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高橋信次 最後の講演

高橋信次最後の講演『新復活』
https://vimeo.com/816547545

 

高橋信次先生最後の講演
於:東北研修会(岩手県盛岡)

1976年6月4日:「新復活」         6月5日:「太陽系の天使達」

                           

 


6月4日 「新復活」

 


    非常に美しい自然の、緑に包まれた環境の中で、東北の研修会が行われることを心からお祝い申し上げます。

 


    今日の演題は「新復活」。丁度、現在、東京地方には、創世記時代の映画が来ております。

しかし、人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から三億六千五百有余年前にはじめて、ベーター星という星より、神より与えられた新しい緑につつまれたこの地球上に、人類は最初に印したのであります。

その当時ベーター星は調和され、私達は新しい、新天地を求めて、最も調和されたこの地球という環境を選んだのであります。

その当時最初に反重力光子宇宙船という、いまで云うUFOに乗りまして、最初地球上の人類は、神の光によって満たされた天使であるエルランティーと云う方が中心になって。

エルランティーは直接神の光を受けている真のメシアであります。

そしてエルランティーの光の直系として、光は七色に分かれます。七色のプリズムということを想像いたしまして、まったく同じように神の光はここから七色の光に分かれます。

この七色の光の方向を決めているのがミカエル(ミカ)と言います。(黒板に図示しながらの説明。外の項で詳しく出てきますが、この図が問題になったもので、講演の中からリアルに想像してください。)

神の光の直系ミカといわれる天使です。

そしてこのスリットを通し、神は光なり、その光の六人の光の線がこのスリットを通して霊子線がつながっております。この中にそれぞれのスリットを通して七人の天使がおります。

これがガブリエル、この方がウリエルサリエル、パヌエル、それから全部で六人、この七大天使というのが、じつは新しい、新天地を求めて来た時の最初の光の大天使達です。

この下にそれぞれ何億何十億という魂の霊子線があります。さらにまたエルランティの光の天使の分霊として、カンターレ、さらにアガシャ、モーゼ、一方においてガブリエル系統にマホメットがいます。そして第一艇団がエルランティを中心にしてミカエルに、ラファエル、ガブリエル、ウリエルサリエル、この七大天使が中心にして、現代のエジプトナイル渓谷の東部にあるエルカンタラーと云うところに着地します。

その場所が一番最初のエデンの園です。

約六千人のベーター人が全部この地球上におりてまいりました。それぞれ七大天使はラファエルをはじめ文芸や芸術、政治経済、あるいは立法、科学、あらゆる担当をして総括的にミカエルが中心になってエデンの園をつくりあげました。

そしてその当時は同じベーター星の人間であっても皆さんの肉体とまったくかわっておりません。風土、気候いっさい地球上とかわっておりません。

 


魂と肉体、今皆さんの持っている肉体は、あくまでも物質であり、人生航路を渡っていくための舟にしかすぎません。

その船頭さんである 魂、このものとは完全に分離することができました。

その為当時の人々は天上の世界とコンタクトでき、人間の心は調和され物にこだわることなく全てが調和された世界であります。

そのようなエデンの園にやがて第二艇団が地上界に移ってまいりました。その時エルランティーは天上の世界へ帰りました。これが天上界、地球上の創世記です。

地球の創世記は三億六千数百年前に最初の七大天使がこの地上界に生き約六千人の人類がエデンの園をつくり、第二艇団が地上界に着地し生活するようになって立法を犯す人々が出てまいりました。

その為に、その責任者であるミカエルは規律を破るところの民に対し一部分エルカンターラから移しまして〃そなた達は神の子としての己れ自身を再確認するために、もう一度自分の思念と行為、行っていることと、思っていることを修正していらっしゃい〃と、その場所から多くの人々がその位置をかえました。

その人々が後、エデンの園との連絡を絶ち、やがて天上界との連絡をたち、ついに天上の世界に帰ることなく、地獄の世界をつくり出してしまいました。

当時は地獄は存在していなかったのです。それがアダムとエバの後物語に変わってしまったのです。その為に創世記の映画とはちょっと違いますけれども、私はこの肉体をもって天上の世界に行って、現実にその姿を見て来たのです。

皆さん自身は、なぜ三億数千年前のことがわかるんだろう、と疑問を持つでしょう。

疑問など持つ必要はないのです。皆さんの心の中には、過去、現在、未来は一点なり。

皆さんの肉体を支配しているところの、潜在されている九〇%の意識の中には、永い永い転生輪廻におけるところの一切の記録を持っております。

そのために過去、現在、未来は一点なり。皆さんの心の中に今、存在しているのです。皆さんの現在は過去、現在を集約した現在そのものの姿なのです。

ただ肉体を持ってしまったために、自分がわからないだけなのです。

その心を正し、真の神の子としての道を己自身が生活に生かしていったならば、その実体を知ることができます。それだけに最も粗悪な光の集中固体化したところの地球上の肉体を持ってしまうと、人間は皆盲目になり、それがために、物がすべてだ、地位がすべてだ、と情欲に駆られ、神の子としての本性を失ってしまったのです。

 


しかし、皆さんの心の中には、偉大なるところの智慧が誰しもが存在し、持っているのです。

それが、生まれて現在までの間に、思ったり行なったりする正しい基準を失ってしまったために、心をスモッグにおおわれ、神の光を自からして遮り、ただ分からなくなっているだけなのです。

それゆえに、我々の物理学上におけるところの時間と空間は不確定です。しかもまた、心の面におけるところの時間は過去、現在、未来は、現代をして一点であるというのです。

皆さんの心の中には、そのようにはっきりした偉大なる智慧が存在しております。それを調べあげて行く結果において、三億数千年前のエデンの園は、すでに人類がこの地上界へ出て来て第二梯団移住の時にエデンの園は、一部分の物質欲に駆られた人々によって道を間違えてしまったのです。

そしてエルランティをはじめとして七大天使はこの地上界をあとにします。そして、多くの遺産をこの地上界に残し、後の世の人々が、その偉大なるこの残した地上界の遺産をどのようにして活用するかを、私達は天上の世界において暖かく見守ってまいりました。

しかし物におぼれ、肉におぼれ、情欲におぼれた一部分のエデンの園から離れた人達を救済するために、天上の世界よりルシュフェルという天使を出しました。

ところが、たとえ天使なりといえども地上の不安定な肉体を持ってしまうと、手足をもがれたと同じごとく、生まれた環境や教育や思想や習慣を通す中に己の本性を忘れ、ついにルシュフェルはサタンという名前に、その環境に生まれている間に彼は自分の地位と名誉のとりこになり、ついに天上の世界と交信をたち、この地上界を去るとき、天上の世界に帰ることなく、地獄の世界へかえってしまったのです。

そのサタンは現代は地獄の帝王になっております。

これが最初の地獄界の実態です。こうして多くの天使達は天上の世界からこの地上界の動きを観察し神の子にもどす為に、多くの光の天使たちをこの地上界に送りました。

エルランティ自身はアガシャーという方を、光の分霊です。この方を送ります。さらにまた、カンターレーという方を送ります。後のゴーダマブッタです。天上界ではカンターレー、と言っています。

お釈迦様とは言ってません。ゴーダマブッタ。アガシャーはイマニエル・イエス・キリスト、モーゼはモーゼです。

さらにまたイエスがゴーダマブッタが生まれるときにはガブリエルという方は主として伝達の係をし通信関係の責任者です。ゴーダマ・ブッタがインドに生まれるときには、ガブリエルのグループの方がゴーダマの生まれることをゴーダマの両親に通信を送ります。

アシタバという仙人です。

あるいは又、アガシャーであるイマニエルに対しては又、ガブリエルはミカエルの命によって受胎の告知に出ていきます。

モーゼが生まれると当時の王に、その命令によって多くの人は殺されます。彼は葦船に流されていく途中、七大天使はサタンより守るために、彼が拾われるまで彼の成長を楽しみます。

それぞれこうしてメシヤというのを送り出したのです。これはすべて神の心である法を説くために、出て生きているのです。特にモーゼの時代というのはサタンの跳梁が厳しく、世は混乱し人間は、本当に底辺の人々は自由になりません。

人を殺すなんてことはヘイチャラです。その為にモーゼというメシヤを出して、社会の人心を正しい法によって導かなくてはならない。

その時にエルランティはヤーヴェという名前で彼を指導します。ヤハウェーという名前でモーゼを指導します。それが十戒です。汝をイスラエルのカナンの地に導きしは我、ヤハヴェなり。汝、偶像を祭って祈ることなかれ。汝の主はヤハヴェなり。汝、近隣を愛せよ。近隣のために偽りの証をすることなかれ。これが十戒です。

それは丁度、シナイ半島の岩壁にヤーベーが現証として、その当時現証として現わしたのがセラビムというのがおります。セラビムという諸天善神です。

現代もおります。このセラビムや他の天使たちに命令し、あるいは、その目的を果すためにそれぞれの指令を天上の世界から命令を出します。

聖書の中にはエロシムと書いてあります。このエロシムという者はエルシムというのです。これは聖書の間違いです。エルシム。

このエルシムと名乗るのは、七大天使が全んど名乗るのです。それはエルランティの命令による秘書的な立場に立ってエルシムとして名乗ってそれぞれの指令を出します。

 


しかし、今から三千百五十年前、ヤーベェの真実の教えは、いつのまにかサタンの喰いものになり、汝、偶像を祭って祈ることなかれといえども、余りにも霊的な奇跡的な現象が一杯現われる為に、モーゼはその偉大性をたたえて、ついにお祭りをしてしまったのです。

そしてヤギの生き血、或いはまた、羊の生き血をあげるようになってしまったのです。

それは、サタンの命によって、彼は動かされてしまったのです。

ヤーベはそのようなことは一つも言いません。あくまでも十戒というものを中心にして、人間の生きる最低の道を説いていったのです。混乱した世相、主を名乗りながらして、サタンに利用されてしまったのです。

そのために、すでにモーゼが亡くなられて二百年にして、間違った思想はどんどん出てしまいました。

その為に、天上の世界よりミカエルの分身を地上界へ送ります。エリヤです。今から二千八百七十三年前、エリヤをこの地上界であるイスラエルの北部に農夫の子として肉体を持たせ、彼の心を揺さぶり、ヤーベーはつぎつぎと指令を出して、当時のイスラエルの間違った神々、これを世の中から抹消する命令を出します。

アハブという王は、最も悪辣で、皆さんが知っているアスラーというやつ、アシュラー(阿修羅)。

争いばっかりやる神様。地獄霊です。この悪霊を祭らしたり、いろいろな偶像を祭らせる。仔羊を犠牲にするならまだいいが、自分の子供まで犠牲にさせるような間違った教えをするようになります。

こういう教えに対してエリヤは疑問を持ち、ヤーベーの教えとは全く違う、十戒とは全く違う。そして、彼はついに立ち上がり、その王と対決するようになります。

しかし、当時は、約四百数十人もの予言者たちが、エリヤの前に立ちはだかっております。そのためにヤーベーは、「今から三年間、もう雨は降らせん。イスラエルの地に雨は降らせん、それを王に言ってこい」という。

ところが、王様にしてみれば、「お前は国賊だ、イスラエル国賊だ」といって、エリヤは追放をくらいます。

それでも彼の心を揺さぶって、ヤーベーはつぎつぎと指令を出していきます。これは実は、このあいだ、エリヤが私に原稿用紙で約百五十ページ近く、当時の模様を全部語り、現象を見せてくれました。

その現象の一端として、五月の丁度七、八日頃、東京には大きな雷が落ちました。それはその時の百分の一だそうです。

今後はそういうことはどんどん起こります。そして、アハブをやっつけてしまった訳です。そういうようにヤーベーは大きな現象を与えました。

 


多くの預言者達が輩出して、間違った教えを再び元にもどそうとしたけれども、どうにもならなくなって、今から約二千年前に、再びアガシャであるところのインマニエルをこの地上界に送りました。

その時は、ヤーベーとはいいません。エホバと言って名乗ったのです。エホバ。神ではありません。神の命を受けた最高責任者です。間違ったユダヤ教を修正するために、そしてイエスに人間の愛を説きこの地上界へ送り出したのです。

ヤーベは、「六日間働いて一日を聖日となし、自分の一週間の間違った過去を振り返り、心を修正し、二度と同じ間違いを犯さない」という聖日を設けたにもかかわらず、後の司祭者達は、「その七日目の一日は仕事をしてはいけん。人と会ってもいけん、動物に食糧をやってもいけん」というようにしてしまったのです。

このように、ユダヤ教は大きく歪みを作り出してしまったのです。

そのものを修正するために出したのが、インマニエル・イエス・キリストです。

しかし、彼もやがてサタンの餌食になって十字架に架かってしまいました。さらにまた、変えられてしまったために、ミカエルの分身であるところの天使、魂の兄弟をこの地上界へ送ります。

この方がマーチン・ルッテルです。さらに、フランスからは、ガブリエルであるところのカルビンを出して宗教改革に出したのです。

一方において、仏教の方は、ゴーダマ・ブッダが悟りを開き、道を説く課程において、このミカエルの説いたその過去世である、今から三千五百年前のあのギリシャに於いて説いたアポロの教え、アポロ、このアポロの教えは、やがて東の国、インドに伝わってゆくであろう。

そのインドに伝わってゆくその神理をやがてメシアであるゴーダマ・ブッダという方が生まれて、それを悟り、道を説くであろう。

このようにして東の方にはカンターレを出したのです。これが後の仏教ですね。

ところが、いつの間にか仏教も化石化して、お経をあげれば救われるようになってしまったのです。「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華教」それで救われた人は一人もいないのです。

南無阿弥陀仏」というのも、ゴーダマ・ブッダが、かつてラジャグリハという町の郊外のベルベーナ(竹林精舎)におる時に、ビンビサラーと言われる王様がおります。

その奥さんが幽閉されます。コッサラーと言われるイダケダという婦人です。アジャスターという倅に幽閉され、子供自身が何んとか仏教を知って欲しいと思ったけれども、ゴーダマ・ブッダの従兄弟であるところの、同じ王子として出家された方がおります。

その方にそそのかされて、お父さんとお母さんを幽閉し、お父さんは死んでしまいます。

お母さん自身は最後の望みとして「仏陀から何か一つ話を聞きたい。私は何もいらないから仏陀から真の話を聞きたい。お母さんの一生のお願いだから」と言って、牢獄に入りながら、お母さんの願いだけをいれて仏陀の話を聞かせたのです。それが阿弥陀教と言うのです。

この阿弥陀教と言うのは西方浄土、インドから西方といいますと、現代のイスラエルからエジプト方面。このアガシャーの過去世の中には、転生の過程を通してアミーと言われる方もおります。

そのアミーという名前は、最初はアモンと言ったファラオ(王様)です。魂の系列です。

そのアモンがエジプトに行ってアーメンに変わり、ソロモンに行ってアミーに変わりそれからギリシャに渡ってアミーに変わり、インドに行って陀仏が入ってアミダブツ(阿弥陀仏)になったのです。

そして、その西方浄土にアミーと言われる偉大なる指導者がおって、そこに浄土があるんだよ。あなたは今、自分の子供に幽閉されているけれども自分の子供を恨んではいけません。

あなたは厳しい環境の中にあっても子供の罪を許してあげなさい。やがてあなたはこの地上界を去らなければならない。

その時にあなたは阿弥陀の浄土に帰ることが出来るのです、と言う阿弥陀教を説法したのです。 それが阿弥陀教。ところが日本へ来たら「南無阿弥陀仏」と拝めば救われる。馬鹿げた話です。

 


これはインドの言葉だから通用するんです。「南無阿弥陀仏」ちゅうのは、これはインドの言葉が中国に渡り日本へ来たから丁度うまくいっているんです。

これを直訳したら「阿弥陀様の法に帰依する」っていうことです。

「ナム・アミ・ダボ」っていうんです。阿弥陀という悟られた方に帰依する。それを仏壇やお墓やお寺に行って「ナムアミダブ・ナムアミダブ…」そりゃ語呂はいいやね、確かに。

ところが日本語に直訳したら「阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様に帰依します。…」って何百回ゆってもやらないんだね。

そしたら阿弥陀様は皆さん何んて言いますか。「お前、帰依すんならやってくれよ」って言いますよ。そのように仏教も化石化したんです。

最近は、又はやりでね「南無妙法蓮華経」。「妙法蓮華経」に「南無」をつけたらもっと良いんじゃないかと日蓮さん考えちゃってね。

一千万人近くの人間が「南無妙法蓮華経…」をまあ、二時間も三時間もやっていますね。あれも馬鹿げた話ですよ。

あれで救われた人はいないんです。「南無妙法蓮華経」というものも、本来ゴーダマ・シッタルター、釈迦牟尼仏がインドの地に於いて、ガンガーの流れを通し、無学文盲の人々に対して方便として説いたものです。

「諸々の衆生よ、比丘、比丘尼たちよ、あの汚いドブ沼の中でも美しい蓮の花が咲くであろう。

ときに、そなたたち、比丘、比丘尼たちよ。

サロモン、サマナーたちよ、そなたたちの身体を見てみなさい。

目が疲れれば、目糞が出て来るだろう。

汗、大小便、あのドブ沼より汚いそなたたちの肉体である。

しかれども、そなたたちの心が、宇宙の真理を知って生活をしたならば、

あの蓮の花と同じように、調和された境地に、安らぎを得ることができるのだ。」

と説いたのが法華経なのです。

それをわからないで、「法華経に帰依します、法華経に帰依します、…」「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、…」最近はもっと速くやればいいと、「ナミョホレンゲキョ、ナミョホレンゲキョ…」馬鹿げた話です。

気違いです。いわんや汝、偶像を祭って祈ることなかれです。

人間の印刷物をいくら拝んだところで、救われる道はないのです。

我々は旧来の陋習を破らなければいけません。もし、神が必要ならば皆さんがこの地上界に生まれて来た時に持たしてよこしたはずです。

曼陀羅をみんなブラ下げてよこしたはずです。男性のブラ下げて来ているのは違うじゃないですか。このように仏教ですらわからなくなってしまったのです。

 


こうして太陽系霊団というのは、光の直系として、エル・ランティーを中心に、エル・ランティーは、その時代その時代によって、ある時はヤーベを名乗り、ある時はエホバを名乗り、ある時はまた梵天を名乗り、また、さらにマホメットの時にはアラーを名乗りました。

人類は皆兄弟であり、同じ一つの太陽の下に生活しているのです。

宗教は一つなのです。ガンガーの流れも、ヨルダン川の流れも、いまだかつて方向は変えていないのです。時代の新旧によって道は変わらないのです。

今、私たちは、モーゼやイエスマホメットや、ゴーダマの説いたものを一つにするために、私達は肉体を持っているのです。皆様は、その選ばれた民なのです。

そして、自らの心を開いた時に、あらゆる国々の転生を体験し、その心の中に、その神理が皆記録されているのです。それを甦らせた時に、今、私のゆっていることがわかるようになるのです。

神は己の心の中にあり。己の嘘のつけない善我なる心こそ「神」なのです。神は形づくった中にあるのではないのです。皆さんの心の中にあるのです。次元の違った世界なのです。

そこから皆さんは今、肉体を持って、今、生きているのです。 その肉体を持ってしまうと、私達は目や耳や口や、心の中に思ういろいろな想念、こういうようなものによって、本当のものが見られなくなってしまったのです。

皆さんは、真の自分の姿を見ることは出来ないのです。ただ、肉の姿しか皆さんは鏡で見ることは出来ないのです。

しかし、皆さんは誰しもが本当の自分があるのです。本当の自分を見るように私は教えているのです。それは心です。魂です。皆さんの今、思っている思う根源です。

それは不変なものなのです。

皆さんの肉体は、今、自分のものだと思っておっても、それはただの錯覚なのです。何時の日か朽ち果て、我々はこの地球上の塵に変わってしまうのです。

肉体を支配している皆さんの魂は、永遠なのです。ただそれを形づくられて、私達は生きていくに最低必要なものとして、五官が与えられているだけなのです。

しかし、真の五官は、皆さんの心の中にあるのです。心の眼です。心の耳です。そしてまた、心のすべての機能は、皆さんはすべて所有しているのです。それを自分が開発した時に、真に永遠の自分自身を知ることができるのです。

私達は、今、この地上界がすべてだと思っておってはいけません。

 


皆さんの、この、人生の五十年や百年は、幻の如く、線香花火のような、ほんの一瞬にしかすぎないのです。

そして、我々の眼前に現われてるところの物質や諸現象は幻です。

永遠のものではないのです。朽ち果ててゆくのです。形を変えていくのです。しかし、皆さんの心の中に体験された偉大なる智慧は不変です。

この地上界を去る時に、皆様は何一つ持って帰ることはできないのです。また、生まれて来た時に何一つ持って来た人は誰もいないのです。

我々は、こうして五官に惑わされ、物質的光景の中で、物に溺れ、苦悩を自らしてつくり出しているのです。その盲目の中から、人間というものの価値観を知っていくのです。

手探りの中から、そして、自らして心の安らぎを得、正しい普遍的な神理を、己の心と行ないの物差しとして生活をしていった時に、真の己を知ることができるのです。

これが悟りです。悟りというのは、己自身の心を知ることです。

己の心を知った時に初めて、人生の目的と使命を知ることができるのです。それは他力ではありません。自力です。

神はすべての物を皆さんのために用意し、与えてあるのです。太陽をはじめとして、生活できる一切の動物、植物、鉱物すべて、神は皆様に与えてあるのです。

それを取らないだけなのです。取り方がわからないだけなのです。

何を欲するというのでしょうか。物質や経済は無常なものです。しかし、現代のように高度化した社会生活の中において、真の人生の幸せを得ようとするならば、まず、最も大事なことは、健全なる精神、心です。その次に肉体です。

その次に生きる為の経済です。経済は衣・食・住です。この五つの大調和があって初めてユートピアが出来るのです。

ところが、いつか人間は、その道を外し、エゴに変わり、すべて皆兄弟だという道を外して、エゴの方に走り、自己保存に走ってしまったのです。

皆さんは、同じ太陽の下で、すべてが皆平等なのです。今皆様から、自分の地位と名誉と財産を差っ引いたものを想像して下さい。

何が残りますか? それが今の皆さん自分自身なのです。地位や名誉や財産は永遠のものではありません。真の皆さんは、それを差っ引っいたものです。この世を去るときの真の姿なのです。

 


こうして私達は過日、天上の世界に於きまして会議をやりました。

私の隣りにはインマネール・イエス・キリストがおりまして司会をやり、その隣りにはゴーダマ・ブッタ、カンターレがおります。

その隣りにはガブリエル、サリエルウリエル、こちらがわにはモーゼ、さらに又光の天使約十人ばかり、そして地球上の状況を次々と報告して来ます。

心を失い権力の座について、人間の自由を剥奪しているところのソビエトは、モスクワを中心として食糧危機は彼等が自覚するまで続きます。

北朝鮮も又、同じです。中華人民共和国の北部も同じです。アフリカの西部海岸も同じです。一方に於いて中南米パラグアイも同じです。サタンの跳梁を許しているのです。

そのような心の人達のくもりは、神の光をさえぎり、自からして、天変地異を造り出しているのです。更にイタリーの北部からベイルートレバノン)にかけても同じです。

宗教の同じヤーベーの教えであるその神理を曲解して、それぞれの道を歩んで、又同じ現象が起って参ります。

日本の食糧危機は、心ある人が出て来ているためにありません。こうして天変地変は次々と起ってまいります。

それは天上の世界の神の光の届かない所に起るのだということを知って欲しいのです。

やがて北朝鮮は破産をします。日本は戦後わずか三十年で世界のトップに成ったというのも、それだけ偉大なる魂達だからなのです。一つ間違えたら又、逆の方向へ進んでいきます。

それは危険なことです。皆さん自身の進むべき道は真の道、普遍的な己自身の心に嘘のつけない善我なる心を芯として生活を知ったとき道は開かれていくのです。

それが神理です。今後大きな現象が起って来ます。

間違った宗教家達は、私によってつぶされていきます。どのような宗教家であろうとも、間違った宗教家達は私達の霊的な力によって現象化されてまいります。

信じようと、信じまいとそれは事実です。皆さん、見ておって下さい。地震も雷も自由自在です。

それだけに、今、私達はその受け入れ体制をしておかなければなりません。日本ばかりではありません。

 


やがて私は中近東へ行きます。そして真の道を彼等は知るでしょう。

それは地球の最終ユートピアの為に、私達は今、肉体を持っているのです。その為に自分の生活の場は自分の生活として今度の光の天使は全部事業をやりながら出てきております。

宗教でなど飯は喰いません。それが本当です。神は一銭の、人間から金などいらないのです。太陽はただです。

神の心です。これが神理です。私は実業家として、その面に於ても、世界でも、知らない人がなくなるでしょう。当然なことです。

それが道です。イエスの時代や或いはゴーダマの時代なら良かったのです。現代の時代はそれではだめなのです。

教祖や、その取り巻きが優雅な生活をする為に宗教があるのではないのです。真の宗教とは宇宙の真の人間としての生きる道を教えているのです。

そして、人間に生きる喜びを与える道なのです。これが神理なのです。神は人間の造ったものを欲しません。

大事なのは美しい一人の人間の心が欲しいのです。

道はやがて開かれていきます。我々の前途は光明に満たされます。そして、その人達は救われていきます。

やがて、地上界の人々の一人一人の心が調和されてきた時に、我々の肉体先祖はその姿を見て、「俺達の時代とは違う。なぜ俺達は、この厳しい環境にいるのだ。」難しいお経ではなく、皆さん自身の日常生活一つ一つの想念と行為の光がやがて地獄の世界を救っていくのです。

最終ユートピアは地獄のなくなる時です。サタンは私が今、一生懸命に〃新復活〃という本を書いております。

モーゼの十戒をはじめとして、間違った宗教を修正しているために、やっきになって私の為に攻撃をしてきます。

しかし、例えルシフェル・サタンなりといえども私のかつての弟子です。彼はやがて私の軍門にくだるでしょう。知らないから地獄に落ちているのです。彼等も救われるでしょう。私は命がけです。

それは皆さん一人一人が自覚された時に、皆さんの周辺の肉体を持っているところの先祖達も救われていくのです。坊主の難しいお経によって救われるのではないのです。

お経の意味がわかって生活しているような人なら天上界へ行きます。

ゴーダマ・ブッタは決して死んだ人間を成仏させるために坊さんをつくったのではないのです。生きている人間をどのように導き、人間の心を指導するためにこの地上界へ出てきたのです。

地獄に落ちるというのは、他人のせいではなく、自分の思念と行為の間違いそのものが、自分の行動によって地獄に落ちたのです。

 


天上の世界がピラミッドのように高くあれば、逆に又、地獄の世界は逆ピラミッドとして存在しているのです。

この地球はその中間的環境にあるのです。

そのために皆さん自身が、善を思い善の行為をすれば天上の世界へ、悪の行為をすれば地獄の世界へ、彼等はいつでも待っております。

それだけに正しい心、正しい法この道を己自身のものとして、生活をしなかったならば、人間は救われないのです。

しかし、皆さんの心の中には誰しもが神の子としての真の愛の心を持っているのです。

なぜならばすべて皆さんは天上の世界から約束されて、この地上界へ出て来たのです。還るときに、あれもしよう、これもしよう、ではなく、今の一秒一秒、一日一生の己自身の完成が皆さんをより大きい、豊かなものにしていくのです。

今、厳しい経済的環境にあろうとも、悲観することはないのです。今、その厳しい環境の中で、今、皆さんは、自らの魂を学習するために、今その体験をしているのです。

たとえ経済的にめぐまれていようとも、その環境に安住するものではないのです。恵まれているならばそれを大事にし、気の毒な人達に真の愛の行為を無所得のままにしてやることなのです。

これが道なのです。皆様は皆兄弟なのです。

生まれの環境が違おうとも、神の子としてすべて太陽のもとに兄弟なのです。他人ではないのです。袖すり合うも他生の縁といいます。まことにその通りです。

皆さんが目覚め自からを自覚した時に、皆様は神の子としての道を、己自身がして実行していくのです。

みな、私がしゃべっているこの言葉は、皆さんの心の中にすべて記録されていきます。そして、この地上界を去ったときに、真実であるかないかを、皆さんは自らしてわかるのです。

その時に救われるのです。生きている中に自らをつくることです。道は永遠に続きます。

今、この世限りではありません。やがて我々はあの世に還ります。そして、またいつの日か地上界か、或いは、また他の天体に出てくるのです。

皆さんは自らに目覚めなさい!

自らの心を開きなさい!

小さな自分を捨てなさい!

偉大なる神の光に目覚めなさい!

それは愛です!

それ以外にないということです。

この研修会を通し自分の心を裸にして、神の己自身の本性に目覚めて下さい。永い時間本当に有難度う御座居ました。

 

 

 

6月5日「太陽系の天使達」

 


  お早ようございます。

 


  今、皆様に差し上げました〃心行〃は昭和四十三年十一月二十二日に完成いたしました。

そして二十三日の夜、午前一時、天上界で初めて〃物質と生命〃という講演をやりました。その時の司会がモーゼです。その前にミカエルが講演をやりまして、約一時間半、二十三日午前二時三十分はこの地球上に震度三の地震がありました。

私は禅定のまま天上界にいったものですから、そばに寝ていた家内が、「今、お父さんの講演を聞いていました。」ということでした。

そして、過日、やはり天上界に於て、色々と七十年前のこの地上界に出てくる時の模様。〃心行〃というものの成り立ちをいろいろと本になって原題は、ミカエル大天使が持っていますが、その中をめくってみますと、自分で驚ろいてしまいました。

〃我、見聞し正法に帰依することを得たり〃という最初の出だしが〃我正道に目覚め正法流布のために一命を投げ出す〃という書き出しから最後が〃禅定三昧の境涯に到達せん〃、全く同じです。

そして書いてあるものは地球的に書いて私ののはありましたが、天上界のものは宇宙的でした。

これを見てホンのわずかしか違っていなかった。

ですからやはり書かせられていたと言うことですね。原題もミカエルといわれる大天使が、丁度この位い厚い(二〜三十センチ四角位の立方形の本の形を手で示している…ビデオ)本にして、私自身が出てくる前の計画一切、現在も書かれている本、将来も出す本、それに記録されてあります。

実はそれは私ばかりではなく、皆さん自身の心というものをヒモ解いていけば、恐らく計画書があるはずです。

それに気が付かないだけです。それに我々は色々な人生の苦しみを通して忘れてしまったんです。その為には、先づ自分の心の中で思っている事や、毎日生活していること、これの正しい物差し、フィルター、このようなものをしっかり持つ、これが正法です。

このフィルターを思ったり行ったりすることについて、一つ一つ、そのフィルターにかけて、正しいものだけを自分のものにしていく、それがわかって来た時に、皆さんは本当の自分を知ることができます。

 


人生は一度だけではありません。

皆さんがこの地上界に出て来て、親が教えなくとも、生まれたばかりの赤ちゃんが、お母さんのお乳を吸いはじめます。

人はこれを称して本能だと言っていますが、これは前に生きていた証拠です。

そして赤ちゃんは、わずか、二週間や三週間位で赤ちゃんは一人で笑っています。ところが私達が心の眼で見ますと、赤ちゃんの魂の兄弟や或いは又、守護霊や指導霊達が

「よかったね。しっかりやるんだよ。今度生まれる所は、君にとって厳しいかもしらないよ。大丈夫かい」

「まかしといて下さいよ。約束通りちゃんとやるよ」と笑っているのです。

そして成長するにしたがって環境や思想や習慣の中から、そんなことは、もうとっくに忘れてしまうんですね。

それを今度、天上の世界から見ている魂の兄弟や指導霊や守護霊は一体どう思うでしょうか。

皆さんは、あたかも自分一人の意思で生活しているが如く錯覚しているだけです。すべて天上の世界からコントロールされているのです。コントロールされているにもかかわらず、肉体を 持ったその個性は、或る程度、勝手なことをやります。

あやつり人形です。天上の世界であやつっているのが、あ、うまくやっているな、と最初のうちは。その内に、自分の意思が働き出すと、アーまた、またパチンコ屋にはいったな。

また、三十六番、出ないとわめいているな。

アーまた、おかしな所へ行き出したゾ。それで悩むわけですね。

天上の世界の悩みは、地上界へ出ている魂の兄弟や、或いは友達、こういう人達、先づ、五歳、六歳のうちは、そんなに心配しません。

もの心つき、十歳、十五歳、特に、中学時代から大学、それから一部分の人は、社会に出てから、おかしいことをやり出すわけです。毒を喰い始める訳です。

それまでに一杯、喰っちまうのもいるんですけれども、最近は、早ければ、小学校の三年か、四年の内に、もうおかしくなり始めるのがいます。

鍵っ子ちゅうのですね。親子の対話がなくなってしまう。そして自分自身は、親との対話がないから、自分なりの、ものの判断で生活をしだす。

ノイローゼです。そうなりますと、そういうお子さんにも、そばに不調和な霊が来ております。

 


そのものの意識に支配されるから、生きている人と話しするのもいやになっちゃう。

対人恐怖症になる。段々、心の丸い豊かな心が小さくなる、暗くなる、そうして孤独になっていきます。

その頃から親は、どうも家の子供はおかしいな。最近、親の言うことを聞かない。また、ガチッとやるわけですね。子供は段々また、小さくなる。

こんな子供に誰がしたなんてね。

子供自身は自分でつくって、自分で苦しんでいながら他人のせいにする。親不孝するようになって行くわけです。

勿論、その家庭において反抗期という、人間の一つの成長する過程における性格的変化がありますけれども、それが、憑依現象として現われてくる場合が多いわけです。

心の暗い人々は、その心の暗い分野に、その暗さに比例した悪霊、この地球上というのは丁度、ピラミッドと逆ピラミッドの中間にあるんです。

即ち、天上の世界 と、地獄の世界の丁度中間的な世界が物質の世界です。それだけに非常に敏感です。

ところが、皆さん自身が肉体を持ってしまうと鈍感になります。わかんなくなります。

皆さんの、この眼の見える世界なんていうものは、ほんの小さいもの。七色の虹の世界、四〇〇〇オングストロームから七〇〇〇オングストロームの周波数の位置しか皆さんは見ることはできない。

現に、虹の両極端は紫色と赤色です。赤色からは赤外線にはいっていきますね。赤外線からは電波にはいっていきます。これも見えない。それから紫色からは紫外線にはいっていきます。紫外線から熱線にはいっていく。

これも見えない。ですから人間の眼が、どんなに、いいといったとこで、ほんのわずかな世界しか見ることが出来ないわけです。

いわんや、嗅覚にしても同じです。聴覚にしても、たいしたことはありません。しかし、私は、聴えます。あの世のことまで見えます。

心の耳、心の眼、心の、心の本当のものを持っていればそのように自由自在、観自在、ということになるのです。ひとごとではない。皆さんも、その力をもっているんだが、ただ、ちょっとだけ鈍感になっているだけなのです。

 


その鈍感の理由というのは、日常生活の中で、人を恨んだり、妬んだり、そしったり、又グチを言ったり、自分と言うものの心の中は、まろやかでない。

そしてイライラしている。それが、みんなスモッグになってしまうわけです。

昨夜は、だいぶ風を吹かせました。なるべくならば、今日は雨が降って欲しくないものですから。

そのようにスモッグを払うにはそれなりの作用を起さなければなりません。皆さんの場合は反省ですね。

反省ということは、まず正しいフィルターをもって、自分の思ったこと行ったことを一つ一つ、振り返って見る。人間なるが故に間違いも犯す、また、間違いも自分自身の心を豊かにする、一つの菩提であるということに、たとえ間違えたからといって、自分はだめなんだといって自分を小さくしてはいけない。

皆さんの今ある環境は、皆さんの魂をより豊かにする一つの学習の場であるとしたならば、小さなことにこだわる必要はないのです。

失敗も又、成功のもとです。〃改むるにはばかることなかれ〃という諺があります。まことに、その通りです。

そして、それを土台にして、より自分を豊かなものにし、同じ間違いを犯さないというようにしていくことが大事です。

そうして今、皆さんは、こうやって原子肉体を持っているけれども、そこに、こちらから2番目の絵があります。

皆さんは、もう一つの肉体を持っております。誰れもです。この中で後光の出ている人もいます。頭の毛がなくて、電気によって光っている人もいます。これは誤解の方です。

本来は頭の毛があろうと、なかろうと心がきれいで太陽のように美しい丸やかな心で慈悲深い、そして自分というものを常に、自分だけではない、相手もいるんだ、常に調和ということに心掛けて正法の生活をしている人には、きれいな後光が出ております。

この後光が、あの世に甦るための、皆さんの肉体なのです。今、ちょっとヘタな絵ですが書いてみましよう。

こうやって今、禅定している人のことを考えますね。

そういたしますと、皆さんの心は丁度、胸のあたりにあります。

胸のあたりに、きれいに丸くなっている人とハート型になっている人と、歪みをつくっている人とあります。そして、このように丸くなっている人達の心の中には、この心の絵がありますね

 


智性と本能と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。

丁度、風舟玉のようになっております。

そして心の中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。これはもう一人一人あります。

或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色の光の出ている人は、何かというと、もっか恋愛中ということです。

それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人がいますが、こういうのは困りますね。

そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダルマさんのような、きれいな光が出ております。

こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。

夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。

ですから、心がこうやって、丸く、感情も智性も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけですね。

ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり心が丸くなかったという証拠です。何か心配事がある。

何か、何かある場合ですね。

更に又、この心というものは、今までは形がないんだなんて思っていたけれども、とんでもないことですね。

私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断するんだというわけですね。

確かに頭で判断するんです。だから心は頭にあるんだというわけですね。一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。

その先生が「頭がおかしくなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」ということを僕の前でとうとうと言ったわけです。

そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるんだよ」。

ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明したわけです。

「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか。」

「そりゃ君、ここだよ。」

「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら「それがわかりゃノーベル賞だ」もうそこまできたら、もう話しにならないんですね。

 


そうして、(黒板に図で示し説明)光の方の肉体、こちらの方の見えないところの神の光よって満たされているために、心にスモッグがないから後光が出て来て、実はこれが本当の肉体なんです。

皆さんの、あの世に還る舟なんです。

そしてそちらにも、ちゃんと大脳も全部あるんです。

ですから今、皆さんの脳細胞は受信と送信をする一つの機能にしか過ぎないのです。耳で聞きます。聞いた聴覚神経は皆さんの脳細胞の聴覚の、一つの物を聞く機能、その信号を違う次元の方に送る装置にしか過ぎないのです。

ですから、今、物を見ますね。

〃赤〃っていったものは、視覚神経の〃赤〃しか見られないのです。

その〃赤〃自身を判読しているものは英語であろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、言葉が違うだけで、〃赤〃には変わらない〃赤〃はレッドと言えばレッドなんです。

脳細胞は二百五十億あります。

この二百五十億の中にそれぞれの一つの分野が神経繊維の一つは一方通行です。それでそれが記憶している訳です。

ですから世界各国、〃赤〃は赤なのです。ただ言葉が違うだけです。

ですから、本当に記憶しているのは光の方の肉体が記憶しているのです。

ですから皆さんが夜寝て、夢を見ている時に、自分の肉体を自分が見ていることがあるでしょう。

どうでしょう。

自分の肉体は、今、寝ているんです。

そして寝ている肉体の又、もう一つの肉体が活動しているのを、自分が又見ていますね。

そういう経験のある人、手をあげて下さい。

それは皆さんの光子体の本当の舟頭さん、その舟頭さんが見ているのです。それが皆さんの真の真我な自分です。

ですから、私達の今のこの肉体というものは、本当に皆さん、この世を去っていく時によくもまあ、こんな舟に乗っていたものだと思います。

 


なにしろ私達は天上界でよく会議があります。肉体を持っているのは私だけですから、まず醜いですよ。

そして僕が一番、年寄りなんです。自分は若いつもりでいるのだけれども、相手側の方は皆、二十六、七歳、ミカエルが二十八、九から三十位、イエス様が三十六、七から四十歳位ですから、それですから膚の色が違うんです。

握手したならば、こちらは石のようなもので、相手の方はロイヤルゼリーか何か、なんともいえない、もう違うんです。

女性の方は、菩薩界におられる方は、何かミス・ユニバースみたいで、皆、美人です。目を覚してがっかりしちゃうわけです。

ですからこの地上界の皆さん、少し位顔がまずいからといってガッカリすることはありません。

いずれ天上界へ還れば、皆、美人だってことですから。我々のように、ニキビの噴火した跡なんか一つもありませんから。

これは光子体の方の肉体、皆、美人ですね。

もう、女の方なんか、本当に、全んど美人です。地獄界は別ですよ。地獄界へいったら例えば、魔王の近辺におるのなんかは、美人のような顔をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬間に、もう口はサケてしまって、そりゃ、もう、まともには見られませんよ。

鬼ババアなんて可愛い方です。

おっそろしい顔です。骸骨のような姿になってしまうしね地獄界は又、別の世界です。

こりゃ、ミスブスなんてもんじゃない。表面がきれいだから と思ったら、とんでもない話しです。

 


過日、私の家を訪問してきましたアステリアという魔王・サタンの姪が来ました。

それは私の持っている法輪をパーンと投げましたら、そこに引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、この通りだよと言って、手の中に踊っていたものですから、ポンと投げて、そのまま寝ちゃったら、夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。

私のフトンの中にはいって来たんです。

アレ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、はいってくるの。

そして、しかし丁度アンマさんにかかっていたものですから〃なんで、お前は、こんな所にはいってくるか、出なさい!〃と言った訳です。

ところが按摩さんは見えないですからね。メクラだしね。〃私は何もしてません〃と言う。それはそうでしょうね。本人はビックリしちやうわけです。

こっちの方は見えちゃうし、向うは見えないんですから。

「いや、あんたじゃなくて、今、外人のものすごい美人の女の人が、私の隣りへ、お見舞いに来たといって、お見舞いに来たのに何でフトンの中に、はいるのか、出れ!」と言ったんだと言ったんです。

「ハアそうですか、私はそんな積りではなくて、私は何か悪い気がしました。」「いやそれは違うんだ」と、そんなことがありました。

それはもう外国の映画女優の、ものすごくきれいな女の人に似ていますね。

それでも、一旦、彼女が心をガラッと変えたら、もう悪党、鬼婆です。

口許は切れるは、まともには見られません。

それが地獄界の実体ですね。天上界はそんなことはありません。怒りもありません。

そして又、天上の世界の、今度は、心の調和されているエルランティという方になりますと、ここにパワートロンというものを持っています。

(以下図を書きながら説明)頭にちゃんとパワートロンというのをつけています。

パワートロンといいます。神の光をストレートで受けている光ですね。このパワートロンから、光がピューッとこうやって出ているわけです。

ですから見ておりますと、頭からも、身体からも光が出てきておりますから、光の化身だと思えばいいですね。

そうして、このパワートロンと、その人の、エル・ランティの心のところと、全く同じ位置、だいたい八十センチから七十センチのところに玉があります。このようになっております。これがドームです。

そして、このドームからも光が出ています。

やわらかい金色の光です。こういう光が出ております。大きな光ですね。

そして、このパワートロンの光が、このように発射していると同時に、ここに今度は魂の分霊ですね。

光の分霊である、イエス 様、モーゼ様、カンターレ、この意識がはいっております。

これから七十センチ位ですね。この頭の上から、そして例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、例えば、これがイエス様だとすると、今度、これがクルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいってくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。

お釈迦様のこんど、話をしますと、こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。

 


ですから、普通、私が講演を全国して歩いとって〃あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ〃という人が出てくるわけですね。

見えちゃうから。インドの時、耳たぼなんかこんなに小さいのに、こうなってくるわけですね。

眼の方が、ずーっと、こうやって細くなってきちゃう。見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。

そうすると、その人達にとって、お釈迦様に見えちゃうわけです。これは光の分霊っていうわけです。

エル・ランティの光の分霊、この光の分霊というのが、個性を持っておりますから、そうやって出て来ますね。ところがいつのまにか、お釈迦様や、モーゼや、イエス様や、或いは又、もっと下の方の段階におるところの回教、こういうのをメシヤというわけですね。

このメシヤを拝むようになっちゃった。メシヤ信仰になってしまった。これは大きな間違いですね。

メシヤの説くのは神の心である法を説きに来ているのです。

人間はこのようにしなければいけないんだ。メシヤ信仰ではなく、メシヤを信じることです。メシヤの言葉を信ずることです。

そうして、その言葉が法なのです。その法を行ずることです。これが本当の信仰なのですね。

ですから本来はメシヤ信仰であってはならない。仏教では、お釈迦様は絶対ですね。だからいつのまにか〃オシャカ〃なんて言葉が出来ちゃうわけです。

それは困りますね。お釈迦様の説かれた法、その法を生活の中に生かすことです。そうして、自分自身が、説かれた、その悟られたメシヤのような豊かな心になるということ。

イエス・キリストを拝んじまって、何んでもイエス様、イエス様。迷惑ですね。

エス様は一人しかいないんだから世界中の人が、イエス様を呼んだらどういうことになるでしょう。

そこでエル・ランティーであるところのヤハベー(ヤーベー)は「汝ら、みだりにヤハベーの名前を呼ぶことなかれ。」といっていますね。

それなんです。一人なんですから、呼ばれたって仕様がないんです。

皆さんだってそうでしょう。

仕事をしておって、仕事の途中で何回も呼ばれると、「うるせえなあ」ということになりますね。

これは同じです。我々は、ややもすると、次元の違う世界を呼べば、何んでもやってくれると思っているがとんでもない事です。

一番大事なことは、メシヤの説く、法というものを実行するということ、これが大事です

 


そして、このエル・ランティは、光そのものです。

天上の世界へ行くと光そのものです。光の化身です。といって、神ではありません。

神は、又、こちらにあるわけです。いまだかつて地球上に神だなんて言って出て来た人は百%嘘です。どんなものだって、神様になんかにはなれないんです。

神は一つです。宇宙には神は一つです。こういう、エル・ランティと同じような人達が、宇宙に、真のメシヤという人達がおります。

遂に、過日はM37という星があります。

M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤはついに、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の、軌道修正コントロールセンターというのがあります。

太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。

その中心の心臓部に伝達があるわけです。宇宙的ですね。そして、真のメシヤが、それぞれの惑星の地上界に出て、皆んな互いに連絡がとれるようになって、真の調和が完成されたとき、そのメシヤが神になるのです。

大変なことですね。M26、この太陽系それぞれに出て来ておりますね。

今、出て来ているのは、太陽系で、一人、悟っております。M37で悟っております。M27、M26、出ております。このMというのはメシヤという意味で、つけたようですね。

我々の出て来たところのベーター星というのも、調和されている世界、ユートピアです。その、皆さんも出て来た所ですね。

ところが、今、我々が住んでいるのは、自分の住んでいる地球だけだと思っているだけなのですね。

かつて皆さんは、三億六千数百年前には、そのベーター星という所から、移住民族として、地球上へ来たわけです。

 


そして、その間に何回も転生輪廻して、まあ全んど皆さんは地獄へは行かなかったと思いますけれども、まあ、今、いるわけですね。

そして、自分というものを知るようになっていくわけです。

で、それは、何んのために、現象の世界に出て来るかというと、この色心不二といいまして、皆さんが肉体と魂を持っているように、神の身体も、また、物質と心から成り立っているわけです。

神の身体の地球という細胞を、神の子である人々と心と心の調和によって、はじめて、地球は円満に調和されていくんです。

それが神の子である地球の中の細胞の一部分が、互いに争い、闘争を繰返される。

即ち、皆さんのツバキ、ダ液のようなもの、皆さんは、地球の消化する、ダ液のようなもの、そのダ液の中にバイ菌がはいったら、どういうことになるでしょう。

消化不良を起こしちゃいますね。同じです。

ですから地球に住んでいる人達の心の丸くない人達が多ければ、即ち不調和な人達、法を間違えた人達が多ければ、その分野に天変地変が起るんです。

神の光をその分野が失ってしまうからです。

地獄が多くなれば、そのような現象が起りますね。だから恐ろしいことです。ですから、心がきれいな人達が集まれば、その集まっただけ、その環境は調和されて、光明に満たされるわけです。

それは事業だって同じですよ。家庭だって同じです。

ですから、家の中が、どうも不幸が続いているっていう人が、こん中にも、何人か来ておりますねえ。

自動車事故で亡くなっちゃったとか、私は一生懸命に拝んでんのに、何んで、何んで不幸なんだろう。というのは、何か原因があるんですね。思っていること、行ってる性格を通して、何か原因があるんですね。

 


夫婦の関係、子供の関係、その原因は、それを除かない限りは、そっからは、光明は満たされないわけです。

その原因はどういうところにあるのか、それをどのように除けばいいのか、ということを私達は教えているわけです。

ところが、普通、宗教は、そうじゃなくて、不幸があると、お前さんとこの先祖が浮かばれないんだよ。一生懸命、お経をあげれば、なおるんだよ。と馬鹿なことを言っている。

又、それを信ずる。〃溺れる者、ワラをも掴みますからね。〃その原因はどこにあるかということ、その原因の根を、どのように取り除くかということに努力しなさい。

出た結果に翻弄されちまってね。増々、深まりにはいって行く。

だから神様、拝めば拝むほど、不幸になっていくわけです。

ですから、宗教家、お坊さんとか、或いは神主さんとか、宣教師とかいう人達ね、神様を扱っている人達、偶像を拝んでいる人達の家庭をご覧になって下さい。混乱してますよ。

あんなに信仰深い人が、なんでだろう、と、こう思うんですね。そういうのは本当の信仰ではないんです。

皆んなは兄弟が、円満で仲良く、お互いに助け合っているのが本当の信仰なんです。

ですから家の中で色々、まずい問題が起ったりするのは、俺達の考え方、生活のあり方に何か間違っているんだと、正しい法則を踏みはずしているんだ、先祖がどうではないんだよ。

苦しんでいるのは自分達です。それを、その根っ子を考えることです。

そうして、それをなおすことですね。そうすると、なおっていきますね。

ここにも、そういう人が何人も来ています。

ですから、その時は、拝むんじゃなくて、私達の考え方、生活の在り方、物の考え方、これらのものの修正、そのチャンスを与えているわけですね。

それで、その根っ子は、どこにあるのか、その原因はどこにあるのか。その悪い面を取り除かない限り、だめ、それをただ、先祖のせいにして、先祖を拝めば、なおるんだと、それじゃ、先祖に、いい戒名をあげようじゃないかといってね。

そこにパックリ待っているのが、パックリ屋ですよ。

戒名のいいのをあげれば救われるなんて、馬鹿みたい。先づ、皆さんね。戒名をどんないいものをあげたって地獄は地獄ですよ。

 


〇〇院殿〇〇大居士というのが何年か前に死にましてね。

その方が、東急の社長をやっておりまして、私の親分出してくれって、言うもんだから、すっかりゴトウ・ケイタだと思ったんです。

そうしたら違うんですね。元総理ですよ。

「ワシじゃ」って出て来ましてね。ノドから声が出ないわけですよね。ガンで切って死んだ総理ですから。

それが地獄にいるんだから、どうしようもならないじゃないですか。

名前みたら、院殿大居士ですよ。

そしたら、「ワシャ、そんな名前は勝手につけたんだから、俺には関係ねえ」って「高野山へ行って聞いてくれ」って。そういうものなのです。

皆さん名前じゃない。〃冥途の沙汰も金しだい〃なんてナンセンス。

一銭の金がなくたって天上界へ行けるよ。そういうことを知って下さい。

絶対に戒名なんか、どんなにいいのつけたって、地獄へ落ちるものは、地獄へ落ちるんです。名前なんか、どうでもいいんです。

地獄へ行って、戒名なんか名乗っているのなんか、一人もいないから。

これは日本人の、色々都合が御座居まして。戒名っていうのは本来はね、生きている内につけるんです。

昔の坊さん達はね、自分の寺子屋みたいな所へ連れてきてね、正法をよく教え、仏教を教えて

「ア、あなたは、大分よく勉強し、生活も変わって来ましたな、じゃ、このあたりで、今までの名前をかえて、じゃ、居士という名前を与えましょう。」

「ありがとう御座居ます。お蔭げ様で、私も、心がなごみました。」

そうしてなったものですね。

 


それが、そうじゃなくて、日本は、死んで、しばらく過ってからね、お金持って行ってから戒名つけるんですよね。

死んでいる人がわかる訳ねえじゃないですか。

「あなた、どなた?」ったら、自分の本名を言うんです。

〇〇院殿〇〇大居士なんて知らねえよ、なんて。

同じですね、だから冥途の沙汰は金次第じゃないんですよ。それは都合の悪い人が、そう言ったんでね、だから皆さんは戒名なんて本当はいらないんです。

生きているうちに、自分の心と行いをなおして〃よっしゃ〃と今までの名前を捨てて、新たに、生まれ変わった積りで、人生をやり直すんだと言って、名前を変えるんだったら大いにやりなさい。

死んでから貰うんだったら、そんなのはいらないんです。

生きている内に自分の心を改造してね、生活を改めて名前を貰う、これが本当のものですね。

戒名とはインドの当時、ブッダの弟子に、シャーリー・プトラ(註 般若心経の中に舎利子とある人、舎利佛)という男がおります。

彼はウパテッサという名前でね、どうもウパテッサというんじや、うだつがあがらねえんじゃないかと言うんでね。(笑)

お前はよくやるから、お母さんの名前のね、シャーリーというお母さんの名前のね、お母さん、なかなか陰徳のある方で、一つその名前を貰ったらどうだ、心を改めて心身を改めてシャーリープトラという名前にしたらいいといって戒名を変えていったのですね。

或いは又、コリーターという名前がありまして、何度もこりても困るから。(笑)なんとしろ、お前の名前を一つ、この際、心もきれいになったことだから、モンガラナーということにしよう、と言って、マーハーモンガラナーという名前に変わりました。

これは大目連ですね。

それ生きている内です。死んでから、いくら、どんないいの貰ったって、どうにもしようがないじゃないですか。

最近、日本人、そういうのが好きになりましてね、死んでから、一パイ貰うのがいいんじゃないか、と。最近は結婚にまで影響しましてね、お墓行って、戒名見て、この家の先祖は、余りいいのじゃないからダメだなんてね。

馬鹿みたいなこと言って、院殿大居士がねえから、結婚の対象にならんよなんて、そこまで来たらもう、悪霊ですね。ですから皆さんは、そんなもんじゃないんです。

 


その点はクリスチャンの皆さんの場合は、生きている内に、自分の心を入れ換えて、マリヤに近い、マリヤ様のような気持ちになりたい、とマリヤとつけてみたり、色々と人の名前をつけている人もいますね。

クリスチャンの方は、はるかに御立派です。

生きている内に変えるんだから、ものの考え方を。

ところが仏教は死んでから変えるんですからね。死んでから変わる訳、ないじゃないですか。

だから、そんなものに皆さんは心を奪われてはいけません。だから「GLA」のお坊さんはそんなことしませんよ。

「院殿下さい」と来ても「まあ院でいいじゃないですか」なんてね(笑)そんなことでやってますね。

ですから商売繁盛しちゃうわけです。仕事が忙しくなっちゃうわけです。あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけで、葬式多くなっちゃう。

本当は、お坊さん、葬式専門じゃ困るんですよ。生きている人を救うことでね。死んだ人はもうしようがないんだ、これは。

ところが日本はお坊さんイクォール生きている人には関係がないんだな。だから、お坊さんが入院している患者さんをお見舞いに行きますと、縁起が悪いや、なんて。

そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に「お前さん、あの世があるんだよ、といつまでも執着を持っているな、みな捨てちまえ、子供達にみな分けてあげなさい」と教えてやりゃあいいんだよね、本当は。

ところが、お坊さんが行ったら、縁起が悪いや、あいつは死ぬんじゃねえか、なんてね。

僕が丁度、この間、坊主になって船に乗っとったら、「坊主と一緒じゃ魚一匹つれねえや」(笑)なんてね。

だから坊さんは縁起が悪いことになっちゃってんだ。私も一応、心を改めて、自分の頭の毛を、一つ形の方からやってみようと思いまして、色々検討の結果、頭を三分刈りにしてみた訳です。そうしたところが、「坊主と一緒じゃ、魚も釣れねえや」なんてね。

こりゃ不思議なものです。ですから本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。

 


インドの、本当のお釈迦様のお教えはね、お弟子さん達、ブッダが亡くなる時にね、アナンという方に、アナンがブッダがなくなったら、どうしたらいいでしょうか、私達はよんどころがありませんと、彼はブッダの枕辺で泣きました。

その時、ブッダが、何を言うかと、ワシが説いた四十五年間の法は、お前達の心にあろう。お前達は、その法をたよりとして、人々を救うことなんだと教えているんだね。

それが、何か、死んだ人を教えるように坊さん、変わったんだなあ、こりゃ。

本当は、もうだめです。その坊さんが、〃見えて、聞えて、話せ〃たらなお、いいんだけど、〃見えて聞えて話せない〃のが(註 見えず、聞えず、話せないのが…の意)引導を渡すというから、どうしようもならない。

どういうわけですか、私達は、死んだら「ああ、こいつ地獄へ行くゾ、こら、お前ちょっと待て」と。

こないだ、ある人が亡なりましてね、ショック喰いました。

私、行って見たら、無意識界にいるわけですね。事業やっとるもんですから。ソレーッちゅうわけで、すぐ行きまして、

「あなた、どうしたんですか」っちゅったら、

「私しゃ便所でこんなことになっちゃって」、

便所におったままステンと去っちゃったわけですね。予告なしですよ。大抵の場合なら、報告があって何日頃死にますと、あるんですがね。

元気なもんだから、こっちは元気だと思っていた。朝になったら、電話来まして、亡くなったっちゅうから、〃エエーッ〃って、私が、パーッと、もう行きましたところが、無意識界、自分の肉体から離れて、自分で意識ないわけですね。

「あなた、どうしました」

「私は便所にいる間は、わかったけれども、後はわかんなくなっちゃった」と。

しっかりして下さいよ、と。「あなたはこんなに早く、いくなんて思わなかった」それでイエス様、イエス・キリスト、「イエス様、すぐ行って協力してくれ」って、すぐ魂をゆさぶりましてね。

今、修養所におります。労働組合につるし上げられ、家庭の中から反発されてね。精神的よんどころなく、心悩んでいる時に、そういう一つの死を迎えたわけです。

だから恐ろしいですね。ですから無常です。

人間はいつ、この世を去るかわからないんです。ですから、皆さんの場合も、自分の心は、いつでも準備体制は整えておかねばいけない。これが私が言う〃一日一生〃ですね。

 


明日、生きとったら又、一生懸命やろう。

今、若いからって、わからないんだから。それで又、なんというと、しめっぽくなるから、まあまあ、明日生きていることにして頑張るわけです。

そうして希望を持ちながらね。そうして、死んだ、生きたって区別つけられる人は少いですよ。

アー俺は、今、死ぬんだなんてね。そういう人は御立派ですよ。

でもGLAの人達の中には、死ぬことが、わかってりゃ、親孝行する人もいます。或る人は二日前に、もうわかりましてね。

「ワシャもう、あと二日だよ、皆さん、どうも永い間、本当にスマンかったね。本当は、もっともっと、生きたいんだけれども、どうも、もうだめなんだよ、あと二日のちには、この世をかえるけど、ま、一つ、よろしく頼んまっさ、せっかく家も作ったから、GLAで、ぜひ使って下さい。家内も、さみしいようですし、今度、又、生まれて来た時は、正しく自分を知って行きます。しかし、今生は、本当に楽しくありました、ありがとう御座居ました」ってかえっていった人、一杯いますよ。

硬直なんか、全然しません。生きている時よか、もっときれいになっていくわね。これが本当の成仏ですよ。

もう、こうやって硬くなるのは、皆んなダメ。ですから、皆さん、死んだ時、みてね、亡くなった人、見て硬くなったら、こりゃ、地獄だなって思って下さい。

その時は、「ちょっと、あなた、ここにおりなさい」と。あなたは今、この地上界を去るんです。執着を捨てなさい。

今、あなたの肉体は滅びるのです。あなたは今、新しい肉体を持つのです。いつまでも、そんなことをやっとったら、あなたは地獄です。

死というのは大変な行事なんですよ。地獄霊が皆、来ますからね。モーゼの時など、モーゼの肉体をサタンが欲しくてね。そして引き取りに来たのです。

その時にミカエルを中心とした七大天使が、モーゼの死体をかわしましてね。その死体を渡さなかった。

その死体を渡しちゃったら、モーゼが生き返って、サタンになっちゃうんです。それで、皆さん死んだあと、よく魔よけっていって、刀をあげるでしょう。あれは、そういう習わしなんですよ。

復活されちゃうから、おかしくね、悪霊がおれば、だから、そのように教えて、それが本当の引導ですね。

ところが、最近のお坊さんなんか、「なんで、あの世なんかあるものか」ってね。

現に、僕んとこに言って来ている大僧正ちゅうのがいるからね。

そいで檀家を何百軒も、何百人も持っていて、「あの世なんか、あるもんか、GLAでいっているのなんか、ありゃ気違いだ」なんてね。

その内に、お灸すえに行こうと思ってるんですがね。(笑)

GLAのお坊さんとこ大分、いじめているからね。皆んなの前でやっつけられるもんですからね。

毎日新聞にもだいぶ、出ました。あの世なんかなくてね、引導渡しとったら、詐欺じゃないですか、あの世なんかなかったらねえ、お経なんか、あげるこたあ、ねえじゃないですか、だけど、ま、こりゃ商売だからって、言っているっていうから、ま、その内にお灸すえに行きます。

あの世があることを教えにね。

又、その檀家からも、GLAへだいぶ来ているわけです。不思議なもんですね、これは。それも、ま、なかなか悪党坊主ですよ。でも、私が出たら、一番恐ろしいんじゃないでしょうかね。

そういうもので、皆さん、心が大事なのです。肉体からサーッと離れると地獄へなんか、行きませんしね。

そこで、又、ここで、こんど地獄の話になりましたから。神様が出てくる人がおりますから。

そこで「ちょっと出て来て下さい」

(四十代の細面の女の人が登場する。)

「あなた何か信仰しているの…大権現というのを拝んでいた訳ね、家で。」

・・・

こうして引き続き、「霊道現証の時間」へと入っていった。

 


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( 此の文章を信次先生の講演会の録音より筆記された方に感謝いたします。)




髙橋信次音声動画はこちら

かごめ - YouTube

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