といわれた、大変、勇気ある大王です、と。 

アショカ王は、世界で初めて戦争の放棄宣言をして、仏教に帰依した偉大なる王、といわれています。

同じように今世紀も、昭和天皇第二次世界大戦終戦の決定を宣言されたとは不思議でした。  


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 130 八起正法先生編

     ホテルの主人の思い出      
       
 
昭和六十三年五月、園頭会長の主宰される国際正法協会の全国支部長・連絡所会議が開かれています。

ホテル竜王は、昭和六十二年に新築されていますが、ホテルの主人と奥さんは、当時を懐かしそうに想い出して涙ながらに、

「高橋先生にサインを頂いた本は大事にしております。ここで特別研修を受けられた方々も、今はちりぢりになられて」、
と感慨深そうに園頭会長に話しておられます。  
                      
この特別研修の時に、さらに、信次師はこう言っていられます。

「この宇宙には七つの霊圏があり、この地球を中心とした霊圏を指導しているのが、アガシャ系であり、このアガシャ系がいちばん早い速度で、霊的に進歩しつつある」、
と。

また、
「これから世の中は、物質文明の時代から霊的文明の時代へと移ってゆく」
と言っていられます。

そして、研修五日目の、夜の休憩時に、信次師は「母は、かつてキリストを生み、日蓮を生んだ人です」、
と言っていられます。   

                          
 
昭和四十八年九月一日?十日「高弟特別研修」志賀高原

      九月 九日「般若心経の解説、質疑応答」関西

      九月十六日「人生の縁生、質疑応答」東京八起ビル

      九月二十九日「物質と心の科学、質疑応答」東京八起ビル
      九月二十九日「次元、エネルギーについて」東京観音寺  


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 131 八起正法先生編

   
    十月
 


    十月の講話要約
 
 信次師はこの月に次のことを話していられます。

 これまでの政治、経済、教育その他の体質を変えなければ、日本は良くならない。

それには、「正法」を知った、足ることを知った人達が政治をしないといけない。

いつも、生産者が損をして流通機構だけが儲り、いつも消費者は高いものを買わされるという経済機構もよくない。

銀行、保険会社には不労所得が多過ぎる。
その証拠には、日本各都市の目抜きの所は、みな銀行、保険会社が立派な建物を造っている。

「正法」の実践者が多くなったら、正法の実践者の中から政治家を出し、 正法の実践者が流通機構を担当し、正法の実践者が教師になる。 
そして、正法の実践者が銀行、保険会社をやる。
そのようにして、日本を正法の国家にしてゆかないといけません、
と信次師は言われたのです。   


                             
さらに、この十月、大阪講演会の前のこと、信次師は園頭会長へ、突然こう注意をしていられます。

「園頭さん、釈迦の三十二相を勉強するのはやめなさい」、
と信次師は言っていられます。

三十二相とは、お釈迦さんの特徴は三十二あり、例えば、お釈迦様は舌で後頭部を舐められたとか、お釈迦様の陰嚢は腹の中にあって外から見えなかったとか、耳タブに穴が開いていたとか、手足に水かきがついていた等を言うようですが、この信次師の言われる真意は、釈迦についてあれこれ伝えられてきたものを勉強してもダメ、むつかしいお経の中から釈迦の教えを探ろうとしてもだめだと注意された上で、さらに、わたしが説いたことをそのまま信じれば良いのです、という大宣告だったのでしょう。

 
 また、この時期、信次師はこうも言っていられたというのです。

「わたしの本を読み、話しを聞いて、一ぺんでこれが本当だとわかる人は、前世で正法を聞いたことがあるからです」

そして、
「わたしは釈迦・キリストの教えが、永い間に歪められてきたので、それを修正し、原点に帰すために生まれて来たのです」と。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 132 八起正法先生編

         十月のある日、
 

「アトランチカ大陸は、アガシャによって正法が説かれ、高度の文明の発達した国であった。そこに今の共産思想と同じ思想を持った集団が現われ、正法を説く指導者達を殺した。そのために陥没させられたのです」と。

同じく、この時期、信次師は

 私がヤーベとして、ユダヤ民族に説いた正法は、永い歴史の中で歪められて来ました。それでキリストが出て修正することになったのです。
ところが、そのキリストの教えもローマ法王によって歪められたために、天上界からルッターやカルバンを出して、宗教改革をさせることになった」、と。

「他力によって救われた者は一人もいない」と。

そして、
「人間は、心と肉体と経済の調和、つまり、体も健康、精神も健全、それに、ほどほどのお金も持つのが大事である」と。

同じく、
「やがて医者が宗教家の役目をする時がくる」
と言っていられたというのです。

 さらに、
「園頭さん、この頃なにかあると、高橋先生助けて下さい、なんとかして下さい、という人が多くなって困るんです。ぼくはぼくで、修行しなけばならないことがあり、また天上界へ行って天上界の人達を指導しなければならないことがあるし、そういう時に、ぼくの名前を呼ばれると、助けに行かないわけには、いかないのですよね」
と。

そして、また、
「資本主義も共産主義も、どちらも唯物思想であり、神理ではない」
と言った。
 

昭和四十八年 十月六日「苦の原因と心の機能と調和、質疑応答、現証」東京八起ビル

       十月七日「宗教と科学」名古屋

       十月十二日「ノイローゼの原因について」関西

       十月十三日「質疑応答」東京八起ビル

       十月十三日「憑依霊について」関西

       十月十三日「現代宗教と正法の違い」関西

       十月十四日「質疑応答、憑依霊と精神異常」関西

       十月二十一日「憑依霊について、現証」東京八起ビル   
       十月二十六日「科学と宗教」ナショナル 
 
       十月二十七日「悟りの道」川西市
  
       十月二十八日「神理と科学」倉敷市 


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 133 八起正法先生編

        
           秋
 
      「不動明王について」

   和歌山市労働会館での講演                 
不動明王は、正しい心の人々を悪霊から守護する光の天使です。 天国のお巡りさんだと思えばいいですね。

実在界の秩序を正す役目。不動明王というのは、本来、心の世界で働くものだといえます。拝むものではありません」、
と信次師は講演された。


          
      十一月                         
 
  大阪講演「輪廻転生」

 
「今日は輪廻転生についてお話をします。太陽は東から西へ沈んでゆきます。そしてまた明日…云々。」
…というように講演は始まります。… 

  
   マルクスのこと
 
「カールマルクスも、また「光の天使」として出て来たのです。」、
と。

マルクスも光の天使だったと信次は教えたが、無神論の立場をとる共産主義マルクスも経済の考察に行き詰まり、モスクワに神学校を建てた、と信次師は言っていられます


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 134 八起正法先生編

   
     アトランティスアガシ

 
「私は一万二千年前、アトランティス帝国に「アガシャ」として生まれました。」と。

 
      ピラミッド

「ナイル河畔のピラミッドの一つが、やがて我々の同志の手によって発見されます。」、と。
     
この時、アガシャ大王は、悪しき人達が天使達をことごとく殺したので、アトランティス大陸から陸伝いにアフリカ大陸へ避難したという講演もあります。

その後アトランティス大陸は、荒み切った人々と共に一昼夜にして陥没させられることになりますが、アガシャ大王は、避難したエジプトのナイル河畔に、アトランティス帝国関係のピラミッドを造って残し、自分たちの残した資料によって両大陸の関係がわかると、信次師は言われるのです。


 
  『心の指針』高橋信次著、出版さる。

      はしがき

 現代の仏教、キリスト教の神理は、ながい歴史的な過程のなかに埋没してしまったといっても、もっとも、それにはそれだけの理由があります。

人間は、五官や、六根に左右されるように一面においてできているからです。

本書を手にされた読者は、本書の真意をつかみ、調和のとれた生活と、平和な社会を築くための心の糧とされんことを願ってやみませ
ん。 
        
  昭和四十八年十一月吉日                    
                        高橋信次  


                                 
昭和四十八年十一月十日「心を洗う」関西

      十一月十一日「転生と使命、煩悩即菩提」関西

      十一月十二日「正道実践」関西

      十一月ニ十三日「物質と生命、現証」東京読売ホール


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 135 八起正法先生編

      十二月

 
      十二月五日?七日

九州で初めての研修会が、津屋崎国民宿舎において開催され、百二十名の参加でしたが、研修会二日目の夜、信次師は園頭会長にこう告げておられます。

「園頭さん、インドの時のあなたの兄さんが、名古屋に生まれ変わって出ていますよ」、
といわれています。

 
       天台大師のこと
 
お釈迦さまは、中国に陳、即ち天台大師として転生(生まれ変わり)され、法華経を説いています。

本書の釈迦の霊統を参照していただくと分身とあります。

天台大師には陳将軍(陳鍼)といわれるお兄さんがいて、この陳将軍が弟・天台大師のために寄進したのが天台山でした。

この陳将軍なる人が、園頭会長のインド時代の兄であったというのです。
その人は、若松・Tという名で、名古屋に生まれ変わっていると信次師は言い残されておられ、その人を中心として、名古屋のGLAはひろがっていました。

園頭会長はその後信次師と一緒に、名古屋の講演会の時に泊めてもらっていられますが、さすがに将軍であっただけに、刀が好きで、名
刀を山ほど持っておられたというのです。


      菩薩の使命
 
 また、この国民宿舎で信次師は「園頭さん、如来は法の大筋を説き、菩薩は如来が説いた法を、みなにわかり易く説明するのが使命で
す。しかし、如来がいなくなったら菩薩もまた、法の根本を説かなければならないのです」、
と、言われたというのです。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 136 八起正法先生編

        十二月末                            
     東大阪市、関西本部                   
     演題「魂と輪廻転生」                  
 「本年も、この講演会で終ります。皆さんは、我々一人が個の生命とし て、喜びも悲しみも云々」、
から講演は始まり、 この中から、要点だけを摘み上げるとこうなります。

                       
「日本には、いくつもの砲台があるといいます。その砲台とは国を亡ぼす砲台であるということです。
では、その砲台とは何でしょうか、

怒り放題(砲台)、

妬み放題、

恨み放題、

謗り放題、

という民主主義、自由主義の根本を逸脱した、無秩序の阿修羅の様相を呈して云々」、と。 

「心と肉体と経済の三つが調和されたユートピアをつくるために立ち上がらなければならないのです。より豊かな己れ自身をつくり、そして神の国をつくろうではありませんか。」、
と。      

             
 
       質疑応答                      
 
 質問 ノストラダムスの予言について、一九九九のX日についてお聞きしたいのですが。  
                   
 高橋 あなたに逆に質問します。あなたは自分の家にこれから帰るんですね。家がなかったら困るでしょう。我々はあの世へ行ったらまたこの世に帰ってくるんです。その時、この世、この地球がなかったら困るのです。

だから、ノストラダムスがいっているようにこの地球がなくなることは絶対にないのです。しかし、天変地異は起ります。                          

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 137 八起正法先生編

    

      関東地震のこと
 

過日、天上界から東京に大地震を起こすといってきたのです。十二月一?五日までということでした。

 そんなことをされたら三、四百万人が死ぬといいました。
そんなことはされてはたまりませんから、我々はそのために桜島をはじめとして、太平洋沿岸の火山地帯、富士火山地帯のエネルギーの分散を頼んであります。

東京とか大阪とか、大密集地帯に地震を起こされたら、たまったものではありません。  
            
 
       リニアモーターカーについて

 
 「東京 大阪間も時速五〇〇キロのリニアモーターカーに、飛行機より安定した乗り物になります。」 
 

        新しいエネルギー
 
 また、
「これから日本の太平洋岸に、新しいエネルギーが大きく噴出するでしょう。その結果、日本の燃料関係は非常に調和され、ガソリンは斜陽化するでしょう。

今のように闘争と破壊を繰り返し、神の子としての自覚を失ってゆけば、神の子であることを自覚するまで天変地異も起るでしょう。
まだその場所は未定です」、
と。 
     
                  
日本人の反省の自覚を促すために、天上界から大地震を起こすというのです。
人間の霊魂は生き通しのものですから、その人の業(カルマ、心の傾向性)の原因と結果によって、天変地異に巻きこまれる人があっても、それはそれで、仕方ないことだというのです。

日本人が、お金に溺れてバブルに酔い、さらに、自力を忘れた他力信仰に間違い、闘争と破壊という人間としての自覚を失うと、これらの悪の想念が集団的となれば、それを浄化するために、天変地異が起こることになるというのである。   


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 138 八起正法先生編

        夫婦と調和

 
また、信次師は次のことも言われています。

「調和を前提とした妥協は智慧である。夫婦というものは、魂を磨きあ合う最高の相手であり、仲が悪くケンカばかりせず、魂を磨き合う相手を粗末にしてはならない」
と。  

                
             
       霊能者の判断要件

 
関西講演会で、ある人が信次師に質問された。

「『仏陀』という本を書いた人が、自分は釈迦の再来であると言っていますが…」、

 すると信次師は、

「それは、あなたが、見えて、聞えて、話せたら信じなさい」
と解答された。


 その意味は、
 一、過去世の言葉が話せて、

 二、その霊が見えて、その霊と問答ができれば。

それを基準にして正しく判断しなさいと言われたというのです。              
そして、いつも信次師は
「正直者が馬鹿を見ることは絶対にありません」、
と声を大きくして言っている。 

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 139 八起正法先生編

      創価学会のこと
 

昭和四十八年のある日、創価学会聖教新聞の関係者が、信次師の講演を聞かれ、個人指導を受けられます。

すると、「あなた達は、このことが知られてクビになるでしょう。しかし、心配しなくてもいい、クビにならないようにしますから安心しなさい」
と信次師は言われます。

それから、その人達は本当にクビになられます。

そこで、信次師は池田大作会長に手紙を書かれ、

「あなたは、なぜ、私の話を聞きに来たぐらいでクビにされるのか。あの人達にも妻子がある。それをクビにして、一家を路頭に迷わせるようなことをするのは、慈悲を説く宗教家のすることですか。

あなたは〇月〇日、ハワイのホテルの〇〇号室で、北條という人と秘密会談をしていた。わたしは、あなたのことをみな知っている。

クビにしたことを取り消しなさい。しないなら、私にも考えがあります。」
と。

その人は復職されたが、左遷されたというのです。

ところが、その話が創価学会会員の間にひろがり、信次師を殺すという脅迫状が舞い込み始めます。
そのことを警戒して、青年達を警備に当らせたことが三回あったというのです。    

さらに、信次師は、池田大作氏は追剥ぎの親分の蜂須賀小六の生まれ変わりと言い残していられます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 140 八起正法先生編

       神を知りたかったら体を見よ
 

そして、また信次師は
「神を知りたかったら、大自然を見なさい、自分の身体を見なさい」
と言っていられた。                  
 


 昭和四十八年十二月五日「初心者のための正法」福岡

       十二月六日「アガシャ系グループ霊団の使命」福岡

       十二月七日「研修会、第一回」福岡

       十二月八日「八正道の実践について、心に毒を食べるな」関西
       十二月九日「魂の転生」関西

       十二月十六日「質疑応答、体験発表」場所不詳

       十二月二十五日「GLAクリスマス会、現証と講演、大天使の話、イエス様が高橋先生に」東京 
 

      昭和四十八年の日時不詳分

  「アガシャ霊団、その他の諸問題について」東京

  「法に光を(実在界について)」東京観音寺

  「質疑応答、本当の宗教とは」東京観音寺

  「質疑応答」東京八起ビル

  「人生の目的と使命(心の窓)」東京共立講堂

  「質疑」東京八起ビル


 
      昭和四十九年(一九七四)(信次四十七歳)


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 141 八起正法先生編

          一月

 
   一月六日 新春大講演会(神田共立講堂)

   一月十三日 関西本部新年講演会

     演題「心の本質、宇宙即我」

「ようやく私達も全国的に人々の心に普遍的な法灯を点ずる機会がまいりました。しかし、云々。

このように講演は始まる。        
「南無妙法蓮華経、これも毎日一万遍唱えると、救われるんだというのです。
世界でこれで救われた人は一人もおりません。救われたように錯覚しいるだけです。」、
と。

また、
「『〇〇』とかいろいろな予言書が売れていますが、それも人間の危険を察知して心が淋しくなっているから、ああいうものが売れるん
です。」、
と。  
              
  そして、        
「皆さんは「三途の川」という言葉を聞いたことがあるでしょう。それはこの地上界で体験して持った執着を流し捨てる場所なのです。
執着を捨てないと彼の岸へ渡れないのです。」、

更に、    
「今すぐ死ねるという人がありますか、一人もいないでしょう。 自力によって自分自身の心が満たされると、執着がなくなります。

 人委せの他力ではないのです。

心が豊かになると皆さんの後光が大きくなって、初めて宇宙即我、自分は神の子だったということを自覚するようになります。」、
と。

 
      九十憶の人間
 


「この地上界はどんなに多くても、九十億の人間しか住めない。だから、この地上界に生まれてきた縁を大事にしなければならないので
す。」


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 142 八起正法先生編

     同じく一月


 
九州の宮崎郊外の国民宿舎において、三百人ほどの希望者による研修会が開かれ(二泊三日)、参加者の八割は不調和な地獄霊と交渉を持っている気の毒な人々でした。


 T・Y(六十歳)氏は夫や子供をつれて、神戸から来られていました。

二十数年にわたる信仰歴を持っており、彼女の下には折伏された多くの会員がいたというのです。

しかし、これまでの信仰を捨てようと決意したのは、彼女の肉体の故障でした。

憎しみ、怒り、嫉妬の想いが心の中にふくらんでくると、入院していても、きまって関節の痛みが激しくなるのです。

Y氏は夫の介助によって研修会に参加したと信次師に挨拶されます。
信次師が霊視すると、誤った信仰のため、体はガタガタで、背から腰、足の関節にかけて、地獄霊が憑いているのがみえたというのです。

信次師に絶対の信頼を持たせるために、信次師は即座に関節についている動物霊を取り除いたのです。

「お父さん、痛くない、歩けるわ、不思議や」
と、夫も妻の奇跡を目を丸くして見ていたといいます。

 こうして信次師の説く法にはじめて傾くのでした。

「Yさん、あなたが不調和な心で持てば、また別の地獄霊が憑依しますよ。心の在り方を正すことが大事です」
と信次師は言われると、

「不調和な心とは、どんな心ですか」
とY氏は尋ねられます。

「怒り、愚痴、ねたみ、恨みの心です」

「わてらは、感情むき出しの生活だったんや。これはあかん。でも愚痴はどうして悪いんですか。心の中のしこりを取るには一番…」

「愚痴は自分の欲望が満たされない時に出るもの、これは心の中に垢をつくり、他人の心にも毒を食べさせる…。」

大自然を見て下さい。それは私達にこのように生きなさいと教えています。感謝の心は、報恩という行為で正しく輪廻するのです」、
と信次氏は説かれるのでした。
 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 143 八起正法先生編

 
  「迎春」  高橋信次


めぐり来る初春楽し朝の夢 

光り輝く友の姿が

正道の光に満ちて目ざめたり 

年たちかえる元朝の夢

年を経て心の道に迷いなば 

法を頼りに正道を歩く

暖かき陽ざしの如くへだてなく 

己が慈愛を友に施せ

苦しみの因断ちきりて暗きより

光輝くおのが心に

 

 

 

 
 
 昭和四十九年一月六日「心の革命」

       一月十二日「前進のための基礎造り」関西

       一月十三日「法灯を点ぜよ」関西

       一月二十日「ノイローゼ、勇気をもって実践、現証」東京八起ビル定例講演会

       一月二十七日「特別講演会」鹿児島


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 144 八起正法先生編

      二月
 
    東大阪市関西本部に於ける講演

      演題「お経について」

 今日はお経というものについて話してみたいと思います。私達は永い歴史の中で、お経云々、
このように講演は始まります。 

「お経というものは、今から二千五百年前、ゴーダマ・シッタルダーが四十五年間に、もろもろのサロモン(比丘)、サマナー(比丘尼衆生達に説いた一つ一つの言葉であり、神理であります。

それが後に、お経になってしまって、それを後の坊さん達が、お経はあげるものと言ってしまったために、今のようになったのです。

お経を見ますと、はじめに必ず「如是我聞」とあります。

これは「私はこのように聞きました」ということであり、大事なことはお経の中身をよく知って、自分自身の心と行いの指針とすること、それが本当の信心であり、お経を毎朝毎晩あげることは、大きな間違いなのです。

弘法大師が「般若心経秘鍵」というお経の中に、「私は霊鷲山においてかって、ブッダより法を聞いた、そのために般若心経を説くことができる」といつております。」、
と。


       般若心経について
 
「玄奬三蔵は何んとかしてその真実を知ろうとして、遠いインドのナーランダという所まで十七年間もかかって経典を取りに行きます。

その時に大般若経を持ってまいります。その大般若経の中身を圧縮して、そのエキスを取ったものが般若心経なのです。

 一方において、金剛智三蔵といわれる人がおりまして、密教というものを勉強し、人々に道を説いております。

しかし、さすがに玄奬三蔵も「摩訶般若波羅密多心経」という当て字を使わざるを得なかったというのは、この中に含まれている偉大なる神理というものを、中国の言葉では簡単には表現できなかったからなのです。

「摩訶」というのは「摩訶不思議」という言葉を使っているでしょう。「摩訶」は「大、大いに、偉大な」で、「これは大いに不思議
だ」というのを「摩訶不思議」というのです。

また、マハー・バラモンというのは、大バラモン、この際にもマハーを使います。 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 145 八起正法先生編

 「般若」というのは、インドの言葉で「パニヤー」、「智慧」のことです。知識というのは、皆さんが耳を通し、目を通し、体を通して体験したもの、あるいは学校などで聞いているもので、それを心の中に知識として蓄えております。

智慧というのは、皆さんが学問的に学んだもの、また、こうして私が説いている道、それを頭で覚えて知識となっているものを実践した時に、そこから出てくるものが智慧なのです。

つぎの「パラ」というのは、行くとか到達するという意味で、この意味にあてはまる中国語がなかったので、「波羅」という字をつくってあてはめたのです。 

 「密多」、これも当て字です、「内在する」ということで、心の中に内在するということです。

 直訳いたしますと、「マハーパニヤパラミタ」というインドの言葉は、即ち「摩訶般若波羅密多心経」というのは、

「内在された偉大なる智慧に到達する心の教え」、
ということになります。
 


     多宝塔とは
 
「内在された偉大なる智慧に到達する心の教え」というのは、皆さん自身の心の中には、あらゆる転生の秘密が、その宝物が、誰しもあるのです。

皆さん、お寺へ行かれますと多宝塔というものがあるでしょう。多宝塔は皆さん自身の心の中にあるのです。
 
 多宝塔というのは、石やなにかでつくったああいうものではなく、皆さん自身の心の中にそのような偉大な智慧があることを現わしたものであるということを知って欲しいのです。」、
と。


さらに、 
 「やがて私達は、この肉体舟を捨てなければならない死の時がきます。人間自身が神理を知ってあの世へ行くならよいが、他力本願という永い歴史の中で地獄界に落ちた人々の霊が、心というものが、不在で一生懸命に拝んでいるような人達にパアッと憑依する。

この頃、日本人に外国の地獄霊が憑依するようになってきました。ペラペラと外国語をしゃべりますが、よく見ると外国人の地獄霊ですね。

 今までは外国人の地獄霊が出たなどということはなかったのです。最近では地獄でも大分外国語が流行しているようです。」、
と。

(日本語ではない外国語で語ると、過去世の霊があたかも喋べっているかのようですが、キリスト教会などで異言をしゃべるという記事もありますので、正しく見ることが大切です。)

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 146 八起正法先生編

    

    拝み屋さんを正しく見よ
 

 「霊媒とか、拝み屋さんとか、そういう人達も芝居が上手になりました。東北地方で育って、東北弁しか知らないお母さんの霊を呼び出してもらったら、その霊媒を通して関西弁でしゃべっている。

ところが、聞いている方は芝居だということに気がつかない。おかしいことであるのに、聞いている人は真剣に思ってしまう。
 
 正しくものを見るには、霊感者、霊能者といわれる人達の、まずその人の生活行為を見ることです。

一つ一つ、正しく語っているか、正しく生活行為をしているかなど、そういうことは確認せずに、

「あの人、霊感があるのよ」、

はなはだしいのになると、
「うちの教祖、今日はご機嫌が悪いのよ」、

「お賽銭のあがりが少ないからなんですって」

といったりします。そういう婆さんに十万人も信者がいるのですから、日本人は余程間抜けです。

そういう所でまた救ってもらえると思っているんだからおかしいものです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 147 八起正法先生編

     「空・くう」と、「色・しき」について
 
 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 これをつなげてゆきますと輪になります。円になるということは循環、転生するということになります。

空は、あの世、色は目に見える世界、この世です。この世とあの世は、別のものではない一体だということです。

不二一体であるということです。

 

 
      〈質疑応答〉
 
 質問 脳軟化症で亡くなった人の死後はどうなりますか?

 高橋 脳軟化のままで亡くなったり、また胃癌とか肺癌とか、いろいろな病気で亡くなった人は、その病気のままの意識を持ち、不調和な肉体を引きずったままで地獄界におります。
そして、自分で死んでいるにもかかわらず、まだ死んでいないと思っております。

先日、ある地獄霊が、五年前に亡くなっているにもかかわらず、兄弟達に憑ってきて、「私は誰でしょうか」というのです。
その人も脳軟化症で死んだのだということでした。  

 

     教育熱心な家の子供の一例
 
「たまたま先月、私の軍隊時代の学校の同期生が大学の先生をしております。中学三年生のときに亡くなった一人娘さんの霊を出しまして、その人の前で話をさせました。

お母さんも大学の先生ですが、教育のことについては徹底していまして、その娘さんは死んでもまだ、試験に遅れてしまう、友達におくれる、私の病気は治るの、助けて下さい、私は死にたくない、と言っておりました。

 あなたは、死んでいるんだと言うと、死んでいないと言う。

このように、人間は、死んだその時の等速度運動というのを起してゆくのです。即身成仏できるような人達は、正しい心の行いのものさしをもって生活していた人達です。

お経をあげたら即身成仏できるなど、そういうことは絶対にありません。」、
と。

(即身成仏だといって、もぐらのように土の中に入る人がいますが、とんでもない。即身成仏とは、死んでしまったら、すぐに死を悟り天上界へ帰ってゆくことの出来る人をいいます)

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 147 八起正法先生編

質問 自分はなぜ、今、ここにあるのでしょう。

 

 高橋 人間はあの世から出てきたのです。色心不二、色即是空の世界、実在の世界です。内在された偉大な智慧の宝庫を自ら閉ざしてしまったから、なぜ今ここにあるのかがわからなくなったのです。

お父さん、お母さんというのは、永い転生輪廻の中で友達であったり、親しい間柄であったり、縁というものによって結ばれているのです。

その縁を通して今度、肉体を持つ時に、あなたがお母さんになって下さいとお願いするのです。

たとえ不義の子でもいいんだ、その中で私はその疑問の中から悟りを開いて自分自身を知って、多くの人を救ってきますという人もいるんです。
そして、また肉体的欠陥を通して人生というものを悟ってゆきます。


 質問 自殺した子供は、やはり地獄界ですか?

 高橋 夏であったのに、寒くて寒くてしようがないというご婦人が個人指導に来ました。体温計では三十六度四分、でもひざ掛をかけても寒いというのです。
自分自身が親からもらった肉体を、自分で縮めてゆくということは非常に哀れなことです。可哀そうなことです。動物霊や地獄霊に憑依されている霊能者がおります。

そういう霊能者の書いた本などを読んで霊能狂、心霊狂になってしまったら困ります。

ところが動物霊や地獄霊に憑かれてしまうと、

「死んでも生命はあるよ、死ぬことは少しもこわくないよ」などと耳元で囁きます。

そうするとフラフラと自殺したくなるのです。

あの世からこの世は見えるが、この世からあの世は見えません。中には悟って見える人もおりますが、そういう場合は、動物霊や地獄霊が言っているのです。見えないために、神様が言っていると思ってしまうのです。

神理を知らない子供達が自殺してゆくということは、当然、地獄界へ行きます。
死んで自分の家に帰ってみても、今度はお父さん、お母さんと話しができないですから、そういう人達を救う方法は、死んでしまったのだから仕方がないから、よく人生の目的と使命ということを悟らせて、早死にをしたことの罪を詫びさせ、彼に行くべき道を導いてやることが大事です。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 149 八起正法先生編

昭和四十九年 二月ニ日「講演、現証」東京八起ビル

       二月六日「人生とは、心とは何か、憑依霊,質疑応答」東京観音寺

       二月九日「幽霊三題」関西

       二月十日「お経の説明」関西

       二月十一日「心の原点」京都


 
      三月
 
 昭和四十九年三月九日「質疑応答」関西

       三月十日「心の病、ノイローぜについて」関西

       三月二十三日「心の原点」関西
 

      四月
 
     四月六日
   神田共立講堂に於けるGLA五周年記念講演会 
     演題「自力より他力への道」


 「丁度、昭和四十三年七月、信じられないような霊的な現象、本来私は、霊的現象という云々、このように講演は始まります。        
「夜の十時頃から私達は肉体から抜け出し、向うの仲間達にその道を説いております。一方において、もうすでにニューヨークに於ても、我々の仲間が呱々の声を上げようとしております。

そして、これからは、むしろ日本よりかアメリカに私の説いている神理は広がっていきます。しかし私はあくまでも、自分が説いているのではありません。私は代弁者なのです。

我々は急がずとも徐々に人間の普遍的な神理を、心の物差しとして、心の中に法灯をかざして行くようになるでしょう。

その為に、我々はすでに台湾方面にも我々の仲間が呱々の声をあげました。私達は一面識もありません。」、
と。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 148 八起正法先生編

 四月十日?十二日
   宮崎、青島国民宿舎に於ける研修会。
 


     ある教団の会長の例

 
 国鉄のストにより参加者が減ることが心配されましたが、全館貸切りの超満員となります。

霊友会から分派した霊〇会という教団が神戸にあり、その教団から二十名が参加されます。

信次師は、会長の次という人に、その教団の会長に憑いているものを入れられます。

「わたしは古狐でござる、女性を抱いて、金を集めて、金というものはいいもんじゃ」
と、その人の顔は、全く狐に変わり凄い形相であったというのです。

 その教団の二十名の信者達はそれを見てアッけにとられ茫然自失の態であったというのです。
研修会の二日後、四月十四日の関西本部の講演会には、その霊〇会の会長も来られますが、金銭的な執着が強く、話を聞くだけに終ったようです。

 
      福岡の男性の例
 
昭和四十八年七月に正法に帰依し、この研修会に出席された福岡のI氏は次のように語っておられます。

 六人ほどで信次師の部屋を訪ねられます

I氏の番になると、信次師は半眼になって、氏の想念帯を見ていられる様子でした。

氏は事故の後遺症の為に腰痛に悩んでいられて、何も言わないのに信次師は、

「三十六年にありましたね。『一日一生』の意味を良く考えてください」
と言われたというのです。

事業をしている氏は、机の上に山のような仕事を残して研修会に出席されていたらしく、信次師はさらに、

「沢山の仕事を残して、「一日一生」です。事故の日はいらいらしていましたね。八正道からはずれるとまた悪くなりますからね」、
と告げて光を入れられ、光を入れ終えられた信次師は、

フィリッピンのトニーだったら、四十万円はくだらないでしょうがね」
と笑っていられた、と。  
      

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 151 八起正法先生編

 昭和四十九年四月六日「自力から他力への道」神田

       四月十日「研修会、初歩の人を対象にした正法の話し」九州第ニ回

       四月十一日「研修会 九州第二回

       四月十三日「心の革命」産経ホール

       四月十四日「仏教の変遷、現証」関西

       四月二十日「高橋信次先生と中国S氏対談

       四月ニ十八日「調和への道」東京観音寺

       四月ニ十九日「心と生活、質疑応答」相愛学園
 
        五月
 
   昭和四十九年五月二十三日 
     福岡県二日市講演会
「こうして九州への講演も佐賀県では丁度三回近くになり、当地でははじめてでありますが、およそ信仰なんて言うことになりますと、非科学的な何かをおがませるんじゃないか、或いは、そういう一つのお経を上げて、先祖を供養したり、偶像を祭って拝むことが信仰ではないかと、恐らく多くの人が感じているのではないかと…云々」、

 このように講演は始まります。 

 さらに            
「信じようと信じざるとにかかわらず、真実の人間の心の声というものは、人間は見逃すことは出来ないのです。

 永遠の生命として人間は誰も皆、神の子なのです。人間は金の高さや地位の高さによって価値が決まるんじゃないのです。

人間らしく生きている人達こそ本当の神の子なのです。

足ることを忘れされ、自分さえよければ良いと生活している人達は、やがて自分の首を自分がしめるようになっていくのです。

幾人かの人達を通して実験してみましょう。」、
と。

それから転生輪廻の証明へと入っていきます。  
     
 
昭和四十九年五月三日「イエス、モーゼ、釈迦のメッセージ」志賀高原
       五月四日「正しい自己の確立」志賀高原

       五月五日「研修会」志賀高原

       五月六日「研修会」志賀高原

       五月十一日「心のスモッグ」関西

       五月十二日因果の法則」関西

       五月十九日「心の原点、現証」横浜

       五月二十一日「般若波羅密多への道」佐賀

       五月二十二日「人生の目的と使命、質疑応答」関西

       五月二十三日「偉大なる悟り」福岡二日市

       五月二十六日「心の発見、質疑応答」和歌山       
       五月二十七日「特別談話、予言書」和歌山

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 152 八起正法先生編

     六月
 
    京都、中心山荘に於ける研修会

「私は二十年近く冷え性で困っています」
と。

信次師は六十代の婦人の後ろに、白い着物をつけた修験者が立っているのがわかられたというのです。

「あなたは二十年くらい前から厳しい肉体業をしましたね」

「そうです、滝業もやりましたので冷え性になったのです」
と答えます。

 地獄霊は信次師の声を婦人に聞えないようにしています。

 憑依している修験者に信次師は言われます。
「この女性から離れることです」
と言われた途端に

「滝業をしているのを見て、力を貸して協力するのがなぜ悪い」
とくってかかるのです。

「お前自身が地獄に堕ちていて、この女性を救うことなどできぬことだ」
と信次師は告げられます。

「お前は生前、家族を放り出して、家族の者を路頭に迷わせ、修業中に谷底に落ちて死んだのであろう」、

と信次師の口からつぎつぎと厳しい言葉が出てきます。これは信次師の守護霊の言葉だったというのです。

「光が強くてお主を見ることができん」、
と地獄霊はひれ伏してしまいます。

「救ってやりたいと言っているが、本当は自分の行く場所がないので、憑いているのだろう」
と信次師が言われると

「わしも救われたいのじや、この寒い場所から救って下さい、この通りじゃ」
と地獄霊は言うのでした。

「お前は働くことがいやで、家族の生活を見て見ぬふりをした。家族に温かい言葉すらかけたこともない、違うか」
と厳しく信次師は言われると、

「よし子、許してくれ、父ちゃんは悪い父ちゃんだった」
と修験者の心に仏心がよみがえって来て、婦人の体を通してわんわんと大声でなくのです。

「今、肉体をかりている女性に対して、今まで狂わして来た罪についてはどうか」、

「許てくだされ神だ、竜神だと言って迷わせて来ました。今までの罪を許してください」と、

婦人は一人で二役を演じていることに会場は不思議そうに見ていたというのです。

 こうして修験者は婦人の体から出て行った。彼女の顔は赤味がさし、

「カイロが入っているように暖かい」
と言ったというのです。

「地獄に堕ちた修験者でしたよ」
と信次師が婦人に言われると

「ヒャー恐ろしい」
と言って、信次師に頭を下げ降壇されたのです。
 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 153 八起正法先生編

昭和四十九年六月八日「心の公害」関西

      六月九日「心行の解説、質疑応答」関西

      六月二十一日「人生の目的と使命、自力と反省」京都中心山荘

      六月二十二日「光の入れ方、注意事項」京都中心山荘

      六月二十三日「反省と禅定、反省の苦病からの解放」京都中心山荘
 
 
       七月
 
 
 昭和四十九年七月十三日「気違いニ題、質疑応答」関西

       七月十四日「質疑応答、冷寒地獄の女性」関西

 
 
       八月
 
    『月刊GLA』
  昭和四十九年八月号にみるGLAの状況

      お願い、
最近、会員同志で意識に光を与え霊道を開く例が多くなっています。これは非常に危険であり、絶対にやってはいけません。

霊道開眼は、先生しか出来ません。守護霊か魔王かの見分けが普通では出来ないからです。

光を与えないのに霊道現象が起った場合は必ず本部に連絡して下さい。そして先生のご指示を仰ぐようにしてください、とこの頃のGLA誌には注意書きがなされています。

困ったことが多発したようですが、これは一般によく知られている「手かざし」や類似の行為によって「浮霊」等と呼ばれ、霊が突如と
して出てくることがあるからなのです。

 その霊は守護霊か地獄の霊かの判断がつかないので厳に戒められたのです。

信次師はいつも、その霊が「見えて」「聞えて」「話せる」なら信じなさい、つまり、過去世の言葉が話せて、霊が見えて、霊と問答ができたら信じなさいと言っていられたのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 154 八起正法先生編

    八月二日

   志賀高原熊の湯温泉における夏季講習会

 遠くは北海道、九州、沖縄方面から大学教授、医者、裁判官、芸術家、工員、教師、実業家、主婦、サラリーマン等が集いました。

中には論戦を挑んでくる人、面白半分の人もいたといいます。
しかし信次師には、どんな気持ちで聴衆者が研修に臨もうと一向に差支えなったのだそうです。

人間の真実な在り方の一つでも二つでも理解してもらえば信次師は満足でした。

超満員でしたが、信次師は会場を肉眼と第三の眼で見られると、不調和な者が多いと信次師は正直なところ気が重くなられたといいます。

講演は二時間半に及んで、その日は、
「人間はどこから来たか、どんな目的と使命を人間は持っているのか、死とは何か」、というものでした。

 
      ウグイスの霊
 
しばらく休憩されて、質問の時間に入ると、五十ほどの小太りの夫人が手を上げられたというのです。

そして。こう言われます 
「先生、私は幼少の頃から神様の声を聞き、不思議な現象を経験しましたが、『心の原点』(信次著)を読んでから、私の神様に疑問を持ってしまい、肉体的にも精神的にも苦しいのです。どうぞ教えて下さい」
とS・K子氏はうつむき加減にボツボツ話をされます。

「今も体がしびれています。救って下さい」
と手を合わせると、すると信次師は、
「あなたは小さい頃から、屋敷の中のお宮を拝んでいたようですね」

「はい、私の耳元で、稲荷大明神であるぞ、守り神じゃ」
と言っていました。

「お母さんも熱心に信仰していましたネ。」、

「ハイ父が亡くなりましたので、母が受けついで信仰して来ましたが、十八のとき亡くなりました」
と答えられます。

「なぜ早死にしたのです」、

「信者の悪い業を受けて…、と神様がいいました」、

「ハハァ、あなたの神様がね」
と信次師が言われると、会場から失笑がもれ、

「Sさん、お母さんは感情の起伏が激しく人格がかわりましたネ」、

「ハイ、神様が母にはいる時は、母と思いませんでした」
と答えます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 154 八起正法先生編

そして、
「私は何も悪いことはしていません」、

「あなたは善悪の規準をどのようにしていますか」
と信次師が言われると、夫人は急に感情を高ぶらせ、ひらきなおって、

「私を指導している神様は本物なのでしょうか」
と目をつり上げたというのです。

 信次師は自分で確認してもらうことにして、Sを壇上にあげられ、
「神様を入れて下さい」
と信次師が言われると

「そんなことはできません」
と答えられたが、その内に合掌した手が上下運動を始め

「ホー、ホー、ホー」、

「ホーホケキョ」
とうぐいすの鳴き声で出て来ます。

 彼女はうぐいすの神様がついているというので新潟方面で知られており、そこで、

「ウグイスの霊ではない」
と厳しく信次師が告げられると、

稲荷大明神じゃ」
という。

稲荷大明神でも何んでもない、ただの動物霊」
と信次師が言われると

「この馬鹿女、こんな所へ来るなと言ったのに」
と本性を現わしてきたというのです。

 さらに会話は続きます

      許すことによって安らぎは得られる
 
「俺はこの屋敷に住んでいる狐さ、この家の先祖に殺された。そのうらみをはらすために、この女を一生苦しめてやる」
と狐は涙を流し始めたというのです。

「百年以上も、この一族のものに、うらみを持ち続けても、お前の心は休まるか」、
と信次師はその是非をいいきかせられ、

「お前の気持ちもわかる。住みかを追われ、子どもを奪われたとしても、お前より弱い他の動物たちにお前がそうしなかったと断言できるか。許すことだ、無慈悲に殺生した罪はたしかに悪いが、許すことによってお前も救われ、相手も前非を悔いることができよう。許すことだ」

と信次師は誠心誠意こういってきかされると、彼女の背後にしがみついていた白狐の姿は消えるように去っていったというのです。

狐が去ると、彼女は顔に赤味がさし、体がポカポカされてきて、
「白狐でしたネ」と、

夫人は心の中で神様を呼んでみても、答えが返ってくるはずもなかったというのです。

そして信次師はS氏にそれから心の正しい規準を説かれ、正しい反省の生活をするように話されると、するとS氏は信次師に感謝の意を表わし、一礼すると会場に消えて行かれたのです。

白狐が百数十年も、うらみを持ち続けたというのです。

一寸の虫にも五分の魂と云うが、信次師は動物霊、特に狐について次のように言っていられます。


?

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 156 八起正法先生編

       狐のこと

 
「狐にも魂がある。うらみ、つらみは人間ほど感じないが、蛇とか狐の場合は、地球上での生活経験が永いので、他の動物たちより人間に近い感情を持っている。人間より単純ではあるが、奸智(わる知恵)が働く場合がある。

しかし、しょせんは動物的で、本能的であり、本能の命ずるままに生きている。

動物が憑依する場合は、大抵は狐が憑く、人間の意識を通じて話すので、まるで人間が語るような調子になってくる。」、
と。

 
     なぜ、日本の霊的現象には狐が多いのか
 
それは稲荷信仰が多いからであると信次は言っていられます。
稲荷大明神はあの世の天使の役柄です。

決して狐ではなく、五国豊饒の神として地上の善なる人たちを助けたり、商売繁盛にも力を貸してくれます。

もちろん、天使が直接手を下すというより、天使の手足となって働く狐たち(使い姫)がその役になっています。

そのため、お稲荷様を拝み、念願が叶ったら礼をいい天使のもとへ帰ってもらえばいいが、人間は欲が深いので、社をつくり年中頼み込むということになるので、その内に動物の本性を現わし、怒り出し家の中を不調和にしていくのです。外国には蛇の信仰が多いようだ、
と。
      
                           
 昭和四十九年八月十八日「仏陀の注意、現証、憑依霊を救う」東京


 
       九月
 
    演題「釈尊の成道」
     日時場所不詳                                 
     
  同じく九月
 千葉の教育会館の講演会が終り、信次師を囲んで二十名程で夕食会が催され、講師の一人、渡辺泰男氏も出席されて、こう記述されています。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 157 八起正法先生編

      GLAの混乱の背景になるもの
 
このとき、ふと、信次師が
「GLAの三大事件というのがありましてね」
と話し始められたといいます。

「先ず、去年のI事件」

それは、この一、二年で男性の有力な過去世を持った人(園頭会長)が出てきた為に、 それまでは現証指導というと、華々しく活躍していた女性が、ひがんだか、ねたんで起したトラブルである。

「次にW事件です」

これは信次先生の分身と過去世で兄弟関係にあり、ある地方本部の設立に大変功労のあった人だったが、ワンマン社長の性格丸出しで、運営上、将来に問題が残りそうだというので信次先生がうまく処罰した件である。

「で、三つ目は」

「はいそれは、あと二年半すると起ります。前の二つとは比較にならぬ大事件です。そして、その事件を通じて、本物とにせ者とがふるいにかけられるのです」
と信次師は重大な予告をされたというのです。

(このとき信次師は、二年半後の昭和五十ニ年に本物と偽者がふるいにかけられる事件が起こると予告されていますが、これは後述する
ミカエル宣言にまつわるGLAの混乱でしょうか。)  

        
 
      同じく九月
 
 九月二十日から二十二日の盛岡の研修会に、渡辺泰男氏は信次師のお供をされたというのです。

そのとき、信次師たちの車が長いデモ行進にさえぎられ、幾度となく進行をはばまれると、あの、人を惹きつけずにはいない温顔の信次師が、顔をしかめて、  

「困ったことですね」

「闘争のなかに調和はありません」
と独言のようにつぶやかれたというのです。

 盛岡の研修会は、はじめは「つなぎ温泉」で、次は盛岡の公会堂での講演会の予定で、渡辺氏は持ち時間、三十分間の信次師の前座をつとめることになっていたというのです。

そこで、開演前、控え室に渡辺氏が行かれると、ある講師と、ある特定の人物のことをしきりに話をしていた信次師が、

「渡辺さん、縁なき衆生は度し難しなんですよ」、

「これだけ言っても、まだわからないのかと、説いても説いても結局駄目な人は、駄目なんですよ」
と念を押すように信次師は言われたというのです。

 
昭和四十九年九月七日「法帰依について、各講師との対話」関西

      九月八日「心の法則、正法と現代宗教、質疑、現証」関西
      九月十五日「人生の原点」千葉

      九月二十日?二十二日「盛岡研修会」盛岡

      九月二十三日「般若心経について」東京 

 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 158 八起正法先生編

    十月
 
     十月十三日
     大阪講演会

信次師は
「霊道を開くことを目的として八正道をやるのではない、日常生活に行ずることが尊いのです。」

そして講師達に向けて、 
「あなた達は、ぼくが説くことを、細かく日常生活に密着するように話をしなさい」
と言われます。


      同じく十月

信次師の高弟の一人、園頭会長は「なぜ、お釈迦様は二千五百年して日本に生まれることを予言されるのでしょうか」

と信次師に質問されており、その解答が次のジャブドーバーです。


 
  「ジャブドーバー
                      高橋信次

ある方からこんな質問が来たので今回はそれに答えることにしよう。
質問の要旨は、ゴーダマ・ブッタは、なぜ日本を再生の地としたか、どうしてアメリカや他国を選ばなかったか、というのです。

一口でいえば、仏教、正法が伝えられやすいからでありました。

二千五百有余年前に、釈迦は、ジャブドーバー(東方の国の、ケントマティー(都会)において、ふたたび正法流布を行うと弟子たちに
宣言しました。

 どうしてこのような宣言になったかといいますと、今日の世界事情がどのように動き、人類の意識がどうかわっていくか、ということ
が、ブッタには理解されていたからです。

 まずこのことが第一点。

第二点は、正法を再興する場合の地理的条件が加味されたのです。

世界の交流がはじまったのはせいぜいここ百年ぐらいの間です。それまではごく一部の要人、商人を除いては、ほとんど他国との交渉を持つことがありませんでした。また持てなかったのです。

正法が流布されていくには、言語や地理的条件が当然考慮されます。 
第三点は、正法を理解するにはそれを受け入れる基礎的土壌が必要です。
伝統や風習が異なり、ものの考え方に大きなへだたりがある場合は、正法を突然持ち込んでも、これを咀嚼するのにかなりの時間が要ります。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 159 八起正法先生編

しかし日本における仏教の歴史は古く、そして伝教大師法華経を中国から持ち込むことによって、仏教は定着したのです。

その後、ここへくるまでには、現象界の状況が絶えず見守られ、実在界で計画されて来たものです。

それゆえ、ブッタの公約は、必然の形をとって現在に至っているわけなのです。

 第三者からみると、アメリカやヨーロッパでも、と思われるでしょうが、右の事情を参酌すればおのずと理解されてくるでしょう。

正法流布は、こうした計画性の下に進められてきているのです、と。
                                 


        同じく十月

 園頭広周会長が、ある人に宛てた昭四十九年十月十五日付の書簡より要約してみますと、この当時の様子がよくわかります。

「合掌、十九日から長野県の奥志賀高原での特別研修に出席するために、十八日に上京します。

来年一月に高橋先生がアメリカに行かれるという話は延期になるということです。

高橋先生は、早く指導者養成をしなければとしばしば言われるようになりました。

 また講師の中には

「守護霊に聞いてみます」
とか
「あなたの守護霊がこういっています」
とかいって、実際には守護霊が見えるのでもないのに、さも守護霊が見えるかのように装って、自分の霊能を誇示するかのように指導している講師がおります。

 これは本当ではありません。 
               
引用した書簡は、神奈川県の会員が増え、世話役をしていた〃ある人〃に個人指導を頼む人が増えてきます。そのために、
「霊道を開いていない者は、個人指導をしてはならない」
という通達がGLA本部事務局長名で出されて。そのことに対して書かれた手紙です。

 この時期のGLAの様子が垣間見れましよう。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 160 八起正法先生編

     
    十月十九日


   長野県奥志賀高原における幹部特別研修会

この時、信次師は
ソクラテス毛沢東として生まれ変わった」
と言い残していられます。

さらに、
「園頭さん、僕は今のGLAをつぶしてもかまわないと思っています。東京本部の講師達は少しも勉強をしません。」
と。

 そして、
 この特別研修の時、信次師は実在界・あの世について話していられます。

ブッダはおもにインドで生活しましたから、ブッタの天上界の住まいはインドの上空に、また、イエス様の住まいは、今のイスラエルの上空にあります。

 インドの上空に釈迦の宮殿があり、その宮殿の番人をしていたのが園頭さん、あなただった。

この人はきびしい人でね、ぼくでも時々叱られることがあった。法の番人、それがあなたの使命なんですよ」、
と。

  園頭会長は法の番人であられたというのです。

 法律は人間がつくり出したもので、時と場所によって変えられます。
しかし、ここでいう法とは、人間によって変えることの出来ない神理です。

園頭会長は、イエスの時代のガブリエル、宗教改革のカルバンといわれていられますので、だから、法を歪める人には特に厳しいのかも知れません。

この特別研修の時、信次師は途中で車を止めさせて、弟子達にもぎ立てのリンゴを買って配られたというのです。

更に信次師は
ソ連は悪魔の動かしている国ですからね」
と言われた。

また、信次師は

如来とか菩薩とか、光の指導霊は、自分で自分のことを言わないのです。自然に人が言ってくれるのです。自分から言うのは、ニセモノが多いのです」
と告げられています。

?

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 161 八起正法先生編

      東京、中野のTさん夫婦のはなし

 
ある時、Tさんは信次師の個人指導を受けられたというのです。
信次師はこう言われます。

「あなたはすぐ腹を立てますね、そして、おかしなものを祭っていますね。あなたの身体を大きな蛇が取り巻いている。こんなおかしな信仰をしていてはいけませんね」
と。    
                      
そのようなことがあって数年後、奥さんが脳卒中で入院。Tさんが、夜、坐っていられると

「二週間」
という声がします。

二週間したら快復するのか、或は、それまでの命かと思われたというのです。
正法の生き方に従い、正法を念じる以外にないと静かに反省されると、
そうしたら、二週間したらピタリと治ってしまったというのです。
                  
               
      同じく十月 
 
 十月のこと。GLA関西本部での講演が始まる前、控え室に入って来られた信次師が

「園頭さん、如来は教の大綱を説く。菩薩は、如来が説いた教えを日常生活にどう活かすかを説くのです。しかし、如来がいなくなった
ら菩薩も教の大綱を説かなければならないのです」
と、言われます。

また、
如来は、未来のこともすべて見通す力を持つのです。日本に生まれるのを予言したのは、二千五百年経った時に、日本が世界に大きな影響力を持ち、正法を説くにふさわしい国になることがわかっていたからです」

と言っていられます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 162 八起正法先生編

十月のある日

 
生駒の三鶴山荘に泊った信次師と園頭会長は、中秋の名月の露天風呂でのこと、信次師はこう言われます。

「園頭さん、ホー今度も、インドの時と同じように九つ違いですか。僕達が天上界で、今度は誰がどこに生まれるかを決めたのは、寛永二年でしたね。

 北海道にと思ったが遠すぎる。それで、インドのカピラに似ている長野を選んで、そして、次に父と母を選んで、まず、その父母になって下さる方が先に生まれるということになった。」
と。

 さらに、
徳川幕府の体制のままでは正法は説けない。そこで、徳川幕府を倒して天皇制にもどすために、北畠親房に『神皇正統記』を書かせ、
勤皇思想を高めることにして、明治維新をやらせた。

僕の分身は木戸孝允として、園頭さん、あなたの分身は西郷隆盛として鹿児島に出た」
と信次師は語られます。
 
 また、しばらく沈黙が続いて、

「竹林精舎のあそこの所に温泉がありましたね。伝道から帰って来る途中で、突然雨が降り出して、赤土の土埃りがポコポコとなった所に、大粒の雨粒が落ちると、小さくポコッと土煙りが立って、足は埃りだらけになる。それをあの温泉で洗い落としていた。一度インドへ行って見たいものですね」、

と。


 そして、また沈黙が続きます。

このように、インドでの回想が二人でなされたというのです。
竹林精舎の南に、今も温泉があって、ヒンズー教徒とイスラム教徒の入る湯は別々になっているようです。    
                                 
 昭和四十九年十月十二日「ノイローゼ」

       十月十三日「触らぬ神に崇りなし、質疑応答」関西

       十月二十一日特別禅定東京 
           
       十月二十二日「志賀高原にての談話」長野

       十月二十六日東京講演会

 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 163 八起正法先生編

   十一月
 
   十一月の大阪講演でのこと。

信次師は
「園頭さん、今日の講演はインドの時と同じようなやり方で、私に代表質問して下さい。それに私が答えるという形で、今日の講演をやりましょうか」
と。

そこで、園頭会長は
弥勒菩薩下生経によると、弥勒菩薩が生まれ変わって、出て来られるように伝えられていますが、本当はどのように伝えられたのでしょうか」
と。

 信次師は次のように語られています。

「お釈迦様は東の国、日本に生まれて法を説くと予言して亡くなったのですが、人々に書き遺す役目を持った弥勒菩薩は正しく書き遺すが、お釈迦様は再び生まれ変わってこられることはないだろうと後世の人が解釈して、削除したために、弥勒菩薩だけが生まれてくると伝えられてしまった」
と言い残していられます。
                     
           

     十一月十六日

    宮崎講演会 参加六百名
 
     十一月十七日
    福岡市東光中学校に於ける講演会 参加千名            
  宣伝カーによる放送文の一例

「街頭のみなさん、こちらはGLA西日本本部の宣伝班であります。ベストセラーをつづける『心の原点』『縁生の舟』(改題『心の発見』、『原説般若心経』)の著者、高橋信次先生の大講演会が、十一月十七日午後一時より、東光中学校体育館で開催されます。

人々が「心の原点」を見失った時から人生を明るく豊かなものにするために、十一月十七日午後一時よりの東光中学校での講演会にぜひお出て下さい」
というものでした。

 ポスター三百枚、立看板五十、ビラ三万枚、葉書五百枚が配布され、約千名の人が集っています。

講演会の様子をあげます。

 真光文明教団の「手かざし」で眼が見えなくなっていた子供は、眼に動物霊が憑依していたのでした。

信次師が、その憑依している蛇の霊を取り除かれると、眼が見えるようになり、不調和な信仰は厳に慎まなければならないという思いで聴衆者は帰っていかれたというのです。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 164 八起正法先生編

昭和四十九年 十一月九日「精妙な心、心と人生(幽霊)、質疑応答」関西

       十一月十日「病と憑依の実例、質疑応答」関西
   
       十一月十六日「座談会」宮崎

       十一月十七日「現代宗教のひずみ」福岡
 
 
      十二月
 
      年の暮れ

湘南地方の会員が、小田原で信次師の講演会を開きたいという強い要望で、昭和五十年三月の信次師の講演に向けて準備されていたというのです。

湘南地方全体で会員が二十名ほどであったそうです

相談を受けられた園頭会長は、三月に向けての宣伝講演を実行され、千名の人が集まり盛会だったようです。

そのとき新宿から来た人に奇跡が起り、新宿で会長の講演会が三回行われましたが、その頃、千葉の船橋から協力される人があらわれ、船橋で講演会が開かれようとする直前、船橋の責任者が、信次の実弟興和本部事務局に呼ばれ、

「GLA本部に講師もいる、なんで九州の」
と、中止されたと会長は激白されています。

 

 
      十二月になると、

 
この頃 信次師は、
「園頭さん、僕はもう全て話はしたし、書くことは書いた。もう話すこともなくなった。今日はなんの話をしましょうか」
と言って登壇されていたといいます。 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 165 八起正法先生編

      昭和四十九年のある日、中丸薫氏のこと
 

明治天皇落胤の娘であられる中丸薫氏が、大阪の講演会に信次師を訪ねておられます。

中丸氏は個人的外交官として、諸外国の王、大統領、首相と直接に逢うことの出来る人なのです。

中近東のオーマンの砂漠を走っていられる時、突如として天から、
「祈れ」、
と声がしたというのです。

車から降りて、砂の上にひざまづいた時、再び、
「身につけている宝石、貴金属はみなはずせ」、
という声がしたので、。しばらく祈って目を明けると、何百万もする宝石、貴金属がみな失くなっていたそうです。

そこで氏はあちこち探されたが、見つからなかったというのです。

日本に帰って来られて、信次師のことを知られた氏は、八起ビルを訪ねられたというのです。

 すると、何も知られない筈の信次師は、いきなり

「オーマンでは大変でしたネ」
と指摘されたといいます。

そのようなことがあって、正法に帰依された人です。
その中丸氏が、この講演会の信次師を訪ねられる直前、園頭会長は信次師に質問されていました。

その質問とは、
「世界が平和になるためには、ユダヤフリーメーソンの問題を解決しておかなければならないと考えますが…」、

 信次師は、
「今はまだ言う時ではない」、
と言われると、中丸氏も、
「今は言わない方がよい」、
と。

 その日の講演で信次師は、
「これから共産圏に飢饉が起る。日本をダメにしようと計画した国は、その内部から崩壊することになる」、
と。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 166 八起正法先生編

それでは、中丸氏が自著にどう書いていられるか見てみましょう。

 

 
      中丸氏の不思議な体験
 


 中丸氏が信次師に会われたのは、信次師の『心の原点』を読まれて感銘を受けてからだったというのです。

 信次師は氏に
カイゼル髭をたくわえた高貴なご老人があなたに寄り添っているのが見えますが」

「あ!それは父の堀川辰吉郎です」

そういうことがあった後の一九七六年(昭和五十一年)三月、氏はアラブ首長国連邦を訪ねていられたといいます。

「サイド国王に謁見した夜、祈りたい気分で、秘書と二人で海岸へ車を走らせ、海辺に腰を下ろして沈思黙考していると、突然、雷光が走った。

我に返ると大粒の雨に全身ずぶ濡れになっていた。慌てて立ちあがり、はずしていた三つのダイヤをバッグに入れると待たせていた車に走った。

 車が動き出すと激しい雷雨は嘘のようにやみ、確かに入れた筈のダイヤなくなっていて、

「あなたにはダイヤなどいらない…心の中で輝いている」
と声が響いたというのです。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 167 八起正法先生編

     ユリゲラーのこと            
     
昭和四十九年は、
 ユリゲラーのスプーン曲げにはじまる超能力ブームでしたが、信次師は
ユリゲラーは動物霊が支配している。正しく見ることです」
と言っていられます。

 当時の週刊誌によると、
「気分がコロコロ変わったり、気むづかし家で大変に困った」
等と書かれていますが、超能力は、あの世の霊の協力によってなされます。ユリゲラーは動物霊の協力によって超能力を発揮していたというのです。

超能力者という人を正しく見て、超能力にあこがれてはいけないのです。                     
                                
 昭和四十九年十二月七日「一年の反省と真の法灯」関西

       十二月八日「昭和四十九年を省みて、質疑応答」   
 
 昭和四十九年、日時不詳の高橋信次師の講演リストをあげます。

 「大自然と人間との関係」東京八起ビル

 「神理入門、ブラジルの友へ」東京

 「志賀高原談話、各先生と信次先生との対話」場所不詳

 「個人指導」場所不詳

 「不滅の生命」場所不詳


     昭和五十年(一九七五)(信次師四十八歳)
 
        一月
 
      一月二十一日

     経営研究会発会式

 いかにして、宗教を経済の中に採り入れるか、正法による社員教育もこれから必要であるという主旨によって、信次師は経営研究会をつくっていられます。

 こうして、信次師は経営の中の人間教育として、正法が入っていかなければならないという考えのもとに「人間道科学研究所」所長という肩書きで講演をしていられます。

宗教という言葉を切り離して、人間道科学研究所・所長 高橋信次、というわけです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 168 八起正法先生編

 月刊『GLA』の中に〃正法と経済〃 について多くの記述があります。                             

                                 
   「正法と経済、その目的とあり方」 
     
    一九七三(昭和四十八)年十一月号  
 
「本稿は、さまざまに変化し、目的を見失いつつある現代経済の姿にメスを加えながら、正法に照らした経済の在り方、経済とは一体何であるのか人間は経済の奉仕者なのか、それとも経済が人間の生活を豊かにするためにあるのか、未来社会の展望などにわたって論を進めてみたいと思う。

まず経済の概念について考えてみよう。

辞書によると、経済とは金を儲けたり、使ったりする各種の行為又は状態をいう、としている。

経済学は人間の欲望充足のための手段として経済を見、ここに焦点を合わせながら、学問としての論理を展開する。

現実の経済行為は、辞書や経済学のとらえ方を裏書きするかのように、激しく、冷酷なまでに動いている。

それこそ、政治も、教育も、科学も、労働も、文化も、現実の経済の動きの前には手も足も出せず、これに翻弄されながらも、かろうじて命脈を保っているといえるようだ。

何をするのも金、生きるも金、いうなれば経済の御厄介にならぬものとてないのが現実である云々」、
と。…


これは一九七六年一月まで連載されますが、さらに一年前の一九七五年一月二十一日から九月十九日まで六回にわたって説かれた「真の経営者の道」は、正法による理想世界を建設するためには、正業(正しく働く)による経済革命、経営革命の行なわれなければならないとする目的をもって説かれたのです。

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 169 八起正法先生編

        一月 
 

       関西新年講演会
 

        演題「道」
 
「おめでとうございます。関西本部で講演するのもこれで四年目の新春を迎えました。昔の云々。」 
 


      日本の経済破綻
 
「自由諸国に於けるイタリーの経済破綻を知っているでしょう。日本はこのまま行ったらイタリー以上の苦境に立たせられるでしょう。」、

さらに、
 「都合の悪いのがいて、我々のことを祈るわけですね、こちらは何も無いんですから。反作用というものは、心の中の念も同じ結果を呼ぶということを知らなくてはいけません。

念ずるということは、やはり、相手の心のきれいな人を念じれば逆に念じた方がやられます。また、相手の方が不調和で、祈る方も不調和なら、それを相手は完全に受けて現象化されます。

 反射しちゃいます。
ストーブと同じですね。ですから、やるのもけっこう、」

 
 昭和五十年一月五日東京新年講演会
 
 
         二月
 
        二月九日

信次師は毎月の定期講演会のため東京を発ち、目的地の新大阪に着くと、会場にはもう何千という人が集っていた。

 講演は「人の道」についてである。
 講演が一時間半、質疑応答が二時間半、通算四時間休みなく続けられて、講演が終ると、ひとりの面会人が信次師を訪ねて来ていた。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 170 八起正法先生編

      憑依された脳内出血の例
 
「私は神奈川のKと申します。
私の弟は多くの人々に神の道を説いていますが、急に病気になり品川の病院に入院しています。
 医者は脳内出血と申して、手術を明日にでもと言っていますが、どうしたら良いでしょうか」、

と持参した写真を信次師に見せると、写真の中に魔王や動物霊の姿がはっきりと写っていて、これには皆驚きます。

「手術はちょっと待って下さい、明日病院に行って見ましょう」
と信次師は返事をすると、翌日病院へ急行されます。

部屋には「面会謝絶」とあったが、信次師が病室にはいって見ると頭から腰にかけて完全に動物霊が憑依しているのが見えたというのです。

K氏の弟は時々ケイレンをしていたので、信次に同行した僧侶の村上氏が、汗を流しながら動物霊を除いていられます。

信次師は心の中で、当人の傍にいる魔王に神の子としての道を説くと、三十分ほど経った時、意識不明がよみがえり、自分でトイレに立
ったといい、こうして、K氏の弟は日に日に回復に向い、手術することもなく回復されたので、医者も信次師達の処置を不思議がっていたというのです。

 K氏の弟は退院後、信次師の事務所を訪ねます。

 改めて,信次師は、こう言われます。
「あなたは神につかえる身と思っているが、自分自身の本性を知ることなく、他人を導くことは危険この上もない」
と。

「私は家に祭ってある神様を信じて、そのお告げを教えておりました。」、

「その神とやらをあなたの目で見ましたか、話しましたか」、
と信次師は質問されます。

「見てはいないが、胸のあたりから聞えてくるのです」、

「イライラしたことは」、

「ハイ自分であって自分でないような、たびたびイライラしました」、

「水をかぶれば体は確かに清浄になっても、心はどうでしょう」
と信次師は尋ねられた。

「心を清浄にするにはどうすれば良いのでしょう」

「あなたが日頃、思っていること、行っていることを、正しい規準に照らして生活を改めてゆくことです」

と信次師は話されるとK氏の弟は頭を垂れて聞いているのでした。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 171 八起正法先生編

昭和五十年二月一日「神理入門、霊の話」東京

      二月八日「肉体と魂」関西

      二月九日「人の道」関西

      二月十一心の原点、現証」京都

 
       三月
 
 
     三月九日
     関西本部講演会  
           
    演題「正しい思念と行為」

「永遠の生命と言いましても、今皆様自身は、永遠の生命の過程、最も厳しい不安定な固体的な物質世界に於いて、先祖代々伝わってきたところの云々。」、
と。
 

      三月十五日
     小田原講演会開る。
     この時の講演を要約するとこうなります。

      ノイローゼ、気違い

「ノイローゼ、気違いと言われる人は、これは全んど脳細胞の病気ではありません。

心の状態が地獄界に通じて、本来、肉体を支配すべき一人が、自分自身を他人様に譲り渡してしまった状態なのです。
人格が、ころっと変わってしまうのです。

或いは、今、語っておっても、次にはもう、ガラリと性格が変わってしまう人達があるでしょう。」


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 172 八起正法先生編

       酒飲み、呑み助、酔狂
 
 「或いは、お酒を飲む。飲まない時と、飲んだ時と心が極端にガラッと変わって、人格が変わっている人達がいるでしょう。

こういう人々も、同じように、不調和な世界の住人達に憑依されて、船頭さんが代わってしまうのです。」
                    
 
       心、想念はエネルギー
 
「我々の思う、想念というものはエネルギーなのです。我々自身の心に、相手を恨む心を持ったならば、その恨みの心は、そのエネルギーは、その振動は相手の心に通じ、相手の心が美しければ、自分に反作用となって返ってくるものなのです。

 眼に見えないがゆえに、我々はないがしろにしております。」

 
       お金と物質
 
「お金とか物質とかいうものは、我々の生きる上に於て、必要なだけ存在すればいいのです。

ところが、我々の欲望は限りなく広がり、我々の欲望は無限大に外に向いていきます。

よく、ある人は、労使の闘争、上層と下部層の闘争の中に、文明は発達していくのだと説いている思想があります。」

 

      人類のための文明
 
「しからば、我々は文明のために、人類はあるのでしょうか。そうではなく人類のために文明があるのです。

その錯覚を起して、心を常に格闘の中に、間違った方向に進んでいる人達もいます。
或いは、間違った宗教を人々に教えて、そして自分自身の欲望を満たそうとしている人達もあります。
しかし、やがて彼等はその罪を自分で償う時が来るのです。」、
と。

 

 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 173 八起正法先生編

 三月二十二?二十四日 

       宮崎研修会

      参加者四百六十名

    演題「正法と現代宗教」

 「今年もこの、美しい自然の中で研修会を開くことが出来ましたことを、本当にうれしく思います。

今からの講演の内容は「現代宗教と正法」という題について御説明してみたいと思います。

この中にも、一生懸命に神様を拝んで、神様と言われる方が皆さんの肉体を通して出てこられる人もいるはずです。
或いは又、現代の宗教の中に、一生懸命やってGLAの研修会を一つ見てこようという人も何人かいます。

ごゆっくり、そういう人は見ていて下さい。まず、皆さんに神様というのは云々。」   

    
 
       卑弥呼のこと
 
「この人(高橋佳子氏)は過去世において、卑弥呼であったことを思い出しております。

奄美大島から来られたこの二人のご婦人は、卑弥呼の女官をしていたのです。
東京でデザイナーをしている〇摩堂さん、映画俳優の〇丸忠雄氏の夫人の中丸薫さんは、ともに卑弥呼の大臣をしていた人達です。」

 
       大日如来天照大神
 
卑弥呼邪馬台国の時、過去世を思い出し、インドで大日如来をなつかしんで祭っていたのです。
その大日如来がのちに天照大神として祭られることになったのです」、
と。
 

       三月二十六日

 北九州市小倉、毎日会館ホールで講演会開かる。毎日新聞、小倉商工会議所の機関紙に広告さる。  
 


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 174 八起正法先生編

同じく三月
それは昭和五十年の三月のことでした。
渡辺泰男氏(前述)は、GLA本部の事務所へ立ち寄られた。
その時、信次師の末弟の興和氏が、

「渡辺さん、何時ごろから手伝ってもらえますか」
と言われたといいます。

びっくりしてしまわれて適当な返事をして渡辺氏はその場は帰られます。
ちょうどこの話のあった三月に、宮崎県の青島で研修会があったので、
渡辺氏は思い切って信次師の部屋を訪ねられます。

そして、興和氏から話があったこと、お手伝いの心の準備があること等を話されると信次師は少し考えていられましたが、
「今は、早いですね。二年後です。(註・昭和五十二年)」
と答えられたというのです。

信次師は、その時、GLA誌八月号に載せる「釈迦伝」(のち、『人間釈迦』として出版される)の執筆をされていたというのです。
渡辺氏は信次師が多忙な身でありながら、研修会のちょっとした合間も利用して筆をとっている姿に感心していられると、

信次師は
「渡辺さん、四十五年分も書くことはあるんですから、いくらでも書き溜めができるのですよ」
と笑って言われたというのです。

 
昭和五十年 三月八日「心の整理、実地指導、真の自分とは、反省禅定、反省の実修」関西青年部

      三月十日「関西本部組織宣伝部への話」関西

      三月十五日 小田原講演会

      三月二十二日?二十四日「正法と現代宗教、現証、質疑応答」青島・宮崎研修会

      三月二十六日「北九州講演会」小倉
 
         四月
 
        四月五日

      日比谷公会堂 
    GLA六周年記念講演会

      演題「人間とは」
 「只今、紹介にあづかりました高橋信次であります。本日の題名は「人間とは何か」我々はややもすると肉体を持った自分自身ですら云々。  
  
我々は大空を眺めます、夜は星が一杯あります。我々の見える世界は銀河系宇宙なのです。

この宇宙の中に、しかも小さな地球という宇宙船の中に四十数億(現在は六十億)の万物の霊長がひしめき合い、ある者は闘争と破壊を依然として繰り返しております。

ある者は宗派の争い、愚かしいことです、お天とう様は一つです。この地球という神の身体の中の一部分を、我々はその環境の中で生活しておるのです。

皆さん自身が、この地球上で、その肉体舟、先祖代々伝わってきたところの、その肉体舟に乗って、我々は、この五官を通してあらゆる体験をしております云々。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 175 八起正法先生編

四月六日

    神田共立講堂にて講演会
 
      四月十?十二日

  宮崎・青島国民宿舎にて研修会

信次師の経営される「高電工業」のW氏が、ビデオ録画に来られて、
「東京は高橋先生が一つ一つ指示されないと動きませんが、九州はその点、 よく動きますね。このやり方を全国の人に学ばせるといいですね」と言われたといいます。 
           

     この時期のGLAの周辺          
 
 四月十六日付の園頭会長の書簡から、この当時のGLAの様子を見てみましよう。

 「 十日夜、自宅に岡山の会員から直接、電話がありました。
 関西本部のある講師が、

 「あなたには蛇がついている」、

 「あなたは〇〇が憑いている」、

 と言われて気味が悪くなりました。そんなに皆んなに憑いているものでしょうか」、と。

 十一日の宮崎研修会に参加した人が、会長の自宅を訪ねられた時、こう言ったというのです。

 「関西の人と同室になったら、その人がオーラーが見える、守護霊が見えるとか、守護霊がこういっているという話ばかりで頭がへんになりました」、というのです。

このようなGLAの内部の傾向を心配された園頭会長は、東大阪、関西本部に於ける講演会の終了後、信次師と話し合っておられます。

 その時、信次は次のように言われたというのです。

 「正法は人々の心に安らぎを与えるものですから、たとえ、霊を見ることが出来たとしても、不用意にそのことを告げて、その人の心に不安や恐怖心を与えることはよくありません。憑いているものが見えても、直接的には言わず

「あなたはこういう心を持ちなさい。そうすればよくなります」
という指導をしないといけません。

憑いているというなら、その憑いているものを離して、その人をよくする力を持っている者だけがいうべきで、実は見えてもいないのに、霊が憑いていると言って不安と恐怖心だけをまき散らしている人が出てきたことは、困ったことです。

正法を実践するのが、人生の目的です」、と。

  そして、さらに

 「一〇%の現在意識で「はたして、これは本当だろうか」としっかり確かめることである、ということです。

 正法を説くものは、常識も豊かでなといけません。
 この世の人達を救うのですから、この世の人達から
「なるほど」
と思われるような言葉遣い、態度、知識、教養などを身につけないといい指導者にはなれません。

  講師といわれる人達の中に、非常識な人がいるのは残念です。

  特にいけないのは霊道を開いているという女の人達の行儀の悪さです。

 世間の常識を重んずる人達は、そういう非常識な人達の言動を見て、それだけで正法の話しを聞こうとは思わないでしょう。」、と信次師は注意を促されています。

  また、講師達に対して、信次師は

 「もう少し常識を勉強しなさい、しっかり本を読みなさい」、
 とも言っていられます


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 176 八起正法先生編

      四月の頃
  

    京都・中心山荘での研修会                    

 昭和四十九年、信次は、古代インドの時代の迦葉といわれた人が台湾に生まれ変わっているという話を良くしていられたというのです。

その人が日本へ来られて色々なことが起きているので、参考にしていただきましょう。

 その辺の事情を述べるために、渡辺泰男氏に登場いただきます。

 「春に、台湾からSという人が来られました。

 若い頃から法華経の勉強をされて、来日された前の年に『餓鬼道』改題『愛は憎しみを越えて』という本を読んでいらっしゃる方で、
 高橋先生は、この本をお出しになる前から、この本を読めば必ず泣き出しますよとおっしゃっていました。

 読み終って、さっそく高橋先生にSさんは手紙を出されました。

 ことあるごとに高橋先生はお話ししになっていましたから良く憶えています。

 そうして、文通しながら、先生は意識で台北まで行って、たびたび指導なさいました。

 ですから、台北に行かれないまでも高橋先生は、Sさんのことをよくおわかりになっていました。

 そうこうする内にSさんは、二千五百年前に先生に教えを受けている自分の姿を見てしまった。

 「今、あの人は自分のことを知りましたョ」、
 と先生が側近の方にもらした一週間後に、その時の感激を伝えてSさんから手紙が来たそうです。

 一時は、台北でもちきりでした。

そのようなことがあって、確か中京と関西の合同研修会だったと思いますが、京都の中心山荘というところでの研修会に、十日間の観光旅行から合流されました。

その時、私もお会いしました。

ところが台湾で独自にやって来られただけに、こちらとは、行き方がだいぶ違っていたようで、いろいろと波紋が生じていたらしいのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 177 八起正法先生編

そんなことで、研修会の始まる前の日に、京都のホテルの一室で高橋先生が、Sさん他三名の幹部を呼んでお言葉を賜りました。

 「法を依りどころにせよ」、
 というお言葉です。

  これは同席した三人のうちの一人の細野先生から翌日伺い、また数日後、先生からも直に伺いました。

  台湾には私も行ったことがありますので、直に親しくなりました。

 研修会も終り、東京への新幹線の中でも同席しました。
 もっぱら私とSさんだけが話をするようになりました。

 台湾という所は、中共との関係で、大変思想の統制の厳しい国で、心の教も内地流にそのまま説いたら思想とみなされ、一つの哲学、つまり意識科学として苦労して説かなければならない、と。

高橋先生がよく引用されるアインシュタインのE=mc2 にしても、三十年前に学んだ、その一つ前のローレンツの変換式、式自体がアインシュタインの式より複雑ですから、それなりにこじつけが出来る。

 それから数日後、台湾に帰られるというので羽田まで見送りにまいりました。

 そうしたら高橋先生と一栄先生もお見えになり、一度帰りかけた高橋先生が、またこちらに戻っていらっしゃるのです。

 私のところへつかつかと寄っていらっしゃって
 「この間の式は間違っていますから気をつけて下さい」、とおっしゃるのです。

 新幹線では、先生は私より三つほど前の席におられたのですが、私どもの会話の一部始終をよくご存じでいらっしゃいました。

 「はい。存じております。あれはローレンツ変換ですね」、

「よく気づかれました。そうなんです。新幹線の中だし、人前で指摘することもできず、本当に困りました。ターチンマラーという魔がおりましてね。誠に巧みに正法を説くのです。
特に科学的な手法を駆使しますから、科学に強い人ほどねらわれます」

 「問答無用で押しつけるような態度でした。」

 「そうです。それが特徴です。関西でも色々なことがありましてね」
 と先生は私に色々のできごとをお話しして下さいました。」、と。

 同じく、この辺の事情を別の視点から見てみよう。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 178 八起正法先生編

         S氏のこと(パート2)
 

園頭会長は次のように記述されているので参照していただきましょう。         
     
 「京都の中心山荘で研修会があることになり、葵さんが出席されることになりました。葵さんは日本に来られる直前に魔に支配されてしまいました。

それで私が、関西本部長中谷氏に葵さんはおかしくなっているから気をつけるようにと言っていたのですが、葵さんから

『悪魔をつかまえる法』
というのを伝授されたと言って完全に欺されてしまいました。

研修会が終って大阪天王寺のステーションホテルに泊った時、葵さんは高橋先生から、

「あなたは霊能力に興味を持ってはいけない。毎日毎日の生活を大事にしなさい。関西本部長、あなたも葵さんに欺されましたね」、と注意されたのでした。」、と。

中谷氏は悪魔をつかまえる方法を伝授されたといわれますが、それは、「ハイ!」向うから悪魔がやって来ました。それでは、つかまえ
ますよ」、
と、両手でパチンと、蝿でも掴むようなものだったというのです。


        魔の跳梁 
 
 さらに、園頭会長は、この事件によって、悪魔はGLAの講師達をねらってきていることを感じられ、特に若い講師達に、地位欲、名誉欲にとらわれ、過去世の名をひけらかさないようにと、注意を促していられます。

話は少し飛びますが、信次師が昇天された直後、葵氏は五ミリ程の厚さの小冊子を発行していられます。

開いてみると、聖徳太子伝教大師源頼朝徳川家康西郷隆盛も、みな自分の分身である等と書いてあるというのです。

園頭会長は、葵氏が地位欲、名誉欲のとりこになったなと、残念に思っていられる頃、葵氏の消息を伝える人があり、昭和五十二年になると精神病院に入院されたという情報が伝えられ、その後、情報もプッツリと消えていましたが、その後の情報では、その会報には囲碁の打ち方などが書かれていたというのです。

 たとえ、過去世で名のあった人でも、今世の生き方によってはタダの人以下と思われます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 179 八起正法先生編

このS氏は、インドのお釈迦様時代は、お釈迦様が亡くなると釈迦教団の統括者といわれた人なのにです。

正法が出現すると、魔が競い立つと言われますが、正法が広がってこの世界が光明に満されると、魔の足場がくずされますので、魔も必死になって抵抗するのでしょう。

霊能力だけを求め、心が欲望に満たされると、魔はその人を支配しようと、近づいてくるのです。

魔がその人を支配しようとする時はまず正法を説き、もっともらしいことを言うのです。
そして、徐々に自分の方に引き入れます。十のうち九の正しさで信用させ、残りの一つで人を狂わせるというのです。


 
 昭和五十年四月五日「GLA六周年記念講演会、人間とは」日比谷公会堂

      四月六日「講演会」神田共立講堂

      四月十日?十ニ日「宮崎・青島研修会」青島国民宿舎

      四月日時不詳「研修会」京都 中心山荘

      四月二十九日「講演会」沖縄(那覇
 

 
       五月、
 
  GLA関西本部から『高橋信次講演集』が発刊される。(限定非売品)

             
 昭和五十年五月五日「人生とは何か」長野白樺湖

      五月十日「この世とあの世」関西

      五月二十二日「講演会」佐賀 

      五月二十三日「講演会」福岡県二日市

      五月二十五日「釈迦の成道、正法と現代宗教」福岡

      五月二十五日「西日本本部設立記念祝賀会」


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 180 八起正法先生編

      六月                
 
 昭和五十年六月八日「大自然と人生」東京

      六月十三日「人生を如何に生きるか、質疑応答」東京

      六月十四日「反省」関西

      六月十五日大阪講演会

      六月二十日?二十二日「研修会」京都中心山荘

      六月二十六日 東京にて幹部会議                       
 
  
       七月
   
      七月六日

     金沢講演会

     演題「心の原点」

 「この北陸地方の中心、文化の都市に於て皆さんの前でお話し出来る機会を与えて下さ云々。

  このように講演が始まります。

人生航路の乗り舟であるところの、その肉体の船頭さんが降りた時には、皆さんの耳の穴もあいております、鼻の穴もあいております。

 しかし、私達は耳許で自分の悪口を言われても、怒ることすら知らないはずです。

 どんな臭いがあってもそれを感知することもできないはずです。
 こうなりますと、眠っている時の我々の心、魂というものの価値はどのようになっているのでしょう。

しかし、肉体の脳細胞の神経線維のそれぞれは、ちゃんと波動を、振動を起しております。

 こうなるとやはり、永遠のものというものは一体何でしょう。

 皆さんの肉体を支配しているところの舟頭さん、即ち皆さんの魂なのです。

 「そんな馬鹿なことはあるか、魂など存在する訳はねェよ」と、もし皆さんがそのように思うならば、皆さんの脳細胞は、あくまでも物ごとを受信し、送信する一つのコンピューター室にすぎないということなのです。

 或る医学者達は、物を考えるのは前頭葉だ といいます。
それな云々。」、と。   


 
 昭和五十年七月ニ日「指導者としての正法」東京

      七月六日「心の原点」金沢

      七月十三日「経営研究会」東京

      七月二十日「心の発見、現象転生」山形


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 181 八起正法先生編

       
       八月
 
       八月初旬
     長野県志賀高原研修会 
         参加者七〇〇名 
            
  
      八月十七日
     神戸講演会、
    神戸国際会館に於いて

     演題「人生の意義」
 「台風の中を、よくも多くの皆さんが御来場下さいまして、ありがとう ございます云々。
   
 その全学連がどちらの方向に行ったかというと、彼等は皆、優雅な生活をしている家庭の子息でありながら破壊活動をし、善意な多くの人々に迷惑をかけています。教えていただくべき先生に感謝の心も失っています。

我々の心は教えて下さった先生に対する、師に対する感謝の心というものは行為で示したものです。

 最近はまったく逆の方向に進んでいます。

 当時の親は子供を育てる為に一生懸命です。

 金儲けと、親子の対話はなく、そうして自分のできなったことを、何んとか子供に満して欲しいという欲望が、有名校へとエスカレートしていきます。
育てた子供がノイローゼと云々。」、と。…

 

   
   この時期のGLAの様子
  

 園頭会長の書簡より参考にしていただきます。

 「八月二十三日より三日間、中谷関西本部長に九州へ来てもらいました。その時、高橋先生が、東京本部の講師達の現状を憂えていられたことを聞きました。

 やはり私が案じていた通りだったのです。

 だから、自分一人ででも、しっかりしなければいけないと思ったのです。あなたも一つ、真剣に考えてみて下さい。」、と。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 182 八起正法先生編

       同じく八月

    岩手山麓・綱張荘での研修会                
 
    一日目 演題「正法と現代宗教・悟りへの道」

    二日目 野外反省禅定

先に、園頭会長が心の窓を開かれる様子を述べていますが、次に、北海道に住まわれる菊地氏に登場いただきましょう。

 菊地氏は、一九七五(昭五十年)年八月の岩手の綱張荘の研修会に初めて出席されます。

 心の窓を開かれて、古代インドの時代、ウパテッサ(舎利弗・シャーリープトラ・現代の園頭広周会長)と一緒に釈迦に帰依されたといわれています。

氏が、心の窓を開かれた時の情景を紹介しますとこうなります。

 信次師は菊地氏の方を向かれて
 「あなた出て来て下さい」、
 と声を掛けられたというのです。

 氏はおずおずと信次師の前に出られると、
 「ほら、そこにお客さんがいるよ」、
 と信次師は膝のあたりを指さされます。

 菊地氏は、自分にも悪霊がついているのかなと思われたそうです。
 すると信次師は、
 「どうぞ神様を出して下さい」
 と言われます。

 「大宇宙大神霊仏よ…」
 と信次師は祈りはじめられます。

 菊地氏は、黙って目を閉じ静かに聞いている。
 そこで信次師は、

 「パーテイパーテイパラカーティー
 と異言で祈り始め、氏に光を入れていられた。

 「そこに出ている霊よ、肉体を持っている人の口を通して語りなさい」、
 と信次師は何度も呼びかけられるが、しかし、氏の口は開かなかった。

 「あなた何んで語らないの」

 「肉体を持っている人は心を丸く調和しなさい。イライラしてはいけません。あなたの心には、ひずみが出来ている」、
 と信次師は注意されたというのです。

 菊地氏はこう言っていられます。
 「師の長い祈りが続いているうちに、私の心は、だんだんと安らぎ調和されてきた。

 大いなる光が体中に満ちあふれてきたように思い始めた時、右耳の下あたりから霊がすーっと肉体に入って来たのを感じた。

 「私はこの者の守護神じゃ」
 と霊は師に告げる。

 「ああ今、肉体を持っている人を支配しました」
 と師は参加者に伝えた。

 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 183 八起正法先生編

そのうちに突然私の口がひとりでに動き始め、古代インド語を語り始めた。 

私は何んとも言えない懐かしさで、胸から込みあげてきて、涙を流しながら思わず師に抱きついてしまった。

 長い間会えなかった人とめぐり会ったという思いで、止めどなく古代インド語が口から飛び出し、男泣きに泣いていた。

 肉体を持っている私には自分で話している古代インド語の意味が分からなかった。

 あとで分かったことであるが、本人の心と守護霊の心が調和され、同通していなければ、自分の話している異言の意味が分からない」、と。

そして、研修生全員で、
「快楽に溺れ苦悩に喘ぎ、いろいろな迷いの末、辿りついた悟りの道、これぞ八正道…」、
 という八正道讃歌を歌って研修は終った、というのです。


                           
 昭和五十年八月初旬 長野県志賀高原研修会 

      八月十七日「人生の意義」神戸国際会館

      八月日時不詳「正法と現代宗教・悟りへの道、野外反省禅定」岩手綱張荘

  
 
       九月                        
      
     GLA本部の情景

  八月の岩手の綱張荘の研修会で、心の窓を開かれ菊地氏は、
 「心の窓を開いた人は、心の在り方によっては悪霊に憑依される危険もあるので、出来るだけ早く本部に来て下さい」
 という信次師の言葉に従って、氏は本部を訪ねていられます。

 前もって上京する日時も連絡しておられたといいますが、信次師はどこかの集会に行かれて留守でした。

 受付の女性は、受付用紙のようなものを差し出して、来訪の目的を書かせます。

 しばらくして、ひどく疲れた様子で、信次師は帰って来られたというのです。

 氏が心の窓を開いた後、信次師が意識体で現われたことを告げられると、それは、
 「あなたが心の窓を開いた後、どうしているか様子を見に行ったのだ」と言われます。

 信次師は次の集会があるらしく手短かに次のように話していられます。

 「何十回も私の著書を読みなさい。まだ、あなたは正法の入口に立っただけで、霊道を開いた後、一番危険なのは、多少あの世が見えるようになるので、人とは自分は違うのだと増長慢になることだ。私も毎日反省している」
と言われたというのです。

  さらに
 「正法正法というけれど、本当に正法を身につけている人は、ほとんどいない。 私のそばにいても悟れないものは悟れないのだ」と淋しそうに言われた」、と。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 184 八起正法先生編

          秋、

     九州霧島の研修会でのこと

 鹿児島空港より、車で二十分ほどの天降川のほとりにある、おりはし旅館が信次師の宿舎でした。

 周囲がコンクリート造りのホテルの中で、ここは木造の旅館で、ここの老女将のつくられる、酒ずしが、日本のうまいものの一つに挙げられており、この静かなたたずまいの旅館で、信次師は研修の疲れをとられたというのです。 

                     
          
       中京秋季講演会

      演題「自力から他力への道」

 「十歳の時から三十二年間、丁度昭和四十三年の七月、信じられないような霊的現象、本来、私は霊的現象というのは、すでに昭和三十年位から、例えば紙切れ一枚に、ある一つの提起された問題について一心に念力を集中しますと答えが出てまいりました。

しかし、そのような問題がかりに的中したところで、なぜ私にだけ出来るのだろうか、私等はそのようなものを否定しました。
しかし、全然次元の違った世界というところから云々。」、と。


  
       十月初旬

      鹿児島講習会
      宮崎講習会

  
       十月十日
    高知市社会福祉センター
   演題「人生に於ける価値の発見」  

              
「只今、紹介にあづかりました、高橋信次であります。
 この美しい自然、緑に包まれた高知市で、お話しが出来ます機会が出来ましたことを、心よりお礼申し上げます。

 サテ、私達が、今こうして毎日の生活をしておりますが、人間が生活の中に於いて、色々な喜びや悲しみ、苦しみ…云々」.
 と。

 この高知市での研修会でのこと、坂本龍馬の像が立つ桂浜を遠く右手に望んだ国民宿舎・海風荘は、信次師が
「ここは環境がよい」
 と一泊されたゆかりの地です。 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 185 八起正法先生編

       十月二十六日、


 熊本講演会は、信次師、入院のために欠席。定席七百名の鶴屋デパートの会場には千名がはいり、消防署の忠告により、入場制限されるということが起こります。

堀田和成氏の「母の死と業」、中谷義雄氏「瑞法会教団を挙げて正法に帰依するまで」、園頭広周氏「正法と現代宗教」を各一時間講演。

 信次師の著書がよく売れ、日比谷公会堂よりよく売れたとされています。


 
 昭和五十年十月初旬 鹿児島講習会

      十月初旬 宮崎講習会 
 
      十月十日 「人生に於ける価値の発見」高知市社会福祉センター

      十月十四日「弥勒菩薩下生について、特別講演会」東京

      十月二十六日熊本講演会

      秋「自力から他力への道」中京秋季講演会

      秋、「九州霧島の研修会」
 

          十一月 
 
     十一月三十日?十二月二日

        熊本研修会 
      阿蘇白雲山荘に於て
       会費一万二千円 

        
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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 186 八起正法先生編

演題「心と肉体の調和」

「健康であることは食事を正しくする。つまり、食事も中道でなくてはなりません。肉体の保全がバランスを欠きます。
病気の中には外因性と内因性があり、外因性というのはビールスによって外部から侵入して来たものは現代医学の方が早いよ。」、

「血圧というものは薬でおさえていても根本的な治療になりません。医者の指示にしたがって食べ物からなおしていかなければいけません。」

「息ぎれがするぞ〃これはおかしいと思ったら、ふっと自分の心のあり方はどうかな、食べ物はどうかな。」

「食べ物もほどほど。私の心臓さん曰く、あなたの魂の歴史を聞きましたが、コーカサスで生まれた当時は、あなたは百七十歳ぐらいまで生きたんですよ。その当時は腹六分でした。」

「食べ物はなるべく少く食べ活動する。運動する。いつでも腹のへっている状態が一番長生きの秘訣です。日本人は食べすぎます。」

 「人間は不思議ですね。夜になってからたらふく食べる。ですから脳溢血でこの世を去っちゃうのは大抵、夜だよ。食べたあとの結果がでてくるんだよ。」

「猿は太陽が沈んだら絶対に物を与えても食べないよ。食べ物というものは、太陽の上っている内に食べるのが最も理想、だから朝と昼に栄養をうんととって夜あっさりと食べたら明日の朝はソー快。」
 

        癌のこと
 

「今度は具体的に天上界の関係の人に聞きましたら、癌というものはビールスだよ。

 それも人間の細胞の核分裂を起すときの核酸が、その人の心の作用によって分裂が正しくも行くし、心の状態によって間違った方向へ行きます。

 その時に、間違った方向へ行ったときに食べ物とその人の心が、グゥーンと地獄界の虫を引きつれて細胞を食う虫がビールスなんです。

そして、それがいわば人間のガンという姿になった場合、ということを言いました。

 ですから、先づ癌という状態は心をきれいにし、食べ物を中道、つまり片寄らないということ。心も中道、食べ物も中道こうしたら絶対に癌にならんといいました。

 癌の細胞を見せられたら、細胞が生きているのがみなわかります。

 そうしてCO2 の炭酸ガスを出しているのがわかります。ですから、そういうところには酸素がなくなっているわけです。

 酸素がなくなるから結局は、細胞が間違った方向へ行くのです。 薬はお前達の生活環境の中にあるんだよと教えられました。…」、と。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 187 八起正法先生編

       
    阿蘇研修会の日程と信次師の周辺

  
研修は、六時起床、七時半朝食、九時より信次師の講話、

 午後は自主研修、夕食後二時間信次師の講話、十時に就寝であった。

 この時期、渡辺氏は著書の中でこう言われています。

「夏の恒例の志賀高原の研修会が済んだ頃から、先生の健康状態があまりよくないと、あちこちで、ささやかれはじめました。

 十二月の阿蘇の研修会にお伴した頃には、見違えるように消耗しておられる姿を拝見してびっくりしました。

 このあたりから先生のご講演の中に、不動心という言葉が頻々と現われるようになりました。

 阿蘇の研修会のご講演では、

 「食生活を、あちらから指導されました。肉類、魚は一切だめ、野菜、果物、そして油は植物油、バターならマーガリンを。量は腹六分です」、と。

この研修会では健康についての話しがテーマでしたが、既に肉体的過労で、信次師は少しやせていられた。

 阿蘇山を右に見て、左手に大観峯を背景にした大自然の中…研修生は六百名でした。

 さらに、この阿蘇の研修会と、宮崎の青島の研修会でのこと、偶然にもエレベーターに二人だけで乗り合わせられた園頭会長の奥さんに信次師は、次のように言われています。

「奥さん、金は食べるだけあればいいのですよ。余分なものを持つ必要はないのです」、と。 

                        
       この時期の園頭会長の書簡から

 
「合掌、阿蘇の研修会で、ある班の講師は、反省ということをむつかしく教えたのでしょう。
反省していてかえって心が苦しくなり、眠れなくなったので、そういうときはどうすればよいかと電話がきました」、
と書いておられます。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 188 八起正法先生編

     土居氏の阿蘇研修会
 
 初めて、信次師の研修会を受講した土居釈信氏は、この熊本研修会を次のように記しておられます。

土居氏は、宿舎に着くとトイレに行かれた。
すると、せっせとトイレの履物を整理する人がいた。

「御苦労様ですね」
と氏が声を掛けると、その人は
「いいえ、後に入られる方が気持ちが良いようにと思いましてね」
と答えたという。

講演が始まったら、信次師だった、
と。

次の日も、信次師は朝一番にトイレの床の掃除をされていたそうです。

そして、その晩、氏が風呂にはいっていられると、
「背中を流しましょう」
と信次師は心をこめて流してくださり、それから皆で輪になって流し合ったというのです。

さらに、講演が終った後、信次師は各部屋を廻り、その場にいないのに、いたかのように講師達にかわってテキパと質問に答えて廻っていられた、と。

偉大な人類の師がトイレ掃除とは驚きですが、多くの人達が書き残されています。

講演に集まって来た人の靴を。スリッパを。まったく頭が下がります。
また、時には大地の味を味わさせようと言われて、みずからの手料理を幹部達に食べさせていられます。

もう少し、信次師の素顔を端的に教えてくれる例があります。
福岡のT医師は、友人から聞いた話として次のように語っておられます。

信次師は講演が終わられた後、汗びっしょりになられて、体を横たえて汗を拭いてもらわれていましたが、信次師の体は白かった。
そして、研修会場の近くのオミヤゲ売場等を覗いていられる信次師を見かけると、一つも気どらないどこにでもいる普通の人だった。

また、研修会場の出入り口の方を見ると、スリッパを片づけている人が信次師で、研修を終えて帰って行く人達を上の方から見送っていられる信次師は、皆んなの幸せを祈っているように見えたと聞いた、
と。   

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 189 八起正法先生編

     同じく十二月のこと
 
 GLA関西本部事務局長・林氏は、信次に東京の自宅を訪ねるように命ぜられ、そのとき信次師はこう言っていられます。

「瑞法会から帰依したGLA関西本部は、表面的には私に帰依したということになっていますが、内部から完全に帰依してはいない。

瑞法会の人事組織で人集め、金集めをやり、各地区の支部長が組織の上にあぐらをかい、権力欲、金銭欲で動いている。

GLA関西本部を、私が説いた通りの正法の団体とするには、中谷本部長を頂点とした関西本部の組織を解体しなければならない」、
と信次師は忠告されたと、林氏は園頭会長へ伝えていられます。

  この年、信次師は、
「あと七八〇年するとエジプトに真の世界政府ができ、世界は平和になり、人間は自由に他の天体へ行けるようになる」と言われた、と。

さらに信次師は、昭和五十一年に死者五十万人を出したと言われる中国唐山の大地震を、起る前のこの年(昭和五十年)に予告していら
れます。


   さらに、この年のある日、
中学時代から四十年間日蓮宗を熱心にやって来た人が信次の指導を受け、何も知らないはずの信次師が
「あなたは日蓮宗を捨てられますか」
と突然、言われたというのです。

その時その人は
日蓮宗をやめる時、少し恐怖心が起りましたが、正法に帰依することが出来ました」、
と。

また、GLAの講師で、常に信次師の近くにいられたある社長さんが、従業員に対して、
「こういう人は地獄に行くのです。地獄に行きたくなかったら一生懸命働きなさい」、
という訓示の仕方をしておられ、ところが信次師亡後、会社は倒産、売掛金回収に暴力団をつかっているという噂の人がいたというので
す。

講師といっても霊の段階があられるようです。

だから信次師は「GLAをつぶしたい」という言葉になったのでしょうが、昭和四十六年から講師だった人であり、信次師の心中、察して余りあります。

また、昭和五十年のある日、信次師は

「キリストは、今から百八十年後、シカゴに出て、その時はじめて世界政府ができる」と言われた。  

    


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 189 八起正法先生編

     昭和五十一年(一九七六)

  
       一月
 

 『GLA』誌・新年号にはこう書いてあります。

 「一から十まで、すべて成功するだけが正法と考えてはならない。失敗もまた正法の内にある」、と。
  

 

    「自己の確立を」         高橋信次          
 
私たちの住む世界は間違いなく競走社会であり、力の社会である。
 そこでは常に、若さと活動とが尊ばれ、常により多くのことを為すことに目標が置かれている。

 なんでも世界一であることに目標が置かれてそれを自慢する。
 そうしたことに過度の称讃が送られているのが現代だ。

 「心の安らぎはなにか」、
 との問いの中から、そうして、その問を通して己れを知ることによって初めて得られるものであり、仕事のみを追う人生には、安らぎも調和も与えられないことを知る必要がある」、と。

 そして、この時期、将来、団体が大発展するのに備えて、コンピューター導入の委員会がつくられています。 
 

         同じく一月、

 


         時を待つこと

    正法を実践される全ての皆さんへ

信次師は

 「初めは実践すると、好結果が与えられる。そして、次には本人の心を試すために、迷いを与える小事件が起きてきたり、また、さまざまな欲望が不思議と出てくる。業の活動は時が経って静かになるので、正しい生活をしながらそれまでじっと待つしかない」と言われていた。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 191 八起正法先生編

       同じく一月のこと

関西本部の講演の始まる前、控え室に入って来られた信次師は、どっかと胡座に座られて

 「園頭さん、ぼくは失敗した」
 と長い吐息を洩らされたというのです。

                             
        二月二十二日

        沖縄講演会                        
 「御紹介をいただきました。高橋信次であります。沖縄というところは島だから狭いんじゃないかと思って来ましたら、思ったより広いんでびっくりいたしました。

 そして非常に海がきれい、美しい空、きれいな空気、ちょっと、私達の住んでいる東京ではかなえられないような云々。…

それを信ずることです。その嘘のつけない善我なる心を信ずることです。
 どうも永いことご清聴ありがとうございました。」          

 
       同じく二月

 信次師は、GLA関西本部長、西日本本部長を前にして次のように語っていられます。

 「肉体を持つと肉体に制約されて活動が制限される、これは仕方がない。意識だけになると肉体に制約されないから自由自在に活動できる。 
ぼくは早くあの世へ帰らないといけないかもしれない。ぼくはすることが一杯あるんです。

 ソ連原子爆弾を使おうとしている。原子爆弾を使ったら地球はおしまいである。

 地球がおしまいになったら、他の天体に住んでいる人間とのバランスが崩れてしまう。

 だから、絶対に原子爆弾を使わせてはならない。

 肉体を持っていると肉体に制約されて、ソ連の指導者を直接、天上界から指導する以外にないんです」、と、告げられたというのです。

 他の天体に住んでいる人間とのバランスが崩れるとは、さすがに、真のメシヤならでしょう。
 また、信次師は、こうも言っていられます。

 この大宇宙には七つの霊圏があり、七つの人間がいると予告されていますが、勿論のこと、人間の姿、形はみな同じで。人間は人間、猿は猿、進化論は間違いとも言い残していられます。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 192 八起正法先生編

      三月
  

大阪の定例講演会の信次師は、一月と同じように園頭会長へ次のように言っていられます。

 「園頭さん、ぼくは失敗した。僕はGLAをつぶしたい。ぼくはこんなつもりでGLAをつくったのではなかった。GLAの講師達は、金魚の糞みたいに、ぼくの後からくっついてくるばかりで少しも勉強しない。GLAの講師はダメだ」、

 と、タメ息まじりに悲しそうな顔をして言われた、というのです。                     
      
                           
        同じく三月

  信次師は、
「世界の中で、正法が説かれているのは日本だけです。
 もし日本の国が滅びてダメになるようなことがあれば、神の計画である正法による世界平和は実現しないことになる。

 もし日本という国を滅ぼしてダメにしようとする国があったとしたら、その国は神の心に叛くことになるのですから、その国が滅びることになります。

これから共産圏には食糧飢饉が起り、内乱が起ります」、と予告していられます。


 さらに信次師は、
 禅定・瞑想する時には、
 「とにかく、いつ死んでもよいという心境になりなさい」
 と言っていられたといいます。

また、
 三月の関西本部の講演会の始まる前の控え室で、信次師は
「園頭さん、僕はヤーヴェとしてモーゼに十戒を与えたことがあるんですよ」、
と念を押すように言われています。

               
       三月二十?二十二日

      和歌山研修会 白浜温泉(三楽荘)

    演題「エル・ランティとミカエルの悟り」

信次師の一番弟子の園頭広周会長は、自著を要約すると、こう書いておられます。  
   
「研修会の初日の夕方、信次師の実弟・高橋興和、T・利雄の両氏が、秘密の話しがあるので自分達の部屋に来てほしいというので園頭
会長は出向かれた。

 

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 193 八起正法先生編

 すると二人は、次のように告げられます。

高橋信次先生はニセモノである。釈迦の生まれ変わりでもなんでもない。この研修会が終ったら私達はGLAをやめます、先生もどうですか」、
と園頭会長に同意を求められていられます。


 園頭会長には信念があられたので、
「やめたければやめればよい」
と思われて、黙って部屋を出られたというのです。

「女性の助手で謀反の心を起したのはG・世○子という人でした」、
と。

 そして、三日目の朝、
信次師は園頭会長の部屋へ入るなり、

「昨夜、パピアス・マラーが、私の心臓に矢を射た、まだ胸が痛む」
と告げられています。

そして食事のあと、信次師と入れ替りに、興和氏が部屋に入って来られて

「高橋先生は魔である。この研修会が終ったら私はGLAをやめる。先生もやめませんか」
と、また同じように誘われます。


園頭会長は、こう言っていられます。

「サタンが出て来たことは、私もその前に知らされていましたから、サタンはまず身内から離反させ始めたのです。 これは大変なこと
になるな、と思いました。

しかし、高橋先生はこの事実を全部知っておられ、三月二十二日午前の講話は中止になって、講師・助手に対して集合を命ぜられました。

ところが、G・世○子氏だけが抵抗して集まらず、探し出して来て始まったのが、三月二十二日のビデオの場面です。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 194 八起正法先生編

       ビデオの一情景

 
この場面というのは、次の通りです。

信次師は高弟の一人一人に肩に手を当てながら、涙ながらに
「そなたは〇〇において、よく私に協力してくれました」、
と感謝とも別れの言葉とも取れる情景です。

このとき信次師が三ヶ月後に他界されるとは、誰が想像できたでしょうか。

 さらに、この時、信次師は
「指導者たる者は実践することによって不動心を持ちなさい」、
と言われたというのです。

 そして、それから自帰依、法帰依の大事さと、主な講師に対して一人一人諭され、ビデオにある通り会長には

「園頭さん、あなたはインドの当時(舎利弗、舎利子として)の智慧を出し切っていない。これから遠慮せずに出しなさい」、
といって下さいました、と園頭会長は言われています。

 
昭和五十一年三月 関西本部定例講演会

      三月十九日「信次先生と一の宮教祖の対談」東京

      三月二十日?二十ニ日 南紀白浜の研修会「エル・ランティとミカエルの悟り」 和歌山
          

 
            四月
 
 
       四月十一日
   GLA七周年記念講演会(日大講堂)  

                 
  演題「心の中に内在された英智

「冷たい北風もやみ、温かい南風とともに大地は黒土とともに陽炎があがり、大地の中から新芽が出てまいりまして、そして桜の花は今を盛りとしております。

サクランボはやがて実を結び、葉桜となってゆくでしょう。

我々の人生も、又、同じように青春は一時にして、我々の人生は無情なもので、我々は物におぼれ、たとえ人生が七十年たりといえども、永い永い転生輪廻からしたならば、一瞬の線香花火のような云々。」、
と。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 195 八起正法先生編

      一番弟子の称賛  

この四月の関西本部の定期講演会の時、信次師は中谷関西本部長宅に泊っていられまする。

翌朝、食事をしながら

「ぼくが説いたことを一から十までわかっているのは園頭さんですね」
と、ポツリと信次師は言われたというのです。

講演が始まる前に、
「あんた、偉いでんナ」
と、中谷氏自身が言われたとされ、信次師自身の心には、自らの後継者として、胸中深く刻まれたことでしょうか。 
 
                                 
         五月二日?五日

    富士みどりの休暇村に於ける青年部研修会

     演題「正法の流転」

「去年に続いて、この場所で皆さんと共に、神理の勉強をすることが出来ましたことを嬉しく思っております。

本日の講演の演題は「正法の流転」 と言いましょうか云々。 

 この時に道は開かれていきます。今このような事実を、もう一度、私ではなく、天上界の人から語って貰います。

「ラゥイアスポロテイヤソボロティア…」
と、「現証」の時間へ入っていきます。


      この研修会の情景

再び渡辺氏に登場いただき、この研修会の一情景を語って貰います。

「二日目の昼食を一同でいただかれたといいます。
そのとき渡辺氏は運よく、信次師の真正面に坐っておられ、 右隣りには佳子氏(信次師の長女)が坐っていられた。

昼食はカレーライスで、氏がカレーライスを平らげて、ひょいと信次師の方を見ると、まだ三分の一も消化されていなかったというので
す。

氏も早食いであったが、それまで氏の方が信次師より先に箸をおいたことがない位に、信次師は早食いだったというのです。

「随分、お疲れになっておられるのだな」
と渡辺氏は思われます。
         
そして、最終日の前夜、十二時になって突然、信次師は、参加した講師とヘルパー全員に集合を命じられて、

「今、こんな通信が入ってきました」、

と言われて信次師が読み上げられたのが「サタンからの通信」だったというのです。

 それから信次師は、これからの正法流布のけわしさを説かれ、最後に、

「これからは、あせりの心と恐怖心、特にこの二つに気をつけて下さい」、
と、閉じていられます。

 

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 196 八起正法先生編

      サタンからの手紙

 黄金の翼を持った天使よ

 我は実在せる、魔界の帝王なり

 我は、そなた達の正法に、阻まれず

 我思う処に、我在り 我が前途を云々。

すべての者、我が命令に服従せん

 我は、神聖なる魔王なり、暗国の帝王なり、 偉大なるサタンなり云々。

我らが正しきこと、いつの日にか実証せし時、

 そなた達の、おどろきし顔が浮かん その時、必ず来たらん


 
      五月八日


観音寺の住職・村上氏は、直接、信次師に電話を入れ、八起ビルを訪ねられると、五階の信次師の部屋を開けた時、信次師はソファーからすぐに立つことが出来られない程の容態で、顔色も悪く、あの健康で東奔西走されていた信次師の面影は今はなかったというのです。

信次師はそのとき、
「私の体に光を入れてくれませんか」
と弱々しい声で言われます。


氏は信次師の体を抱き起こされ、光を入れやすいようにして、イエスの来迎を願われると、三時間も した頃、顔は赤味をおび、自分で起き上がられ、立たれて、村上氏にノートを取るように命じられたというのです。

そのときの信次師の声は、優しさの中に張りがあって、静かに瞑想された口から出る言葉はゆっくりとした調子に抑揚があったというのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 197 八起正法先生編

今より、三億六千四百五年前、ベーター星より地球上に脱出、緑もゆるこの地球上を神から与えられたり。

現代エジプトのエルカンターレ、場所はエデンの園なり。

ナイル渓谷、三角州の東側の位置に存在する。

エデンの園は、我等エルランティを中心にしてミカエル、ガブリエル、ラファエル、ラグエル、マヌエル、ウリエル七人の大天使達は、エデンの園の、教育・思想・芸術・政治科学の分野を担当して総ての調和された環境なり。

他の移住せし民達は、第二船団として、宇宙母船に乗り約六千人が降下せり。

エルランティ外七人の大天使達はこの地に肉を還し天上の世界に帰りたり。我等の残せし偉大なる遺産は、第二梯団にて移住せし諸人が如何に活用せるかを天上の世界より見守りたり。

エデンの園の中に掟を犯したる者あり。

物に溺れ情欲に溺れ、神の子としての道をはずしたる故に、遂に天上界より我が光の子ミカエルをエデンの園に遣いを出し、道をはずしたる諸人を他の地方に移せり。

彼等民の間違いを修正させるための反省の場所なり。

彼等は年月の流れと共に我等との交渉を断てリ、神の子としての自らの道を踏み外せしものなり。

アダムとエバエデンの園より追放の原点なり。

人びとの心はすべて神の子なりしが、自から地上の肉を持ちし時からに、偉大なる魂といえども、手足をもがれたる如く全く盲目なり。

エデンの園から逃れたる民達は、魔に何時の日か心を売り、この地上界を去りしとき、地獄の世界を造り出したり、我が天使ルシフェルは地上に肉体を持ち、迷い多き人びとを救済せることを目的とせしが、自ら道を逸脱しその使命を果たすことあたわず、肉体を持ちし時の名をサタンと呼びたり、やがてサタンはこの地上を去り、暗国の帝王となったのでる。

サタンの由来はこのような事実なり。

今から三千六百五、六十年前モーゼがエジプトに住みし頃ファラオはサタンに心を売りしものなり。

今から二千五百年前、ゴーダマプッタの前に現れたのもこのサタンなり、別名マーハマラーなり。
今から二千年前インマネール・イエスキリストの前に現れたのもまたサタンなり。


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 198 八起正法先生編

神の心である正法が、人びとの心に浸透してゆく過程においてサタンは必ず、正法の前進に立ち塞がることを吾等は知らねばならぬ。

既にソビエット連邦はサタンの支配下にあり、農作物の不作はソビエトに住む人びとの暗い想念のくもりから、神の光を遮るために、気候の異変によるものであり、今後もモスコーを中心とした、ソビエトの天候異変は続くものなり。
作物の育成期には旱魃が訪れん。

中国大陸の不調和な環境にも天候異変が生ぜん。

アフリカにおける思想的混乱により、多く生けるものの犠牲者を出した処にも旱魃が続かん。各地に起れる地震、天候異変は、そこに住む諸人の心失いたる者達のすべて警告なり。」


恩師は語り終わって、一杯のお茶を飲み干された。というのです。


 
       昭和五十一年六月四日?六日

     山形県蔵王に於ける東北地区研修会

          六月四日
        演題「新復活」、

          六月五日
         演題「太陽系の天使達」
信次師の最後の講演会となります。 
 

      六月四日 「新復活」  
                 
                                 
「非常に美しい自然の、緑に包まれた環境の中で、東北の研修会が行われることを心からお祝い申し上げます。 

               
今日の演題は「新復活」。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 197 八起正法先生編

丁度、現在、東京地方には、創世記時代の映画が来ております。  
                      
 しかし、人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から三億六千五百有余年前にはじめて、ベーター星という星より、神より与えられた新しい緑につつまれたこの地球上に、人類は最初に印したのであります。

その当時ベーター星は調和され、私達は新しい、新天地を求めて、最も調和されたこの地球という環境を選んだのであります。

その当時最初に反重力光子宇宙船という、いまで云うUFOに乗りまして、最初地球上の人類は、神の光によって満たされた天使であるエル・ランティーと云う方が中心になって。エル・ランティーは直接神の光を受けている真のメシアであります。

そしてエル・ランティーの光の直系として、光は七色に分かれます。

七色のプリズムということを想像いたしまして、まったく同じように神の光はここから七色の光に分かれます。

この七色の光の方向を決めているのがミカエル(ミカ)と言います。

(図示しながらの説明)

神の光の直系ミカといわれる天使です。

そしてこのスリットを通し(神は光なり)その光の六人の光の線がこのスリットを通して霊子線がつながっております。

この中にそれぞれのスリットを通して七人の天使がおります。

これがガブリエル、この方がウリエルサリエル、パヌエル、それから全部で六人、この七大天使というのが、じつは新しい、新天地を求めて来た時の最初の光の大天使達です。
この下にそれぞれ何億何十億という魂の霊子線があります。

さらにまたエル・ランティの光の天使の分霊として、カンターレ、さらにアガシャ、モーゼ、一方においてガブリエル系統にマホメットがいます。

そして第一艇団がエル・ランティを中心にしてミカエルに、ラファエル、ガブリエル、ウリエルサリエル、この七大天使が中心にして、現代のエジプト・ナイル渓谷の東部にあるエルカンタラーと云うところに着地します。

その場所が一番最初のエデンの園です。

約六千人のベーター人が全部この地球上におりてまいりました。

それぞれ七大天使はラファエルをはじめ文芸や芸術、政治経済、あるいは立法、科学、あらゆる担当をして総括的にミカエルが中心になってエデンの園をつくりあげました。

そしてその当時は同じベーター星の人間であっても皆さんの肉体とまったくかわっておりません。風土、気候いっさい地球上とかわっておりません。

魂と肉体、今皆さんの持っている肉体は、あくまでも物質であり、人生航路を渡っていくための舟にしかすぎません。その船頭さんである魂、このものとは完全に分離することができました。

その為当時の人々は天上の世界とコンタクトでき、人間の心は調和され物にこだわることなく全てが調和された世界であります。

そのようなエデンの園にやがて第二艇団が地上界に移ってまいりました。その時エル・ランティーは天上の世界へ帰りました。
これが天上界、地球上の創世記です。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 200 八起正法先生編

地球の創世記は三億六千数百年前に最初の七大天使がこの地上界に生き約六千人の人類がエデンの園をつくり、第二艇団が地上界に着地し生活するようになって立法を犯す人々が出てまいりました。

その為に、その責任者であるミカエルは規律を破るところの民に対し一部分エルカンターラから移しまして

「そなた達は神の子としての己れ自身を再確認するために、もう一度自分の思念と行為、行っていることと、思っていることを修正していらっしゃい」と、その場所から多くの人々がその位置をかえました。

その人々が後、エデンの園との連絡を絶ち、やがて天上界との連絡をたち、ついに天上の世界に帰ることなく、地獄の世界をつくり出してしまいました。当時は地獄は存在していなかったのです。

それがアダムとエバの後物語に変わってしまったのです。

 その為に創世記の映画とはちょっと違いますけれども、私はこの肉体をもって天上の世界に行って、現実にその姿を見て来たのです。

皆さん自身は、なぜ三億数千年前のことがわかるんだろう、と疑問を持つでしょう。
疑問など持つ必要はないのです。

皆さんの心の中には、過去、現在、未来は一点なり。皆さんの肉体を支配しているところの、潜在されている九〇%の意識の中には、永い永い転生輪廻におけるところの一切の記録を持っております。

そのために過去、現在、未来は一点なり。皆さんの心の中に今、存在しているのです。皆さんの現在は過去、現在を集約した現在そのものの姿なのです。

ただ肉体を持ってしまったために、自分がわからないだけなのです。 
その心を正し、真の神の子としての道を己自身が生活に生かしていったならば、その実体を知ることができます。

それだけに最も粗悪な光の集中固体化したところの地球上の肉体を持ってしまうと、人間は皆盲目になり、それがために、物がすべてだ、地位がすべてだ、と情欲に駆られ、神の子としての本性を失ってしまったのです。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 201 八起正法先生編

しかし、皆さんの心の中には、偉大なるところの智慧が誰しもが存在し、持っているのです。

それが、生まれて現在までの間に、思ったり行なったりする正しい基準を失ってしまったために、心をスモッグにおおわれ、神の光を自からして遮り、ただ分からなくなっているだけなのです。

それゆえに、我々の物理学上におけるところの時間と空間は不確定です。
しかもまた、心の面におけるところの時間は過去、現在、未来は、現代をして一点であるというのです。

皆さんの心の中には、そのようにはっきりした偉大なる智慧が存在しております。

それを調べあげて行く結果において、三億数千年前のエデンの園は、すでに人類がこの地上界へ出て来て、第二梯団移住の時にエデンの園は、一部分の物質欲に駆られた人々によって道を間違えてしまったのです。

そしてエル・ランティをはじめとして七大天使はこの地上界をあとにします。そして、多くの遺産をこの地上界に残し、後の世の人々が、その偉大なるこの残した地上界の遺産をどのようにして活用するかを、私達は天上の世界において暖かく見守ってまいりました。

しかし物におぼれ、肉におぼれ、情欲におぼれた一部分のエデンの園から離れた人達を救済するために、天上の世界よりルシュフェルという天使を出しました。

ところが、たとえ天使なりといえども地上の不安定な肉体を持ってしまうと、手足をもがれたと同じごとく、生まれた環境や教育や思想や習慣を通す中に己の本性を忘れ、ついにルシュフェルはサタンという名前に、その環境に生まれている間に彼は自分の地位と名誉のとりこになり、ついに天上の世界と交信をたち、この地上界を去るとき、天上の世界に帰ることなく、地獄の世界へかえってしまったのです。

そのサタンは現代は地獄の帝王になっております。これが最初の地獄界の実態です。

こうして多くの天使達は天上の世界からこの地上界の動きを観察し神の子にもどす為に、多くの光の天使たちをこの地上界に送りました。エルランティ自身はアガシャーという方を、光の分霊です。この方を送ります。
さらにまた、カンターレーという方を送ります。後のゴーダマブッタです。

天上界ではカンターレー、と言っています。お釈迦様とは言ってません。
ゴーダマブッタ。アガシャーは後のイマニエル・イエスキリスト。モーゼはモーゼです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 202 八起正法先生編

さらにまたイエスがゴーダマブッタが生まれるときにはガブリエルという方は主として伝達の係をし通信関係の責任者です。

ゴーダマ・ブッタがインドに生まれるときには、ガブリエルのグループの方がゴーダマの生まれることをゴーダマの両親に通信を送ります。アシタバという仙人です。

あるいは又、アガシャーであるイマニエルに対しては又、ガブリエルはミカエルの命によって受胎の告知に出ていきます。モーゼが生まれると当時の王に、その命令によって多くの人は殺されます。

彼は葦船に流されていく途中、七大天使はサタンより守るために、彼が拾われるまで彼の成長を楽しみます。

それぞれこうしてメシヤというのを送り出したのです。これはすべて神の心である法を説くために、出て生きているのです。

特にモーゼの時代というのはサタンの跳梁が厳しく、世は混乱し人間は、本当に底辺の人々は自由になりません。人を殺すなんてことはヘイチャラです。

その為にモーゼというメシヤを出して、社会の人心を正しい法によって導かなくてはならない。その時にエル・ランティはヤーヴェという名前で彼を指導します。ヤハウェー(ヤーベ)という名前でモーゼを指導します。それが十戒です。

汝をイスラエルのカナンの地に導きしは我、ヤハヴェ(ヤーベ)なり。
汝、偶像を祭って祈ることなかれ。汝の主はヤハヴェなり。
汝、近隣を愛せよ。
近隣のために偽りの証をすることなかれ。これが十戒です。

  付記 モーゼの十戒

我の他、なにものも神とすべからず。
偶像を崇拝するなかれ。
神と主のみ名をみだりに唱えるべからず。
安息日には休め。
汝の父母を敬え。
汝、人を殺すべからず。
汝、姦淫するなかれなかれ
汝、盗むなかれ。
汝、偽るなかれ。
汝、隣人の家を侵すなかれ。

 
それは丁度、シナイ半島の岩壁にヤーベーが現証として、その当時現証として現わしたのがセラビムというのがおります。セラビムという諸天善神です。
現代もおります。

このセラビムや他の天使たちに命令し、あるいは、その目的を果すためにそれぞれの指令を天上の世界から命令を出します。聖書の中にはエロシムと書いてあります。このエロシムという者はエルシムというのです。これは聖書の間違いです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 203 八起正法先生編

エルシム。このエルシムと名乗るのは、七大天使が全んど名乗るのです。それはエル・ランティの命令による秘書的な立場に立ってエルシムとして名乗ってそれぞれの指令を出します。 
         
しかし、今から三千百五十年前、ヤーベェの真実の教えは、いつのまにかサタンの喰いものになり、汝、偶像を祭って祈ることなかれといえども、余りにも霊的な奇跡的な現象が一杯現われる為に、モーゼはその偉大性をたたえて、ついにお祭りをしてしまったのです。

そしてヤギの生き血、或いはまた、羊の生き血をあげるようになってしまったのです。それは、サタンの命によって、彼は動かされてしまったのです。

ヤーベはそのようなことは一つも言いません。あくまでも十戒というものを中心にして、人間の生きる最低の道を説いていったのです。
混乱した世相、主を名乗りながらして、サタンに利用されてしまったのです。

そのために、すでにモーゼが亡くなられて二百年にして、間違った思想はどんどん出てしまいました。その為に、天上の世界よりミカエルの分身を地上界へ送ります。エリヤです。

今から二千八百七十三年前、エリヤをこの地上界であるイスラエルの北部に農夫の子として肉体を持たせ、彼の心を揺さぶりヤーベーはつぎつぎと指令を出して、当時のイスラエルの間違った神々、これを世の中から抹消する命令を出します。

アハブという王は、最も悪辣で、皆さんが知っているアスラーというやつ、アシュラー(阿修羅)。争いばっかりやる神様。地獄霊です。この悪霊を祭らしたり、いろいろな偶像を祭らせる。仔羊を犠牲にするならまだいいが、自分の子供まで犠牲にさせるような間違った教えをするようになります。

こういう教えに対してエリヤは疑問を持ち、ヤーベーの教えとは全く違う、十戒とは全く違う。

そして、彼はついに立ち上がり、その王と対決するようになります。

しかし、当時は、約四百数十人もの予言者たちが、エリヤの前に立ちはだかっております。

そのためにヤーベーは、「今から三年間、もう雨は降らせん。イスラエルの地に雨は降らせん、それを王に言ってこい」というところが、王様にしてみれば、「お前は国賊だ、イスラエル国賊だ」といって、エリヤは追放をくらいます。それでも彼の心を揺さぶって、ヤーベーはつぎつぎと指令を出していきます。

これは実は、このあいだ、エリヤが私に原稿用紙で約百五十ページ近く、当時の模様を全部語り、現象を見せてくれました。その現象の一端として、五月の丁度七、八日頃、東京には大きな雷が落ちました。

それはその時の百分の一だそうです。今後はそういうことはどんどん起こります。そして、アハブをやっつけてしまった訳です。そういうようにヤーベーは大きな現象を与えました。

多くの予言者達が輩出して、間違った教えを再び元にもどそうとしたけれども、どうにもならなくなって、今から約二千年前に、再びアガシャであるところのインマニエルをこの地上界に送りました。その時は、ヤーベーとはいいません。エホバと言って名乗ったのです。

エホバ。神ではありません。神の命を受けた最高責任者です。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 204 八起正法先生編

間違ったユダヤ教を修正するために、そして、イエスに人間の愛を説きこの地上界へ送り出したのです。

ヤーベは、「六日間働いて一日を聖日となし、自分の一週間の間違った過去を振り返り、心を修正し、二度と同じ間違いを犯さない」という聖日を設けたにもかかわらず、後の司祭者達は、「その七日目の一日は仕事をしてはいけん。

人と会ってもいけん、動物に食糧をやってもいけん」というようにしてしまったのです。このように、ユダヤ教は大きく歪みを作り出してしまったのです。そのものを修正するために出したのが、インマニエル・イエス・キリストです。

しかし、彼もやがてサタンの餌食になって十字架に架かってしまいました。

さらにまた、変えられてしまったために、ミカエルの分身であるところの天使、魂の兄弟をこの地上界へ送ります。この方がマーチン・ルッテルです。
さらに、フランスからは、ガブリエルであるところのカルビンを出して宗教改革に出したのです。

一方において、仏教の方は、ゴーダマ・ブッダが悟りを開き、道を説く課程において、このミカエルの説いたその過去世である、今から三千五百年前のあのギリシャに於いて説いたアポロの教え、アポロ。このアポロの教えは、やがて東の国、インドに伝わってゆくであろう。

そのインドに伝わってゆくその神理をやがてメシアであるゴーダマ・ブッダという方が生まれて、それを悟り、道を説くであろう。このようにして東の方にはカンターレを出したのです。これが後の仏教ですね。

ところが、いつの間にか仏教も化石化して、お経をあげれば救われるようになってしまったのです。「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華教」それで救われた人は一人もいないのです。

南無阿弥陀仏」というのも、ゴーダマ・ブッダが、かつてラジャグリハという町の郊外のベルベーナ(竹林精舎)におる時に、ビンビサラーと言われる王様がおります。その奥さんが幽閉されます。

コッサラーと言われるイダケダという婦人です。アジャスターという倅に幽閉され、子供自身が何んとか仏教を知って欲しいと思ったけれども、ゴーダマ・ブッダの従兄弟であるところの、同じ王子として出家された方がおります。

その方にそそのかされて、お父さんとお母さんを幽閉し、お父さんは死んでしまいます。お母さん自身は最後の望みとして「仏陀から何か一つ話を聞きたい。私は何もいらないから仏陀から真の話を聞きたい。お母さんの一生のお願いだから」と言って、牢獄に入りながら、お母さんの願いだけをいれて仏陀の話を聞かせたのです。それが阿弥陀教と言うのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 205 八起正法先生編

この阿弥陀教と言うのは西方浄土、インドから西方といいますと、現代のイスラエルからエジプト方面。このアガシャーの過去世の中には、転生の過程を通してアミーと言われる方もおります。そのアミーという名前は、最初はアモンと言ったファラオ(王様)です。魂の系列です。

そのアモンがエジプトに行ってアーメンに変わり、ソロモンに行ってアミーに変わりそれからギリシャに渡ってアミーに変わり、インドに行って陀仏が入ってアミダブツ(阿弥陀仏)になったのです。

そして、その西方浄土にアミーと言われる偉大なる指導者がおって、そこに浄土があるんだよ。あなたは今、自分の子供に幽閉されているけれども自分の子供を恨んではいけません。あなたは厳しい環境の中にあっても子供の罪を許してあげなさい。

やがてあなたはこの地上界を去らなければならない。その時にあなたは阿弥陀の浄土に帰ることが出来るのです、と言う阿弥陀教を説法したのです。

それが阿弥陀教。ところが日本へ来たら「南無阿弥陀仏」と拝めば救われる。馬鹿げた話です。これはインドの言葉だから通用するんです。

南無阿弥陀仏」ちゅうのは、これはインドの言葉が中国に渡り日本へ来たから丁度うまくいっているんです。

これを直訳したら「阿弥陀様の法に帰依する」っていうことです。

「ナム・アミ・ダボ」っていうんです。阿弥陀という悟られた方に帰依する。それを仏壇やお墓やお寺に行って「ナムアミダブ・ナムアミダブ…」そりゃ語呂はいいやね、確かに。

ところが日本語に直訳したら「阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様に帰依します。…」って何百回ゆってもやらないんだね。そしたら阿弥陀様は皆さん何んて言いますか。

「お前、帰依すんならやってくれよ」って言いますよ。

そのように仏教も化石化したんです。最近は、又はやりでね「南無妙法蓮華経」。

妙法蓮華経」に「南無」をつけたらもっと良いんじゃないかと日蓮さん考えちゃってね。一千万人近くの人間が「南無妙法蓮華経…」をまあ、二時間も三時間もやっていますね。あれも馬鹿げた話ですよ。

あれで救われた人はいないんです。「南無妙法蓮華経」というものも、本来ゴーダマ・シッタルター、釈迦牟尼仏がインドの地に於いて、ガンガーの流れを通し、無学文盲の人々に対して方便として説いたものです。

諸々の衆生よ、比丘、比丘尼たちよ、
あの汚いドブ沼の中でも美しい蓮の花が咲くであろう。

ときに、そなたたち、比丘、比丘尼たちよ。
サロモン、サマナーたちよ、そなたたちの身体を見てみなさい。

目が疲れれば、目糞が出て来るだろう。汗、大小便、あのドブ沼より汚いそなたたちの肉体である。

しかれども、そなたたちの心が、宇宙の真理を知って生活をしたならば、あの蓮の花と同じように、調和された境地に、安らぎを得ることができるのだ

と説いたのが法華経なのです。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 206 八起正法先生編

それをわからないで、「法華経に帰依します、法華経に帰依します、 …」「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、…」最近はもっと速くやればいいと、「ナミョホレンゲキョ、ナミョホレンゲキョ…」馬鹿げた話です。

気違いです。いわんや汝、偶像を祭って祈ることなかれです。人間の印刷物をいくら拝んだところで、救われる道はないのです。我々は旧来の陋習を破らなければいけません。

もし、神が必要ならば皆さんがこの地上界に生まれて来た時に持たしてよこしたはずです。曼陀羅をみんなブラ下げてよこしたはずです。男性のブラ下げて来ているのは違うじゃないですか。
このように仏教ですらわからなくなってしまったのです。       
 こうして太陽系霊団というのは、光の直系として、エル・ランティーを中心に、エル・ランティーは、その時代その時代によって、ある時はヤーベを名乗り、ある時はエホバを名乗り、ある時はまた梵天を名乗り、また、さらにマホメットの時にはアラーを名乗りました。

 人類は皆兄弟であり、同じ一つの太陽の下に生活しているのです。宗教は一つなのです。ガンガーの流れも、ヨルダン川の流れも、いまだかつて方向は変えていないのです。時代の新旧によって道は変わらないのです。

 今、私たちは、モーゼやイエスマホメットや、ゴーダマの説いたものを一つにするために、私達は肉体を持っているのです。皆様は、その選ばれた民なのです。

そして、自らの心を開いた時に、あらゆる国々の転生を体験し、その心の中に、その神理が皆記録されているのです。それを甦らせた時に、今、私の言っていることがわかるようになるのです。

神は己の心の中にあり。己の嘘のつけない善我なる心こそ「神」なのです。
神は形づくった中にあるのではないのです。皆さんの心の中にあるのです。
次元の違った世界なのです。そこから皆さんは今、肉体を持って、今、生きているのです。                            
 その肉体を持ってしまうと、私達は目や耳や口や、心の中に思ういろいろな想念、こういうようなものによって、本当のものが見られなくなってしまったのです。皆さんは、真の自分の姿を見ることは出来ないのです。

ただ、肉の姿しか皆さんは鏡で見ることは出来ないのです。しかし、皆さんは誰しもが本当の自分があるのです。
本当の自分を見るように私は教えているのです。それは心です。魂です。皆さんの今、思っている思う根源です。それは不変なものなのです。皆さんの肉体は、今、自分のものだと思っておっても、それはただの錯覚なのです。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 207 八起正法先生編

何時の日か朽ち果て、我々はこの地球上の塵に変わってしまうのです。肉体を支配している皆さんの魂は、永遠なのです。ただそれを形づくられて、私達は生きていくに最低必要なものとして、五官が与えられているだけなのです。

しかし、真の五官は、皆さんの心の中にあるのです。心の眼です。心の耳です。そしてまた、心のすべての機能は、皆さんはすべて所有しているのです。

それを自分が開発した時に、真に永遠の自分自身を知ることができるのです。

私達は、今、この地上界がすべてだと思っておってはいけません。皆さんの、この、人生の五十年や百年は、幻の如く、線香花火のような、ほんの一瞬にしかすぎないのです。そして、我々の眼前に現われてるところの物質や諸現象は幻です。

永遠のものではないのです。朽ち果ててゆくのです。形を変えていくのです。しかし、皆さんの心の中に体験された偉大なる智慧は不変です。

この地上界を去る時に、皆様は何一つ持って帰ることはできないのです。また、生まれて来た時に何一つ持って来た人は誰もいないのです。
我々は、こうして五官に惑わされ、物質的光景の中で、物に溺れ、苦悩を自らしてつくり出しているのです。

その盲目の中から、人間というものの価値観を知っていくのです。手探りの中から、そして、自らして心の安らぎを得、正しい普遍的な神理を、己の心と行ないの物差しとして生活をしていった時に、真の己を知ることができるのです。

これが悟りです。

 悟りというのは、己自身の心を知ることです。己の心を知った時に初めて、人生の目的と使命を知ることができるのです。それは他力ではありません。自力です。神はすべての物を皆さんのために用意し、与えてあるのです。太陽をはじめとして、生活できる一切の動物、植物、鉱物すべ て、神は皆様に与えてあるのです。それを取らないだけなのです。取り方がわからないだけなのです。何を欲するというのでしょうか。物質や経済は無常なものです。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 208 八起正法先生編

しかし、現代のように高度化した社会生活の中において、真の人生の幸せを得ようとするならば、まず、最も大事なことは、健全なる精神、心です。その次に肉体です。その次に生きる為の経済です。

経済は衣・食・住です。この五つの大調和があって初めてユートピアが出来るのです。ところが、いつか人間は、その道を外し、エゴに変わり、すべて皆兄弟だという道を外して、エゴの方に走り、自己保存に走ってしまったのです。

 皆さんは、同じ太陽の下で、すべてが皆平等なのです。今皆様から、自分の地位と名誉と財産を差っ引っいたものを想像して下さい。

何が残りますか? 

それが今の皆さん自分自身なのです。地位や名誉や財産は永遠のものではありません。真の皆さんは、それを差っ引っいたものです。この世を去るときの真の姿なのです。

こうして私達は過日、天上の世界に於きまして会議をやりました。私の隣りにはインマネール・イエス・キリストがおりまして司会をやり、その隣りにはゴーダマ・ブッタ、カンターレがおります。その隣りにはガブリエル、サリエルウリエル、こちらがわにはモーゼ、さらに又光の天使約十人ばかり、そして地球上の状況を次々と報告して来ます。

心を失い権力の座について、人間の自由を剥奪しているところのソビエトは、モスクワを中心として食糧危機は彼等が自覚するまで続きます。北朝鮮も又、同じです。中華人民共和国の北部も同じです。

アフリカの西部海岸も同じです。一方に於いて中南米パラグアイも同じです。サタンの跳梁を許しているのです。そのような心の人達のくもり は、神の光をさえぎり、自からして、天変地異を造り出しているのです。

更にイタリーの北部からベイルートにかけても同じです。宗教の同じヤーベーの教えであるその神理を曲解して、それぞれの道を歩んで、又同じ現象が起って参ります。日本の食糧危機は、心ある人が出て来ているためにありません。

こうして天変地変は次々と起ってまいります。それは天上の世界の神の光の届かない所に起るのだということを知って欲しいのです。

やがて北朝鮮は破産をします。日本は戦後わずか三十年で世界のトップに成ったというのも、それだけ偉大なる魂達だからなのです。

一つ間違えたら又、逆の方向へ進んでいきます。それは危険なことです。
皆さん自身の進むべき道は真の道、普遍的な己自身の心に嘘のつけない善我なる心を芯として生活を知ったとき道は開かれていくのです。それが神理です。

今後大きな現象が起って来ます。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 210 八起正法先生編

間違った宗教家達は、私によってつぶされていきます。どのような宗教家であろうとも、間違った宗教家達は私達の霊的な力によって現象化されてまいります。信じようと、信じまいとそれは事実です。皆さん、見ておって下さい。

地震も雷も自由自在です。それだけに、今、私達はその受け入れ体制をしておかなければなりません。日本ばかりではありません。

やがて私は中近東へ行きます。そして真の道を彼等は知るでしょう。

それは地球の最終ユートピアの為に私達は今、肉体を持っているのです。その為に自分の生活の場は自分の生活として今度の光の天使は全部事業をやりながら出てきております。宗教でなど飯は喰いません。

それが本当です。神は一銭の、人間から金などいらないのです。

太陽はただです。神の心です。これが神理です。私は実業家として、その面に於ても、世界でも、知らない人がなくなるでしょう。当然なことです。それが道です。

エスの時代や或いはゴーダマの時代なら良かったのです。
現代の時代はそれではだめなのです。教祖や、その取り巻きが優雅な生活をする為に宗教があるのではないのです。

真の宗教とは宇宙の真の人間としての生きる道を教えているのです。そして、人間に生きる喜びを与える道なのです。

これが神理なのです。神は人間の造ったものを欲しません。大事なのは美しい一人の人間の心が欲しいのです。

道はやがて開かれていきます。我々の前途は光明に満たされます。そして、その人達は救われていきます。

やがて、地上界の人々の一人一人の心が調和されてきた時に、我々の肉体先祖はその姿を見て、「俺達の時代とは違う。なぜ俺達は、この厳しい環境にいるのだ。」難しいお経ではなく、皆さん自身の日常生活一つ一つの想念と行為の光がやがて地獄の世界を救っていくのです。

最終ユートピアは地獄のなくなる時です。サタンは私が今、一生懸命に〃新復活〃という本を書いております。モーゼの十戒をはじめとして、間違った宗教を修正しているために、やっきになって私のために攻撃をしてきます。

しかし、例えルシフェル・サタンなりといえども私のかっての弟子です。

彼はやがて私の軍門にくだるでしょう。知らないから地獄に落ちているのです。

彼等も救われるでしょう。私は命がけです。

それは皆さん一人一人が自覚された時に、皆さんの周辺の肉体を持っているところの先祖達も救われていくのです。坊主の難しいお経によって救われるのではないのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 210 八起正法先生編

お経の意味がわかって生活しているような人なら天上界へ行きます。ゴーダマ・ブッダは決して死んだ人間を成仏させるために坊さんをつくったのではないのです。生きている人間をどのように導き、人間の心をどのように導き、人間お心を指導するために、この地上界に出てきたのです。

地獄に落ちるというのは、他人のせいではなく自分の思念と行為の間違いそのものが、自分の行動によって地獄に落ちたのです。

天上の世界がピラミッドのように高くあれば、逆にまた地獄の世界は逆ピラミッドとして存在しているのです。

この地球はその中間的環境にあるのです.そのために皆さん自身が、善を想い善の行為をすれば天上の世界へ、悪の行為をすれば地獄の世界
へ、彼等はいつでも待っております。

それだけに正しい心、正しい法この道を己自身のものとして、生活をしなかったならば、人間は救われないのです。

しかし、皆さんの心の中には誰しもが神の子としての真の愛の心を持っているのです。なぜならばすべて皆さんは天上の世界から約束されて、この地上界へ出てきたのです。

還るときに、あれもしょう、これもしょうではなく、今の一秒一秒、一日一生の己自身の完成が皆さんをより大きい豊かなものにしていくのです。

今きびしい経済的環境にあろうとも、悲観することはないのです。

今、その厳しい環境の中で、今、皆さんは、自らの魂を学習するために、今、その体験をしているのです。たとえ経済的にめぐまれていようとも、その環境に安住するものではないのです。

恵まれているならばそれを大事にし、気の毒な人達に真の愛の行為を無所得のままにしてやることなのです。これが道なのです。皆様は皆兄弟なのです。

生まれの環境が違おうとも、神の子としてすべて太陽のもとに兄弟なのです。他人ではないのです。袖すり合うも他生の縁といいます。

まこといその通りです。皆さんが目覚め自らを自覚した時に、皆様は神の子としての道を己自身が実行して行くのです。

みな、私がしゃべっているこの言葉は、皆さんの心の中にすべて記憶されていきます。そして、この地上界を去ったときに、真実であるかないかを、皆さんは自らしてわかるのです。

そのときに救われるのです。生きているうちに自らをつくることです。道は永遠に続きます。今、この世限りではありません。やがて我々はあの世に還ります。

そして、またいつの日か、地上界か、或は、また他の天体に出てくるのです。


皆さんは自らに目覚めなさい!

自らの心を開きなさい!

小さな自分を捨てなさい!

偉大なる神の光に目覚めなさい!

それは愛です。

それ以外にないということです。この研修会を通し自分の心を裸にして、神の己自身の本性に目覚めなさい。

永い時間本当にありがとうございました。

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 211 八起正法先生編

    六月五日                           
 演題「太陽系の天使達」  

お早ようございます。今、皆様にあげました〃心行〃は昭和四十三年十一月二十二日に完成いたしました。

そして二十三日の夜、午前一時、天上界で初めて〃物質と生命〃という講演をやりました。その時の司会がモゼです。

その前にミカエルが講演をやりまして、約一時間半、二十三日午前二時三十分はこの地球上に震度三の地震がありました。
私は禅定のまま天上界にいったものですから、そばに寝ていた家内が、「今、お父さんの講演を聞いていました。」ということでした。

そして、過日、やはり天上界に於て、色々と七十年前のこの地上界に出てくる時の模様。〃心行〃というものの成り立ちをいろいろと本になって現代は、ミカエル大天使が持っていますが、その中をめくってみますと、自分で驚ろいてしまいました。

 〃我、見聞し正法に帰依することを得たり〃という最初の出だしが〃
我正道に目覚め正法流布のために一命を投げ出す〃という書き出しから最後が〃禅定三昧の境涯に到達せん〃、全く同じです。

そして書いてあるものは地球的に書いて私ののはありましたが、天上界のものは宇宙的でした。これを見てホンのわずかしか違っていなかった。ですからやはり書かせられていたと言うことですね。

現代もミカエルといわれる大天使が、丁度この位い厚い(二?三十センチ四角位の立方形の本の形を手で示されている…ビデオ)本にして、私自身が出てくる前の計画一切、現在も書かれている本、将来も出す本、それに記録されてあります。

実はそれは私ばかりではなく、皆さん自身の心というものをヒモ解いていけば、恐らく計画書があるはずです。

それに気が付かないだけです。それに我々は色々な人生の苦しみを通して忘れてしまったんです。

その為には、先づ自分の心の中で思っている事や、毎日生活していること、これの正しい物差し、フィルター、このようなものをしっかり持つ、これが正法です。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 212 八起正法先生編

このフィルターを思ったり行ったりすることについて、一つ一つ、そのフィルターにかけて、正しいものだけを自分のものにしていく、それがわかって来た時に、皆さんは本当の自分を知ることができます。

人生は一度だけではありません。皆さんがこの地上界に出て来て、親が教えなくとも、生まれたばかりの赤ちゃんが、お母さんのお乳を吸いはじめます。

人はこれを称して本能だと言っていますが、これは前に生きていた証拠です。

そして赤ちゃんは、わずか、二週間や三週間位で赤ちゃんは一人で笑っています。

ところが私達が心の眼で見ますと、赤ちゃんの魂の兄弟や或いは又、守護霊や指導霊達が「よかったね。しっかりやるんだよ。

今度生まれた所は、君にとって厳しいかもしらないよ。大丈夫かい」「まかしといて下さいよ。約束通りちゃんとやるよ」と笑っているのです。

そして成長するにしたがって環境や思想や習慣の中から、そんなことは、もうとっくに忘れてしまうんですね。

それを今度、天上の世界から見ている魂の兄弟や指導霊や守護霊は一体どう思うでしょうか。

皆さんは、あたかも自分一人の意思で生活しているが如く錯覚しているだけです。すべて天上の世界からコントロールされているのです。

コントロールされているにもかかわらず、肉体を持ったその個性は、或る程度、勝手なことをやります。

あやつり人形です。天上の世界であやつっているのが、あ、うまくやっているな、と最初のうちは、その内に、自分の意思が働き出すと、アーまた、またパチンコ屋にはいったな。

また、三十六番、出ないとわめいているな。アーまた、おかしな所へ行き出したゾ。

それで悩むわけですね。

天上の世界の悩みは、地上界へ出ている魂の兄弟や、或いは友達、こういう人達、先づ、五歳、六歳のうちは、そんなに心配しません。

もの心つき、十歳、十五歳、特に、中学時代から大学、それから一部分の人は、社会に出てから、おかしいことをやり出すわけです。

毒を喰い始める訳です。それまでに一杯、喰っちまうのもいるんですけれども、最近は、早ければ、小学校の三年か、四年の内に、もうおかしくなり始めるのがいます。

鍵っ子ちゅうのですね。親子の対話がなくなってしまう。


 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 213 八起正法先生編

そして自分自身は、親との対話がないから、自分なりの、ものの判断で生活をしだす。ノイローゼです。

そうなりますと、そういうお子さんにも、そばに不調和な霊が来ております。そのものの意識に支配されるから、生きている人と話しするのもいやになっちゃう。対人恐怖症になる。

段々、心の丸い豊かな心が小さくなる、暗くなる、そうして孤独になっていきます。

その頃から親は、どうも家の子供はおかしいな。最近、親の言うことを聞かない。またガチッとやるわけですね。

子供は段々また、小さくなる。こんな子供に誰がしたなんてね。子供自身は自分でつくって、自分で苦しんでいながら、他人のせいにする。親不孝するようになって行くわけです。

勿論、その家庭において反抗期という、人間の一つの成長する過程における性格的変化がありますけれども、それが、憑依現象として現われてくる場合が多いわけです。

心の暗い人々は、その心の暗い分野に、その暗さに比例した悪霊、この地球上というのは丁度、ピラミッドと逆ピラミッドの中間にあるんです。

即ち、天上の世界 と、地獄の世界の丁度中間的な世界が物質の世界です。それだけに非常に敏感です。ところが、皆さん自身が肉体を持ってしまうと鈍感になります。わかんなくなります。

皆さんの、この眼の見える世界なんていうものは、ほんの小さいもの。七色の虹の世界、四〇〇〇オングストロングから七〇〇〇オングストロングの周波数の位置しか皆さんは見ることはできない。

現に、虹の両極端は紫色と赤色です。赤色からは赤外線にはいっていきますね。赤外線からは電波にはいっていきます。これも見えない。

それから紫色からは紫外線にはいっていきます。紫外線から熱線にはいっていく。これも見えない。

ですから人間の眼が、どんなに、いいといったところで、ほんのわずかな世界しか見ることが出来ないわけです。

いわんや、嗅覚にしても同じです。聴覚にしても、たいしたことはありません。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 214 八起正法先生編

しかし、私は、聴えます。あの世のことまで見えます。

心の耳、心の眼、心の鼻、心の本当のものを持っていればそのように自由自在、観自在、ということになるのです。ひとごとではない。

皆さんも、その力をもっているんだが、ただ、ちょっとだけ鈍感になっているだけなのです。その鈍感の理由というのは、日常生活の中で、人を恨んだり、妬んだり、そしったり、またグチを言ったり、自分と言うものの心の中は、まろやかでない。そしてイライラしている。それが、みんなスモッグになってしまうわけです。

夕べは、だいぶ風を吹かせました。

なるべくならば、今日は雨が降って欲しくないものですから。

そのようにスモッグを払うにはそれなりの作用を起さなければなりません。皆さんの場合は反省ですね。

反省ということは、 まず正しいフィルターをもって、自分の思ったこと行ったことを一つ一つ、振り返って見る。

人間なるが故に間違いも犯す、又、間違いも自分自身の心を豊かにする、一つの菩提であるということに、たとえ間違えたからといって、自分はだめなんだといって自分を小さくしてはいけない。

皆さんの今ある環境は、皆さんの魂をより豊かにする一つの学習の場であるとしたならば、小さなことにこだわる必要はないのです。失敗も又、成功のもとです。

〃改むるにはばかることなかれ〃という諺があります。まことに、その通りです。

そして、それを土台にして、より自分を豊かなものにし、同じ間違いを犯さないというようにしていくことが大事です。

そうして今、皆さんは、こうやって原子肉体を持っているけれども、そこに、こちらから2番目の絵があります。


※ちょうど人が禅定して座っている絵です。その人の周りにオーラを描いたという図です。

皆さんは、もう一つの肉体を持っております。誰れもです。この中で後光の出ている人もいます。頭の毛がなくて、電気によって光っている人もいます。
これ誤解の方です。(一同笑い)

本来は頭の毛があろうと、なかろうと心がきれいで太陽のように美しい丸やかな心で慈悲深い、そして自分というものを常に、自分だけではない、相手もいるんだ、常に調和ということに心掛けて正法の生活をしている人には、きれいな後光が出ております。

この後光が、あの世に甦るための皆さんの肉体なのです。今、ちょっとヘタな絵ですが書いてみましょう。

こうやって今、禅定している人のことを考えますね。

そういたしますと、皆さんの心は丁度、胸のあたりにあります。胸のあたりに、きれいに丸くなっている人とハート型になっている人と、歪みをつくっている人とあります。

そして、このように丸くなっている人達の心の中には、この心の絵がありますね。智性と本能と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。

丁度、風舟玉のようになっております。そして心の中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。これはもう一人一人あります。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 215 八起正法先生編

或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色の光の出ている人は、何かというと、もっか恋愛中ということです。
それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人がいますが、こういうのは困りますね。

そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダルマさんのような、きれいな光が出ております。こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。

この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。

ですから、心がこうやって、丸く、感情も智性も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけですね。

ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり心が丸くなかったという証拠です。何か心配事がある。何か、何かある場合ですね。更に又、この心というものは、今までは形がないんだなんて思っていたけれども、とんでもないことですね。

私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断するんだというわけですね。確かに頭で判断するんです。

だから心は頭にあるんだというわけですね。

一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。その先生が「頭がおかしくなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」ということを僕の前でとうとうと言ったわけです。

そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるんだよ」。

ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明したわけです。

「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか。」

「そりゃ君、ここだよ。」

「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら

「それがわかりゃノーベル賞だ」
(一同笑い)

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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 216 八起正法先生編

光の方の肉体、こちらの方の見えないところの神の光よって満たされているために、心にスモッグがないから後光が出て来て、実はこれが本当の肉体なんです。

皆さんの、あの世に還る舟なんです。

そしてそちらにも、ちゃんと大脳も全部あるんです。

ですから今、皆さんの脳細胞は受信と送信をする一つの機能にしか過ぎないのです。

耳で聞きます。聞いた聴覚神経は皆さんの脳細胞の聴覚の、一つの物を聞く機能、その信号を違う次元の方に送る装置にしか過ぎないのです。
ですから、今、物を見ますね。〃赤〃って見たものは聴覚神経の〃赤〃しか見られないのです。

その〃赤〃自身を判読しているものは英語であろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、言葉が違うだけで、〃赤〃には変わらない。
〃赤〃はレッドと言えばレッドなんです。脳細胞は二百五十億あります。

この二百五十億の中にそれぞれの一つの分野が神経繊維の一つは一方通行です。それでそれが記憶している訳です。ですから世界各国、〃赤〃は赤なのです。ただ言葉が違うだけです。ですから、本当に記憶しているのは光の方の肉体が記憶しているのです。

ですから皆さんが夜寝て、夢を見ている時に、自分の肉体を自分が見ていることがあるでしょう。どうでしょう。自分の肉体は、今、寝ているんです。

そして寝ている肉体の又、もう一つの肉体が活動しているのを、自分が又見ていますね。そういう経験のある人、手をあげて下さい。
それは皆さんの光子体の本当の舟頭さん、その舟頭さんが見ているのです。

それが皆さんの真の真我な自分です。ですから、私達の今のこの肉体というものは、本当に皆さん、この世を去っていく時によくもまあ、こんな舟に乗っていたものだと思います。

なにしろ私達は天上界でよく会議があります。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 217 八起正法先生編

肉体を持っているのは私だけですから、まず醜いですよ。

そして僕が一番、年寄りなんです。自分は若いつもりでいるのだけれども、相手側の方は皆、二十六、七歳、ミカエルが二十八、九から三十位、イエス様が三十六、七から四十歳位ですから、それですから膚の色が違うんです。

握手したならば、こちらは石のようなもので、相手の方はロイヤルゼリーか何か、なんともいえない、もう違うんです。

女性の方は、菩薩界におられる方は、何かミス・ユニバースみたいで、皆、美人です。
目を覚してがっかりしちゃうわけです。

ですからこの 地上界の皆さん、少し位顔がまずいからといってガッカリすることはありません。いずれ天上界へ還れば、皆、美人だってことですから。

我々のように、ニキビの噴火した跡なんか一つもありませんから。これは光子体の方の肉体、皆、美人ですね。もう、女の方なんか、本当に、全んど美人です。

地獄界は別ですよ。地獄界へいったら例えば、魔王の近辺におるのなんかは、美人のような顔をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬間に、もう口はサケてしまって、そりゃ、もう、まともには見られませんよ。

鬼ババアなんて可愛い方です。おっそろしい顔です。

骸骨のような姿になってしまうしね地獄界は又、別の世界です。こりゃ、ミスブスなんてもんじゃない。表面がきれいだから と思ったら、とんでもない話しです。

過日、私の家を訪問してきましたアステリアという魔王・サタンの姪が来ました。それは私の持っている法輪をパーンと投げましたら、そこに引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、この通りだよと言って、手の中に踊っていたものですから、ポンと投げて、そのまま寝ちゃったら、夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。

私のフトンの中にはいって来たんです。

アレ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、はいってくるの。そして、しかし丁度アンマさんにかかっていたものですから〃なんで、お前は、こんな所にはいってくるか、出なさい!〃と言った訳で す。ところが按摩さんは見えないですからね。

メクラだしね。〃私は何もしてません〃と言う。それはそうでしょうね。本人はビックリしちやうわけです。

こっちの方は見えちゃうし、向うは見えないんですから。〃いや、あんたじゃなくて、今、外人のものすごい美人の女の人が、私の隣りへ、お見舞いに来たといって、お見舞いに来たのに何でフトンの中に、はいるのか、出れ!〃と言ったんだと言ったんです。

〃ハアそうですか、私はそんな積りではなくて、私は何か悪い気がしました。〃〃いやそれは違うんだ〃と、そんなことがありました。

それはもう外国の映画女優の、ものすごくきれいな女の人に似ていますね。

それでも、一旦、彼女が心をガラッと変えたら、もう悪党、鬼婆です。口許は切れるは、まともには見られません。それが地獄界の実体ですね。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 218 八起正法先生編

天上界はそんなことはありません。怒りもありません。そして又、天上の世界の、今度は、心の調和されているエルランティという方になりますと、ここにパワートロンというものを持っています。(以下図を書きながら説明)

頭にちゃんとパワートロンというのをつけています。パワートロンといいます。

神の光をストレートで受けている光ですね。このパワートロンから、光がピューッとこうやって出ているわけです。

ですから見ておりますと、頭からも、身体からも光が出てきておりますから、光の化身だと思えばいいですね。

そうして、このパワートロンと、その人の、エル・ランティの心のところと、全く同じ位置、だいたい八十センチから七十センチのところに玉があります。このようになっております。これがドームです。

そして、このドームからも光が出ています。やわらかい金色の光です。こういう光が出ております。

大きな光ですね。そして、このパワートロンの光が、このように発射していると同時に、ここに今度は魂の分霊ですね。

光の分霊である、イエス様、モーゼ様、カンターレ、この意識がはいっております。これから七十センチ位ですね。

この頭の上から、そして例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、例えば、これがイエス様だとすると、今度、これがクルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいってくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。

お釈迦様のこんど、話をしますと、こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。

ですから、普通、私が講演を全国して歩いとって〃あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ〃という人が出てくるわけですね。見えちゃうから。

インドの時、耳たぼなんかこんなに小さいのに、こうなってくるわけですね。眼の方が、ずーっと、こうやって細くなってきちゃう。見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。そうすると、その人達にとって、お釈迦様に見えちゃうわけです。これは光の分霊っていうわけです。

エル・ランティの光の分霊、この光の分霊というのが、個性を持っておりますから、そうやって出て来ますね。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 219 八起正法先生編

ところがいつのまにか、お釈迦様や、モーゼや、イエス様や、或いは又、もっと下の方の段階におるところの回教、こういうのをメシヤというわけですね。

このメシヤを拝むようになっちゃった。メシヤ信仰になってしまった。これは大きな間違いですね。

メシヤの説くのは神の心である法を説きに来ているのです。

人間はこのようにしなければいけないんだ。メシヤ信仰ではなく、メシヤを信じることです。メシヤの言葉を信ずることです。

そうして、その言葉が法なのです。その法を行ずることです。これが本当の信仰なのですね。ですから本来はメシヤ信仰であってはならない。

仏教では、お釈迦様は絶対ですね。だからいつのまにか〃オシャカ〃なんて言葉が出来ちゃうわけです。
それは困りますね。

お釈迦様の説かれた法、その法を生活の中に生かすことです。そうして、自分自身が、説かれた、その悟られたメシヤのような豊かな心になるということ。

イエス・キリストを拝んじまって、何んでもイエス様、イエス様。迷惑ですね。

エス様は一人しかいないんだから、世界中の人が、イエス様を呼んだらどういうことになるでしょう。

そこでエル・ランティーであるところのヤハベー(ヤーベー)は〃汝ら、みだりにヤハベーの名前を呼ぶことなかれ。〃といっていますね。
それなんです。一人なんですから、呼ばれたって仕様がないんです。

皆さんだってそうでしょう。仕事をしておって、仕事の途中で何回も呼ばれると、〃うるせえなあ〃ということになりますね。これは同じです。
我々は、
ややもすると、次元の違う世界を呼べば、何んでもやってくれると思っているが、とんでもない事です。一番大事なことは、メシヤの説く、法というものを実行するということ、これが大事です。

そして、このエル・ランティは、光そのものです。天上の世界へ行くと光そのものです。光の化身です。

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 220 八起正法先生編

といって、神ではありません。神は、又、こちらにあるわけです。
いまだかつて地球上に神だなんて言って出て来た人は百%嘘です。

どんなものだって、神様になんかにはなれないんです。神は一つです。宇宙には神は一つです。こういう、エル・ランティと同じような人達が、宇宙に、真のメシヤという人達がおります。遂に、過日はM37という星があります。 
 
M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤはついに、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の、軌道修正コントロールセンターというのがあります。

太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。その中心の心臓部に伝達があるわけです。宇宙的ですね。

そして、真のメシヤが、それぞれの惑星の地上界に出て、皆んな互いに連絡がとれるようになって、真の調和が完成されたとき、そのメシヤが神になるのです。

大変なことですね。M26、この太陽系それぞれに出て来ておりますね。今、出て来ているのは、太陽系で、一人、悟っております。M37で悟っております。M27、M26、出ております。このMというのはメシヤという意味で、つけたようですね。

ベーター星我々の出て来たところのベーター星というのも、調和されている世界、ユートピアです。

その、皆さんも出て来た所ですね。ところが、今、我々が住んでいるのは、自分の住んでいる地球だけだと思っているだけなのですね。かつて皆さんは、三億六千数百年前には、そのベーター星という所から、移住民族として、地球上へ来たわけです。

そして、その間に何回も転生輪廻して、まあ全んど皆さんは地獄へは行かなかったと思いますけれども、まあ、今、いるわけですね。

そして、自分というものを知るようになっていくわけです。

で、それは、何んのために、現象の世界に出て来るかというと、この色心不二といいまして、皆さんが肉体と魂を持っているように、神の身体も、また、物質と心から成り立っているわけです。

神の身体の地球という細胞を、神の子である人々と心と心の調和によって、はじめて、地球は円満に調和されていくんです。


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高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 221 八起正法先生編

それが神の子である地球の中の細胞の一部分が、互いに争い、闘争を繰返される。
即ち、皆さんのツバキ、ダ液のようなもの、皆さんは、地球の消化する、ダ液のようなもの、そのダ液の中にバイ菌がはいったら、どういうことになるでしょう。

消化不良を起こしちゃいますね。同じです。ですから地球に住んでいる人達の心の丸くない人達が多ければ、即ち不調和な人達、法を間違えた人達が多ければ、その分野に天変地変が起るんです。

神の光をその分野が失ってしまうからです。地獄が多くなれば、そのような現象が起りますね。

だから恐ろしいことです。ですから、心がきれいな人達が集まれば、その集まっただけ、その環境は調和されて、光明に満たされるわけです。

それは事業だって同じですよ。家庭だって同じです。ですから、家の中が、どうも不幸が続いているっていう人が、こん中にも、何人か来ておりますねえ。自動車事故で亡くなっちゃったとか、私は一生懸命に拝んでいるのに、何んで、何んで不幸なんだろう。

というのは、何か原因があるんですね。思っていること、行ってる性格を通して、何か原因があるんですね。夫婦の関係、子供の関係、その原因は、それを除かない限りは、そっからは、光明は満たされないわけです。その原因はどういうところにあるのか、それをどのように除けばいいのか、ということを私達は教えているわけです。

ところが、普通、宗教は、そうじゃなくて、不幸があると、お前さんとこの先祖が浮かばれないんだよ。一生懸命、お経をあげれば、なおるんだよ。と馬鹿なことを言っている。又、それを信ずる。

〃溺れる者、ワラをも掴みますからね。〃その原因はどこにあるかということ、その原因の根を、どのように取り除くかということに努力しなさい。出た結果に翻弄されちまってね。

増々、深まりにはいって行く。だから神様、拝めば拝むほど、不幸になっていくわけです。

ですから、宗教家、お坊さんとか、或いは神主さんとか、宣教師とかいう人達ね、神様を扱っている人達、偶像を拝んでいる人達の家庭をご覧になって下さい。混乱してますよ。

あんなに信仰深い人が、なんでだろう、と、こう思うんですね。そ いうのは本当の信仰ではないんです。皆んなは兄弟が、円満で仲良く、お互いに助け合っているのが本当の信仰なんです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 222 八起正法先生編

ですから家の中で色々、まずい問題が起ったりするのは、俺達の考え方、生活のあり方に何か間違っているんだ、と、正しい法則を踏みはずしているんだ、先祖がどうではないんだよ。苦しんでいるのは自分達です。
それを、その根っ子を考えることです。そうして、それをなおすことですね。そうすると、なおっていきますね。ここにも、そういう人が何人も来ています。

ですから、その時は、拝むんじゃなくて、私達の考え方、生活の在り方、物の考え方、これらのものの修正、そのチャンスを与えているわけですね。

それで、その根っ子は、どこにあるのか、その原因はどこにあるのか。その悪い面を取り除かない限り、だめ、それをただ、先祖のせいにして、先祖を拝めば、なおるんだと、それじゃ、先祖に、いい戒名をあげようじゃないかといってね。そこにパックリ待っているのが、パックリ屋ですよ。

戒名のいいのをあげれば救われるなんて、馬鹿みたい。先づ、皆さんね。戒名をどんないいものをあげたって地獄は地獄ですよ。

〇〇院殿〇〇大居士というのが何年か前に死にましてね。その方が、東急の社長をやっておりまして、私の親分出してくれって、言うもんだから、すっかりゴトウ・ケイタだと思ったんです。

そうしたら違うんですね。元総理ですよ。「ワシじゃ」って出て来ましてね。ノドから声が出ないわけですよね。ガンで切って死んだ総理ですから。

それが地獄にいるんだから、どうしようもならないじゃないですか。名前みたら、院殿大居士ですよ。

そしたら、「ワシャ、そんな名前は勝手につけたんだから、俺には関係ねえ」って「高野山へ行って聞いてくれ」って。

そういうものなのです。皆さん名前じゃない。〃冥途の沙汰も金しだい〃なんてナンセンス。一銭の金がなくたって天上界へ行けるよ。そういうことを知って下さい。

絶対に戒名なんか、どんなにいいのつけたって、地獄へ落ちるものは、地獄へ落ちるんです。名前なんか、どうでもいいんです。

地獄へ行って、戒名なんか名乗っているのなんか、一人もいないから。これは日本人の、色々都合が御座居まして。戒名っていうのは本来はね、生きている内につけるんです。

昔の坊さん達はね、自分の寺子屋みたいな所へ連れてきてね、正法をよく教え、仏教を教えて 「ア、あなたは、大分よく勉強し、生活も変わって来ましたな、じゃ、このあたりで、今までの名前をかえて、じゃ、居士という名前を与えましょう。」

「ありがとう御座居ます。お蔭げ様で、私も、心がなごみました。」
そうしてなったものですね。

 
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 223 八起正法先生編

それが、そうじゃなくて、日本は、死んで、しばらく過ってからね、お金持って行ってから戒名つけるんですよね。死んでいる人がわかる訳ねえじゃないですか。〃あなた、どなた? 〃ったら、自分の本名を言うんです。〇〇院殿〇〇大居士なんて知らねえよ、なんて。

同じですね、だから冥途の沙汰は金次第じゃないんですよ。

それは都合の悪い人が、そう言ったんでね、だから皆さんは戒名なんて本当はいらないんです。生きているうちに、自分の心と行いをなおして〃 よっしゃ〃と今までの名前を捨てて、新たに、生まれ変わった積りで、人生をやり直すんだと言って、名前を変えるんだったら大いにやりなさい。

死んでから貰うんだったら、そんなのはいらないんです。生きている内に自分の心を改造してね、生活を改めて名前を貰う、これが本当のものです。

戒名とはインドの当時、ブッダの弟子に、シャーリー・プトラ(般若心経の中に舎利子とある人・著者註)という男がおります。

彼はウパテッサという名前でね、どうもウパテッサというんじや、うだつがあがらねえんじゃないかと言うんでね。

(笑)お前はよくやるから、お母さんの名前のね、シャーリーというお母さんの名前のね、お母さん、なかなか陰徳のある方で、一つその名前を貰ったらどうだ、心を改めて心身を改めてシャーリープトラという名前にしたらいいといって戒名を変えていったのですね。

 或いは又、コリーターという名前がありまして、何度もコリても困るから(笑)、

(付記、古代インドのお釈迦様の時代にコリータは暴漢に襲われて殺されます。コリータは、あの有名な坂本竜馬に生まれ変わりますが、明治維新も同じように暗殺されたことで知られています。それを受けて何度コリても?となったのです。)

なんとしろ、お前の名前を一つ、この際、心もきれいになったことだから、モンガラナーということにしよう、と言って、マーハーモンガラナーという名前に変わりました。

これは大目連ですね。それ生きている内です。死んでから、いくら、どんないいの貰ったって、どうにもしようがないじゃないですか。

最近、日本人、そういうのが好きになりましてね、死んでから、一パイ貰うのがいいんじゃないか、と、最近は結婚にまで影響しましてね、お墓行って、戒名見て、この家の先祖は、余りいいのじゃないからダメだなんてね。馬鹿みたいなこと言って、院殿大居士がねえから、結婚の対象にならんよなんて、そこまで来たらもう、悪霊ですね。ですから皆さんは、そんなもんじゃないんです。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 224 八起正法先生編

その点はクリスチャンの皆さんの場合は、生きている内に、自分の心を入れ換えて、マリヤに近い、マリヤ様のような気持ちになりたい、とマリヤとつけてみたり、色々と人の名前をつけている人もいますね。

クリスチャンの方は、はるかに御立派です。生きている内に変えるんだから、ものの考え方を。

ところが仏教は死んでから変えるんですからね。死んでから変わる訳、ないじゃないですか。
だから、そんなものに皆さんは心をうばわれてはいけません。

だからG・L・Aのお坊さんはそんなことしませんよ。〃院殿下さい〃と来ても〃まあ院でいいじゃないですか〃なんてね(笑)
そんなことでやってますね。

ですから商売繁盛しちゃうわけです。仕事が忙しくなっちゃうわけです。あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけで、葬式多くなっちゃう。

本当は、お坊さん、葬式専門じゃ困るんですよ。生きている人を救うことでね。死んだ人はもうしようがないんだ、これは。

ところが日本はお坊さんイクォール生きている人には関係がないんだな。だから、お寺さんが入院している患者さんをお見舞いに行きますと、縁起が悪いや、なんてね。

そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に〃お前さん、あの世があるんだよ、といつまでも執着を持っているな、みな捨てちまえ、子供達にみな分けてあげなさい〃と教えてやりゃあいいんだよね、本当は。

ところが、お坊さんが行ったら、縁起が悪いや、あいつは死ぬんじゃねえか、なんてね。

僕が丁度、この間、坊主になって船に乗っとったら、〃坊主と一緒じゃ魚一匹つれねえや〃(笑)なんてね。

だから坊さんは縁起が悪いことになっちゃってんだ。私も一応、心を改めて、自分の頭の毛を、一つ形の方からやってみようと思いまして、色々検討の結果、頭を三分刈りにしてみた訳です。

そうしたところが、〃坊主と一緒じゃ、魚も釣れねえや〃なんてね。こりゃ不思議なものです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 225 八起正法先生編

ですから本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。

インドの、本当のお釈迦様のお教えはね、お弟子さん達、ブッダが亡くなる時にね、アナンという方に、アナンがブッダがなくなったら、どうしたらいいでしょうか、私達はよんどころがありませんと、彼はブッダの枕辺で泣きました。

その時、ブッダが、何を言うかと、ワシが説いた四十五年間の法は、お前達の心にあろう。

お前達は、その法をたよりとして、人々を救うことなんだと教えているんだね。

それが、何か、死んだ人を教えるように坊さん、変わったんだなあ、こりゃ。本当は、もうだめです。その坊さんが、〃見えて、聞えて、話せ〃たらなお、いいんだけど、〃見えて聞えて話せない〃のが(付記、見えず、聞えず、話せないのが…の意)

引導を渡すというから、どうしようもならない。

どういうわけですか、私達は、死んだら〃ああ、こいつ地獄へ行くゾ、こら、お前ちょっと待て〃と。こないだ、ある人が亡くなりましてね、ショック喰いました。

私、行って見たら、無意識界にいるわけですね。事業やっとるもんですから。ソレーッちゅうわけで、すぐ行きまして、〃あなた、どうしたんですか〃っちゅったら、〃私しゃ便所でこんなことになっちゃって〃便所におったままステンと去っちゃったわけですね。

予告なしですよ。大抵の場合なら、報告があって何日頃死にますと、あるんですがね。

元気なもんだから、こっちは元気だと思ってい た。朝になったら、電話来まして、亡くなったっちゅうから、〃エエーッ〃って、私が、パーッと、もう行きましたところが、無意識界、自分の肉体から離れて、自分で意識ないわけですね。

〃あなた、どうしました〃〃私は便所にいる間は、わかったけれども、後はわかんなくなっちゃった〃
と。しっかりして下さいよ、と。

「あなたはこんなに早く、いくなんて思わなかった」

それでイエス様、イエス・キリスト、〃イエス様、すぐ行って協力してくれ〃って、すぐ魂をゆさぶりましてね。今、修養所におります。

?

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 226 八起正法先生編

労働組合につるし上げられ、家庭の中から反発されてね。

精神的よんどころなく、心悩んでいる時に、そういう一つの死を迎えたわけです。だから恐ろしいですね。
ですから無常です。人間はいつ、この世を去るかわからないんです。

ですから、皆さんの場合も、自分の心は、いつでも準備体制は整えておかねばいけない。

これが私が言う〃一日一生〃ですね。明日、生きとったら又、一生懸命やろう。今、若いからって、わからないんだから。

それで又、なんというと、しめっぽくなるから、まあまあ、明日生きていることにして頑張るわけです。そうして希望を持ちながらね。

そうして、死んだ、生きたって区別つけられる人は少いですよ。アー俺は、今、死ぬんだなんてね。そういう人は御立派ですよ。でもGLAの人達の一部の人は死ぬことがわかってりゃ、親孝行する人もいます。

或る人は二日前に、もうわかりましてね。〃ワシャもう、あと二日だよ、皆さん、どうも永い間、本当にスマンかったね。

本当は、もっともっと、生きたいんだけれども、どうも、もうだめなんだよ、あと二日のちには、この世をかえるけど、ま、一つ、よろしく頼んまっさ、せっかく家も作ったから、GLAで、ぜひ使って下さい。

家内も、さみしいようですし、今度、又、生まれて来た時は、正しく自分を知って行きます。しかし、”今生は、本当に楽しくありました、ありがとう御座居ました〃ってかえっていった人、一杯いますよ。硬直なんか、全然しません。

生きている時よか、もっときれいになっていくわね。これが本当の成仏ですよ。もう、こうやって硬くなるのは、皆んなダメ。

ですから、皆さん、死んだとき見てね、亡くなった人、見て硬くなったら、こりゃ、地獄だなって思って下さい。

その時は、〃ちょっと、あなた、ここにおりなさい〃と。
あなたは今、この地上界を去るんです。執着を捨てなさい。今、あなたの肉体は滅びるのです。

あなたは今、新しい肉体を持つのです。いつまでも、そんなことをやっとったら、あなたは地獄です。死というのは大変な行事なんですよ。地獄霊が皆、来ますからね。
高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 227 八起正法先生編

モーゼの時など、モーゼの肉体をサタンが欲しくてね。
そして引き取りに来たのです。その時にミカエルを中心とした七大天使が、モーゼの死体をかわしましてね。
その死体を渡さなかった。

その死体を渡しちゃったら、モーゼが生き返って、サタンになっちゃうんです。それで、皆さん死んだあと、よく魔よけっていって、刀をあげるでしょう。あれは、そういう習わしなんですよ。

復活されちゃうから、おかしくね、悪霊がおれば、だから、そのように教えて、それが本当の引導ですね。

ところが、最近のお坊さんなんか、〃なんで、あの世なんかあるものか〃ってね。現に、僕んとこに言って来ている大僧正ちゅうのがいるからね。そいで檀家を何百軒も、何百人も持っていて、〃あの世なんか、あるもんか、GLAでいっているのなんか、ありゃ気違いだ〃なんてね。
その内に、お灸すえに行こうと思ってるんですがね。(笑)

GLAのお坊さんとこ大分、いじめているからね。皆んなの前でやっつけられるもんですからね。

毎日新聞にもだいぶ出ました。あの世なんかなくてね、引導渡しとったら、詐欺じゃないですか、あの世なんかなかったらねえ、お経なんか、あげるこたあ、ねえじゃないですか、だけど、ま、こりゃ商売だからって、言っているっていうから、ま、その内にお灸すえに行きます。

あの世があることを教えにね。又、その檀家からも、GLAへだいぶ来ているわけです。不思議なもんですね、これは。それも、ま、なかなか悪党坊主ですよ。でも、私が出たら、一番恐ろしいんじゃないでしょうかね。

そういうもので、皆さん、心が大事なのです。肉体からサーッと離れると、地獄へなんか、行きませんしね。そこで、又、ここで、こんど地獄の話になりましたから。神様が出てくる人がおりますから。そこで、
〃ちょっと出て来て下さい〃

四十代の細面の女の人が登壇する 。

〃あなたが何か信仰しているの〃…大権現というのを拝んでいた訳ね、家で。〃

 そして、霊道現証の時間へとはいっていった。 


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 228 八起正法先生編

    L字の金の塊  
 
信次師は、ひと月以上前から、リンゲル注射のみで生きていられた。
にもかかわらず、東北の研修会には、家族、側近が懸命に止めるのを聞き入れず 
「行かねばならぬ」、
と無理を押して参加され、そして、各一時間ずつ講演をされます。
先の渡辺氏は、こう書いていられます。

「特に、この時の『新復活』というご講演は、獅子吼とはこのことをいうのだなあと心に思ったほどの渾身のエネルギーをふりしぼった
大講演で、後にも先にも、このような場面にふれたことは、この時だけだと思っている。

ことに、最後の十分間ほどは先生がこのまま光のエネルギーに昇華されてしまうのではないかと思われるほどの迫力だった。

 汗は金となり、それが照明でキラキラ輝く。特に右側の頬に大きく金の塊が生じているらしく、口の動き、頬の動きに応じて、ダイヤ
モンドのように光り輝いて見えたのが印象的でした。

終ってから、講師一同が先生のお部屋にご挨拶にあがった時、右頬についていた金の塊を取って見たら、

「Lの字になっていましたよ」、
とおっしゃった」、
と。            
    
     この時期の信次師の周辺                       
          
昇天直前のある日のこと、園頭会長に信次師の本を勧め、正法帰依のきっかけをつけたK氏は、こう話されています。

「私が、六月のはじめ、自宅の前まで帰って来た時、一人のやせた青年が「Kさん」
というのです。 誰かと思ったら、高橋先生でした。

「先生はどちらへ」

「病院へ行っての帰りです」

「どうぞ、おあがり下さい。お茶でも」

 先生は、私の家に一時間半位いらっしやいましたが、

「Kさん、こんなに肉体を酷使するんじゃなかった」、
といって涙をためていらっしゃいました」、
と。

Kさんは、
「高橋先生は、私に気持ちを伝えておけば、懇意にする釈迦第一の弟子といわれた舎利弗・園頭会長に、伝えてくれる。
 それで、わざわざ、自宅の反対方角の私の家へ。 これしか考えられません。」、
と話されています。

Kさんの家は病院から北の方角であり、信次師の自宅は病院から南の方角であり、まったく反対の方角です。

わざわざ来られたとしか考えらないというのです。


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 229 八起正法先生編

     
     信次師昇天
 
 一九七六(昭和五十一)年六月二十五日、高橋信次師は昇天されました。

信次師の著書出版を担当された、堀田和成氏はこう書いておられます。

「死の四カ月ほど前、釈迦に説法とは思いましたが、折に触れて休養なさるようおすすめしました。

そんな時先生は、

「わかっています。私の体は私がいちばんよく知っている。 だが、やるべきことをやらねば私の役目が果たせなくなっ てしまう。私はただ、やるだけなのです」
と言われます。

先生は死を覚悟されていました。

残された時間をいかに有効に使うか、それだけがお心を支配していたようであります。

「先生のお気持ちはお察しします。しかし、細く長くという言葉もあります。今のお体には休息がいちばんと思います。ゆっくりと体を
お休めになってください」

私は、先生に繰り返しそう申し上げました。云々。 

しかし、時すでに遅く、六月二十五日午前十一時二十八分、ご家族の方の見守られるなかで、その短い生涯を終えられるのでした。」、
と。

信次師の奥様である高橋一栄氏は、こう書いておられます。
「さあ、起こしてくれ。上衣を出してくれ。私は行かねばならない。みんなが待っている」、
と主人は、床の中で、そう私に叫び続けます。

自分の体が自由にならないのに、気持ちだけは明日に迫った関西講演に、早や心は飛んでいるようでした。云々。 
 
しかし、主人はもう何日も物を食べていません。

それどころか東北講演ですっかり体を使い果たし、そのうえ、つい一日前、ある方が八起ビルに訪ねてくるというのでわざわざ出かけて行き、夜の十時すぎまで話し合い、その無理がたたったのでしょう。云々。

今にして思えば、あの時の主人は、家族の者の理解を越えたある使命感だけに己れの魂を燃焼させて生きていたと思います。

それから十日余りして主人は昇天しましたが…云々。  

   
                    『心に法ありて』  


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 230 八起正法先生編

さらに、渡辺泰男氏は、次のように書かれています。

「私が会社で執務していると、午後二時頃、GLA本部の信次先生の実弟興和先生から電話がかかってきて、本日午前十一時二十八分に、高橋先生が亡くなられたというのである。

明後日から和歌山県の白浜で関西地区の研修会が行われることになっているが、それに私 も出席してくれないかという。

おり返し本部に電話したところ云々。

忙しい葬儀の準備の合間をみて、私は五階に安置されていた先生のご遺体に最後のお別れをさせていただいた。

安らかに目を閉じていらっしゃる先生のお姿を拝しながら、お釈迦様の涅槃とは、このことをいっているの だと云々。 

 
                                    『ノアの箱舟
                            
信次師の長女・高橋佳子氏により『真創世記』三巻が出版されています。

これは佳子氏自らが霊感を受けて短期間に書かれたということになっていましたが、 しかし、昭和六十一年『アドベンチャー・八月号』五十四頁に、SF作家の平井和正氏が
「『真創世記』は、私が半年ぐらいにわたって書いた」
と発表されたのです。

十年目にして、驚くべき真相が明らかとなったというのです。

この『地獄篇』に、父・信次師についての記述があり、引用文献として問題がありましたが、父と娘の親子愛の機微には、平井氏とい
えども、創作出来ない、割り込めない部分があったと思います。

その考えに立って一部引用要約します。

?

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 231 八起正法先生編

       
    回想の父                        
 
その父が、もう自分の肉体に自信がないというのです。

そして、父の喉を食事が通らなくなりました。

父は力のかぎりを振りしぼって講演を続け、最後の本になるべき原稿を書き続けました。

その原稿は私の手もとにありますが、父はこの本は世界を動かすものとなるだろうと言い続けていました。

異様にはれあがって食事もできない不自由な手でペンを執りつづけたのです。

約束が守れないと知った父は、関西の講演会場の方向へ向けて土下座をしました。

「行けなくて、皆さん申しわけありませ…」、
涙をポロポロ流して詫びるのです。

六月十八日、死の一週間前、一人では動けなくなった父は、自宅から、浅草の八起ビルへ移りました。

死の三日前になって、父はようやく布団をしいて体を横にし、
「ああ、やっとオレも病人らしくなったなあ」、
それが父の感想でした。

脈搏が乱れはじめた時、あと六時間だけ生きてちょうだいと哀願しました。
その時、全てが正常にもどり、父は正確に六時間生きつづけました。
そして心臓は停止しました。

そのとたん、私が危篤の父と同じ状態になりました。
死と同時に肉体を離れた父が、私の中に入ったための現象だったのです。

その夜から、父は私の体を借りて語りはじめました。

私の記憶はないのですが、完全に父の口調で、母と語りあい、別れを告げたといいます。          

             
                   『真創世記・地獄篇』


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 232 八起正法先生編

       信次師の最期の霊的通信
                               
 信次師の意識による最後の霊的通信を挙げるとこうなります。
                              

 
アナタ達ハ、自分ノ使命ヲ果シナサイ。

コレカラ、ドノ様ナ事ガアッテモ心ヲ動カシテハイケマセン。

私ガアナタタチノ心ノ中ニ生キ続ケテイル事ヲ知リナサイ。

私ノ地上ノ生命ハ間モナク終リマス。

然シ悲しシンデハイケマセン。

自分ノ心ノ中ニシッカリト法灯ヲトモシテイキナサイ。

コレカラハアナタタチノ本当ノ使命ヲ果ストキデス。(中略)

アナタタチハ、自分ノ心ヲ作リナサイ。

自分ノ心ノ中ノサマザマナ誤リヲ正シ真実ノ自分ヲ作リ、ソシテソノ愛ヲ拡メテユクノデス。

コレガ私ノアナタ方ヘノ最期ノ言葉デス、

と。


 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 233 八起正法先生編

また、園頭会長は、信次師の昇天についてどう書いておられるか、要約してみましょうよう。

 
 高橋信次先生は二十五日、自ら予言していた通り四十八歳で昇天されました。

その二日前、即ち二十三日、とにかく上京してほしい、理由は言えないという電話で園頭会長は上京されます。

その時、既に信次師は昏睡状態であったようです。

八起ビルに集められたのは、当時のGLA東京本部の理事と、GLA関西本部の理事三人と、当時GLA西日本本部長の園頭会長であり、その外に当然、一栄夫人、佳子氏、実弟興和氏がおられたというのです。

人は死ぬ時は、たとえどこにいても自分の家に帰って死にたいと思うものですが、だのに信次師は、一週間前に八起ビルに移っられて、
いつも使っていられた部屋に寝ておられたそうです。

園頭会長は、二十四日の夜も一睡もされず、信次師が昇天された後のことを考えられておられたようです。

二十五日の朝になって実弟興和氏は、
「サウナ風呂にでも」、
と勧められると、

幹部の一人は、
「そうさしてもらいましょうか」、
と立ち上がられます。

偉大なる師の昇天を前にして何んと不謹慎なと思われた会長は、一人別な行動をとっておられます。

それはどう言うことかと申しますと、これまで自分の生活の基盤、活動の基盤が変わって、新しい決意をもって行動を開始しなければならない時に、会長はいつも古い靴をすてて新しい靴をはかれたというのです。

他の講師達はサウナ風呂に行くといって出たのに、会長は一人靴屋に走られて、新しい靴をはいて帰ってこられて間もなく信次師は昇天
された、
と。  
  


高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 234 八起正法先生編

 
      〈偉大なる出家〉          園頭広周
                                
「キリストの復活と同じような奇跡が起ることを念じつづけたが、私達の祈りは空しかった。

高橋先生の肉体はその酷使によって、肉体生理の限界を越えて修復不可能になっていたのである。

私はそこに如来の慈悲に溢れた崇高な死を見た。

自分の肉体の最後のひと呼吸までをも衆生のために捧げ尽されたのであった。自らのためには生きられなかったのである。

求める人があれば既に限界を越えている肉体を酷使して「法」を説きに行かれたのである。

今から二五〇〇年前、インドでは釈尊は二十九歳の時に出家された。
私はなぜ今回は高橋先生が死の一週間前に大森の自宅を出られたかを考えた。

その時、私の頭にひらめいたのは、
「これが出家だ」、
ということであった。

「偉大なる出家だ」、
私がなぜ大森の自宅を出られたのかを考え始めて一分もしないうちに、天からの声を聞いた。

インドの時の出家は二十九歳であったが、今回は四十八歳の死の直前、やはり出家されたのであった。

「偉大な出家だ」、
天からの声を聞いたとたん、高橋先生の肉体は黄金色に輝き、その瞬間、高橋先生の黄金の姿が空間に見えた。

 

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 233 八起正法先生編

しかしてその姿も消え、そこには普通の人の死と変わらない姿があった。云々。

そうだとするならばなぜ高橋先生は、いよいよという時になって自宅を出られたのであろうか。

 私はそこに「偉大なる出家」、を見たのである。

われわれはこの地上を去る時、この地上のないものにも執着してはならないことを教えられた。

金や物や地位、名誉だけでなく、人に対しても執着し てはならないのである。云々。 
 
高橋先生の慈悲は、全人類に遍ねくゆき渡ると説かれてきたように、家族だけを愛されたのではない。

もし、家族だけを愛されたと考える人があれば、それは高橋信次先生を、そうして釈尊をも歪曲するものである。

高橋信次先生が大森の自宅で亡くなられるということになると、それは高橋家の人の死という印象が強くなって、高橋先生が説かれた「正法」までが高橋家のものとして私物化される恐れがある。

高橋先生が説かれた「正法」も、高橋先生の肉体も、高橋家のものとして私物化してはならないの である。云々。

だが、高橋先生は全人類の師であって、単に高橋という一氏族に属される方ではなかった。

「自分は高橋という一氏族に所属する人間ではない。わが肉体も、わが魂も、すべては全人類のものである」、
と。

高橋信次先生の「偉大なる出家」は、「正法」は親子夫婦等の血縁に執着してはならず、血縁はこの地上に肉体を持つ時の手続きに過ぎず、血縁を超越してそれに囚われずに正法を見る(正しく見る)ことを教えられたのであった。」、
と。   

                   月刊『正法』

?

高橋信次師物語」 真のメシヤの記録 236 八起正法先生編

信次師の病因は、過度の疲労からくる肝臓と腎臓に問題があったのです。

天は、この世に、三億六千五百有余年前の七大天使とともに飛来したエルランティであり、モーゼ 釈迦 イエスを分身に持たれた高橋信次
師を遣わされた。

四十八歳の生涯を終えられるまでの八年間にわたり、普遍的な神理・正法を人類に説かれ、昇天されたのです。

「正法はアメリカに拡がり、その後、逆に日本に帰ってくる。そして今世紀末には全世界の二十%が、正法に帰依する」と予言された。
昭和四十年代の中頃には、
「今世紀末には、全人類の十パーセントが正法に帰依する」、
と言われていたが、昇天される一カ月前頃から
「全人類の二十パーセントが帰依する」、
と訂正されています。

これはどういう意味があるかと申しますと、この意味はエルランティが説かれた正法は、モーゼにはヤーベとして、釈迦には梵天として、イエスにはエホバとして、古神道天照大神には天つ神として、マホメットにはアラーとして、エルランティがそれぞれの名前で説かれた正法は、現在の地球全人類が六十億人として、その二十パーセントとは、少なく見積もっても実数が十二億人ということでしょうか。

さらに、信次師が昇天される一年位前から、
「今日は何を話しましょうか」と、伝えるべき、全ての神理を説き終えられた姿がそこにあったといいます。

そして、
「もはや、天上界から手を打たねばならなくなった」、
と、世界の情勢を睨み、地上界ユートピアの建設に心を馳せられ、四十八歳九ヶ月の若さでこの世を去られたのである。

高橋信次師は、四百六十余件の特許権を持たれる超一流の科学者でもあって、宇宙の神理・正法の流布拡大の行末を楽しまれ、天上界より見守られるのです。

 まさしく、「光り(正法)は東方より出て世界を照らす」、のです。                                     
 
 
あとがき

高橋信次先生の本を出せたらナーと資料を集め始めたのは、1回目の脳卒中回復後の昭和五十八年のことで、決意したのはリハビリ中のことでした。
そのとき、言葉もハッキリせぬ私の正法講義を黙って聞いてくれたのは年老いた母でした。
それからの記述や取材ノートを見ると色々のことがあったとわかる。高橋先生のことを「高橋信次先生」「高橋先生」「高橋氏」「高橋師」「信次」「信次氏」「信次先生」と、巡り巡って、廻りまわって今回の「信次師」に落ちついた。

これまでには大手出版社へ幾度か原稿を持ち込んでも「宗教がらみのもの」はと、ニベもなかった。

中には費用を折半ならとか色々あったが、五十過ぎの手習いからインターネットにはまってしまった。

ラジオ製作ならお手のものだが、コンピューターは初めてだったので、ホームページ製作ソフトを相手に苦戦の日々だった。

九百万字数の巨大ホームページに肩も痛めたが、ハッカーらしきものにも悩まされ、立ち上げては消され立ち上げては消され、この五年
には数度にのぼった。

一番多かったのは「心行」と「感謝の祈り」だけが消えるのである。よほど都合の悪いのがいるのでしょう。

そのうちには半ば諦めてなされるがままに時を過ごした。
消えたらその内にあげようと考えを変えたら腹も立たなくなった。楽になった。

こうして五年目には五十五万人もの訪問者をいただいた。

そしてその間には、多数の高橋先生の講演ビデオテープを所有される方からテープリストを戴いて、講演日時と演題を添えて内容を濃くさせていただいた。懸命にやっていると「自力の極には他力あり」ということも実感した。

なにくれと力を貸してくださる方が何処かにいられると勇気も湧いている。

二度の脳出血で倒れ、歩きはヨイヨイだが、自転車にも自動車にも乗れ、それも精密なラジオ製作の功なのか不思議にも手だけは残っている。
園頭先生は、三年間体を動かすこともお出来にならず喋りもおできにならなかったが、これも何十年間もの執筆のたまものか指は良く動かされて筆談もお出来になった。

私の名は、「人のカガミになれ」と、素晴らしくも責任のある名前を両親につけていただいた。残された人生、「一丁やれるだけのこと
をやるか!」と考えている。平成十五年五月十六日 合掌

                     以上

                     合唱